685 / 1,505
第10章 一日の終わり
到着
しおりを挟む
「早く下ろすぞ」
すぐさま吉田はエンジンを止めて車から降りる。シャムはそのままシートを超えて後部のスペースに固定されたバイクに手を伸ばした。
バイクにはロープが巻き付けられていた。実に慣れた手つき。司法局実働部隊創立以降、こうして何度この古ぼけたバンの貨物室にくくりつけられてきたのか。シャムは思わず笑ってしまっていた。
「おい、笑ってないで早くしろよ」
開いた後部ハッチから顔を出す吉田にシャムは照れ笑いを浮かべた。そのまま慣れた手つきで手早くロープをほどいていく。
「傷は付けるなよ。骨董品なんだから」
憎まれ口を叩く吉田に愛想笑いを浮かべながらシャムはほどいたロープを手早くまとめてバイクに手をかけた。
静かに、あくまでも静かにとシャムはバイクをおろしにかかった。
「ゴン!」
「あ……」
バンパーにこれで十三度目の傷が勢い余って切ってしまったハンドルによって付けられた。
「だから言ったろ?」
「は……ああ」
思わずシャムは照れ笑いを浮かべた。そしてすぐに周囲を見渡す。静まりかえった住宅街、見上げると魚屋の二階の一室だけが煌々と明かりをともしている。受験生佐藤信一郎は今日も勉強をしているようだった。
「聞こえたかな?」
「多分な」
吉田はそれだけ言うと静かにバンのリアの扉を閉めた。
「それじゃあ俺は帰るわ」
「え?お茶でも飲んでいけばいいのに」
「あのなあ……一応下宿人としての自覚は持っておいた方がいいぞ」
苦虫をかみつぶしたような顔をした後、吉田はそのまま車に乗り込む。
「じゃあ、明日」
それだけ言うと吉田は車を出した。沈黙の街に渋いガソリンエンジンの音が響く。犬が一匹、聞き慣れないその音に驚いたように吠え始める。
シャムは一人になって寒さに改めて気づいた。空を見上げる。相変わらず空には雲一つ無い。
「これは冷えるな」
なんとなくつぶやくとそのままシャムはバイクを押して車庫に入った。『佐藤鮮魚店』と書かれた軽トラックの横のスペースにいつものようにバイクを止める。鍵をかけて手を見る。明らかにかじかんでいた。
そしてそのまま彼女は裏口に向かう。白い息が月明かりの下で長く伸びているのが見えた。
戸口の前で手に何度か息を吹きかけた後、ジャンバーから鍵を取りだして扉を開く。
「ただいま……」
申し訳程度の小さな声でつぶやいた。目の前の台所には人影は無い。シャムはそのまま靴を脱いでやけに大きめな流しに向かう。
鮮魚店らしい魚の臭いがこびりついた流しの蛇口をひねる。静かに流れる水に手を伸ばせば、それは氷のように冷たく冷えた手をさらに冷やす。
「ひゃっこい、ひゃっこい」
自分に言い聞かせるようにつぶやきながら手を洗うとシャムは静かに水を止めた。
シャムは背中に気配を感じて振り向く。
「ああ、お帰り」
そこには寝間着にどてらを着込んだ受験生の姿があった。
「何してるの?」
「いいじゃないか、牛乳くらい飲んでも」
信一郎はそう言うと冷蔵庫を開けて牛乳を取り出す。
「あ、アタシも飲む」
「え……まあいいけど……酒臭いね」
「そう?」
信一郎の言葉に体をクンクンと嗅ぐ。その動作が滑稽に見えたのか信一郎はコップを探す手を止めて笑い始めた。
「なんで笑うのよ!」
「だって酒を飲んでる人が嗅いでもアルコールの臭いなんて分かるわけ無いじゃん」
そう言いながら流し台の隣に置かれたかごからコップを取り出した信一郎は静かに牛乳を注いだ。
「アタシのは?」
「ちょっと待ってくれてもいいじゃん」
そう言うと注ぎ終えた牛乳を一息で飲む。その様子に待ちきれずにシャムはかごからコップを取り出して信一郎の左手に握られた牛乳パックに手を伸ばした。さっと左手を挙げる信一郎。小柄なシャムの手には届かないところへと牛乳パックは持ち上げられた。
「意地悪!」
「ちゃんと注いであげるから」
まるで子供をたしなめるように信一郎は牛乳パックを握り直すと差し出す。シャムはコップをテーブルに置いた。信一郎は飲み終えたコップを洗い場に置くとそのままシャムのコップに牛乳を注いだ。
