レジェンド・オブ・ダーク 遼州司法局異聞

橋本 直

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第4章 午前勤務

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 沈黙。それは一番シャムが苦手とするところだった。

「ウガー!」 

 飛び上がるようにシャムが立ち上がる。いつものことなので部屋の全員の糾弾するような視線を慣れた調子でシャムに向けた。

「シャム。もうすぐ昼だから西園寺でも呼んで来いよ」 

 気を利かせてランがめんどくさそうにつぶやく。シャムの顔はその一言で一気に笑顔へと変換された。

「やっぱり射場かな」 

「そうじゃねーのか?アイツがただタバコだけ吸って済ませるとは思えねーからな」 

 ランは投げやりにそう言うと再び目の前の資料に目を落とした。笑顔を輝かせて130cm弱の体には明らかに大きすぎる事務用の椅子から飛び降りるようにしてシャムは走り出した。

「転ばないでくださいよ」 

 これもまた投げやりにそれだけ言うと誠は頭を掻きながら決心がついたと言うようにキーボードを叩き始める。その様子ににんまりとした笑いで答えるとシャムは廊下へと飛び出した。

 ドアを開けると一気にハンガーから流れ込む冷気と重機の低い音がシャムを包み込み、彼女は思わず首をすくめた。

『そこ!右腕部のアクチュエーターの調整は最後だって何度言ったらわかるんだよ!それより骨格部の強度チェック!それが終わったら流体動力装置の再点検!そのくらいの手順は覚えてくれよ!』 

 先日の異動でこの惑星遼州の衛星である麗州からの新入隊員の指導を任されている技術部の事実上のナンバー2である古参隊員島田正人技術准尉の叫びがこだましている。

「たいへんだな……正人も」 

 そうつぶやくとシャムはそのままハンガーに向かう廊下を歩き始めた。

「ナンバルゲニア……中尉!」 

「うわ!」

 粘りつくような男の声に思わずシャムは飛びのいた。そこに立っていたのはシャムの出てきた実働部隊の詰め所の隣に並ぶガラス張りの小部屋、部隊管理部の経理主任である菰田邦弘主計曹長がいた。そのなんとも表現しがたい脂ぎった顔に思わずシャムの顔がゆがむ。

「なに……菰田曹長……」 

「いい加減書類のほう、提出してもらわないと困るんですよね。部隊の経営関連の書類を三日も四日も数百円の伝票のために止めるなんて事態はどう見ても異常じゃないですか……」 

 そう言うとその無表情でありながら目だけ笑っている菰田の視線に思わずシャムは目をそらしたくなる。

 だがそういうわけにもいかない。

 文房具の出金伝票の不備を作ったのはシャム自身。菰田はあくまで仕事の責任者としてその書類の処理に困っているのは事実だった。それを否定することはシャムにもできず、ただ姿勢を正すとちらちらと管理部の部屋のほうに目をやった。

 あっけらかんとして部下を怒鳴りつけている割には人望のある島田とはことごとく対立する下士官の中のトップの菰田である。だがその人望は菰田自身が作ったスレンダーな女性を崇拝するカルト宗教『ヒンヌー教』の教徒の間だけに限られ、明らかにその趣味に嫌悪感を隠さないガラスの向こうの女子職員達は粘りつくような菰田の視線の餌食になっているシャムに同情の視線を送ってきていた。

「お願いしますよ……遊びに行く暇があったら伝票を……」 

 そこまで言いかけて菰田の目がシャムの顔から上へと走った。すぐにその顔が青く変わり始める。

「またか……」 

 シャムは思わず反り返って菰田の視線の先を追った。

 背広姿の小太りの男が困ったような顔をしてシャムと菰田を見つめている。

「高梨参事……」 

 高梨渉参事。部隊長嵯峨惟基特務大佐の腹違いの弟であり、東和共和国の高級官僚養成課程出身のバリバリのキャリアとして知られる管理部部長である。上司に呆れられたような表情でにらまれればさすがの菰田も目を白黒させて立ち往生するしかなかった。

