レジェンド・オブ・ダーク 遼州司法局異聞

橋本 直

文字の大きさ
上 下
478 / 1,503
第34章 ごちそう

タンドリーチキン

しおりを挟む
 地下鉄から降りて階段を上る。誠達は再び浅間界隈の地上の風に吹かれた。とりあえず上りきったところで誠は疑問を口にした

「でもシン大尉。イスラム教徒だったんじゃないですか?」 

 プレゼントの話を思い出してそう言った誠に、呆れ果てたという顔をしたのはかなめだった。アブドゥル・シャー・シン大尉。前の司法局実働部隊管理部部長。現在は母国の西モスレムで新設される同盟軍事機構教導部隊の編成作業にあたっているところだった。

「キリストさんも一応イスラム教の聖人なのも知らねえのかよ。それにこいつの誕生日を祝いたいっていう話になれば、気風《きっぷ》のいいあの旦那のことだ。レシピと材料を送って本格的なタンドリーチキンを食わせてやろうって考えるのもわかるだろ?」 

 かなめは本当にシンのタンドリーチキンが大好きだった。誠もあのやわらかくも香ばしい不思議な食感にはいつも感心させられていたのを思い出した。アイシャもカウラも堅物の癖に妙な食へのこだわりを見せた主計将校のひげ面を思い出していた。

「それはいいけど、なんでカウラちゃんはさっきからにやけてるの?」 

 アイシャの言葉で誠も一人遅れて歩いているカウラに目を向けた。全員の視線が集中すると、恥ずかしそうにカウラはうつむく。

「あんまり苛めるなよな。なんと言っても今日の主役はこいつなんだから」 

 機嫌良くかなめはそう言うとカウラの背中を叩く。それにカウラは我を取り戻して苦笑いを浮かべる。東都浅間界隈の入り組んだ路地を進み、再び誠の実家の剣道場の門構えが目に入る。誠達は張り切っていると言う薫の顔を見るために急いで玄関の扉を開いた。

「お帰りなさい!」 

 引き戸の音が聞こえたのか、薫のはきはきとした声が家中に響いた。

「ただいま」 

 ばつが悪そうに誠が言うのを、かなめは薄ら笑いを浮かべながら見つめている。先日の蟹を入れてあった箱がまだ玄関に置き去りにされている。それを見て苦笑いを浮かべながら誠は台所を目指して歩いた。

 なにやら香ばしい匂いが漂ってくる。いつもの醤油や味噌の香りではなく独特のエスニックな香辛料の香りに誠はひきつけられた。

「まあ、皆さん一緒で。誠、昼はどうしたの?」 

 薫はエプロン姿の笑顔を浮かべている。誠は頭を掻きながら渋々口を開いた。

「子供じゃないんだから。食べたよ、蕎麦」 

 誠の照れた表情に笑顔で返す薫はそのままオーブンの中からこんがりと焼けた鶏肉を取り出した。

「おーう」 

 そう唸ったのは予想通りかなめだった。

「ちょっと実験してみたのよ。ヨーグルトベースの汁につける時間が短かったからそんなにやわらかくなってないと思うけど……」 

「薫さん!食べていいですか?」 

 かなめはそう言うと薫が頷くのも待たずに一切れを手に持った。香りを味わい、そしてゆっくりと口に運ぼうとする。

「西園寺。手は洗ったほうがいいぞ」 

 カウラはそう言ってそのまま立ち去る。かなめはしばらくそちらを見つめた後、後ろ髪引かれながら肉を置いてそのまま台所の流し台に向かう。

「かなめちゃん。そのままうがいを……」 

「うるせえ!」 

 アイシャの言葉に怒鳴りつけたかなめは再び鶏肉を手に持ってそれにかぶりついた。

「旨い!」 

 そう一言叫んだ後、かなめはひたすら肉に集中して食べ続ける。

「あのー、どう?」 

 薫はあまりに見事なかなめの食べっぷりに呆れながらそう尋ねた。

「お母様無駄ですわよ。西園寺様はもうお肉のとりこに成られて……」 

 ふざけて気取ったときにかなめが口にするような丁寧な言葉を発したアイシャを、かなめは口に肉をくわえたまま蹴飛ばす。

「ふざけているんじゃない!神前。手を洗ったほうがいいぞ」 

 そう言うカウラの視線も肉の塊に向いていることに誠は気づいていた。彼女もやはり食べてみたいのかそう思うと自然に誠の表情も驚きから喜びに変わる。

「私は要らないからさっさと手を洗ってくれば?」 

 アイシャにまで気を使われたら誠も断るわけには行かなかった。そのまま廊下をひとたび玄関のほうに向かうと手前のドアを開いて洗面所に入る。

『うめー!』 

『それはよかったわ!今他の肉は仕込みの最中だから。手伝ってもらうときは声をかけるわね』 

 かなめの叫び声と、母のたしなめるような言葉が響いてくる中誠は手を洗っていた。

「まーこーとちゃん!」 

 そう言ってアイシャが後頭部にチョップしてきた。誠は驚いて振り向いた。。

「何するんですか?」 

「失礼ね!私も手を洗いに来たのよ」 

「食べないんじゃなかったんですか?」 

 誠は態度を変えて見せたアイシャに声をかける。

「うるさいわね!いいでしょ?別に」 

 そう言うと手ぬぐいを手に取っている誠を押しのけるようにしてアイシャは手を洗う。そんないつものように気まぐれな彼女に気づかないうちに笑顔が浮かんで来ているのがわかる。

