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57.家事と私とモンスター

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「招待したお客様は上座から順に、宰相様、各総督様 といった具合にお座りいただきます」

 メモを取りながらメテルナさんの言葉に、ふむふむと頷く。私は今、自分の婚礼の準備に追われている。婚約者と言えども、すでにラングルト家の家内を取り仕切る妻として、役目を期待されているのだ。

 現在は城の管理を任されてきたメテルナさんから、少しずつ仕事の譲渡をされている段階だ。

 家事全般から、使用人や菜園の管理など、その仕事は多岐にわたる。実務は家政婦長のカハルナさんが取り仕切っているが、婚礼後の最終的な権限は私に移る。

 困った。

 非常に困った……

「奥様、この度は何頭の農豚フクフクをしめましょう」や「東の客間の暖炉から煙が逆流します。こちらに滞在予定の西方総督様の替えの部屋はどうしましょう」など、対応に困る質問が雨のように降ってくるのだ。

 まぁ、わからないものはしょうがないので、遠慮なくメテルナさんや家政婦長のカハルナさんに相談しながら準備を進めている。二人は何を聞いても優しく教えてくれるが、いずれはちゃんと一人で采配できるようにならなくてはいけないだろう。

 その為、カハルナさんから、過去十年分の家事記録をお借りして勉強を始めた。

「レンはとても勉強熱心ね。そんなに急に頑張らなくてもいいのよ。私としてはとても負担が減って助かるのだけど、無理はしないでちょうだいね」

「そうです、奥様。我々は奥様を支える為にいるのですから、いつでも頼ってくださいませ」

「お二人ともありがとうございます。若輩ながらラングルト家、そしてマンドルガの為にお役に立てるよう頑張ります。それにしても、城の管理には膨大な知識と経験が必要ですね。采配されていたお二人をとても尊敬いたします。私にはその半分もできるかどうか……」

「ふふふ、レンったら。その半分はもう既にできていてよ」

「えっ?」

「家事を取り仕切るのに大切なことは、知識でも気位の高さでもないのよ。一番必要とされていることは、府民や使用人の皆さんに愛されることです。あなたは、ご自分ではわかってらっしゃらないかもしれませんが、多くの方に想われているのですよ」

「そんな、私なんて……まだまだ分からないことばかりなのに」

「分からないことがあるのだと理解しているだけで今は十分です。頼りになる皆さんが率先して助けてくれますからね。これからも素直で優しいあなたでいてね」

 メテルナさんの笑顔は、蜂蜜のような甘さで心に溶けていった。


 婚礼まであと1週間ほどになると、各地から続々と親類が集まり始めた。他地域の総督などは、直前に来場する予定らしい。初めてお会いするロワさんの親類に私の緊張も高まる。

 そんな中、ある一人の女性を紹介されたことがあった。

「母方の親戚のルベラだ」

 相変わらず、家族の者以外にはぶっきらぼうなロワさんから紹介されたのは、ルベラさんという遠い親戚の女性だ。

「お初にお目にかかりますレン様。父は仕事で遅れるため、私が先触れとして参りました。ロワ様とは、一度縁談のお話もいただいたことがある間柄ですの。私達もきっと良いお友達になれると思いますわ」

 すらりと伸びた背丈は百九十センチ程あり、さすがはノーグマタのご令嬢といったところか。年齢は十代後半だろう。銀がかった麦穂色の巻き毛を背中に美しく流している。優しげな笑みなのに、どこか冷たい印象を受けるのはなぜだろう。差し出された手に触れると、思ったより力強く握られた。

 縁談のお話……?

 なんだそれ、確かに地位のある男女には縁談の一つや二つ持ち上がってもおかしくない。だが、こんな初対面の場で話す内容だろうか?

