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第6章 日常

トレーニング

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「平日だねえ」 

 かなめはそう言うと自転車を漕ぐ。隣を走るのはカウラと誠。二人とも毎日夕方の8キロマラソンのラストと言うことで疲れを見せながら冬の空の下で走り続けていた。

「いつまでも……正月……と言うわけじゃないだろ?」 

 カウラはそう言うと目の前に見え始めたゲート目指してスパートをかけた。誠にはそれについていく体力は無かった。そのままカウラはゲートの向こうに消えていく。

「オメエも根性見せろよ。男だろ?」 

 かなめはそう言って自転車を悠々と漕ぐ。彼女は脳の一部以外はすべて人工的に作られた素材を組み合わせたサイボーグである。そもそも体力強化のランニングに付き合う必要は無いのだが、最近は気分がいいようでこうしてその度に自転車をきしませながらついてくる。

「ベルガー大尉……みたいには……」 

「そうか?じゃあアタシは先に行くから」

 かなめはそれだけ言うと一気に力を込めてペダルをこぎ始めた。すぐにその姿はゲートへと消える。

「がんばれ!あとちょっと!」 

 ゲートの手前でコートを着た女性士官が叫んでいるのが見えた。警備部部長、マリア・シュバーキナ少佐。『同盟司法局四大姐御』の二位と呼ばれる存在の彼女の登場に誠は苦笑いを浮かべながら足を速めた。

 司法局実働部隊で単に『姐御』と言うと技術部部長で階級も部隊長の嵯峨と同じ大佐の許明華《きょ めいか》大佐のことを指すのは隊の常識だった。そして勇猛果敢な警備部の猛者達を仕切るマリアは第二位とされた。そして運用艦『高雄』の艦長鈴木リアナ。あの突拍子の無い副長アイシャを抑えている彼女は姐御と言うより『お姉さん』と呼ぶのが隊の常識だった。

「おーい。報告書終わってねーぞ!」

 ゲートを通り抜けた誠の目の前でシャムに駆り出されて大根を一輪車に載せて運んでいるクバルカ・ラン中佐は『小さい姐御』と呼ぶのが一般的だった。

「わかって……ますよ」 

「分かってるならシャワー浴びて来い!」 

 ふらふらの誠に向けてそう言うとランはそのまま一輪車を押してハンガーに向かう。誠も仕方なくそのまま正門へ向けて歩き始めた。

「なんだ?」 

 思わずつぶやいてしまった誠の目の前にはシャムが背を向けて立っていた。その手には茶色いものが握られている。そしてよく見るとその足元には冬の夕方の弱い光を全身に浴びようと言うように転寝をする大きなゾウガメの姿があった。そしてシャムの目の前には巨大な茶色い塊が座っていた。

「ナンバルゲニア中尉!何をしているんですか?」 

 誠が声をかけるとシャムはめんどくさそうな表情で振り向く。そして彼女が玄関口に立つ大きな熊に何かを教えようとしていることが分かってきた。

「芸を仕込んでいるんですか?」 

 しばらくシャムの嫌な顔を無視して玄関に届いているほどの巨大なコンロンオオヒグマの子供のグレゴリウス16世に目を向けた。

 すぐにグレゴリウスが手に何かを持っているのが誠にも分かった。そしてそれがアイシャが原作を書き、それなりにネットで流通しているボーイズラブ小説をシャムが漫画化した本であることに気がついた。

「何やってるんですか?」 

 呆れながら真剣な表情の小さなシャムに目をやる。身長は140センチに届かない小柄な少女。実際は誠よりもはるかに年上で遼南内戦ではエースとして活躍した歴戦の勇士である。彼女の凄みを利かせた目は最近では誠もその恐さが分かってきたところだった。