「でも……カウラちゃんは幸せものよね」 

 アイシャは急にしんみりした調子でつぶやいた。誠は突然の変化に対応できずに立ち尽くしてしまう。誕生日の話。彼女達にとっては培養ポッドから出て初めて呼吸をした瞬間。

「そう言えば、アイシャさんは比較的起動時期が早かったと聞いたんですけど……」 

 気を使って話題を振ったつもりが、手を拭おうと誠の手にある手ぬぐいを手にしているアイシャの顔はどこと無くさびしげに見えた。

「そんなこと聞いてどうするつもり」 

 いつもの明るいアイシャではなかった。何かひどく暗い表情。誠はしまったと思いながらうなだれる。

「まあそんなことどうでもいいじゃないの。それよりお肉なくなっちゃうわよ」 

 そう言うとアイシャは手早く手を拭ってそのまま台所に向かった。

「ちょっと!それ!」 

 洗面所を出たとたんにアイシャの叫び声が響く。頭を掻きながら台所に顔を出した誠の前に、誠の方をタレ目でちらちら見ながら猛然と肉にかぶりつくかなめの姿があった。

「早い者勝ち……まあどうしてもと言うなら食いかけのこれを」 

 すぐにかなめの後頭部をはたいたのはカウラだった。アイシャはいつものかなめに対する突っ込みを先にカウラにやられて少しばかり驚いたような表情を浮かべていた。カウラもなぜそんなことをしたのかと言うようにきょとんと立ち尽くしている。

「まあ、やっぱり凄いのね本場の味は。皆さんには好評みたいだから。誠のはあとでね」 

 そう言うと薫は流し台の隣の大きな袋に詰められた鶏肉に向かう。母のそんな姿と肉にがっついているかなめとアイシャを苦笑いを浮かべながら見つめる誠だった。

「おい、そういえば例のプレゼントは?」 

 早くも二本目の鳥の腿を食べ終わったかなめが思い出したようにそう言った。誠はにんまりと笑みを浮かべる。自分でもそれが自信に満ちているのを感じていた。

「当然もう出来てますよ。ちゃんとプレゼント用に包装もしましたし」 

「え?事前に見せてくれないの?」 

 アイシャの好奇心むき出しの言葉に誠は照れ笑いを浮かべた。そんな彼を楽しそうに見つめながらカウラはかなめが残した最後の肉をむさぼる。

「事前に見せたらまた色々突っ込みを入れるでしょ?」 

「突っ込みじゃないわよ!アドバイス。純粋に観賞する者としての要望を述べているだけよ」 

 ワイルドに間接の軟骨を食いちぎりながらアイシャはそう言って笑う。

「まあいいか」 

 そう少しさびしそうに言うと、食べ終わったかなめが肉をタレとなじませる為に肉の入った袋を揉んでいる薫の隣の流し台で手を洗う。

「そんなところで作業の邪魔をして……」 

「いいだろ?きれいになったんだから。それと神前、アタシはこれからちょっと用があるから」 
 
 そう言ってかなめはそのまま台所を出て行った。

「まったく勝手ばかり言って……」 

 そう言いつつ、かなめの完全に骨以外残さずに食べた鳥の腿肉を参考に、アイシャは軟骨を食いちぎり続ける。カウラはそんなアイシャとただ立って笑顔を浮かべているだけの誠を見ながら、満足そうに手に握っている腿に付いた肉を食べていた。

「そう言えばアイシャさん。ケーキとかピザとかはどうしたんですか?」 

 骨を咥えているアイシャに誠は声をかけた。アイシャは静かに口から骨を出して、そのまま待ってましたというような笑みを浮かべる。

「私に抜かりがあるわけないでしょ?当然、手配済み。もうすぐ配達の人が来る手はずになっているわ」 

「じゃあ何で西園寺は……」 

 カウラは引き戸を開けて出て行ったかなめの後姿を見るように廊下に身を乗り出す。

「さあ?私は知らないわよ。それにしてもこんなにお肉があるなんて……ピザちょっと頼みすぎたかしら?」 

 そう言うとアイシャは手にした骨を、かなめがきれいに食べつくした鶏肉の骨の上に並べた。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

潜水艦艦長 深海調査手記

ただのA
SF
深海探査潜水艦ネプトゥヌスの艦長ロバート・L・グレイ が深海で発見した生物、現象、景観などを書き残した手記。 皆さんも艦長の手記を通して深海の神秘に触れてみませんか?