「でもお姉さんは飲むのが好きだね。これで今週は三回目じゃん」
「まあつきあいはいろいろ大変なのよ」
「本当に?」
憎らしい眼で見下ろしてくる信一郎の顔を一睨みした後、シャムは牛乳を一口口に含んだ。
口の中のアルコールで汚れた物質が洗い流されていくような爽快感が広がる。
「いいねえ」
「親父みたい」
信一郎の一言にシャムは腹を立てながらも牛乳の味に引きつけられて続いてコップに口を付けた。
すぐさま吉田はエンジンを止めて車から降りる。シャムはそのままシートを超えて後部のスペースに固定されたバイクに手を伸ばした。
バイクにはロープが巻き付けられていた。実に慣れた手つき。司法局実働部隊創立以降、こうして何度この古ぼけたバンの貨物室にくくりつけられてきたのか。シャムは思わず笑ってしまっていた。
「おい、笑ってないで早くしろよ」
開いた後部ハッチから顔を出す吉田にシャムは照れ笑いを浮かべた。そのまま慣れた手つきで手早くロープをほどいていく。
「傷は付けるなよ。骨董品なんだから」
憎まれ口を叩く吉田に愛想笑いを浮かべながらシャムはほどいたロープを手早くまとめてバイクに手をかけた。
静かに、あくまでも静かにとシャムはバイクをおろしにかかった。
「ゴン!」
「あ……」
バンパーにこれで十三度目の傷が勢い余って切ってしまったハンドルによって付けられた。
「だから言ったろ?」
「は……ああ」
思わずシャムは照れ笑いを浮かべた。そしてすぐに周囲を見渡す。静まりかえった住宅街、見上げると魚屋の二階の一室だけが煌々と明かりをともしている。受験生佐藤信一郎は今日も勉強をしているようだった。
「聞こえたかな?」
「多分な」
吉田はそれだけ言うと静かにバンのリアの扉を閉めた。
「それじゃあ俺は帰るわ」
「え?お茶でも飲んでいけばいいのに」
「あのなあ……一応下宿人としての自覚は持っておいた方がいいぞ」
苦虫をかみつぶしたような顔をした後、吉田はそのまま車に乗り込む。
「じゃあ、明日」
それだけ言うと吉田は車を出した。沈黙の街に渋いガソリンエンジンの音が響く。犬が一匹、聞き慣れないその音に驚いたように吠え始める。
シャムは一人になって寒さに改めて気づいた。空を見上げる。相変わらず空には雲一つ無い。
「これは冷えるな」
なんとなくつぶやくとそのままシャムはバイクを押して車庫に入った。『佐藤鮮魚店』と書かれた軽トラックの横のスペースにいつものようにバイクを止める。鍵をかけて手を見る。明らかにかじかんでいた。
そしてそのまま彼女は裏口に向かう。白い息が月明かりの下で長く伸びているのが見えた。
戸口の前で手に何度か息を吹きかけた後、ジャンバーから鍵を取りだして扉を開く。
「ただいま……」
申し訳程度の小さな声でつぶやいた。目の前の台所には人影は無い。シャムはそのまま靴を脱いでやけに大きめな流しに向かう。
鮮魚店らしい魚の臭いがこびりついた流しの蛇口をひねる。静かに流れる水に手を伸ばせば、それは氷のように冷たく冷えた手をさらに冷やす。
「ひゃっこい、ひゃっこい」
自分に言い聞かせるようにつぶやきながら手を洗うとシャムは静かに水を止めた。
シャムは背中に気配を感じて振り向く。
「ああ、お帰り」
そこには寝間着にどてらを着込んだ受験生の姿があった。
「何してるの?」
「いいじゃないか、牛乳くらい飲んでも」
信一郎はそう言うと冷蔵庫を開けて牛乳を取り出す。
「あ、アタシも飲む」
「え……まあいいけど……酒臭いね」
「そう?」
信一郎の言葉に体をクンクンと嗅ぐ。その動作が滑稽に見えたのか信一郎はコップを探す手を止めて笑い始めた。
「なんで笑うのよ!」
「だって酒を飲んでる人が嗅いでもアルコールの臭いなんて分かるわけ無いじゃん」
そう言いながら流し台の隣に置かれたかごからコップを取り出した信一郎は静かに牛乳を注いだ。
「アタシのは?」
「ちょっと待ってくれてもいいじゃん」
そう言うと注ぎ終えた牛乳を一息で飲む。その様子に待ちきれずにシャムはかごからコップを取り出して信一郎の左手に握られた牛乳パックに手を伸ばした。さっと左手を挙げる信一郎。小柄なシャムの手には届かないところへと牛乳パックは持ち上げられた。
