レジェンド・オブ・ダーク 遼州司法局異聞

橋本 直

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第21章 早朝

早朝

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 神前家の朝は早い。実家に帰るとこれまでの寮生活がいかにたるんだものだったということに誠は気づく。家の慣れたベッドの中、冬の遅い太陽を待たずにすでに誠はベッドで目覚めていた。

 そのまま昨日色をつけ終わって仕上げをどうするか考えていたドレス姿のカウラの絵を見ながら、のんびりと着替えを済ませる。紺色の胴着。その冷たい感触で朝を感じる。その時ドアの向こうに気配を感じた。

「おーい。朝だぞー!」 

 間の抜けた調子のかなめの一言。どうやら今回は薫に起こされて来たらしい。夏のコミケの時には女性隊員は数が多かったので道場で雑魚寝をしていたので神前一家が朝稽古が終わったあたりでカウラが起きてくるといった感じだった。今回は気の置けない三人とあって母は自分の起床に合わせてカウラ達を起こしたらしかった。

「わかりました、今行きますから……」 

 そう言って頬を叩いて気合を入れてドアを開く。階段を下りるかなめの後姿。白い胴着が暗い階段で浮き上がって見える。

「かなめちゃん……もう少ししゃきっとなさいよ」 

「だってよう、まだ夜じゃん。日も出てないし」 

「珍しいな。低血圧のサイボーグか?」 

 階段を下りると同じように白い胴着を着たアイシャとカウラがいる。

「じゃあ、行きますよ」 

 そう言って目をこすっている三人を引き連れて長い離れの道場に向かう廊下を進んだ。

『えい!』 

 鋭い気合の声が響いてくる。さすがに薫の声を聞くとカウラ達もとろんとした目に気合が入ってきた。

「誠ちゃんですらあの強さ……薫さんもやっぱり強いのかしらね」 

 アイシャの言葉に誠は頭を掻きながら振り返る。誠も一応この剣道場の跡取りである。子供のころから竹刀を握り、小学校時代にはそれなりの大会での優勝経験もあった。

 その後、どうしても剣道以外のことがしたいと中学校の野球部に入って以来、試合らしい試合は経験していない。それでも部隊の剣術訓練では嵯峨やシャム、茜やかえでは例外としても、圧倒的に速さの違うサイボーグのかなめと互角に勝負できる実力者であることには違いは無かった。

「あら、皆さんも稽古?」 

 四人を迎えた薫の手には木刀が握られていた。冷たい朝の空気の中。彼女は笑顔で息子達を迎える。

「まあそんなところです……ねえ、かなめちゃん」 

 アイシャに話題を振られてかなめは顔を赤らめる。誠はそれを見ておそらくかなめが言い出して三人が稽古をしようという話になったんだろうと想像していた。

「さすが胡州の鬼姫と呼ばれる西園寺康子様の娘さんね。それでは竹刀を……」 

 薫の言葉が終わる前にかなめは竹刀の並んでいる壁に走っていく。冷えた道場の床、全員素足。感覚器官はある程度生身の人間のそれに準拠しているというサイボーグのかなめの足も冷たく凍えていることだろう。

 誠は黙って竹刀を差し出してくるかなめと目を合わせた。

「なにか文句があるのか?」 

 いつものように不満そうなタレ目が誠を捉える。誠は静かに竹刀を握り締める。アイシャもカウラも慣れていて静かに竹刀を握って薫の言葉を待っていた。

「それじゃあ素振りでもしましょうか……ねえ、シャムちゃん!」 

 急に薫が庭に向かって叫ぶ。木の扉の向こうの生垣。そこから顔を出したのはナンバルゲニア・シャムラード中尉だった。小柄な彼女の頭がぴょこりと浮かぶ様は薄暗い庭の中ではっきりと見えた。

「やっぱり見つかっちゃった」 

 にやにや笑いながら道場の手前でシャムが靴を脱いでいる。誠は半分呆れてその消えない笑顔を眺めていた。

「おい、シャム。実験が済んだからってなんで来てるんだよ。勤務じゃねえのか?」 

 スタジアムジャンバーのポケットから取り出した猫耳をつけているシャムにかなめが呆れたような声を上げた。

「昨日は当直だったんだけどロナルド君達が交代したいって言うから替わっちゃった」 

 笑顔のシャム。カウラも呆れたように竹刀を握り締め、そんなことだろうと予想していたのかアイシャは一人で素振りを開始している。

「じゃあ、オメエもやるか?」 

 かなめの言葉にシャムの顔が喜びに満たされる。

「いいの?じゃあ……」 

 シャムが振り返る。彼女が隠れていた生垣だがすでに何の気配も無い。誠はそこで直感が働いた。

「ちょっとすいません!」 

 そう叫ぶと誠はそのまま母屋に向かって走り出した。

『ナンバルゲニア中尉はスクーターしか乗らないはず。しかも遠乗りはしない……そうなると……』 

 誠はそのまま母屋の扉を開き、廊下を走り、階段を駆け上がる。

「吉田さん!」 

 部屋の誠の机の前に座ってカウラのイラストを眺めていたのは吉田俊平少佐だった。その前の窓は鍵を閉めていなかったので開け放たれている。息を切らす誠を不思議な生き物でも見るような表情で吉田は振り返った。

