レジェンド・オブ・ダーク 遼州司法局異聞

橋本 直

文字の大きさ
上 下
626 / 1,503
第50章 鍛錬

ランニングの後で

しおりを挟む
「予想通り……たるんでるな」 

 かなめは余裕の表情でつぶやいた。彼女の気まぐれに付き合わされた寮の住人はランニングから戻ると我慢していた腹痛に襲われて食堂に突っ伏していた。あの不死身の島田でさえも顔色を青くしてテーブルに突っ伏せている。これが真冬の出来事だからまだ誰もかなめに食ってかかることはなかったが、これが真夏の出来事ならば一騒動あっただろう。誠は取り合えず腹痛もなかったが、ただ苦笑いを浮かべながら椅子の上で息を整えつつ様子をうかがっていた。

「気合が足りねえな」 

 たたみ掛けるようにそう言うとかなめはまた周りを見回す。

「これが気合の問題?生理現象でしょうが」 

 涼しい顔のかなめにアイシャが青い顔で突っ込みを入れた。いつもは平然と笑っているだけの彼女の右手も脇腹に当てられている。相当苦しいらしく冷や汗のようなものさえ浮かんでいるのが見える。

 部屋中の空気はアイシャに味方していた。冷たい視線がかなめを取り巻く。さすがに自己中心的なかなめも雰囲気だけは分かるのか、アイシャに浴びせようとしていた罵声を飲み込んでただ黙り込んでいる。

「単に自分の義体の慣らしに全員をつき合わせたかっただけだろ。そう言うことなら自分一人でやれ」 

 カウラの一言。アイシャを始め、食堂の人々が大きく頷く。かなめは状況不利と悟るとただ乾いた笑みを浮かべていた。

 疲労感が部屋中を支配している。ただ一人元気なかなめはとりあえず話題を変えようと目をつぶった。彼女の脳と直結するネット情報。おそらくは話題を変えてくるだろう。誠もかなめの小手先のごまかしには騙されまいと身構えて彼女が口を開くのを待った。

「それより……面白い話があるんだが……」

 誠の予想通り、どこか彼女らしくもなく遠慮がちにかなめが口を開いた。 

「なによかなめちゃん。これ以上何か変なことがしたいわけ?つまらない話なら本当に怒るわよ」 

 いつもは騒動を起こす側のアイシャのその態度に誠は少しばかりおかしく感じながらもどう話が続くのか見守ることにした。かなめもこのくらいのアイシャの態度は想定していたらしく苦笑いを浮かべながらもったいぶることもせずに左腕の端末を起動させ立体画面を表示させた。

「こいつだ……どう思う?」

「遼州同盟の人権機構の声明?例の東和の間抜けな法術師が起こしたトラブルの帳尻あわせでしょ?それで何か動きがあったわけ?どうせろくな事じゃないんでしょ、その様子だと」 

 アイシャは小さな画面の詳細を見ようと立ち上がるとそのままよたよたとかなめの腕の上に展開された画面に顔を近づけた。わざと見えにくいというように責めるような視線をかなめに向けるアイシャ。

「こうすれば見えるだろ?」 

「見えるけど……ちょっともう少し腕を上げて」 

 人造人間の強化された視力ならば余裕で読めているはずの画面をまるで見えないというように角度を変えて何度も覗き込むアイシャ。その姿にそれまで下手に出ていたかなめがまた苛立ちの表情を浮かべ始める。誠はもうもめ事はごめんだと逃げ出す心構えをしはじめた時だった。

「法術適正の強制化に反対する署名活動を始める?ずいぶんと消極的なお話ね。だからなんなのよ」 

「それでも同盟の意志として法術適正検査の強制化に反対することを示して見せたんだ。かなりぎりぎりの選択だったと思うぞ。遼南あたりがかなりごねたんだろうな。あそこは法術師のパラダイスみたいなもんだからな。法術適正検査の受検率が一桁代……東和の右っぽい連中もかなり騒いでいるからな」 