「意地悪!」
「ちゃんと注いであげるから」
まるで子供をたしなめるように信一郎は牛乳パックを握り直すと差し出す。シャムはコップをテーブルに置いた。信一郎は飲み終えたコップを洗い場に置くとそのままシャムのコップに牛乳を注いだ。
「でもお姉さんは飲むのが好きだね。これで今週は三回目じゃん」
「まあつきあいはいろいろ大変なのよ」
「本当に?」
憎らしい眼で見下ろしてくる信一郎の顔を一睨みした後、シャムは牛乳を一口口に含んだ。
口の中のアルコールで汚れた物質が洗い流されていくような爽快感が広がる。
「いいねえ」
「親父みたい」
信一郎の一言にシャムは腹を立てながらも牛乳の味に引きつけられて続いてコップに口を付けた。
0
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説
もう、終わった話ですし
志位斗 茂家波
ファンタジー
一国が滅びた。
その知らせを聞いても、私には関係の無い事。
だってね、もう分っていたことなのよね‥‥‥
‥‥‥たまにやりたくなる、ありきたりな婚約破棄ざまぁ(?)もの
少々物足りないような気がするので、気が向いたらオマケ書こうかな?
【完結】そして、誰もいなくなった
杜野秋人
ファンタジー
「そなたは私の妻として、侯爵夫人として相応しくない!よって婚約を破棄する!」
愛する令嬢を傍らに声高にそう叫ぶ婚約者イグナシオに伯爵家令嬢セリアは誤解だと訴えるが、イグナシオは聞く耳を持たない。それどころか明らかに犯してもいない罪を挙げられ糾弾され、彼女は思わず彼に手を伸ばして取り縋ろうとした。
「触るな!」
だがその手をイグナシオは大きく振り払った。振り払われよろめいたセリアは、受け身も取れないまま仰向けに倒れ、頭を打って昏倒した。
「突き飛ばしたぞ」
「彼が手を上げた」
「誰か衛兵を呼べ!」
騒然となるパーティー会場。すぐさま会場警護の騎士たちに取り囲まれ、彼は「違うんだ、話を聞いてくれ!」と叫びながら愛人の令嬢とともに連行されていった。
そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。
そして誰もいなくなった。
彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。
これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。
◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。
3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。
3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました!
4/1、完結しました。全14話。
「おまえを愛することはない!」と言ってやったのに、なぜ無視するんだ!
七辻ゆゆ
ファンタジー
俺を見ない、俺の言葉を聞かない、そして触れられない。すり抜ける……なぜだ?
俺はいったい、どうなっているんだ。
真実の愛を取り戻したいだけなのに。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
王家も我が家を馬鹿にしてますわよね
章槻雅希
ファンタジー
よくある婚約者が護衛対象の王女を優先して婚約破棄になるパターンのお話。あの手の話を読んで、『なんで王家は王女の醜聞になりかねない噂を放置してるんだろう』『てか、これ、王家が婚約者の家蔑ろにしてるよね?』と思った結果できた話。ひそかなサブタイは『うちも王家を馬鹿にしてますけど』かもしれません。
『小説家になろう』『アルファポリス』(敬称略)に重複投稿、自サイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる