レジェンド・オブ・ダーク 遼州司法局異聞

橋本 直

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第6章 日課の8キロ走

順位

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 二十メートルくらい離れたところにはアンが走っている。シャムとランは例外としても体力的には一番劣る小柄なアンが必死に食らいついていくのは好感が持てた。問題はその後ろだった。

 フェデロが遠くに置き去りにされていた。それだけならいつものことなので当然だったが、彼はなぜか自転車に乗っていた。

「あ、フェデロ……いんちきしてる」 

「……まあそのうちスミス大尉も気づくんじゃないですか?」 

 誠はちょいと振り向いてそれだけ言うと足を速めた。シャムもそれに遅れまいとペースを上げる。

 グラウンドに沿った道がそのまま司法局実働部隊の隊員が『中央事務所』と呼んでいる建物の隣に伸びていた。主に営業や事務関係者が多いらしく、それまで脇を通る車がほとんど何かを載せたトレーラーだったのにこの辺りから営業車が増え始めていた。車が小さくなれば数も増える。そしてそれだけシャム達を見る目も多くなる。シャムは追い抜いていく車に笑顔を見せながら誠の後ろを走り続けた。

 そしてそのまま『中央事務所』の建物の隣の営業車が並んでいる駐車場を抜けたところだった。突然ロナルドが逆方向に猛ダッシュで走って通り抜けていく。

「ああ、やっぱり誰かチクッたんだね」 

 シャムの言葉に彼女から見える誠の口元が笑っていた。

「……まああの人のことだから……多分フェデロさんだけもう8キロ追加ですよ」 

 誠の言葉にシャムはうなづきながら真っ直ぐ工場の正門に向かう直線道路を走り続けた。

 赤い屋根が見事な研究塔を抜けると、両サイドには街路樹と言うより森のような緑地が広がっている。冬でもその常緑の木々は緑を湛えていた。

 それは走り続けるシャム達にとってそれはちょうどいい風除けだった。

「……説教してるのかな?」 

 シャムもここまで来ると息が切れて来た。それなりに無理をしたんだというように振り返った誠の顔は呆れている。

「……そうじゃないですか?」 

 誠が言った時だった。背後に急激に近づく気配を感じた。

 まずロナルドが自転車に乗って通り過ぎた。そしてそれに続いて明らかに嫌々走るフェデロが続く。

「……ああ、あんなに飛ばして」 

 シャムの言葉に誠は息を噴出すとよろけそうになる。目の前の二人の突進はかなめとカウラの二人を追い抜いたところで落ち着いたようだった。

 一騒動が過ぎて目の前を見ればすでに工場の正門は目の前だった。もう到着している自転車の明石とランが走るシャム達を待ち受けていた。

「おい!いんちき野郎!とっとと走れ!」 

 ランの罵声が飛ぶ。シャムが誠の後ろから顔を出せばもう手足がばらばらで疲れきったフェデロがロナルドに監視されながら走っているのが見えた。

「……もう少し!」 

 そう言うと誠がラストスパートをかけた。シャムは追わずにそのままのペースで走る。その横をアンが誠に釣られるように加速して通り抜けていく。

「もうすぐ……」 

 シャムは守衛室の前にしゃがみこんだフェデロとそれを見下ろしているロナルドを見ながらそのまま走る。ゲートを通ろうと減速する電気モーターの大型トラクターと並走しながらシャムはゴールした。

「しばらく休めよ」 

 いかにも何か一物あるという表情のランの一言を聞いてシャムはそのまま腰を下ろした。真冬、北からの季節風が結構強く吹き付けているというのに走りこんだ体は熱を帯びていて寒さは感じなかった。

「さて、フェデロ」 

 ようやく切れた息が戻ってきたらしく開けたままだった口を閉じたばかりのフェデロを見下ろしてロナルドがつぶやいた。フェデロが調達したロナルドが片手で支えている自転車。動力アシスト付のそれには菱川重工豊川工場航空機製作工場のマークがサドルの下の動力部分にマーキングされていた。

「隊長……ちょっとしたお茶目じゃないですか……」 

 悪びれるつもりもさらさらないという表情で上官を見上げるフェデロ。ロナルドはどうにもこのお調子者の部下を相手にどうしたら自分の面子が保てるか考えているというようにサドルに手をかけながらしばらく考えていた。

