レジェンド・オブ・ダーク 遼州司法局異聞

橋本 直

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第10章 人の不幸

緊張感

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「とりあえず、着替えろ」 

 そう言って誠のロッカーの前に立っていた高梨が場所を空ける。誠はすぐに勤務服を取り出してジャンバーを脱いだ。

「実は、これは私のせいでもあるんだが……」 

 そう言って隣に立っている高梨が誠を見上げる。全員の視線に迫られるようにして高梨は言葉を繋げた。

「スミス大尉が帰国する時、出来ればお前が西園寺かベルガー、クラウゼとくっついた時には仲人をしてくれって話題を振ってみたんだよ」 

「あのー高梨部長。それは……」 

 ネクタイを締める手を止めて嵯峨の腹違いの弟の割には小柄な高梨を見下ろした。

「私もこうなるとは思っていないからな」 

 そう言うとネクタイを軽く締めて高梨は愛想笑いを浮かべる。その話はすでに聞いていたのだろうか、シン達は深刻そうな顔で誠を見つめる。誠はズボンを脱いで素早く勤務服のスラックスを履いて、ベルトを締めてからため息をつく。

「でも覚えていないんじゃないですか?そんなこと」 

 誠はようやくそう言うのが精一杯だった。悪いことの前に言われたことは意外と忘れないことは誠も身をもって知っている。

「それを祈るばかりだな。だが、彼も大人だ。こちらが気を使っているとわかれば安心してくれるだろう」 

 シンはそう言ってみるがまるで自分の言葉に自信を持っていないのは明らかだった。島田も菰田も明らかにしらけた雰囲気の笑顔を浮かべている。

「わかったな!取り合えず刺激するような単語は吐くな。それと神前。西園寺さん達とはできるだけ距離を取れ」 

 菰田の言葉にうなづく誠だが、小隊長であるカウラや隣の席のかなめと会話をしないことなど不可能に近いことだった。

『班長!目標が動きだしました』 

 整備班のホープと呼ばれている西高志兵長の声が島田の端末越しに響く。

「それじゃあ幸運を祈る」 

 着替え終わった誠の肩を叩くとシンは一番先に出て行く。高梨や島田、菰田は同情するような視線を投げかけながら出て行った。

「僕が仕切るの?」 

 誠は不安に支配されながら廊下へと出た。

「よう……」 

 そこにはかなめとカウラが立っていた。明らかにぎこちない二人。アイシャはたぶんリアナに連れて行かれたのだろう。誠は廊下の向こうで振り返って彼を観察している先輩達の視線を浴びながら呆然としていた。

「まあとりあえず部屋に行くか」 

 カウラはそう言うと廊下を進んでいく。かなめは頭の後ろに手を当ててめんどくさそうにそれに続く。誠はただ愛想笑いを浮かべて二人から少し距離を置いて続く。

「よう、なんだか忙しそうだな」 

 声をかけてきたのは部隊長の嵯峨だった。全く無関心を装っているその顔の下で何を考えているのかは誠の理解の範疇を超えていた。

「叔父貴は知ってたのか?」 

「え?何を」 

 かなめの言葉に嵯峨は首をひねる。だが誠もカウラも彼がロナルドの婚約破棄に関して多くの情報を持っているのだろうと想像していた。かなめもただニヤニヤとした笑みをすぐに回復する叔父の顔を見て諦めて再び歩き出した。

「人間関係は大事だよー。がんばってねー」 

 嵯峨は無責任に手を振って隊長室に戻る。その語調がさらに気分を押し下げる。

「叔父貴の野郎。遊んでやがる」 

「まあ、あの人はああいう人だからな」 

 かなめとカウラはそう囁きあう。そして二人の前に実働部隊の詰め所の扉が立ちはだかる。二人は振り向くと誠に手招きした。

「え?」 

 不思議そうに二人に近づく誠だが、先ほどのシンの忠告を思い出して少し下がった。

「男だろ?先頭はお前だ」 

「でも近づいていると……」 

 誠の言葉にかなめははたと気づいた。カウラはドアから離れて誠の後ろにつける。そして二人はハンドサインで誠に部屋への突入を命じた。

「じゃあ、お前が入って3分後に私達が入る。それなら問題ないだろ」 

 そうカウラに言われてしまうと逆らうことは出来ない。頭を掻きながら誠は実働部隊の詰め所に入った。

「おはようございます!」 

 さわやかに。そう自分に言い聞かせて部屋を眺めてみる。実働部隊の部隊長の席にはちょこんとランが座って端末の画面を覗きこんでいる。隣の席に吉田はいなかった。当然シャムも、その机の隣のケージで昼寝をしているはずの亀吉の姿も無い。

 第三小隊の机は空。そしてその隣の第四小隊の小隊長の椅子にはぼんやりと片肘をついて画面を眺めているロナルドの姿があった。

「おせーぞ!」 

 そう言って見上げてくるランだが。その顔は半分泣きが入っていた。そしてちらりと彼女はロナルドの方に目をやってすぐにうつむく。

「すいません……シン大尉に呼ばれてたもので」 

「言い訳にはならねーよ。とっとと端末起動しろ。それとなあ、先日の訓練の報告書。再提出だ」 

 ランの言葉がとりあえず仕事をしろと言う内容なのでほっとしながら誠は自分の席にたどり着く。部屋に入ってから誠が端末の電源を入れるまでの間、ロナルドは三回ため息をついていた。目から上だけを端末の上から見ることが出来る小さなランに目をやると、明らかに疲れきった表情をしていた。

「遅くなりました!」 

 今度はカウラが入ってきた。ランはすぐに早く席に着けというハンドサインを送る。せかせかと急ぎ足で自分の席に着いたカウラも端末を起動させる。そしてまた大きくロナルドがため息をついた。

『おい!神前。男だろ!何とかしろ!』 

 誠の端末の画面にランからのコメントが入る。

『無理ですよ!』 

 誠はセキュリティーを確認した後、ランに限定してコメントを打ち込む。そしてランを見てみると元々にらみつけるような目をしている彼女の目がさらに厳しくなる。

『しょうがないじゃないですか!シン大尉からできるだけ目立つなと言われてるんですから』 

 コメントを送ってランを見てみると納得したようにうなづいている。

「おあよーんす」 

 いつものだれた調子を装ってかなめが扉を開く。彼女の声に反応してロナルドが顔を上げた。青い瞳に見つめられたかなめの表情が凍りつくのが誠にも見える。そのまますり足で誠の席の隣の自分のデスクにつくとすぐに端末からコードを伸ばして首の後ろのジャックに差し込む。

『おい!やっぱきついぞ。これ』 

 すぐさまかなめのコメントが誠の端末の画面に現れる。誠ももう反応するのも億劫になり、とりあえず閉所戦闘訓練の報告書にランから指示された訂正指示にそって書き直す作業に入った。

「おはようございます……あれ、静かですね」 

 現れたのはかなめの妹である第三小隊小隊長、嵯峨かえで少佐だった。部下の渡辺要大尉とアン・ナン・パク軍曹の二人を従えて悠々と自分達の席に着いた。

『大丈夫か?かえではああ見えて結構無神経だぞ』 

 今度はカウラのコメントが誠の作業中の画面に浮かんだ。

『あの人は西園寺さんの担当でしょ?』 

『いつアタシがあの僕っ娘の担当になったんだ?』 

 コメントをしながらかなめの視線が自分に突き立ってくるのを見て誠は頭を掻いた。

「おい!神前曹長!」 

 明らかに冴えない表情のかなめを見つけたかえでは矛先を誠に向けてきた。

「貴様!お姉さまに何かしたんじゃないのか?」 

 かえではそのまま真っ直ぐ誠のところに向かってくる。

「してませんよ!何もしてません!」 

「そんなはずは無い!お姉さまの顔を見てみろ!誰かに振られて傷ついているみたいじゃないか!どうせお姉さまを捨てて尻軽アイシャの……」 

 そこまで言ったところで立ち上がったかなめの腕がかえでの口を押さえつける。瞬時にかえでの表情が怒りから恍惚とした甘いものへと変化する。それを見て苦笑しながらかなめはかえでを抱えて部屋から出て行った。

「ふう」 

 大きなロナルドのため息が沈黙した部屋にこだまする。

『やばいですよ!クバルカ中佐!』 

 誠はすぐにランにコメントを送る。だがランは頭を抱えてじっとしているだけだった。取残された渡辺とアンは、すぐにどんよりとした空気を感じ取った。ロナルドがうつむいてため息の準備をしている。それを察したように二人はすぐに自分の席へと向かう。
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