上 下
21 / 131

21.南へ

しおりを挟む
 ゴトゴトゴトと絶え間ない振動が伝わってくる。

 私は今、マンドルガのモールゾ大森林地帯を騎獣の引く車に揺られている。箱型のランドー型の馬車に似た作りで、乗客は向かい合わせで座る仕組みだ。ただ、大きな違いはその大きさである。中はロワさんでも頑張れば乗れそうなくらい広々としていた。座席はクッション素材でできているが、まだまだサスペンションに改善の余地があるらしく振動がバッチリ伝わってくる。

 はじめこそ振動にアワアワしていたが、今は寝られるくらい慣れた。

 そう、私は現在、帝国の首都であるエスファジュルへ向かう旅の途中である。帝国領の最北地であるマンドルガを出発してもうすぐ一ヶ月になる。針葉樹林ばかりであった森に落葉樹が混じり始め、晩秋の最期の輝きを見せていた。紅や鼈甲色に染まる森は美しかったが、夜になると寒さで身が震えるほどだ。

 この世界の旅は、はっきり言ってキツイ。一行の中で一番手厚くされているとはいえ、ほとんど野営である。今回は長期間の旅であることから、流石に男性も天幕を張って休んでいる。元の世界のキャンプを想像している皆様、現実はそんなに甘くないのですよ。天幕を張ってもらっても、寒いものは寒い! どうして冬にさしかかったこの季節に移動しなければならないのか……。寒さのため、毎日沢山の毛皮に埋まるようにして眠った。天幕にはユズルバさんが付き添ってくれていて、寒さの厳しい夜には焼いた石を布で何重にも包んだ行火あんかを足元に入れてくれた。彼女の優しさが身にしみる……。

 うう、虚弱でごめんよ……。

 旅の一行には侍女として、ユズルバさんが付いてきてくれた。ロミさんのお産の日から、ユズルバさんの私に対する扱いがさらにうやうやしいものになった。あの後何度か顔を見に行ったが、ロミさんは出血増加もなく母子ともに健やかに過ごしている。大きな坊やがこれまた可愛くてたまらない。そして、元は強面だった旦那さんはすっかり親馬鹿になって、オシメ交換は自分の仕事だと張り切っていた。

 異世界に来て分娩介助するとは夢にも思っていなかったが、お役に立てて嬉しかった。

 上洛の旅に出発する迄のわずかな時間に少し調べたのだが、辺境のマンドルガでの出産は産婆のみが立会い、娩出した児を受け止めるだけで大した援助はしないそうだ。そもそも頑健なノーグマタの女性は安産体質で難産になることは珍しいとか。ロミさんのように他の地域からお嫁に来た人は大変だ。そういった女性達は出産時の死亡が特に多いらしい。そして種族を問わず新生児の死亡も多い。

 この中世程の文化水準では仕方がなかったのかもしれない。だけど……私の知識を活用すれば、死ななくても良い母子が守れるかもしれない。

 すでにサノスさんを何度も驚かせてしまった知識は、この世界ではまだオーバーテクノロジーだろう。

 この世界で周産期の母子生存率を向上させることが、私の大きな目標だ。それにはこの世界の知識と私の知識ををすり合わせ、あまり不自然でないようにしなければならない。本来であるなら、全体的な医療水準や母子保健全般にわたって改善したい。しかし、全て叶えるには文化水準全体の向上が必要だ。過ぎた知識は、異端として文化に受け入れられない可能性がある。違和感なく人々に受け入れられるような働きかけが重要だ。

 それに、いずれ私も出産するかもしれない。ロワさんとの体格差を考えて欲しい。

 何度も言って恐縮だが二七ハセンチの巨人と一六八センチの私の子供だ。

 私、経膣分娩できる気がしない。帝王切開が必要になると思う……。そんなわけで、この世界の母子のため、そして自分のためにも遂げなければ!

 そうそう、職務放棄していた産婆を覚えているだろうか? あのまま放置すれば同じことを繰り返すと思ったので、少し仕事を休んでもらうことにしました。私にはなんの権限もありませんが、助手のミーツちゃん(九歳だった! )をロワさんが使用人見習いとして引き取ってくれたのだ。ミーツちゃんは痩せているだけでなく、身体中に折檻された痕があった。この世界では使用人の人権がある程度守られている。そのため、虐待が明るみになった産婆は、使用人雇用の権利を剥奪された。自分は酒に溺れミーツちゃんにほとんどの雑用をさせていた産婆は、名実共に廃業に追い込まれたのだった。

 しかし、産婆一人を廃業させたからといって、事態が好転するとは思えない。むしろ、人口あたりの産婆の人数が減ってしまい、問題を増やした可能性がある。
 さらに、私自身が長期にわたり総督府を離れてしまう。これではなんの助けにもならない。そのため、ロワさんにお願いして、私の不在の期間だけでも賢師のサノスさんに活躍していただくことにした。元々賢師の関わるお産は、上流階級に限られており、一般市民にはなんの恩恵も与えられていなかったのだ。お産全例に関わることは不可能であるため、産婆や地域の薬師(民間には医師はおらず、薬師が対応していた)からの要請があれば動いていただくことになった。負担がかなり増えると予想されることをサノスさんに話すと、目をキラキラさせて「是非やらせていただきたい! 」と意気込んでいた。サノスさんはお髭こそ真っ白だが、その体はまだ壮年といってもいいほど逞しく、まだ剣では若者に負けぬと息巻いていたくらいだ。

 え、戦うの?

