レジェンド・オブ・ダーク 遼州司法局異聞

橋本 直

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第9章 奢りと罠

童貞

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「やっぱりウィスキーは飲むと体が火照るな」 

 そう言ってかなめは静かに誠ににじり寄る。そして上目がちに誠を見ながら髪を掻き揚げて見せた。

 そしていつもは想像も出来ないような妖艶な笑みをかなめは浮かべる。誠はおどおどと視線を落として、いつものように飲みつぶれるわけには行かないと思って静かに湯のみの中のウィスキーを舐める。

「あのさあ」 

 かなめが沈黙に負けて声をかける。それでも誠はじっと視線を湯飲みに固定して動かない。

「オメエさあ」 

 再びかなめが声をかける。誠はそのまま濡れた視線のかなめに目を向けた。

「まあ、いいや。忘れろ」 

 そう言うとかなめは自分の空の湯のみにウィスキーを注ぐ。

「神前。オメエ、女が居たことねえだろ」 

 突然のかなめの言葉に誠は声の主を見つめた。かなめはにっこりと笑い、そのままにじり寄ってくる。

「そんな……そんなわけ無いじゃないですか!一応、高校では野球部のエースを……」 

「そうかねえ、アタシが見るところそう言う看板背負っても、結局言い寄ってくる女のサインを見逃して逃げられるようなタイプにしか見えねえけどな」 

 そう言ってかなめは再び湯飲みを傾ける。静かな秋の夕べ。

 誠とかなめの目が出会う。ためらうように視線をはずそうとする誠をかなめは挑発的な視線で誘う。

「なんならアタシが教えてやろうか?」 

 身を乗り出してきたかなめに身を乗り出されて誠が思わず体をそらした時、廊下でどたばたと足音が響いた。

「かなめちゃん!」 

 誠がそのままかなめに仰向けに押し倒されるのとアイシャがドアを蹴破るのが同時だった。

「何してるの!かなめちゃん!」 

「そう言うテメエはなんだってんだ!人の部屋のドアぶち破りやがって!」 

 アイシャとかなめが怒鳴りあう。誠は120kgの機械の体のかなめに乗られて動きが取れないでいた。

「大丈夫?誠ちゃん。今この変態サイボーグから救ってあげるわ!」 

 そう言って手を伸ばすアイシャの手をかなめが払いのける。誠は頭の上で繰り広げられる修羅場にただ呆然と横たわっていた。

「まったくあんな漫画描いてるのに……こういうことにはほとほと気の回らない奴だなオメエは」 

「何言ってるの!相手の意図も聞かずに勝手に欲情しているかなめちゃんが悪いんじゃないの!」 

 誠はもう笑うしかなかった。そして一つの疑問にたどり着いた。

 アイシャがなんでここにいるのか。彼女は吉田と今回の映画の打ち合わせをしているはずである。こだわるべきところには妥協を許さないところのあるアイシャである。彼女が自分の『作品』を放り出して偶然この部屋にやってくるなどと言うことは有り得ない。

 そう思って考えていた誠が戸口を見ると、アイシャとかなめの罵り合いを見下ろしているカウラの姿が見えた。

「カウラ!オメエはめやがったな!」 

 かなめも同様に戸口のカウラに気づいて叫んだ。

「勝手に悲劇のヒロイン気取ってる貴様に腹が立ったんでな。別にやきもちとかじゃ……」 

「そうなの?私に車の中からひそひそ声で連絡が来た時は相当怒ってるみたいだったけどなあ」 

 アイシャの言葉で再びカウラの頬が赤く染まる。そこで一つ良い考えが思いついたと言うようにかなめが手を打つ。

「じゃあ、こう言うのはどうだ?全員で……」 

「西モスレムに籍を移して奥さん四人まで制を導入するって言うんでしょ?あんた酒をやめられるの?」 
 せっかく浮かんだアイデアをアイシャに潰されてかなめはへこむ。あわてて戸口を見る誠の前には真剣にそのことを考えているカウラがいた。

「そうだな、隊長から遼南皇帝の位を譲ってもらう方が簡単かもしれないな。そうすれば正室を決めて……」 

「おい、カウラが冗談言ってるぜ」 

「ええ、珍しいわね」 

 真剣に考えた解決策をあっさりとかなめとアイシャに潰されてカウラは力が抜けたと言うようにうなだれた。

「盛り上がっているところ大変申し訳ないんですが……」 

 そう言って現れたのは島田正人准尉だった。技術部整備班長であり、この寮の寮長である彼の介入はある意味予想できたはずだが、誠はその威圧するような瞳にただたじろぐだけだった。

