277 / 1,505
第9章 墓参り
眠るもの
しおりを挟む
秋の気候に近く設定された気温が心地よく感じられて、嵯峨は気分良く葬列をやり過ごすと先頭に立って歩いた。かえでと渡辺はそんな嵯峨の後ろを静かについて行く。嵯峨家の被官の名族、醍醐侯爵家と佐賀伯爵家の墓を抜け、ひときわ大きな嵯峨公爵家の墓標の前に嵯峨は立っていた。そしてその後ろにひっそりとたたずむ小さな十字架に嵯峨とかえで、渡辺は頭《こうべ》をたれた。
そこに眠るのはエリーゼ・シュトルベルグ・嵯峨。嵯峨惟基の妻であり、嵯峨茜の母である。その美貌はかえでも何度か写真で見たことがあった。目の前のさえない叔父とは桁が違う美女であるエリーゼを思うと二人の短い夫婦の暮らしがどんなものだったかかえでには想像もつかなかった。
「おい、久しぶりだな」
墓に向かってそう言うと嵯峨は中腰になりさびしげな笑顔を浮かべながら墓に花を供えた。そして桶からひしゃくで水を汲むとやさしく墓標に水をかけた。
「また命をとられかけたよ。それでも残念だけど今は君のところには行けそうに無くてね」
そういいながら墓標のすべてを水が覆い尽くすまでひしゃくを使う。かえでは何度同じ光景を見ただろうかと思いをめぐらした。
第二次遼州大戦で開戦に消極的な西園寺家は軍部や貴族主義者のテロの標的とされた。かえでの祖父、西園寺重基《さいおんじ しげもと》は毒舌で知られた政治家であり、引退後のその地球との対話を説く言動は当時の反地球を叫ぶ世情の逆鱗に触れるものばかりだった。
そんな彼を狙ったテロに巻き込まれてエリーゼはわずか23歳で短い生涯を閉じた。
泣きじゃくる従姉妹の茜が胸に顔をうずめるのを見ながら叔母を見送ったこの墓の風景は、そのときとまるで変わらない。珍しくかえでの眼に涙が浮かんだ。
「失礼ですが……」
木陰で休んでいたらしい背の低い男が嵯峨達に声をかけてきた。表情を変えずに合わせていた手を下ろして嵯峨は彼を見つめた。着ているのは詰め襟が特徴的な胡州陸軍の勤務服。その階級章はこの男が大佐であることを示していた。そしてその左腕に巻かれた腕章の『憲兵』の文字。父である嵯峨が憲兵隊にいたことを考えればこの目の前の小柄な男が嵯峨に意見を求めに来たこともかえでには自然に感じられた。
「高倉さん。お久しぶりですねえ」
嵯峨は着物の帯に手を伸ばして禁煙パイプを取り出して口にくわえる。そんな行動にそれほど機嫌を害しない高倉はかえでから見ても嵯峨の扱いに慣れていることがかえでからも見て取れた。そしてかえでは高倉の名を聞いて彼のことを記憶のかけらから思い出していた。
高倉貞文《たかくらさだふみ》大佐。アフリカで勇猛な泉州軍団を指揮した醍醐文隆陸軍准将の懐刀と呼ばれた男である。脱走で知られる同盟国遼南帝国の兵卒に苛烈な制裁を加えて戦線を維持し、アフリカからの撤退戦でも的確な資材調達術などで影で醍醐を支えた功労者として知られていた。現在は海軍と陸軍と治安局に分かれていた憲兵組織を統一して設立された特殊工作部隊『胡州国家憲兵隊』の隊長を務める男である。
同業者、そして醍醐家の主君と被官ということからか、いつもの間の抜けた表情で嵯峨は話を切り出した。
「醍醐のとっつぁんは元気してますか?しばらく会ってないなあ、そう言えば」
そんな嵯峨の態度に表情一つ変えず高倉は嵯峨を見つめていた。
「ええ、閣下はアステロイドベルトの軍縮条約の実務官の選定のことで惟基卿のご意見を伺いたいと申しておられました」
「ご意見なんてできる立場じゃないですよ俺は。それに今度の殿上会で現公爵から前公爵になるわけですから。〇〇《まるまる》卿なんて言葉も聞かなくてすむ立場になるんでね」
そう言って笑う嵯峨を高倉は理解できなかった。胡州の貴族社会が固定化された血と縁故で腐っていくのを阻止する。主家である醍醐、嵯峨の両家が支持する西園寺義基のその政策に高倉も賛同していた。だが多くの殿上貴族達の間では遼南では皇帝の地位を投げ捨て、今、胡州公爵の位まで平気で投げ捨ててみせる目の前の男の本心がいまだ読めないと疑心暗鬼になる者が出ていることも事実だった。
「高倉さんは俺みたいなドロップアウト組と世間話する時間も惜しいでしょう」
嵯峨はそう言うと禁煙パイプを帯にしまって今度は帯からタバコを取り出した。安っぽいライターで火をつけると、今度は携帯灰皿を取り出す。
「俺みたいなのに会いに来た要件をキーワードでつなげると、バルキスタン共和国、アメリカ陸軍特殊作戦集団、胡州国家憲兵隊外地作戦局《こしゅうこっかけんぺいたいがいちさくせんきょく》。そんなところですかねえ」