 さすがはノーグマタである。

 そんなことをつらつらと考えながら、毎日車に揺られている。同じ車にユズルバさんも乗っているが、振動が凄くて会話にならないため、彼女はずっと編み物をして過ごしている。私も何かできたらいいのだが、酔いやすい体質なのでもっぱら瞑想という名の睡眠を貪った。

 辺境には村が少ない。宿場もあまりない。その理由はマンドルガが広大なだけでなく、大型の捕食動物が多数生息しているからだ。そんな動物、ノーグマタの戦士が退治すればいいとお思いだろうが、それができればこの地はもっと繁栄していただろう。

 中でも厄介な獣にヌタヌタという狒々がいる。ヌタヌタは群れで行動し、知恵もあるためとても恐ろしい生き物だ。大人の雄になると体長が立位でニメートルにもなるらしい。しかも雑食で穀物から家畜から全て平らげてしまうのだ。襲いかかってくるものは撃退できるが、畑や家畜を守りながら暮らすのは非常に難しい。村程度の規模ではヌタヌタの群れを防ぎきれず、街規模で高い石壁と夜警に回せるだけの戦力が必要になる。鋭い牙と拙い攻撃を弾く毛皮を持つ狡猾な獣――。

 そんなのがいるなんてわかってたのなら初めに言ってよね!

 何度か夜中にすこし騒がしいなと思っていたら、襲撃を受けていたらしい。後でロワさんが教えてくれた。屈強な騎士にかかれば、本陣に近づけさせることもなく殲滅できるとのこと。安心しろと言われたけど、無理だよね!?

 さらに、マンドルガの地で問題になるのには、"魔"と呼ばれる暗い霧のようなものがある。この霧に触れると、弱いものは心を蝕まれ気が狂うと言われている。"魔"は深い森の奥や沼地に発生することが多いのだが、気温が下がると人里まで流れてくるそうだ。私がこの世界に来た時、ロワさんが魔除けの薬草を焚いていたのを覚えている。この薬草があれば"魔"は近寄らないのだとか。そのため、街や総督府領の周りには多くの薬草である夏漆を意図的に栽培していた。

 こういった経緯で、上洛の旅は宿に泊まることも少なく天幕で休むことが多いのだ。周りを騎士さん達に守ってもらって隣にはユズルバさんがいてくれるけど、真っ暗な夜になると不安で不安でしょうがない。

 ある夜、ロワさんの天幕で食事を共にした後、思い切ってお願いしてみた。

「ロワさん、今日はここで寝ちゃ駄目ですか?」

 ボテンと陶器のコップが落ちて、火酒が高価そうな絨毯にシミを作っていく。

 控えていたユズルバさんが、何事もなかったようにスッと片付け手巾で拭いていく。

「ロワさん、落ちましたよ? 」

 微動だにしないロワさんに、何かまずいことでも言ったかと心配になる。ロワさんは筋肉が多いから温かいし、凄く強いからここが一番安全な気がする。

「駄目だ。男女は二人きりになってはいけない。特に婚姻前は駄目だ」

「はぁ、たしかそんなしきたりありましたね。それならユズルバさんも一緒に眠るので、いいですよね? 」

「奥様……」

 ユズルバさんが何か言いたそうな困った表情でこちらを見た。

「それでも駄目だ。お前は何もわかっていない。一番危険なのはこの天幕だ」

「そうなのですか。それじゃしょうがないですね。(湯たんぽ代わりにできなくて)残念だなぁ」

「ぐっ……私も非常に同感だ」

 なんだ、ロワさんも寒いんじゃない。ロワさんの天幕が危険なのは、指揮官が狙われやすいからかな? 寒い時は家族でひっついて寝るのが一番なのにね。小さい時両親と姉と一緒に寝ていたのを思い出してほっこりした。

 頬を緩める私の背後で、何故かユズルバさんが重い溜息をついていた。

 はて?



