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朝、目覚ましの音と共に薄暗い部屋で目覚めた僕はのそりと布団から這い出る。気怠い体を引きずって行きたくもない仕事のために顔を洗おうと洗面台に立つと、そこにいたのは冴えない男……見飽きるほどに対面した僕の顔があった。
僕はしがないサラリーマン。会社近くの一人暮らし用ワンルームアパートに住んでいることから分かるように、恋人がいないまま34になった悲しき男だ。
田舎の学校ではそこそこ頭のいい方だったため親の反対を押し切って東京の大学に進学したものの、何事にも素質というものはあるようで。根が暗い僕は僕が思い描いていた煌びやかな世界に関わることができず、かといって何かに熱中することもなく、ただ与えられた授業を淡々とこなす日々を送っていた。そんな僕に待っていたのはアピールポイントに出来るようなイベントも、目を引くような特技もないまま立ち向かうことになった就職活動だ。
当然、散々な結果になった。右を見ても左を見ても自信に満ち溢れたような就活生ばかりで、僕だけが取り残されているような恐ろしさ。真面目に受け答えの内容を考えなかったせいだと言われればその通りなのだが、自分で自分に誇れるものがないのだからアピールなんて出来ようもない。
そうしてなんとか滑り込んだ会社でやりがいはないのに量だけはある仕事を続けて早12年、部下も持つようになった僕だが未だに仕事に熱意はなかった。田舎に帰るにしても大見得を切って出てきた手前、こんな状態じゃ情けなくて両親に顔も合わせられない。
なんとなく生きることすら面倒になりずっと寝ていたいと思っていた僕、しかし最近は少しだけ起きることが楽しみになっていた。
「っざいまぁす。今日もさみーっすね」
「お、おはようございます……そうですね……」
エレベーターで一階に下りゴミ捨て場で少し時間をつぶしていると、チン、という音と共に一人の男がゴミ袋を片手にエレベーターから下りてきた。
陰気に佇む僕を見つけてニカッと笑い、挨拶をしてくれた彼の名前は真木大輝くん。名前に劣らずキラキラとした真木くんは一言で言えばイケメンのチャラ男だ。
綺麗な金髪に染めた髪をこれでもかと逆立て、耳にはピアス、首にはチョーカー、手首には何がいいのか鎖のような腕輪を嵌めてとジャラジャラ音がしそうなくらいたくさんのアクセサリーを付けている。寝起きですぐ下りてきたのだろうか短パンにTシャツ一枚という出で立ちだが、僕がすれば貧相な格好も真木くんがするとモデルのように様になっていた。鍛えているらしく胸元だけはパツンと張り、見える腕も脚も平均よりは……少なくとも僕の数倍は筋肉がついている。腰回りも大層立派でチラ見せなどしたら人によっては興奮しすぎて鼻血を出すんじゃないだろうか。ただ一点、太っているという訳ではないが、お尻だけは鍛えているというより肉が乗っていると表現するのが相応しいくらいにムチムチしている。
これだけ聞くと近寄りがたい格好であるが、それを補って余りあるほど真木くんは人好きのする顔をしていた。大きな吊り目はキツイというより猫のような印象を与え、目を引く犬歯はよく笑う真木くんに愛らしさを付け加えている。馴れ馴れしいという人もいるかもしれないが、こんな僕にも砕けた口調で話しかけてくれる真木くんに、僕は年甲斐もなくときめいてしまっていた。
単純だと笑えばいい。だけどもう何年もまともに人と接していない僕は、真木くんの誰にでも振りまいているような当たり前の好意の虜になっている。真木くんは大学生で一回りも年が離れてるとかどうでもいい。無趣味な僕には幸いにも金だけはあるし、財布としてでいいから真木くんとお近づきになりたい、そう思うくらいには重傷だ。
しかし現実は残酷なもので、そこまで自分を貶めているというのに真木くんが隣に住み始めてちょうど一年、未だにただの隣人という関係でしかなかった。僕と違って大学生活を謳歌している真木くんは朝帰りは当たり前、なんなら3日は部屋に帰ってこないなんて事もザラなくらい楽しいことが目白押し。年上のやつれたサラリーマンと必要以上に仲良くするような余裕は何処にもない。だからこそ僕がアタックすべきなのだが、大学含めて16年間人間関係を疎かにしていた僕に挨拶以上の会話を続ける、その一歩が踏み出せる訳がなかった。
行先は同じなため一緒に乗ったエレベーター、無言なままの箱の中で今日も僕は真木くんの横顔を盗み見ることしかできない。カツカツとスマホの画面を叩き僕には抱えきれないほどの情報を受け取っている真木くん、その淀みなく動いていた指がピタッと止まり、僕がいるからか耐えようとしているものの隠し切れない笑みが溢れ出す。
この一年真木くんを観察していて初めて見る部類の表情に少し胸がざわつく僕。それは明るい顔しか見たことの無い真木くんの、始めてみる仄暗い欲望の滲んだものだったからだ。
「じゃあ橋本サン、さよーならぁ」
「……」
それに気づいたところで踏み込めるはずもなく、やはり無言のまま時間は経っていき、虚しく響くベル音が僕たちの住む階に到着したことを知らせた。狭い廊下を真木くんが前に立ち進んでいき、そのムチムチの尻を僕は薄目で見つめながら歩く。立ち止まった真木くんに慌てて僕も視線を上げ、同時にドアを開けながら真木くんは普段通りの笑顔で僕へと別れの挨拶をした。
喉に声がつっかえて軽く会釈をすることしかできない僕はすごすごと玄関へ入り、いつものように次に真木くんに会えるゴミ捨ての日を早速心待ちにしている。
「あ、そうだ。橋本サンに伝えたいことあるんだった」
しかし何故だか今日は違っていた。扉が閉まる前に伸びてきた手、それによって開かれた先には真木くんが立っている。始めて挨拶以上の会話が発生し戸惑う僕に、構わず真木くんは話を続けた。
「なんか風呂が壊れた? みたいでぇ。近々俺の……友人、が1ヶ月くらい俺んとこに泊まります。煩くなるかもしれないけど、その辺よろしくお願いしまーす」
「…………はい」
「ん。じゃ、そういうことで!」
靴を脱ぐため玄関に座り込んだままの僕に一方的に要件を伝え、極上の笑顔を残して今度こそ扉を閉める真木くん。呆気にとられたままの僕は真木くんの握っていたドアノブを見つめ、しばらく玄関から動けなかったせいで危うく会社に遅刻しかけた。
僕はしがないサラリーマン。会社近くの一人暮らし用ワンルームアパートに住んでいることから分かるように、恋人がいないまま34になった悲しき男だ。
田舎の学校ではそこそこ頭のいい方だったため親の反対を押し切って東京の大学に進学したものの、何事にも素質というものはあるようで。根が暗い僕は僕が思い描いていた煌びやかな世界に関わることができず、かといって何かに熱中することもなく、ただ与えられた授業を淡々とこなす日々を送っていた。そんな僕に待っていたのはアピールポイントに出来るようなイベントも、目を引くような特技もないまま立ち向かうことになった就職活動だ。
当然、散々な結果になった。右を見ても左を見ても自信に満ち溢れたような就活生ばかりで、僕だけが取り残されているような恐ろしさ。真面目に受け答えの内容を考えなかったせいだと言われればその通りなのだが、自分で自分に誇れるものがないのだからアピールなんて出来ようもない。
そうしてなんとか滑り込んだ会社でやりがいはないのに量だけはある仕事を続けて早12年、部下も持つようになった僕だが未だに仕事に熱意はなかった。田舎に帰るにしても大見得を切って出てきた手前、こんな状態じゃ情けなくて両親に顔も合わせられない。
なんとなく生きることすら面倒になりずっと寝ていたいと思っていた僕、しかし最近は少しだけ起きることが楽しみになっていた。
「っざいまぁす。今日もさみーっすね」
「お、おはようございます……そうですね……」
エレベーターで一階に下りゴミ捨て場で少し時間をつぶしていると、チン、という音と共に一人の男がゴミ袋を片手にエレベーターから下りてきた。
陰気に佇む僕を見つけてニカッと笑い、挨拶をしてくれた彼の名前は真木大輝くん。名前に劣らずキラキラとした真木くんは一言で言えばイケメンのチャラ男だ。
綺麗な金髪に染めた髪をこれでもかと逆立て、耳にはピアス、首にはチョーカー、手首には何がいいのか鎖のような腕輪を嵌めてとジャラジャラ音がしそうなくらいたくさんのアクセサリーを付けている。寝起きですぐ下りてきたのだろうか短パンにTシャツ一枚という出で立ちだが、僕がすれば貧相な格好も真木くんがするとモデルのように様になっていた。鍛えているらしく胸元だけはパツンと張り、見える腕も脚も平均よりは……少なくとも僕の数倍は筋肉がついている。腰回りも大層立派でチラ見せなどしたら人によっては興奮しすぎて鼻血を出すんじゃないだろうか。ただ一点、太っているという訳ではないが、お尻だけは鍛えているというより肉が乗っていると表現するのが相応しいくらいにムチムチしている。
これだけ聞くと近寄りがたい格好であるが、それを補って余りあるほど真木くんは人好きのする顔をしていた。大きな吊り目はキツイというより猫のような印象を与え、目を引く犬歯はよく笑う真木くんに愛らしさを付け加えている。馴れ馴れしいという人もいるかもしれないが、こんな僕にも砕けた口調で話しかけてくれる真木くんに、僕は年甲斐もなくときめいてしまっていた。
単純だと笑えばいい。だけどもう何年もまともに人と接していない僕は、真木くんの誰にでも振りまいているような当たり前の好意の虜になっている。真木くんは大学生で一回りも年が離れてるとかどうでもいい。無趣味な僕には幸いにも金だけはあるし、財布としてでいいから真木くんとお近づきになりたい、そう思うくらいには重傷だ。
しかし現実は残酷なもので、そこまで自分を貶めているというのに真木くんが隣に住み始めてちょうど一年、未だにただの隣人という関係でしかなかった。僕と違って大学生活を謳歌している真木くんは朝帰りは当たり前、なんなら3日は部屋に帰ってこないなんて事もザラなくらい楽しいことが目白押し。年上のやつれたサラリーマンと必要以上に仲良くするような余裕は何処にもない。だからこそ僕がアタックすべきなのだが、大学含めて16年間人間関係を疎かにしていた僕に挨拶以上の会話を続ける、その一歩が踏み出せる訳がなかった。
行先は同じなため一緒に乗ったエレベーター、無言なままの箱の中で今日も僕は真木くんの横顔を盗み見ることしかできない。カツカツとスマホの画面を叩き僕には抱えきれないほどの情報を受け取っている真木くん、その淀みなく動いていた指がピタッと止まり、僕がいるからか耐えようとしているものの隠し切れない笑みが溢れ出す。
この一年真木くんを観察していて初めて見る部類の表情に少し胸がざわつく僕。それは明るい顔しか見たことの無い真木くんの、始めてみる仄暗い欲望の滲んだものだったからだ。
「じゃあ橋本サン、さよーならぁ」
「……」
それに気づいたところで踏み込めるはずもなく、やはり無言のまま時間は経っていき、虚しく響くベル音が僕たちの住む階に到着したことを知らせた。狭い廊下を真木くんが前に立ち進んでいき、そのムチムチの尻を僕は薄目で見つめながら歩く。立ち止まった真木くんに慌てて僕も視線を上げ、同時にドアを開けながら真木くんは普段通りの笑顔で僕へと別れの挨拶をした。
喉に声がつっかえて軽く会釈をすることしかできない僕はすごすごと玄関へ入り、いつものように次に真木くんに会えるゴミ捨ての日を早速心待ちにしている。
「あ、そうだ。橋本サンに伝えたいことあるんだった」
しかし何故だか今日は違っていた。扉が閉まる前に伸びてきた手、それによって開かれた先には真木くんが立っている。始めて挨拶以上の会話が発生し戸惑う僕に、構わず真木くんは話を続けた。
「なんか風呂が壊れた? みたいでぇ。近々俺の……友人、が1ヶ月くらい俺んとこに泊まります。煩くなるかもしれないけど、その辺よろしくお願いしまーす」
「…………はい」
「ん。じゃ、そういうことで!」
靴を脱ぐため玄関に座り込んだままの僕に一方的に要件を伝え、極上の笑顔を残して今度こそ扉を閉める真木くん。呆気にとられたままの僕は真木くんの握っていたドアノブを見つめ、しばらく玄関から動けなかったせいで危うく会社に遅刻しかけた。
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