「おう、島田。こいつがドアぶち破ったから何とか言ってやれ!」

 そう言ってかなめは勤務服姿のアイシャを指差した。 

「島田君、誠ちゃんを襲おうとしたかなめちゃんから守ってあげただけよ」 

 突っかかる二人を抑えながら島田はそのまま誠に近づいてくる。

「神前。もう少し配慮してくれよ。俺にも立場ってものがあるんだから」 

 誠の耳元でそう囁くと島田は倒れたままの誠を起こした。

「別に俺も隊長とおんなじで野暮なことは言いたくないんですがね」 

 そう言って場を収めようとする島田だが、かなめは不服そうに彼をにらみつけた。

「まあ、オメエとサラの関係からして当然だな」 

「かなめちゃん!」 

 野次馬の後ろにサラの赤いショートカットの髪が揺れている。

「ああ、すいません。ベルガー大尉!そこに集まってる馬鹿共蹴散らしてくださいよ!」 

 島田のその声にカウラが手を出すまでも無く野次馬達は去っていく。そこに残されたのは心配そうに誠を見つめるサラの赤い瞳と汚いものを見るようなパーラの青い瞳だった。

「問題になってるのはこいつでしょ?ちょっと説教しますから借りていきますよ。まあこのドアの修繕費についてはお三方で話し合ってくださいね」 

 そう言うと島田は誠の襟首をつかみ上げて引きずっていく。かなめとアイシャは呆然として去っていく誠を見送っている。

「ああ、ベルガー大尉も同罪ですから。きっちり修理代の何割か支払ってくださいよ」 

 ドアに寄りかかっていたカウラも唖然として誠を連れ出す島田、サラ、パーラを目で追っていく。そのまま誠は階段まで連行され、かなめの部屋から見えない階段の裏でようやく開放された。

「ちょっと俺の部屋に来い」 

 島田はそのまま誠についていくように促して階段を下りる。日のあたらない冬も近いのに湿気がたまっているような西向きの管理人室が島田の部屋だった。元が管理人室というだけあって質素なドアを開けると、中にはバイクや車の雑誌が積まれている机と安物のベッドが置いてあった。

 そのまま誠は付いてきたサラとパーラに押し込まれるようにして島田の部屋に入った。

「まあ、そこに座れ」 

 島田は和やかな面持ちで誠にそう告げる。サラとパーラの痛い視線を受けて誠は島田に促されるままに座布団に腰掛ける。

「まあ、なんだ。お前さんが悪いと言うことは確定しているから置いといてだ……」 

 そう言うと島田は急に下卑た表情に変わる。

「誰が一番なんだ?」 

「は?」

 誠はしばらく島田が何を言いたいのか分からなかった。

「神前君、教えてよ。ね?」 

 興味津々と言った表情でサラは赤い髪をなびかせて顔を近づけてくる。

「あんた達本当に似たもの夫婦って……ああ、夫婦じゃないわね」 

 呆れたようにパーラは状況を観察している。誠はただ島田とサラに言い寄られて苦笑いを浮かべていた。

「あ、えーと。あの」 

「大丈夫!私達、口重いから」 

 そう言って島田を押しのけて迫ってくるサラの赤い目に思わず誠は引きつった笑みを浮かべて答えた。それをパーラは呆れた瞳で見つめる。

「やめといた方が良いわよ。どうせ話したりしたら30分後には部隊中に広まったうえにあの三人が殴りこんでくるわよ」 

 パーラは呆れたようにそう言うとそのまま立ち上がる。

「何よ!パーラちゃんだって気になるんでしょ?失敗経験もあるし……」 

 そこまで言ってサラはパーラの顔色が曇るのを見て口をつぐんだ。

 司法局実働部隊の運用艦『高雄』の機関長、別名『新港の種馬』鎗田司郎大尉とのどろどろした愛憎劇というものがあると聞かされている誠もサラの失言に思わず彼女の顔を見た。

「ごめん、パーラ」 

 思わずサラはうなだれる。島田がそっと彼女の肩に手を乗せる。

「悪気があるわけじゃないんだから……」 

「良いのよ、気にしないで」 

 そう言ってパーラは顔を上げて誠を見つめる。明らかにその瞳には殺気が篭っている。パーラの話でうまいこと逃げられると踏んだ誠の思惑とは違う方向に話が転がりそうで思わず背筋に冷たいものが走る。

「無理よね。神前君は優しすぎるから言い出せないんでしょ?」 

 パーラはとつとつと語る。島田とサラの視線が容赦なく誠に突き刺さる。

「あの、別に好きとかそう言うことじゃなくて……」 

「なんだよ……いつも一緒にいるとき良い顔してるように見えるんだけどなあ」 

 友達路線を主張しようとした矢先に島田に釘を刺されてまた誠は黙り込む。

「そうだ!誰が一番神前君のことが好きかで選べば良いんじゃないの?」 

 サラがいかにも良いことを思いついたと言うように叫ぶ。だが、島田もパーラもまるでその意見に乗ってくる様子は無い。

「西園寺大尉が選ばれなければ血を見るだろうな」 

「意外とアイシャも切れるとすごいのよ。それに溜め込んでいるだけカウラもすごいことに……」 

 島田とパーラが今度は同情するような視線で誠を見つめる。

「そんな怖いこと言わないでください……」 

「パーラ!部隊に帰るわよ!車出して!」 

 またドアをいきなり開いて入ってきたのはアイシャだった。アイシャはずかずかと島田の部屋に入り込みパーラの肩を叩く。

「話し合いついたんですか?」 

「当然よ。今回の件はすべて誠ちゃんの責任と言うことで、誠ちゃんに払ってもらうことになったから!」 

 そう晴れ晴れとした表情で言うアイシャに誠は泣きそうな目を向ける。

「アイシャさん……僕、何か悪いことしましたか?」 

 涙目で泣きつこうとする誠だが、アイシャはまるで誠を相手にしていないと言うようにパーラの肩を叩きながら出発を促した。

「まあがんばれ」

 島田はそう言うと立ち上がる。サラとパーラは同情する瞳を投げながら再び隊に戻るべく立ち去ろうとする。誠は一人島田に付き添われてそのまま廊下に出た。島田が部屋に鍵をかける。それを見ながら涙が止まらない自分に呆れる誠だった。
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