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

クソつよ性欲隠して結婚したら草食系旦那が巨根で絶倫だった

山吹花月
恋愛
『穢れを知らぬ清廉な乙女』と『王子系聖人君子』 色欲とは無縁と思われている夫婦は互いに欲望を隠していた。 ◇ムーンライトノベルズ様へも掲載しております。

奥手なメイドは美貌の腹黒公爵様に狩られました

灰兎
恋愛
「レイチェルは僕のこと好き? 僕はレイチェルのこと大好きだよ。」 没落貴族出身のレイチェルは、13才でシーモア公爵のお屋敷に奉公に出される。 それ以来4年間、勤勉で平穏な毎日を送って来た。 けれどそんな日々は、優しかった公爵夫妻が隠居して、嫡男で7つ年上のオズワルドが即位してから、急激に変化していく。 なぜかエメラルドの瞳にのぞきこまれると、落ち着かない。 あのハスキーで甘い声を聞くと頭と心がしびれたように蕩けてしまう。 奥手なレイチェルが美しくも腹黒い公爵様にどろどろに溺愛されるお話です。

【R18】国王陛下はずっとご執心です〜我慢して何も得られないのなら、どんな手を使ってでも愛する人を手に入れよう〜

まさかの
恋愛
濃厚な甘々えっちシーンばかりですので閲覧注意してください! 題名の☆マークがえっちシーンありです。 王位を内乱勝ち取った国王ジルダールは護衛騎士のクラリスのことを愛していた。 しかし彼女はその気持ちに気付きながらも、自分にはその資格が無いとジルダールの愛を拒み続ける。 肌を重ねても去ってしまう彼女の居ない日々を過ごしていたが、実の兄のクーデターによって命の危険に晒される。 彼はやっと理解した。 我慢した先に何もないことを。 ジルダールは彼女の愛を手に入れるために我慢しないことにした。 小説家になろう、アルファポリスで投稿しています。

【完結】【R18】男色疑惑のある公爵様の契約妻となりましたが、気がついたら愛されているんですけれど!?

夏琳トウ(明石唯加)
恋愛
「俺と結婚してくれたら、衣食住完全補償。なんだったら、キミの実家に支援させてもらうよ」 「え、じゃあ結婚します!」 メラーズ王国に住まう子爵令嬢マーガレットは悩んでいた。 というのも、元々借金まみれだった家の財政状況がさらに悪化し、ついには没落か夜逃げかという二択を迫られていたのだ。 そんな中、父に「頼むからいい男を捕まえてこい!」と送り出された舞踏会にて、マーガレットは王国の二大公爵家の一つオルブルヒ家の当主クローヴィスと出逢う。 彼はマーガレットの話を聞くと、何を思ったのか「俺と契約結婚しない?」と言ってくる。 しかし、マーガレットはためらう。何故ならば……彼には男色家だといううわさがあったのだ。つまり、形だけの結婚になるのは目に見えている。 そう思ったものの、彼が提示してきた条件にマーガレットは飛びついた。 そして、マーガレットはクローヴィスの(契約)妻となった。 男色家疑惑のある自由気ままな公爵様×貧乏性で現金な子爵令嬢。 二人がなんやかんやありながらも両想いになる勘違い話。 ◆hotランキング 10位ありがとうございます……! ―― ◆掲載先→アルファポリス、ムーンライトノベルズ、エブリスタ

かつて私を愛した夫はもういない 偽装結婚のお飾り妻なので溺愛からは逃げ出したい

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
※また後日、後日談を掲載予定。  一代で財を築き上げた青年実業家の青年レオパルト。彼は社交性に富み、女性たちの憧れの的だった。  上流階級の出身であるダイアナは、かつて、そんな彼から情熱的に求められ、身分差を乗り越えて結婚することになった。  幸せになると信じたはずの結婚だったが、新婚数日で、レオパルトの不実が発覚する。  どうして良いのか分からなくなったダイアナは、レオパルトを避けるようになり、家庭内別居のような状態が数年続いていた。  夫から求められず、苦痛な毎日を過ごしていたダイアナ。宗教にすがりたくなった彼女は、ある時、神父を呼び寄せたのだが、それを勘違いしたレオパルトが激高する。辛くなったダイアナは家を出ることにして――。  明るく社交的な夫を持った、大人しい妻。  どうして彼は二年間、妻を求めなかったのか――?  勘違いですれ違っていた夫婦の誤解が解けて仲直りをした後、苦難を乗り越え、再度愛し合うようになるまでの物語。 ※本編全23話の完結済の作品。アルファポリス様では、読みやすいように1話を3〜4分割にして投稿中。 ※ムーンライト様にて、11/10~12/1に本編連載していた完結作品になります。現在、ムーンライト様では本編の雰囲気とは違い明るい後日談を投稿中です。 ※R18に※。作者の他作品よりも本編はおとなしめ。 ※ムーンライト33作品目にして、初めて、日間総合1位、週間総合1位をとることができた作品になります。

色々と疲れた乙女は最強の騎士様の甘い攻撃に陥落しました

灰兎
恋愛
「ルイーズ、もう少し脚を開けますか?」優しく聞いてくれるマチアスは、多分、もう待ちきれないのを必死に我慢してくれている。 恋愛経験も無いままに婚約破棄まで経験して、色々と疲れているお年頃の女の子、ルイーズ。優秀で容姿端麗なのに恋愛初心者のルイーズ相手には四苦八苦、でもやっぱり最後には絶対無敵の最強だった騎士、マチアス。二人の両片思いは色んな意味でもう我慢出来なくなった騎士様によってぶち壊されました。めでたしめでたし。

処理中です...