そう言うと嵯峨は空に向けて禁煙パイポの息を吐いた。高倉は明らかにこれまでの好意的な目つきから射抜くようなそれになって嵯峨を見つめていた。嵯峨の指摘した三つの名前。どれも高倉が嵯峨から情報を得ようと思っていた組織の名称だった。
「それと近藤資金についても知りたいみたいですねえ。また胡州でもずいぶんとあっちこっちで近藤さんの遺産が話題になってるらしいじゃないですか。最終的には俺等が暴れた尻拭いを押し付けちゃって俺も本当に心苦しいんですよ」
明らかにこれは口だけの話、嵯峨の本心が別にあることは隣で二人のやり取りを呆然と見ているだけのかえでと渡辺にもすぐにわかった。
そこに眠るのはエリーゼ・シュトルベルグ・嵯峨。嵯峨惟基の妻であり、嵯峨茜の母である。その美貌はかえでも何度か写真で見たことがあった。目の前のさえない叔父とは桁が違う美女であるエリーゼを思うと二人の短い夫婦の暮らしがどんなものだったかかえでには想像もつかなかった。
「おい、久しぶりだな」
墓に向かってそう言うと嵯峨は中腰になりさびしげな笑顔を浮かべながら墓に花を供えた。そして桶からひしゃくで水を汲むとやさしく墓標に水をかけた。
「また命をとられかけたよ。それでも残念だけど今は君のところには行けそうに無くてね」
そういいながら墓標のすべてを水が覆い尽くすまでひしゃくを使う。かえでは何度同じ光景を見ただろうかと思いをめぐらした。
第二次遼州大戦で開戦に消極的な西園寺家は軍部や貴族主義者のテロの標的とされた。かえでの祖父、西園寺重基《さいおんじ しげもと》は毒舌で知られた政治家であり、引退後のその地球との対話を説く言動は当時の反地球を叫ぶ世情の逆鱗に触れるものばかりだった。
そんな彼を狙ったテロに巻き込まれてエリーゼはわずか23歳で短い生涯を閉じた。
泣きじゃくる従姉妹の茜が胸に顔をうずめるのを見ながら叔母を見送ったこの墓の風景は、そのときとまるで変わらない。珍しくかえでの眼に涙が浮かんだ。
「失礼ですが……」
木陰で休んでいたらしい背の低い男が嵯峨達に声をかけてきた。表情を変えずに合わせていた手を下ろして嵯峨は彼を見つめた。着ているのは詰め襟が特徴的な胡州陸軍の勤務服。その階級章はこの男が大佐であることを示していた。そしてその左腕に巻かれた腕章の『憲兵』の文字。父である嵯峨が憲兵隊にいたことを考えればこの目の前の小柄な男が嵯峨に意見を求めに来たこともかえでには自然に感じられた。
「高倉さん。お久しぶりですねえ」
嵯峨は着物の帯に手を伸ばして禁煙パイプを取り出して口にくわえる。そんな行動にそれほど機嫌を害しない高倉はかえでから見ても嵯峨の扱いに慣れていることがかえでからも見て取れた。そしてかえでは高倉の名を聞いて彼のことを記憶のかけらから思い出していた。
高倉貞文《たかくらさだふみ》大佐。アフリカで勇猛な泉州軍団を指揮した醍醐文隆陸軍准将の懐刀と呼ばれた男である。脱走で知られる同盟国遼南帝国の兵卒に苛烈な制裁を加えて戦線を維持し、アフリカからの撤退戦でも的確な資材調達術などで影で醍醐を支えた功労者として知られていた。現在は海軍と陸軍と治安局に分かれていた憲兵組織を統一して設立された特殊工作部隊『胡州国家憲兵隊』の隊長を務める男である。
同業者、そして醍醐家の主君と被官ということからか、いつもの間の抜けた表情で嵯峨は話を切り出した。
「醍醐のとっつぁんは元気してますか?しばらく会ってないなあ、そう言えば」
そんな嵯峨の態度に表情一つ変えず高倉は嵯峨を見つめていた。
「ええ、閣下はアステロイドベルトの軍縮条約の実務官の選定のことで惟基卿のご意見を伺いたいと申しておられました」
「ご意見なんてできる立場じゃないですよ俺は。それに今度の殿上会で現公爵から前公爵になるわけですから。〇〇《まるまる》卿なんて言葉も聞かなくてすむ立場になるんでね」
そう言って笑う嵯峨を高倉は理解できなかった。胡州の貴族社会が固定化された血と縁故で腐っていくのを阻止する。主家である醍醐、嵯峨の両家が支持する西園寺義基のその政策に高倉も賛同していた。だが多くの殿上貴族達の間では遼南では皇帝の地位を投げ捨て、今、胡州公爵の位まで平気で投げ捨ててみせる目の前の男の本心がいまだ読めないと疑心暗鬼になる者が出ていることも事実だった。
「高倉さんは俺みたいなドロップアウト組と世間話する時間も惜しいでしょう」
嵯峨はそう言うと禁煙パイプを帯にしまって今度は帯からタバコを取り出した。安っぽいライターで火をつけると、今度は携帯灰皿を取り出す。
「俺みたいなのに会いに来た要件をキーワードでつなげると、バルキスタン共和国、アメリカ陸軍特殊作戦集団、胡州国家憲兵隊外地作戦局《こしゅうこっかけんぺいたいがいちさくせんきょく》。そんなところですかねえ」
そう言うと嵯峨は空に向けて禁煙パイポの息を吐いた。高倉は明らかにこれまでの好意的な目つきから射抜くようなそれになって嵯峨を見つめていた。嵯峨の指摘した三つの名前。どれも高倉が嵯峨から情報を得ようと思っていた組織の名称だった。
「それと近藤資金についても知りたいみたいですねえ。また胡州でもずいぶんとあっちこっちで近藤さんの遺産が話題になってるらしいじゃないですか。最終的には俺等が暴れた尻拭いを押し付けちゃって俺も本当に心苦しいんですよ」
明らかにこれは口だけの話、嵯峨の本心が別にあることは隣で二人のやり取りを呆然と見ているだけのかえでと渡辺にもすぐにわかった。
0
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
もう、終わった話ですし
志位斗 茂家波
ファンタジー
一国が滅びた。
その知らせを聞いても、私には関係の無い事。
だってね、もう分っていたことなのよね‥‥‥
‥‥‥たまにやりたくなる、ありきたりな婚約破棄ざまぁ(?)もの
少々物足りないような気がするので、気が向いたらオマケ書こうかな?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
【完結】そして、誰もいなくなった
杜野秋人
ファンタジー
「そなたは私の妻として、侯爵夫人として相応しくない!よって婚約を破棄する!」
愛する令嬢を傍らに声高にそう叫ぶ婚約者イグナシオに伯爵家令嬢セリアは誤解だと訴えるが、イグナシオは聞く耳を持たない。それどころか明らかに犯してもいない罪を挙げられ糾弾され、彼女は思わず彼に手を伸ばして取り縋ろうとした。
「触るな!」
だがその手をイグナシオは大きく振り払った。振り払われよろめいたセリアは、受け身も取れないまま仰向けに倒れ、頭を打って昏倒した。
「突き飛ばしたぞ」
「彼が手を上げた」
「誰か衛兵を呼べ!」
騒然となるパーティー会場。すぐさま会場警護の騎士たちに取り囲まれ、彼は「違うんだ、話を聞いてくれ!」と叫びながら愛人の令嬢とともに連行されていった。
そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。
そして誰もいなくなった。
彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。
これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。
◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。
3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。
3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました!
4/1、完結しました。全14話。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
「おまえを愛することはない!」と言ってやったのに、なぜ無視するんだ!
七辻ゆゆ
ファンタジー
俺を見ない、俺の言葉を聞かない、そして触れられない。すり抜ける……なぜだ?
俺はいったい、どうなっているんだ。
真実の愛を取り戻したいだけなのに。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
王家も我が家を馬鹿にしてますわよね
章槻雅希
ファンタジー
よくある婚約者が護衛対象の王女を優先して婚約破棄になるパターンのお話。あの手の話を読んで、『なんで王家は王女の醜聞になりかねない噂を放置してるんだろう』『てか、これ、王家が婚約者の家蔑ろにしてるよね?』と思った結果できた話。ひそかなサブタイは『うちも王家を馬鹿にしてますけど』かもしれません。
『小説家になろう』『アルファポリス』(敬称略)に重複投稿、自サイトにも掲載しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる