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第10章 交渉

ペテン師の手口

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「これを飲めと?」 

 清原和人は一枚の紙を手に政敵である西園寺基義の顔を見つめていた。仮病とは分かっていたが、それにしても明らかに見下すような態度で見られていることに久しぶりの不快感を感じてその紙を主家の当主である烏丸頼盛に返した。ちらりと見た主君の顔は紅潮し、その手は怒りに震えていた。

 じっとそんな二人を見つめる安東は予想していたこととはいえため息をつくしかなかった。西園寺基義は議会と裁判院を掌握している。さらに海軍も多くは西園寺内閣実現を公言する幹部が数多く存在する。隣で黙って自分達を見つめている赤松忠満などもその一人だった。烏丸も内閣総辞職を覚悟して保科の調停に応じたのは分かっていた。だが西園寺はそれ以上の手を持って彼等を迎えていた。

 まず第一に烏丸内閣の手による追放解除の取り消し。これはある程度覚悟していたところはあった。遼州諸国の予想以上の反発に栄光ある孤立などが出来るはずもない自国のふがいなさを烏丸も知っていたところだろう。第二に貴族年金の減額に関する法案。これもまた貴族の支持で立っている烏丸内閣では出来ない提案だったが西園寺の提案と言うことならば何とか呑める範囲の妥協だった。経済状況の好転が見込めず、多くの在外資産を凍結されている現状で歳費の大幅な削減は誰もが考えているところである。そしてそれは西園寺の意向で動く内閣でなければ出来ない施策だった。

 だが、内閣人事と言って西園寺が示した一枚の紙切れがこの緊張した雰囲気を作り出していた。

 西園寺派でも普通選挙推進派や枢密院の権限縮小を唱える政治学者の波多野秀基。烏丸が予想していなかった民間からの閣僚登用が記された閣僚名簿。そして駄目押しのように目の前の西園寺基義はその名簿には名前が無かった。

「君が責任を取るのではないのかね」 

 震えるような声で烏丸がようやく言葉を繰り出した。首相の名前の波多野秀基と言うところを指差しているのが安東からも見て取れた。アメリカへの留学経験もあるその法曹界の寵児の名前を烏丸は口に出すことすらなかった。貴族制廃止と貴族が徴税に全責任を負うことで一部を流用可能にして汚職の温床となっている現状の改革を主張する学者の登用は烏丸としては受け入れがたい話だった。

「責任?何のことですか。私はただ現在の行き詰った政治状況を何とかできる人材を見つけてくれと言われてそれに答えただけですよ。波多野君は優秀だ。私のような過去の人間は静かに見守るだけで口を出すなんておこがましい」 

 そう言って笑う西園寺。

「だまし討ちがお好きなようですね、西園寺の家の人々は。弟君はどうおっしゃって……」 

「清原君。これは私の思案ですよ。惟基は関係ない」 

 そう言って烏丸の手から内閣人事案を取り上げる西園寺。

「平均年齢38歳。閣僚未経験者14名。新しい時代の新しい内閣。これで現在の難局を……」 

「だまらっしゃい!」 

 西園寺の演説を止めたのは調停役のはずだった保科だった。そのまま咳を始め、うつ伏せになる保科の背を赤松がさすった。

「君は……西園寺君は……そんなに……」 

 そのまま息を整えようとする保科。だが哀願するような赤松の目を見ても動ずることなく西園寺は静かに座りなおす。

「では、具体的にどこに不満があるのか、そしてその場合誰が適任なのかそれを示していただきたい」 

 西園寺の声は澄んでいた。烏丸と清原は見つめあい当惑する。

「貴方達は政権を放り出すつもりなのでしょ?ならば当然次の政権に必要な人材、今の内閣の何が足りなかったのか、それをご教授いただきたい。それが出来てからでないと話にはなりません」 

 そう言うと西園寺は立ち上がろうとした。

「待て!」 

 立ち上がろうとする西園寺を烏丸は呼び止めた。明らかに不愉快そうな顔の西園寺を見上げる烏丸。

「その人事案、決定ではない訳だな?」 

 搾り出すような烏丸の声に安東は彼の敗北感を感じていた。

「当然ですよ。私の狭い知識を絞って出てきた人材ですが、より適任な人がいるならお知恵を拝借したいと言うのが私の立場です」 

 そう言って再び西園寺は腰を下ろした。そしてその時ふすまが開いた。
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