「伝票の処理くらい経理主任の権限でなんとかなるだろ?それに君には新型の運用経費のシミュレーションを頼んでおいたはずだけどそちらの方は……どうなんだね?」 

「ああ……あれは吉田少佐に損害が出た場合の予備部品の供給の調査データを……」 

「ならナンバルゲニア中尉とこうして無駄話をするくらいなら吉田少佐と会議でもしていたほうがよっぽど生産的な仕事をしていることになるわけだね」 

 高梨は叱り飛ばすわけでもなくにっこりと笑い勤務服姿の制服組の部下を見あげる。その言葉に何一つ反論できずに菰田はただ制服のネクタイを締めなおすだけ。その対比が面白くて思わず噴出しそうになるシャムだが、再びあの粘りつくような菰田の視線に口を閉ざした。

「じゃあ僕の職権で繰越金を何とかして処理しておきますから。後で清算手続きの書類、回しますからね!」 

 捨て台詞のようにそういい残して菰田は無表情のまま管理部の部屋に飛び込む。シャムが透明のガラスの向こうを見ているといかにも痛快そうに笑っていた事務の女子職員達が菰田が口に手を当てるのを見て慌てて目の前の端末に視線を移す様が滑稽に見て取ることができた。

「彼も……悪い人間じゃないんだけどねえ……」 

 苦笑いを浮かべて高梨は頭を掻く。

「参事は隊長と会議でしたか?」 

「まあ……兄さん相手じゃ会議にならないよ。書類を渡したら恐ろしい速度でチェックを入れ始めてそのまま決済書類入れにポイだからね。書類を見て入っているチェックの赤ペンの言葉に文句を言おうとしたら途端に立ち上がってヤスリを取り出して自分の銃のスライドを削り始めちゃって……要するに赤ペンの部分のことには異議があるから僕の裁量でなんとかしろってことなんだけどさあ……」 

 そう言うと高梨は小脇に抱えていた書類入れから書類を取り出そうとする。

「大変なんだね、参事も……あ!私はかなめちゃんを迎えにいくんだった!」

 それを見て小難しい話を繰り出されると思ったシャムはそのまま轟音の響くハンガーへと駆け出した。

 管理部のガラスの小部屋が尽きると視界が広がって目の前には偶像のように並ぶ人型兵器『アサルト・モジュール』が見えた。まさに壮観と言える光景に思わずシャムは足が止まりかけるが、後ろからまた高梨に話しかけられてはたまらないとそのまま階段を駆け下りてハンガーの床までたどり着いた。

「ナンバルゲニア中尉、また西園寺さんのお守りですか?」 

 床にどっかり腰を下ろしてニコニコ笑いながらシャムの実働部隊のアンと並ぶ19歳で最年少の技術兵である西高志兵長が油まみれのバールを磨いている様が目に飛び込んできた。

「まあそんなところね」 

「かなり苛立ってるみたいでしたね、あれは。独り言をぶつぶつつぶやきながら僕のことを無視してそのまま小火器管理室に飛び込んだと思ったら……」 

「あれでしょ?火器管理の隊員と怒鳴りあいの後で、銃を持ってそのまま同じ調子で外まで歩いていったと」

 シャムの推理に感心するわけでもなくただ苦虫を噛み潰したような表情を一瞬浮かべた後、西はそのままバールをぬぐっていた油まみれの布切れを隣の作業台に放り投げてバールを肩に背負うようにして立ち上がった。

「うちの新人達も……まだ慣れて無いですからね。驚いちゃって……この前なんか危うく労災になるところでしたよ。できれば神前曹長にナンバルゲニア中尉から一言、言ってやってくれませんか?」 

 激しい人事異動の結果、平時だというのに部隊発足わずか二年間で技術兵では最古参になった若者の言葉にシャムは苦笑いを浮かべるとそのまま手を振って騒ぎがあったという小火器管理室へと足を向けた。
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