 かなめは苦笑いを浮かべる。予想通りの世の中の反応。誠はすでに法術師と認定された身分として複雑な心境で会話を聞いていた。アイシャはまだかなめの腕を手にとって画面を読み続けている。

「ここから先は……遼南宰相アンリ・ブルゴーニュの声明文ね。何々……法術適性検査の強制化は著しい人権問題になるであろうと……ひいては同盟の人民の間に分断と亀裂を生むことになる……。生むことになるも何も生まれてるじゃないの」 

「今頃何言ってるんですかねえ。適性検査の強制化に反対するも何も遼北じゃ強制じゃないですか」 

「正人ちゃん。元々人権意識の薄い国の話をしてもむなしいだけよ」 

 島田の言葉に余裕のある突込みを入れるアイシャを見ながら誠の目は端末を起動させたかなめに向いた。

「で……どうなるんでしょうか?」 

「これからは色々あるってことさ。軍事や犯罪組織の活動に関するだけが法術師の話題だった訳だが……これからは人と人との個人的な関係にまで法術と言う存在が食い込んでくることになる。法術を持つものと持たないもの。それが憎み憎まれて世の中が転がることになるってことさ」

 吐き捨てるようにそう言うとかなめは自分の右腕を握りしめてその上空に表示された画面を追っていたアイシャを振り払って端末の画面を消した。ふてくされたように黙り込むアイシャ。かなめは彼女を無視するとそのまま視線を誠に向ける。

「東和も法術師を押さえ込む方向に進むだろうな……そうなればたぶんオマエの両親も今回は年貢の納め時だってことだ」 

「親が?なんで?」 

 ぼけっとしている誠にかなめは大きくため息をついた。

「誠ちゃんが明らかに進んだ法術師である以上、その両親が法術適正があると考えるのが普通でしょ? それに誠ちゃんのお父さんは学校の体育の先生じゃないの。まずこういう時は教育現場が狙われるものよ」 

「あ……」 

 アイシャに指摘されて誠はようやくかなめの意図に気づいた。

「ともかくこれからはかなり息苦しい世の中になりそうだな」 

 かなめがため息をつく。部屋のそれまでかなめへの怨嗟の念に満ちていた雰囲気が消え去っているのを誠はようやく感じていた。島田を始め、法術適正を持つ隊員は少なくは無い。そして自分の血縁者にそう言う存在がいることが不思議ではないこととそうなればどのような言われない攻撃が突然訪れるか。そんな事を考えると朝食後にランニングをさせられるくらいの事はすでにどうでもいい話だった。

「東和も揺れるな……『官派の乱』の胡州の再現か?」 

「そうはならんだろ。東和は一応シビリアンコントロールができてる国だ。保守派が叫んでも軍は動かねえよ」 

 カウラとかなめ。別の話題を口にしながらもその目は誠を見つめていた。

「どうなりますかね?」 

「私に振らないでよ」 

 誠の言葉にアイシャが苦笑いで答える。誰もが当惑し、ただどんよりとした空気が食堂に立ちこめた。

「はいはい!なんだか知らないけどお通夜じゃないんだから!まもなく出勤の時間ですよ!」 

 突然の快活な声。誠もまたその声に救いを感じて顔を上げた。叫んだのは食堂に闖入してきたサラだった。その隣にはため息をついているパーラがいる。

「アイシャさんに呼び出されたんですか?」 

「まあね。パーラに頼んで送ってきてもらったの」 

 サラの言葉にパーラが引きつった笑いで頷いた。恐らく早朝にアイシャからの電話で無理やり起こされて、サラを家まで車で迎えに行ったパーラ。その苦労を想像すると誠も彼女が不憫に思えてきた。

 隊員達もそれぞれに我に返ると重い腰を上げて食堂から自室へ散っていった。

「それにしても……なんだか重苦しい雰囲気ね。何かあったの?」 

 サラは島田のジャージの襟をいじりながら誠達を眺めた。

「まあ……食後すぐに運動させた誰かさんのおかげでね」 

「しつこいぞ、アイシャ!それに暗くなったのはアタシのせいじゃ無くて世の中のせいだ」

「都合が悪いと何でも世の中のせい……かなめちゃんは中学生?」 

「おい、いっぺん死ぬか?本当にいっぺん死んでみるか?」 

 にらみ合うかなめとアイシャ。その進歩のないやりとりにカウラが大きくため息をつく。

「それにしても……アイシャの頼みで吉田さんに調べてもらったんだけど……今回の事件後に情報発信を増やした個人や団体の名前が……」

「ありがと!」 

 そう言うとサラが取り出した一枚のチップをアイシャは受け取ってその手にかざして見せた。

「吉田に?そんな事を頼んでどうするんだ?」 

 唖然とするかなめを横目に笑顔のアイシャはチップ握りしめるとそのまま食堂の外へと消えた。

「アイシャの奴は何か知ってるのか?」 

「あいつも一応は運用艦の艦長代理だ。政治的判断に直結するような指示を受けたときの対応策でも考えているなじゃないのか」 

 カウラの言葉にかなめは煮え切らないという表情で腕を組む。

「法術師とそうで無いものの対立が誰の利益になるか……そんなことでも調べてるんじゃないですか?」 

「対立を煽っている奴がいる……アメリカかね?それにしちゃあずいぶんの不器用で危なっかしいやり口じゃねえか。『ギルド』ほどじゃ無くても法術師の小さな互助組織の存在はいくつか確認されているんだ。それが今回の騒動の反動で騒ぎ立てた連中にせき立てられて手でもつないでみろ。地球も巻き込んだ大騒動になるぞ」 

 かなめの言葉に誠は反論できなかった。今の状況は誰の利益にもならないように見える。だがあまりに事態は急転していた。そこに作為が無いと考えるのもまた不自然に見える。

「とりあえず後でそれとなく聞いてみるか」 

 そう言うとカウラが立ち上がる。

「これから聞くんですか?」 

「今は着替えるだけだ」 

 誠の言葉にそっけなく答えるとカウラも食堂を出て行った。

「この寒さで汗もかかない癖にな……」 

 かなめはそう言うと伸びをしてそのまま食堂の出口に向かう。

「遅刻するぞ」 

「はい!」 

 振り返っての一言に誠も気がついてそのまま食堂を飛び出した。

「なんだか……大きな話になってきたな」 

 階段を駆け下りる隊員達とすれ違いながら誠はそのまま自分の部屋に飛び込んだ。すぐにジャージを脱いでTシャツとジーンズ、ジャンバーに身を包んで部屋を飛び出す。

 階段を駆け下りて玄関に向かうと誠の前にすでに着替えを済ませたカウラとかなめが立っていた。

「それじゃあ行くぞ」 

「え?アイシャさんは?」 

「アイツはパーラの車で先に出た」 

 それだけ言うと実に普通に靴を履くカウラ。かなめも気にならないというようにブーツに手を伸ばした。

「そうですか……」 

 釈然としない誠は彼女達に付き合うようにスニーカーを履いて立ち上がった。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

特殊装甲隊 ダグフェロン 『廃帝と永遠の世紀末』 第三部 『暗黒大陸』

橋本 直
SF
遼州司法局も法術特捜の発足とともに実働部隊、機動隊、法術特捜の三部体制が確立することとなった。 それまで東和陸軍教導隊を兼務していた小さな隊長、クバルカ・ラン中佐が実働部隊副隊長として本異動になることが決まった。 彼女の本拠地である東和陸軍教導隊を訪ねた神前誠に法術兵器の実験に任務が課せられた。それは広域にわたり兵士の意識を奪ってしまうという新しい発想の非破壊兵器だった。 実験は成功するがチャージの時間等、運用の難しい兵器と判明する。 一方実働部隊部隊長嵯峨惟基は自分が領邦領主を務めている貴族制国家甲武国へ飛んだ。そこでは彼の両方を西園寺かなめの妹、日野かえでに継がせることに関する会議が行われる予定だった。 一方、南の『魔窟』と呼ばれる大陸ベルルカンの大国、バルキスタンにて総選挙が予定されており、実働部隊も支援部隊を派遣していた。だが選挙に不満を持つ政府軍、反政府軍の駆け引きが続いていた。 嵯峨は万が一の両軍衝突の際アメリカの介入を要請しようとする兄である西園寺義基のシンパである甲武軍部穏健派を牽制しつつ貴族の群れる会議へと向かった。 そしてそんな中、バルキスタンで反政府軍が機動兵器を手に入れ政府軍との全面衝突が発生する。 誠は試験が済んだばかりの非破壊兵器を手に戦線の拡大を防ぐべく出撃するのだった。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

