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第十九章 銘酒一献
戦場の覚悟を語りつつ
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シミュレーターでの訓練を終えた誠は、一人、自分の私室に向かっていた。角を曲がった誠の部屋の前で一人の男が酒瓶を手に誠を待っていた。
「待ってたぜ……久しぶりに差しで飲もうや」
先回りして待っていた嵯峨は、また普段のダルめの雰囲気を背負いながら手を振った。よれよれの作業服に無精ひげと言ういつものだらしない姿に、誠は苦笑するしかなかった。
「とりあえず入りましょう」
誠はそれだけ言って、指紋認証でドアのキーを解除して私室に入り込んだ。
「結構片付いてるじゃないか」
ただ置くべきものがないだけの部屋を嵯峨はそう評した。そしてそのまま狭い個室の奥に置かれた事務用の椅子に腰を掛けた。
「ああ、コップはあるんだな。俺も念のため持ってきたんだけど」
手にした二つのグラスを出すと、嵯峨は作業用の机の上にコップを並べて酒を注ぎ始めた。誠はベッドに腰をかけその様子を見ていた。
「まあ飲めや」
そう言うと嵯峨は注ぎ終わったコップを誠に渡し、自分もそれを一舐めしたあと悠然と部屋の中を見回した。
「正直どうだい?初の実戦の前の気持ちは」
酒の味の余韻に浸るように、眼を細めながら嵯峨はそう切り出す。
「よく分からないです。これから自分の手で何人かの人を殺す事になるだろうと言う事はこれまで考えた事ありませんから」
「そうか」
それだけだった。嵯峨は特に何の感想も無いとでも言うように静かにうなづくと、再び酒瓶からコップに酒を注ぐ。
「確かにそうだな。脱出装置なんていうものは、所詮、お守りくらいのもんだと思っていたほうがいい。熱核反応式のエンジン搭載の火龍なんかじゃあ、撃墜されればエンジンの爆縮に巻き込まれてまず助からんだろうな」
嵯峨はそう言いながら今度は一息で注いだ酒をのどの奥に流し込んだ。
「ちょっと不安になったみたいだな」
嵯峨はコップに酒を注ぎながらそう言った。表情は特にいつもと変わらない。この部隊に配属後、彼の二つ名「人斬り新三」のことは知ったので、彼が誠に想像する事ができないような修羅場をくぐっている事はわかっていた。誠が今、同じ道を歩き出そうとしているのを見ても。特に感傷を抱くような嵯峨ではなかった。
『人間慣れてしまうものだ』
マリアの言葉が頭から離れない。
嵯峨は明らかに人の死と言うものに慣れている側の人間だ。こうして戦地の目の前で酒を飲む姿も、あまさき屋でのそれと大差ないように誠には見えた。
「いつもと違って進まないじゃないか?そうだ。シャムが作ってる猪の干し肉があるぞ。結構、癖はあるが酒にはあう」
嵯峨はポケットから薄くスライスした猪肉を干したと思われるものを差し出した。
「ちょっといいですか?」
誠はそう言うと一切れ千切り、軽く匂いをかいだ。野趣溢れるというのはこのことを言うんだろう、野生動物特有の臭みが鼻を襲う。
「それと柿の種持ってきたけど食うか?」
今度は右の胸ポケットからビニールに入った柿の種を取り出す。
「俺は制服とか嫌いなんだけどさ、こう言う時はポケットが多い軍服が便利に感じるね」
嵯峨はそう言って取り出した柿の種のビニールを破ると誠に手渡す。手にしながら食べるかどうか躊躇していた干し肉を嵯峨に手渡して柿の種を受け取った。
「いきなりだが、こう言う実力行使部隊には隊長には多くの権限を与える事が多い、それはなぜだと思う?」
いつものいたずらっ子のような自虐的な笑みが嵯峨の顔の口元に光臨する。誠は柿の種を一粒口に放り込んで、コップ酒を傾けた。
「状況の変化に対応するためには、現状を一番理解している指揮官に裁量を与える必要があるからですか?」
誠が思いついた答えに嵯峨は予想がついていたというようににんまりと笑った。
「そりゃあ後付けの理由だ。実際、意外に人間の作る組織ってのは不安定なもんだ。それに常に指揮官が現状を把握できるとは限らん。むしろ情報が多すぎて状況を把握できない指揮官が殆どだな。俺もそう言う状況にゃあずいぶん出くわしたもんだ」
そう言って嵯峨は喉を潤すように酒を口に流し込んだ。
「それじゃあ……作戦の成否や違法性に関して責任を取らせるためですか?」
投げやりに誠が言った言葉を、嵯峨は櫛がしばらく入っていないと言うような髪をかき回しながら受け取った。
「まあ俺の本職は憲兵隊だからな。まさに責任取らして詰め腹切らせるのが仕事だったようなものだ。戦場じゃ隊員の指揮命令系統下での全ての行動は指揮官の責となる」
嵯峨はまたゆっくりと酒を口に運ぶ。
「つまりだ、お前さんは命令違反をしない限り、敵を殺したのはお前さんではなく俺と言うことだ」
いくつかその言葉に対して言い返したいこともあったが、誠は静かにコップ酒を一口、口に含んだ。
「誠。お前さんがそう簡単に物事を割り切れる人間じゃない事は知っているよ。自分の責任の範疇じゃ無いからと言って、すんなり人を殺せと言う命令に納得できる方がどうかしてる。少なくとも初の出撃の時からそれを覚悟しているなら、他の部隊でも行ってくれと言うのが俺の本音だね」