「お前……そうだ」 

 ロナルドは思いついたように自転車をフェデロに差し出した。突然のことにフェデロは何も言えずに呆然と立ち尽くしていた。

「これ、返すわ」 

「え……?」 

 当惑するフェデロ。何かロナルドに考えがあるのだろうと一同は二人を遠巻きに眺めていた。

「ええ、まあ。ありがとうございます」 

 フェデロはそう言うとそのまま自転車にまたがる。そしてどうしていいか分からないと言うようにそのままロナルドの顔を覗き込んだ。特にどうと言うことも無いというようにロナルドの青い目がじっとフェデロを見つめている。

「このまま……自転車を返してくればいいんですか?」 

「まあそうだな。あまり大事にするなよ。うちはそれでなくても菱川重工には借りが多いんだから」 

 まるで何事も無かったかのようなロナルドの態度にしばらく自転車の上で困惑していたフェデロだがいたたまれなくなって自転車を降りる。

「なんだ?お前が借りてきたんだろ?」 

「確かにそうですけど……」 

「なら返すのもお前だろ」

「確かにそうなんですが……」 

 ロナルドの割り切った態度にどうにも裏があるように思えて自転車にまたがれないフェデロ。その様子が非常に滑稽でシャム達の顔にも笑顔が浮かんできた。

「アン!」 

「何でしょう?マルケス中尉!」 

 疲れ果てて道路に腰掛けていたアンだが突然呼びつけられて跳ね上がるように立ち上がる。フェデロはそれを見ると満足したように自転車を固定してそのままアンのそばまで歩み寄る。

「貴様は……体力には自信が無いよな」 

「中尉には勝てないですが……そんな自信が無いとか……」 

 うろたえた調子で急に威張りだすフェデロにアンは不審そうな表情で答える。

「無いよな!」 

「はい!無いです」 

 いい加減でも一応は上官である。怒鳴りつけられれば白いモノでも黒くなるのが軍組織だった。そんなアンの様子に満足げにフェデロは言葉を続けた。

「実はこの自転車は航空機開発部の備品だ。そこの技師に知り合いがいてな……ちょっと借りてきたわけだが……俺はこれからランニングをしなければならない。となると……誰かが……返さないといけないよな?」 

 フェデロの目がちらちらとロナルドを見ている。その滑稽な姿に自然とシャムの口にも笑みがこぼれてきた。

「確かに……そうですね」 

 フェデロの意図が分かりつつも渋々つぶやくアンだった。口八丁のフェデロのことである。ほとんど強奪同然の調達方法をとったに違いない。その尻拭い。だが助けを求めるように目を向けたロナルドのうなづいているのを見てアンもなんとか気を取り直してフェデロから自転車を受け取った。

「じゃあ、返してきますから」 

「おう!頼むぞ」 

 皆に見送られてアンが自転車で来た道を走り出す。それを見送りながらランはスクラッチを始めた。

「それじゃー帰り道か……体育館経由で行くか?」 

 ランの言葉にフェデロが目を輝かせた。それがシャムには滑稽に思えて噴出した。体育館はこれもまた実業団最強の女子バレー部を始め多くの女子選手が練習をしている時間だった。中にはマスコミに取り上げられる美人アスリートも何人かいる。当然フェデロの目当てはそれだった。

 でもそれを知っていてランがなぜ明らかに規律を乱す行動をとったフェデロを優遇するような道を選んだか。要するにそれがロナルドが帰ってから与える罰の厳しさを物語っているのだろう。楽天家のフェデロは妙に張り切ってジャンプなどをして体を温めている。誠は呆れてそれを眺めている。

「フェデロ……ご愁傷様だな」 

「え?何が?」 

 能天気に答えるフェデロ。それを見ると笑顔で明石が自転車のペダルに足をかけた。

「休憩は終いや。行くで」 

 そのまま自転車を漕いで信号が青になった正門前の道路を横断し始める。ランを先頭に一同はその後ろを走り始めた。ランに続くのはすっかり元気を取り戻したフェデロ。それに彼を監視するようにしてロナルドと岡部が左右に並走する。少し離れて誠とかなめにカウラが走る。シャムは何か面白いことが起きそうな予感がして最後尾を静かに走ることに決めた。
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