特殊装甲隊 ダグフェロン 『廃帝と永遠の世紀末』 第三部 『暗黒大陸』

橋本 直
SF
遼州司法局も法術特捜の発足とともに実働部隊、機動隊、法術特捜の三部体制が確立することとなった。 それまで東和陸軍教導隊を兼務していた小さな隊長、クバルカ・ラン中佐が実働部隊副隊長として本異動になることが決まった。 彼女の本拠地である東和陸軍教導隊を訪ねた神前誠に法術兵器の実験に任務が課せられた。それは広域にわたり兵士の意識を奪ってしまうという新しい発想の非破壊兵器だった。 実験は成功するがチャージの時間等、運用の難しい兵器と判明する。 一方実働部隊部隊長嵯峨惟基は自分が領邦領主を務めている貴族制国家甲武国へ飛んだ。そこでは彼の両方を西園寺かなめの妹、日野かえでに継がせることに関する会議が行われる予定だった。 一方、南の『魔窟』と呼ばれる大陸ベルルカンの大国、バルキスタンにて総選挙が予定されており、実働部隊も支援部隊を派遣していた。だが選挙に不満を持つ政府軍、反政府軍の駆け引きが続いていた。 嵯峨は万が一の両軍衝突の際アメリカの介入を要請しようとする兄である西園寺義基のシンパである甲武軍部穏健派を牽制しつつ貴族の群れる会議へと向かった。 そしてそんな中、バルキスタンで反政府軍が機動兵器を手に入れ政府軍との全面衝突が発生する。 誠は試験が済んだばかりの非破壊兵器を手に戦線の拡大を防ぐべく出撃するのだった。

魅了だったら良かったのに

豆狸
ファンタジー
「だったらなにか変わるんですか?」

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

法術装甲隊ダグフェロン 永遠に続く世紀末の国で 野球と海と『革命家』

橋本 直
SF
その文明は出会うべきではなかった その人との出会いは歓迎すべきものではなかった これは悲しい『出会い』の物語 『特殊な部隊』と出会うことで青年にはある『宿命』がせおわされることになる 法術装甲隊ダグフェロン 第二部  遼州人の青年『神前誠(しんぜんまこと)』が発動した『干渉空間』と『光の剣(つるぎ)により貴族主義者のクーデターを未然に防止することが出来た『近藤事件』が終わってから1か月がたった。 宇宙は誠をはじめとする『法術師』の存在を公表することで混乱に陥っていたが、誠の所属する司法局実働部隊、通称『特殊な部隊』は相変わらずおバカな生活を送っていた。 そんな『特殊な部隊』の運用艦『ふさ』艦長アメリア・クラウゼ中佐と誠の所属するシュツルム・パンツァーパイロット部隊『機動部隊第一小隊』のパイロットでサイボーグの西園寺かなめは『特殊な部隊』の野球部の夏合宿を企画した。 どうせろくな事が起こらないと思いながら仕事をさぼって参加する誠。 そこではかなめがいかに自分とはかけ離れたお嬢様で、貴族主義の国『甲武国』がどれほど自分の暮らす永遠に続く20世紀末の東和共和国と違うのかを誠は知ることになった。 しかし、彼を待っていたのは『法術』を持つ遼州人を地球人から解放しようとする『革命家』の襲撃だった。 この事件をきっかけに誠の身辺警護の必要性から誠の警護にアメリア、かなめ、そして無表情な人造人間『ラスト・バタリオン』の第一小隊小隊長カウラ・ベルガー大尉がつくことになる。 これにより誠の暮らす『男子下士官寮』は有名無実化することになった。 そんなおバカな連中を『駄目人間』嵯峨惟基特務大佐と機動部隊隊長クバルカ・ラン中佐は生暖かい目で見守っていた。 そんな『特殊な部隊』の意図とは関係なく着々と『力ある者の支配する宇宙』の実現を目指す『廃帝ハド』の野望はゆっくりと動き出しつつあった。 SFお仕事ギャグロマン小説。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

【完結】そして、誰もいなくなった

杜野秋人
ファンタジー
「そなたは私の妻として、侯爵夫人として相応しくない!よって婚約を破棄する!」 愛する令嬢を傍らに声高にそう叫ぶ婚約者イグナシオに伯爵家令嬢セリアは誤解だと訴えるが、イグナシオは聞く耳を持たない。それどころか明らかに犯してもいない罪を挙げられ糾弾され、彼女は思わず彼に手を伸ばして取り縋ろうとした。 「触るな!」 だがその手をイグナシオは大きく振り払った。振り払われよろめいたセリアは、受け身も取れないまま仰向けに倒れ、頭を打って昏倒した。 「突き飛ばしたぞ」 「彼が手を上げた」 「誰か衛兵を呼べ!」 騒然となるパーティー会場。すぐさま会場警護の騎士たちに取り囲まれ、彼は「違うんだ、話を聞いてくれ!」と叫びながら愛人の令嬢とともに連行されていった。 そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。 そして誰もいなくなった。 彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。 これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。 ◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。 3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。 3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました! 4/1、完結しました。全14話。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...