コップのそこに残った酒をあおると、嵯峨はシャム謹製の干し肉をくわえた。
「そんなものですか?」
「そんなものだよ」
嵯峨はまた静かに三杯目の酒をコップに注いだ。
「待ってたぜ……久しぶりに差しで飲もうや」
先回りして待っていた嵯峨は、また普段のダルめの雰囲気を背負いながら手を振った。よれよれの作業服に無精ひげと言ういつものだらしない姿に、誠は苦笑するしかなかった。
「とりあえず入りましょう」
誠はそれだけ言って、指紋認証でドアのキーを解除して私室に入り込んだ。
「結構片付いてるじゃないか」
ただ置くべきものがないだけの部屋を嵯峨はそう評した。そしてそのまま狭い個室の奥に置かれた事務用の椅子に腰を掛けた。
「ああ、コップはあるんだな。俺も念のため持ってきたんだけど」
手にした二つのグラスを出すと、嵯峨は作業用の机の上にコップを並べて酒を注ぎ始めた。誠はベッドに腰をかけその様子を見ていた。
「まあ飲めや」
そう言うと嵯峨は注ぎ終わったコップを誠に渡し、自分もそれを一舐めしたあと悠然と部屋の中を見回した。
「正直どうだい?初の実戦の前の気持ちは」
酒の味の余韻に浸るように、眼を細めながら嵯峨はそう切り出す。
「よく分からないです。これから自分の手で何人かの人を殺す事になるだろうと言う事はこれまで考えた事ありませんから」
「そうか」
それだけだった。嵯峨は特に何の感想も無いとでも言うように静かにうなづくと、再び酒瓶からコップに酒を注ぐ。
「確かにそうだな。脱出装置なんていうものは、所詮、お守りくらいのもんだと思っていたほうがいい。熱核反応式のエンジン搭載の火龍なんかじゃあ、撃墜されればエンジンの爆縮に巻き込まれてまず助からんだろうな」
嵯峨はそう言いながら今度は一息で注いだ酒をのどの奥に流し込んだ。
「ちょっと不安になったみたいだな」
嵯峨はコップに酒を注ぎながらそう言った。表情は特にいつもと変わらない。この部隊に配属後、彼の二つ名「人斬り新三」のことは知ったので、彼が誠に想像する事ができないような修羅場をくぐっている事はわかっていた。誠が今、同じ道を歩き出そうとしているのを見ても。特に感傷を抱くような嵯峨ではなかった。
『人間慣れてしまうものだ』
マリアの言葉が頭から離れない。
嵯峨は明らかに人の死と言うものに慣れている側の人間だ。こうして戦地の目の前で酒を飲む姿も、あまさき屋でのそれと大差ないように誠には見えた。
「いつもと違って進まないじゃないか?そうだ。シャムが作ってる猪の干し肉があるぞ。結構、癖はあるが酒にはあう」
嵯峨はポケットから薄くスライスした猪肉を干したと思われるものを差し出した。
「ちょっといいですか?」
誠はそう言うと一切れ千切り、軽く匂いをかいだ。野趣溢れるというのはこのことを言うんだろう、野生動物特有の臭みが鼻を襲う。
「それと柿の種持ってきたけど食うか?」
今度は右の胸ポケットからビニールに入った柿の種を取り出す。
「俺は制服とか嫌いなんだけどさ、こう言う時はポケットが多い軍服が便利に感じるね」
嵯峨はそう言って取り出した柿の種のビニールを破ると誠に手渡す。手にしながら食べるかどうか躊躇していた干し肉を嵯峨に手渡して柿の種を受け取った。
「いきなりだが、こう言う実力行使部隊には隊長には多くの権限を与える事が多い、それはなぜだと思う?」
いつものいたずらっ子のような自虐的な笑みが嵯峨の顔の口元に光臨する。誠は柿の種を一粒口に放り込んで、コップ酒を傾けた。
「状況の変化に対応するためには、現状を一番理解している指揮官に裁量を与える必要があるからですか?」
誠が思いついた答えに嵯峨は予想がついていたというようににんまりと笑った。
「そりゃあ後付けの理由だ。実際、意外に人間の作る組織ってのは不安定なもんだ。それに常に指揮官が現状を把握できるとは限らん。むしろ情報が多すぎて状況を把握できない指揮官が殆どだな。俺もそう言う状況にゃあずいぶん出くわしたもんだ」
そう言って嵯峨は喉を潤すように酒を口に流し込んだ。
「それじゃあ……作戦の成否や違法性に関して責任を取らせるためですか?」
投げやりに誠が言った言葉を、嵯峨は櫛がしばらく入っていないと言うような髪をかき回しながら受け取った。
「まあ俺の本職は憲兵隊だからな。まさに責任取らして詰め腹切らせるのが仕事だったようなものだ。戦場じゃ隊員の指揮命令系統下での全ての行動は指揮官の責となる」
嵯峨はまたゆっくりと酒を口に運ぶ。
「つまりだ、お前さんは命令違反をしない限り、敵を殺したのはお前さんではなく俺と言うことだ」
いくつかその言葉に対して言い返したいこともあったが、誠は静かにコップ酒を一口、口に含んだ。
「誠。お前さんがそう簡単に物事を割り切れる人間じゃない事は知っているよ。自分の責任の範疇じゃ無いからと言って、すんなり人を殺せと言う命令に納得できる方がどうかしてる。少なくとも初の出撃の時からそれを覚悟しているなら、他の部隊でも行ってくれと言うのが俺の本音だね」
コップのそこに残った酒をあおると、嵯峨はシャム謹製の干し肉をくわえた。
「そんなものですか?」
「そんなものだよ」
嵯峨はまた静かに三杯目の酒をコップに注いだ。
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