レジェンド・オブ・ダーク 遼州司法局異聞

橋本 直

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第6章 西園寺サロン

権力の移ろい

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「しかし、二人とも驚いていないとは……忠さんも良い部下がいるみたいだ」 

「十分驚いとるように見えるんやけど。それと新三のところの切れ者に比べたらどうにも。あの吉田とか言う傭兵崩れがおればワシも安心して部隊を留守にできるんやけどな」 

 そう言って隣に忘れられたように置かれた杯を取る赤松。

「新三なんて言ってもこいつ等に言っても分からねえよ。ああ、忠さんと俺は高等予科学校からの同窓でな」 

「本当にそれは何度も文句言いたい思うとったんやけど腐れ縁の間違いやぞ」 

 明石はそこであることを思い出した。

 『胡州高等予科学校』。先の大戦の終戦前まで貴族の教育機関のひとつとして開設されていた学校である。軍に進む子弟の早期教育を目的に設立され、軍幹部にはその出身者が多かった。特筆すべきところは成績優秀者は陸軍士官学校や海軍兵学校を経ずに直接陸軍大学、海軍大学の受験資格があると言うところだったが、その試験は過酷で数年に一人という合格実績だった。

 その数少ない合格者の一人が目の前の嵯峨だった。家柄も才能も優れた名将としていずれ彼が軍に重用されることになるのは当然の話と言えた。だが、その家柄ゆえに嵯峨は中央から追われることになったのは皮肉なものだった。

 西園寺新三郎として四大公筆頭西園寺家の部屋住みだった彼が、ゲルパルトの名家シュトルベルク家の長女と結婚して中央政界から追放状態だった西園寺家に世の注目が集まると、軍は陸軍大学を出た彼を東和大使館付き武官として東都に送った。中尉待遇での花形デビューと言う体裁だが、事実は軍の中央から遠ざけることがその目的だった。事実その後も嵯峨は二度と軍の中央へ近づくことは無かった。

 だが現在その胡州軍の中央と縁が薄いと言うことが嵯峨の優位に政治的状況が展開する可能性を秘めている。そう明石は見ていた。

 元々嵯峨家の領邦には2億の民を抱えるコロニー群がある。全人口が八億に満たない胡州で図抜けた領邦とその人脈を使える嵯峨は未だ西園寺派や烏丸派とは一線を画して動くことが出来る状況にあった。彼の手足となる被官の陸軍の重鎮、醍醐文隆中将は西園寺家に近い立場とはいえ、三老の醍醐文隆の兄佐賀高家大将や池幸重(いけゆきしげ)准将などは烏丸派が勢力を持つ陸軍に会って中立を守っていた。

「二人とも俺がここにいるのは驚かなかったわけだ。だが、俺がなぜここにいるかは分かるか?」 

 いたずらをする子供のような瞳。明石は自分より一回り上の年であるはずの陸軍大佐の顔を見つめていた。

「それは先ほどおっしゃった……」 

「それじゃあ子供の答えだ。胡州の動静をたどるなら部下や被官にやらせる方が良い。そうしないともし俺がそれだけの為にここにいるとばれたら奴等は自分達が信用されていないってことでへそを曲げるかも知れねえからな」 

 再び嵯峨は徳利を傾けた。

「じゃあ、お二人と協力して……」 

 そう言った別所に赤松が諦めたような視線を向ける。それも承知の上と言うようににやりと笑った別所が嵯峨の顔色を見ていた。

「保科公の健康やないですか?嵯峨大佐がにぎってはるのは」 

 明石は試しにそう言ってみた。西園寺と嵯峨の兄弟は顔色を変えなかったが、上司に当たる赤松が二人の顔色を見たところで明石は自分の問いが正解だったことに気づいた。

「良い目をしているよ。最近の保科さんの動き。明らかに目に付いてね。いろいろと調べたんだが、やはり相当悪いらしい。ただ血管がプッツンしてリハビリ中の大河内公爵とは違って消化器系の癌だがせいぜい延命が効く程度の対処しかできない。それも本人が断ったそうだがね」 

 今の胡州を支えている老人の死。一瞬で場が凍った。

「そして、兄貴に釘を刺しに来たわけだ」 

 しばらくの沈黙の後、嵯峨は兄の西園寺を見つめる。

「釘?何のことだ?」 

 そう言った西園寺に嵯峨は一通の手書きの書状をポケットから出して兄に渡す。

「もう少しこういうものは丁寧に扱えよ」 

 西園寺はすぐにそれを読みはじめるが、次第に目を嵯峨に向ける回数が増え始めた。

「まあ、池もまじめな男だからな。露骨に高家の領邦の半分を譲ると言われても俺にお伺いを立ててきやがる。困ったもんでしょ?」 

 嵯峨の言葉に読みかけの書状を放り投げた西園寺。それを拾った赤松は読まずにそれを畳んだ。

「じゃあ清原からの書類もあるやろ?」 

 赤松の言葉に今度は携帯端末を開いて文書を画面に表示する。そしてそれを西園寺と赤松。二人に見せる嵯峨。

「よく考えたもんだな。こちらでは嵯峨の直轄地まで切り取って池に差し出すと書いてあるぞ。新三、そんな予定はあるのか?」 

 半分笑うような調子で西園寺は画面から目を離して嵯峨の顔を覗き見た。

「なあに、西園寺派が倒れればそれに見合う領邦を俺に差し出すっていうつもりでしょ?清原さんは」 

 淡々と答える嵯峨。それを別所は冷たい目で見つめる。

「こんな紙切れが行きかっているとして今回の状況をどう運ぶおつもりですか」 

 怒りをこめた別所の言葉に白々しくおびえたふりをする嵯峨。

「怖い顔したってどうにもならないんだけどな。ただ烏丸さんや保科さんに会って分かったことは俺にゃあもう手を上げるしかねえってことだな」 

 そう言うと嵯峨は杯を干した。

「おい、お前がそないなこと言ったら……嵯峨家が終わるんちゃうか?」 

 赤松の言葉に悲しげな表情を作る嵯峨。それが本心からのものかは明石にも分からなかった。

「だってしょうがないだろ?この国の制度を根本から変えるにはどちらかが倒れるしか無いんだ。強力な指導体制により制度を根幹から変革することで国家の発展を目指す。これは俺もやったことだが人に勧めるつもりはないが、それ以外に今の胡州に選択の余地が無いことは理解しているつもりだよ……だがねえ……」 

 嵯峨はそう言うとタバコを取り出した。灰皿がこの屋敷に無いことを知っている別所が何か代わりのものを探そうとするが、嵯峨は手で押し止める。

「ああ、携帯灰皿を持ってるんだ。俺は昔から肩身の狭い愛煙家だからな」 

 そう言ってポケットから金属の小さな円盤を取り出す嵯峨。
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