法術装甲隊ダグフェロン 永遠に続く世紀末の国で 野球と海と『革命家』

橋本 直
SF
その文明は出会うべきではなかった その人との出会いは歓迎すべきものではなかった これは悲しい『出会い』の物語 『特殊な部隊』と出会うことで青年にはある『宿命』がせおわされることになる 法術装甲隊ダグフェロン 第二部  遼州人の青年『神前誠(しんぜんまこと)』が発動した『干渉空間』と『光の剣(つるぎ)により貴族主義者のクーデターを未然に防止することが出来た『近藤事件』が終わってから1か月がたった。 宇宙は誠をはじめとする『法術師』の存在を公表することで混乱に陥っていたが、誠の所属する司法局実働部隊、通称『特殊な部隊』は相変わらずおバカな生活を送っていた。 そんな『特殊な部隊』の運用艦『ふさ』艦長アメリア・クラウゼ中佐と誠の所属するシュツルム・パンツァーパイロット部隊『機動部隊第一小隊』のパイロットでサイボーグの西園寺かなめは『特殊な部隊』の野球部の夏合宿を企画した。 どうせろくな事が起こらないと思いながら仕事をさぼって参加する誠。 そこではかなめがいかに自分とはかけ離れたお嬢様で、貴族主義の国『甲武国』がどれほど自分の暮らす永遠に続く20世紀末の東和共和国と違うのかを誠は知ることになった。 しかし、彼を待っていたのは『法術』を持つ遼州人を地球人から解放しようとする『革命家』の襲撃だった。 この事件をきっかけに誠の身辺警護の必要性から誠の警護にアメリア、かなめ、そして無表情な人造人間『ラスト・バタリオン』の第一小隊小隊長カウラ・ベルガー大尉がつくことになる。 これにより誠の暮らす『男子下士官寮』は有名無実化することになった。 そんなおバカな連中を『駄目人間』嵯峨惟基特務大佐と機動部隊隊長クバルカ・ラン中佐は生暖かい目で見守っていた。 そんな『特殊な部隊』の意図とは関係なく着々と『力ある者の支配する宇宙』の実現を目指す『廃帝ハド』の野望はゆっくりと動き出しつつあった。 SFお仕事ギャグロマン小説。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

【完結】そして、誰もいなくなった

杜野秋人
ファンタジー
「そなたは私の妻として、侯爵夫人として相応しくない!よって婚約を破棄する!」 愛する令嬢を傍らに声高にそう叫ぶ婚約者イグナシオに伯爵家令嬢セリアは誤解だと訴えるが、イグナシオは聞く耳を持たない。それどころか明らかに犯してもいない罪を挙げられ糾弾され、彼女は思わず彼に手を伸ばして取り縋ろうとした。 「触るな!」 だがその手をイグナシオは大きく振り払った。振り払われよろめいたセリアは、受け身も取れないまま仰向けに倒れ、頭を打って昏倒した。 「突き飛ばしたぞ」 「彼が手を上げた」 「誰か衛兵を呼べ!」 騒然となるパーティー会場。すぐさま会場警護の騎士たちに取り囲まれ、彼は「違うんだ、話を聞いてくれ!」と叫びながら愛人の令嬢とともに連行されていった。 そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。 そして誰もいなくなった。 彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。 これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。 ◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。 3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。 3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました! 4/1、完結しました。全14話。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判

七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。 「では開廷いたします」 家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

処理中です...