「おお、おはよう」 

「おはようじゃないですよ!住居不法侵入ですよ!これは!」 

 悪びれた様子も無く靴をたたみに裏返しに置いた吉田が振り返る。怒鳴る誠。まるで聞くつもりも無いというようにそのまま吉田は椅子に座ると机の上のイラストに目をやった。

「突然なんだ……ってやっぱり来てたか電卓野郎」 

 誠についてきていたかなめが吉田を見つめる。振り返ってにんまりと笑って見せた後、いつもの無表情で再び机のイラストに目を向ける。

「なんだ?アイシャやカウラは?」 

「あいつ等なら稽古だよ。生身なら鍛えればそれだけためになるだろ?」 

 そう言いつつかなめはひたひたと吉田のそばに近づいていく。そして机を覗き込んだ。

「二人とも!それは……」 

「カウラへのプレゼントだろ?別にいいじゃん、少しくらい」 

 誠は恥ずかしくなって止めにかかる。だが二人とも耳も貸さずにじっとイラストを眺める。

「神前……この絵。どこかで描いた覚えは無いか?特に首から上」 

 突然の吉田の指摘。誠はその意味がわからなかった。かなめも別に吉田の言葉など聞こえないようにいろんな角度から着飾ったカウラのイラストを見ていた。

「ディフォルメするとどうしても僕の癖が出ちゃって……好きな作画監督の……」 

「違う違う!そうじゃなくてお前はこういうキャラのデザインをアイシャに頼まれなかったかという話」 

 吉田の言葉の意味がわからず誠は呆然と立ち尽くす。だが、ようやくイラストから目を離したかなめは何か気がついたかのようににんまりと笑った。

「あれだよ!アイシャが今度のコミケに出したいって騒いでた18禁のゲームあったろ?」 

 かなめの言葉で誠も吉田の言いたいことが少しわかってきた。高校生の主人公が魔族のヒロイン達を口説き落としてハーレムを作るという、アイシャが持ってきたいかにもありきたりなエロゲーの企画。確かにキャラクターを頼まれて描いたのは誠だった。

「そのメインヒロインがこれだ」 

 そう言って吉田は手の端末の画面を開く。

 青い髪を後ろにまとめた鋭い視線の女魔族。それと誠が描いたカウラの絵を重ねてみる。確かに顔の輪郭や雰囲気は見分けがつかないほど似ていた。

「はー……ええと」 

 誠は思わず言葉に詰まる。かなめは同情を込めて誠の肩を叩いた。

「でも……違うよな……って胸か!」 

 かなめはぽんと手を叩く。彼女の指摘のように豊かな胸の目立つ女魔族とカウラがモデルのドレスの美女。すぐにわかる違いはそこだった。

「そんなあからさまな……似たのだって偶然ですよ!」 

 そう言う誠だが、興味本位のかなめのタレ目の視線が誠にまとわりつく。吉田も頭を掻きながらその様子を黙ってみているばかり。

「まあ……こいつのタイプがこれってことだろ?」 

 吉田はあっさりとそう言って立ち上がる。だがその瞬間ににやけていたかなめの視線が痛いものに変わるのを誠は感じていた。

 かなめはしばらく二つの絵を見比べている。時には感心したように、時には不愉快そうに微妙に表情を変えるかなめにハラハラする誠。だがしばらくすると大きく息を吐いてうつむいた。

「おい、画像消すからな」 

 そんな言葉も終わらないうちに吉田は端末を閉じてしまう。かなめは名残惜しそうな顔をしているが吉田はまるで関心が無いと言うように椅子から立ち上がった。

「じゃあ、挨拶済ませてくるか」 

 誠とかなめを残して吉田は階段を降りていく。

「なるほどねえ……そうなんだ」 

 静かなかなめの言葉にびくりと誠は震えた。そしてそのままカウラを描いたイラストと誠の顔を何度も見比べる。

「そんな……あくまでキャラですから!設定だってアイシャさんが作った奴だし」 

「別に気にしてないからな」 

 誠も言い訳を聞くことを拒絶するようにそう言うとかなめはそのまま出て行こうとする。誠もただ黙って見送るしかない。かなめの去った自分の部屋で昨日までは得意げに描いていたイラストを前に椅子に座って物思いにふける。

「そんなの気にすること無いじゃん」 

「うわ!」 

 背中からの突然の声に振り返った誠の目にシャムがりんごをかじりながら座っていた。きっちりと最近はトレードマークなんじゃないかと言うような猫耳を揺らしている。

「いつからいたんですか!」 

「神前君がぼーっとし始めたころからかな」 

 そう言うとシャムはシャキリといい音を立ててりんごを齧る。彼女の閉所作戦の隠密行動や市街地でのストーキング技術は誠も訓練で嫌と言うほど知っていた。明らかに気配を消すのはシャムの得意分野だった。たぶん吉田を迎えに来たシャムと出会った吉田とかなめが彼女に入れ知恵をしたのだろう。

 シャムはすぐに問題のイラストに目を向ける。

「へえ、素敵よね。まじめそうでどこか不器用な女の子。嫌いじゃないなあ、私は」 

 いつもの純粋そうな笑顔に誠もこわばっていた表情を緩めて小学生のようにも見えるシャムを見つめた。

「気にすること無いよ。アタシもけっこうキャラの描き分けできてるとは思えないし」 

「はあ、そうなんですけど」 

 自信が無さそうな誠の言葉に不満そうに口を尖らせるシャムが再びドレスのカウラを描いた誠のイラストをまじまじと見つめる。

「優等生キャラってことになるとカウラちゃんが頭に浮かぶんでしょ?なんとなくわかるよね」 

 再びシャムがりんごを齧る。

『降りてこいよ!』 

 かなめの声に誠は仕方なく歩き出す。

「大丈夫よ!」 

 なにが大丈夫なのかはよくわからないが、シャムはそう言って誠の肩を叩いた。誠も情けない笑みを浮かべながらとりあえず朝稽古に集中しようと自分の部屋を出た。
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