 しかも、私、来週には彼の妻になる予定なんですが。

「最後にお会いしたのは、あなたが十歳頃だったと記憶しているが? 私の知らぬところで縁談の話が出ていたとは、驚きだな」

 心に黒い靄がかかろうとした時、憮然としたロワさんの声がその靄を吹き飛ばした。

「まぁ、うふふ。冗談ですのよ。相変わらずロワ様は真面目ですのね。この度はご婚姻、誠におめでとうございます。後は男児の後継さえ御生れになれば、ラングルト家は安泰ですわね。もし出産がレン様に御負担であるならば、私もお子を成す為に協力するように父より言いつかっておりま――」

「結構だ。後継に関しては私達で決める。他家の指図は受けぬとお父上にお伝え願おう。まぁ、彼が到着次第、私から厳重に注意いたそう」

「あらまぁ! 本気になされないで!ふふ。私はただ、総督夫人となるレン様のご負担を軽減するお手伝いがしたいだけなのです。今は、子供の手も借りたいほど忙しいはずですわ。私は家事管理が得意なの」

 片手に持っていたマフをこれ見よがしに侍女に放り投げると、両手を私に差し出した。

「いえ、お気持ちは有り難いですが、前総督夫人と家政婦長とともに采配いたしておりますので、手助けは必要ありません。ルベラさんはお客様としてごゆるりとお過ごしくださいませ」

 私がそう言って差し出された腕を取らないでいると、ルベラさんは笑顔を貼り付けたまま、ギラリと私を一瞥した。

 なんだなんだ、急に灰汁の強い女性が出てきたぞ。ルベラさんの狙いは、第二夫人もしくは、ぽっと出の私を利用してラングルト家の利潤を吸い上げる気なのだろうか。家内を取り仕切るって、こんなモンスターとも戦っていかなくてはいけないのか……

 ルベラさんとの初邂逅はこんな感じで終わった。彼女を見送った後も、ロワさんはしきりと私を心配しているようだった。

 大丈夫です、ロワさん。

 私、結構打たれ強いんですよ。

 私が強くいられるのは、ロワさんを心から愛しているからだ。それに、毎日、毎晩、ロワさんの熱烈な好意を浴び続けている私には、ロワさんの愛を疑えるほどの余裕もないというのが正直なところだ。

 そんな癖のあるルベラさんだが、滞在当日から様々な事件を引き起こしてくれた。

 滞在する部屋の内装が気に入らないから部屋を変えろというクレームから始まり、最新の流行に沿った料理が出せるよう指導すると言い始めたり、他家の家事に口を出すようになった。

 私が、ロワさんの前で家事への介入はきっぱり断ったにも関わらずだ。

 勿論、部外者の言うことを聞くような上級使用人ツワモノはラングルト家にいない。料理長など、真っ赤な顔で怒り狂いながら私の元にやってきたほどだ。

「私は、帝国でも指折りの料理人と言われた男です。その私に向かって、あの女……いえ、あのご婦人はあろうかとかカスタードルーチカの作り方を教えるとぬかすのです! こんな侮辱を受けたのは初めてですわい。その他にも、赤身の肉は南方産でなければ駄目だとか、マンドルガの蒸留酒は一級品とはいえないとか――」

 カーーッと頭から蒸気を出している料理長を宥めるのはとても大変だった。もう辞める!と意地になってしまった彼を思い止まらせるのに約半日かかってしまった。

 はぁーと家事室(私の書斎的な場所)の椅子にもたれかかっていると、心配顔の家政婦長のカハルナさんが入ってきた。

「奥様、後は私がいたしますから、今日はもうお部屋でお休みになってはいかがでしょうか」

「あ、そうですね。西棟のリネンの確認だけしたら休みます」

 そう言いながら、リネンの目録を引っ張り出しながらふと思いついて聞いてみようと思った。

「カハルナさん、そういえば、ルベラさんはカハルナさんのところへは行っていませんか? もし問題があるようなら教えてください」

「問題ありません。確かに私の元へもいらっしゃいましたが、あの方には何の権限もございませんのでお引き取り願いました」

 しれっとした表情で話すカハルナさんには、歴戦の強者の貫禄を感じたのだった。

 さすがはラングルト家の家政婦長!

 そんなこんなで、ルベラ嬢に引っ掻き回されながらも婚礼の日は着々と近づいてきているのだった。



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