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番外編 : 後始末〜対峙〜

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暁の盗賊(若)視点のお話です。
 



 私は今、悪鬼の前に立っている。

 その鬼は巨体に見合ったどしりとした椅子に腰掛け、泰然と腕組みをしていた。かたや私は目の前に立っているだけだというのに膝が笑いそうになる。

 任務の為には手段を選ばない、冷酷無比なアズラーヤ族の次期首長となるこの私が、心の底から恐怖を感じている。これは、本能から来る恐れなのだ。父に知られれば制裁を受けそうな失態だが、相手はただの人ではない。

 北の魔神や怪物と恐れられる、マンドルガ辺境総督その人だ。一度戦場へ出れば屍の山を築き、その通った道は血煙で何も見えなくなるという噂さえある。

 私は噂を信じてはいなかったが、ロンダ川の支流で彼の婚約者を盗み見した際に、その噂の一端を知った。
 殺気も感じさせず、どこから放ったのかもわからない槍は、私でなかったら躱せなかっただろう。噂通りの戦士だと感じたが、それほど驚きはなかった。

 どちらかと言うと、婚約者の方に興味を惹かれた。北の聖女として、マンドルガでは熱狂的な支持者がいるそうだ。背に付与された古の紋に関係があるのかもしれないが、清廉潔白な彼女自身の本質によるものが大きいだろう。

 その彼女を手違いとはいえ、拉致してしまった私は今、人生の岐路に立たされている。

「して、お前の誠意は」

 鬼がこちらを見た。感情の消えた氷の視線は、私を許すつもりなどなさそうだ。ライナはよくこの瞳を見つめられるものだ。常人であれば、漂う真力の前に意識を失っても不思議ではない。

 この鬼と番う決心をするとは、彼女は流石に聖女だけはある。

「けじめとしてライナに無礼を働いた者は、鉄鞭打ち十回の後、前線へ戻す。……刑に耐えられればだが。そして今回の事柄が起きた原因として、部下を御せなかった私の失態と、父と私の軋轢に関した命令系統の混乱がある」

「それで」

 マンドルガ辺境総督は、帝国きっての武闘派だが、賢師の塔で学んだことのある切れ者だ。下手な論説や自己保身は彼の怒りを増やすだけだろう。

「私の身だけでは不十分だろうが、どうかこの身への制裁をもって一族への罪はお許し願いたい」

「ほう、命を捨てると? たかが部下の失態ごときで。お前は次代の首長なのだろう」

「そうだ。しかし、命を捨てることには躊躇いはない。妹に男児も生まれたことで、跡目には困らぬ」

 北の聖女に取り上げてもらった甥っ子は、我が一族の希望だ。父との軋轢で縛られた私より、次代として相応しい。

「撤回は聞かぬが」

「私も男だ。撤回はせぬ」

「ならば、我が鉄槌を受けよ。常人であれば、肉塊も残さず霧散するだろう。お前も戦士の端くれならば、真力をもって防御いたせ。元の体には戻れぬが、死なずには済むかもしれぬ」

 立ち上がったマンドルガ辺境総督は、そびえ立つ壁のようだった。我が家の門を容易く引きちぎった豪腕は、私を消すことくらい造作も無いだろう。私も僅かだが、真力を使うことができる。しかし、覚悟はできている。下手な小細工は不名誉としかならない。

「最後に、家族に伝える言葉は」

「ない」

 執務室の机を回り、総督が私の目の前に立った。この場で死んでしまい、場を汚してしまうのが心残りだ。

 心残りといえば、最後に北の聖女に一目見会いたかった。彼女はまったく不思議な方だ。少女のようでありながら、産婆としての決然とした態度。そして、悪鬼と呼ばれる男をも虜にする魅力がある。

 マンドルガ辺境総督は、肩幅に足を開くと、右足を後ろに引いて腰だめに拳を構えた。

 ゴゴゴゴと信じられないくらいの真力が拳に集まっている。あれで打たれれば、私だけでなくこの屋敷もただではすまない。その練り上げられた真力は総督の怒りを表しているのだ。

 私は怒らせてはならぬ存在を怒らせてしまったようだ。諦めにも似た心境で静かに死を待った。死を覚悟しても、打たれることに身構えてしまうのは武人として当然の反応だ。

 スッと総督が息を吸った。

 彼の踏み込みは見えなかった。

 死んだなと思ったが、腹に激烈な衝撃を受けて後ろに吹っ飛ぶ。

 ズズンと音が後から聞こえ、私もろとも執務室の壁が倒壊した。内庭に抜けたのだろう、暮れなずむ空が仰向けに倒れた私を見ていた。

「何故防御しない」

 もうもうと上がる土煙の向こうで、氷河のような瞳がこちらを見ていた。

「防御しておれば、気兼ねなく消殺せたのだが。まぁその分では当分動けまい。ラス」

「うぉっ、はっはい!」

「迎えを呼んでやれ。客人はお帰りになる」

 執務室の端で息を殺していた騎士を呼ぶと、悪鬼は倒れた私を見下ろした。

「無抵抗の者を殺めたとあっては、妻が心を痛めるかもしれぬからな、今回は見逃してやる。しかし、条件がある。妻が暁の盗賊おまえの力を求めた時には、助力を約束しろ」

 こちらは肋が数本折れ、血反吐を吐いているというのに、有無を言わさない口調で命令する。

 まったく、とんでもない魔神だ。北の聖女はもしや無理矢理言うことを聞かされているのではなかろうか。芯の強い女性だが、圧倒的な体格と力の差の前には無力だろう。

「ごほっ、し、承知」

 魔神に命令されずとも、北の聖女には借りがある。彼女が求めるならば、尽力は惜しまぬつもりだ。

 もし、彼女がこの魔神から逃れたいと願うのならば、どんな手を使ってもお助けしよう。

 こみ上げる血塊を吐き出しながら、私はそう誓った。

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