「誠ちゃんも……アイシャの小説読むでしょ?」 

 真剣な顔でつぶやくシャム。誠はいくつかの短編をアイシャに読まされた上に漫画を描かされたのを思い出して渋々うなづいた。

「男の人が読むと……どんな感じ?」 

 シャムの目はじっとグレゴリウスに注がれている。シャムが大好きな彼だが当然文字が読めるわけでもなく、人が読むのをまねして本を開いて覗き込んでいるだけだった。

「それが知りたくてこうしてグレゴリウスに読ませているんですか?」

 投げやりにつぶやいた誠を見ると今度はいかにも軽蔑するような視線で誠を見つめてくるシャムがそこにいた。

「グレゴリウスは熊だよ。漫画なんて読めるわけ無いじゃん」 

 馬鹿にした口調でシャムがつぶやく。時折こういうことを言われると温厚な誠もさすがにカチンと来る。

「じゃあどけてくださいよ。入れないじゃないですか」 

「?」 

 文句を言った誠にしばらく呆然と視線を送るシャム。そしてワンテンポ遅れて納得したと言うように手を打つと手にしていた干し肉をグレゴリウスの口に投げ込んだ。グレゴリウスは器用にそれを口に咥えると本を放り出してそのまま自分の小屋がある車両置き場に向かって歩き始める。

「それ、プレゼントだから」 

 のろのろ着いていくシャムがそうつぶやく。隣のリクガメの亀吉もゆっくりとそれについていく。仕方が無くいかにも怪しげな半裸の美少年達が描かれた同人誌を手に取るとそのまま正面玄関から部隊の宿舎に入った。

「あれ……?あれ?」 

 そこで誠は大きなため息をついた。目の前には紺色の長い髪の少佐の勤務服を着た女性士官。一番この手の本を手にしている時に出会いたくない上官のアイシャ・クラウゼだった。

「それ……シャムちゃんの……もしかして使用済み?」 

「使用って何に使うんですか!」 

「だって冬なのにそんなに汗をかいて……」 

「ランニングが終わったんです!」 

「ふーん。つまらないの」 

 そう言うと誠から関心が無くなったというように振り向いて彼女の本来の職場である運行部の部屋の扉に手をかけた。

「ああ、そうだ。シャワー浴びてからでいいと思うんだけど……」 

 今度はうって変わった緊張したまなざしを誠に向けてくる。いつものこういう切り替えの早いアイシャには誠は振り回されてばかりだった。

「ええ……なんですか?」 

 そう言う誠が明らかに自分を恐れているように見えてアイシャは満面の笑みを浮かべた。

「茜のお嬢さんが来てるのよ。何でも法術特捜からのお願いがあるみたいで」 

 アイシャはそう言うとそのまま階段下のトイレに消えていった。

「嵯峨警視正が?」 

 誠は予想されたことがやってきたと言うように静かにうなづいた。

 ようやく間借りしていたこの司法局実働部隊豊川基地から東都の司法局ビルに引っ越した法術特捜の責任者である彼女の忙しさは誠も良く知っていた。司法局のビルには最新設備がある。データもすぐに同盟本部や各国の軍や警察のデータがかなり機密レベルの高いものまで閲覧できる権限を有しているのが売りだった。

 だがその筋の専門家の吉田に言わせると『ハッキングして下さいといってるみたい』と言うメインフレームを使っていると言うことで、茜はあまりそのことを喜んでいないようだった。事実、こうして時々司法局実働部隊に顔を出しては吉田が設計したメインフレームを使用している司法局のメインコンピュータを利用して手持ちのデータのすり合わせなどの地味な作業を行うことも珍しくなかった。そしてその時に人手が足りないとなると一番暇と呼ばれている誠の第二小隊がその作業を担当させられることが多かった。

 そしてそんなデータの照合作業を断れない案件には今回ばかりは誠でさえ思い当たるところがある。

「面倒だなあ」 

 そう言いながら運行部の詰め所を抜け、シミュレータ室の前を通り過ぎて待機室の手前にある男子用シャワー室に誠はたどり着いた。
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