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20.ようこそ赤ちゃん*

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 灯籠から漏れる光が、弱々しくロミさんの家族を照らしている。

 私がその部屋に入ると、ロミさんの旦那さんが勢いよく立ち上がった。心配が身体中から溢れ出ている。

 私は安心させるように、努めて穏やかに語りかける。

「お産は順調に進んできました。後もう少しで赤ちゃんが誕生します。そこで、旦那さんにお願いがあります。ロミさんは旦那さんに側についていて欲しいそうです。旦那さんが立ち会う習慣がないことは知っています。しかし、彼女を勇気付けるため、一緒に来てはいただけませんか? 」

 ご家族に向かって誠意を持ってお願いする。ロミさんは肌の色からいって、きっとノーグマタではなく、別の土地から来たお嫁さんだ。ただでさえ慣れない場所なのに、命をかけて出産しなければならないのだ。その不安をどうにかして和らげてあげたかった。旦那さんとの関係は分からなかったが、強い結びつきがあるのは見ていてわかる。

「わかりました。彼女のためならなんでもいたします」

 大柄な旦那さんはサッと動いて私の元へ歩いてきた。

「ありがとうございます」

 夫という強い援軍も得られた。

 さぁ、問題はこれからだ。

 大きな児の場合、頭は娩出できても肩が母体の恥骨に引っかかって肩甲難産となる可能性がある。特殊なマクロバーツ体位をとらせても娩出困難な場合には、用手で回旋を助けなければならないかもしれない。たった助産師経験5年目の私にできるのかわからない。神の手と言われた産科医のおじいちゃん先生の顔が浮かぶ。

 先生……助けてください。

 私にはできません。

 急に吐き気が込み上げて慌てて表に飛び出した。

 我慢出来ず、少し嘔吐する。

 目の前には、真っ暗な闇。

 怖い……。

 どうしようもなく怖い……。

 私の失敗で命が失われるかもしれないなんて。

 震える右手を左手で抑え込もうとするがうまくいかない。

 目をきつく閉じてそれから開く。

 凝る闇の中、そこにはいつのまにかロワさんが立っていた。以前の盗賊の頭の姿はどこにもなく、恐ろしく背が高い堂々たる美丈夫だ。端整な顔を心配げに曇らせて、私の肩を抱いた。

「どうした」

 どうしてだろう、ロワさんの顔を見たら恐怖が少し和らいだ。

 そうだ、すぐ戻らないと。

 今は時間が少しでも惜しい時に何をやっているんだ私!!

 バチン!! と両手で頰を叩いて気合いを入れる。

「もうすぐ赤ちゃんが生まれます。ロワさん、私行ってきますね! 」

「お前ならできる」

 室内にとって返す私の背を、今一番欲しい言葉が押してくれた。




 産室に戻り、口を濯いだ。手を洗浄しながら最終局面に際して、皆に指示を飛ばす。

「旦那さん、奥さんを胸に寄りかからせて座ってください。そうしたら、ロミさんと一緒に呼吸法をしましょう。呼吸を忘れたら声をかけてあげてください。ユズルバさん、赤ちゃんのお布団は温まっていますか?臍帯結紮用の糸も用意してください。サノスさん上腕までよく洗浄した後、火酒で消毒してください。それが終わったら両指を組んで待っていてくださいね。ミズルバさん腹帯と清潔な布を沢山準備しておいてください。ミーツさんあなたはご家族にお話しして、保冷石(食品を冷やすための保冷剤のような石)をいくつか借りてきてください」

 肛門圧迫をしている右手が内部から圧を受けた。ガーゼ越しに児頭を包む卵膜が膨んでいるのを感じる。

 そっと診察すると、児頭も見え隠れして排臨の状態だ。私はロミさんの腰の下とお腹の上に清潔な布を敷いて準備を進めた。

「ロミさん、これから赤ちゃんが出てきます。いきみ方は今まで通りに自然に力が入るやり方で大丈夫です。さぁ! もうひと踏ん張りですよ! 皆んなで可愛い赤ちゃんを待ってますからね」

 ここ一番の、自信に満ちた笑顔で元気づける。周りに目をやれば、立ち会う全ての人が笑顔になっていた。苦痛に呻くロミさんも眉間の皺を減らしたようだ。

 上辺は明るく振舞っている私だが、この後のことを考えると震えてくる。肩甲難産の可能性もそうだが、陣痛開始からもうすぐ三十時間近く経つため、弛緩出血のリスクが高い。

 頑張れ、ロミさん!

 頑張れ、赤ちゃん!

 私は丹田に力を溜めて分娩介助に挑んだ。

 ロミさんは大変上手に怒責いきみができた。軟産道(膣や会陰)の伸展も素晴らしく、みるみる間に児頭が現れる。

「ロミさん、もう一息で頭がでます。そうそう! 」

「ロミ……! 頑張れ! 」

 旦那さんも必死の形相でロミさんを励ましている。

「上手ですよ。……はい! 頭が出ました! 今赤ちゃんが被っている膜を破っていますからね」

 幸帽児(破水せず卵膜に包まれたまま生まれた状態)で 娩出した児は血色もよく、心配した低酸素には陥っていない様子だ。

 赤ちゃんの顔を拭いて第一啼泣にじゃまな羊水を拭う。くるんと母体の右側に回旋して第四回旋まで順調だったが、やはり肩が出ない。

 やっぱり引っかかっているのか……。

 恐れていたことが起こった。私は素早く指示を出す。

「赤ちゃんの肩が引っかかっています。旦那さん、ロミさんの太腿をお腹にくっつけて抑えてください」

 旦那さんに特にお願いしたかった役割がこれだ。大柄な旦那さんはひょいとロミさんの脚を抱え上げるとぎゅっとお腹に押し付けた。元の世界で言うところのマクロバーツ体位だ。さらにユズルバさんを呼んで恥骨上を圧迫して、恥骨の裏に入り込んだ肩を押し出してもらう。

「ロミさん、ここは頑張って力を入れてください。一度息を全部吐いて、吸って、今です! 」

 私は骨盤誘導線に沿って、非力な私の全力で赤ちゃんを牽引した。ここで大切なのは、無理な頸部の伸展に注意することだ。過度な伸展は腕神経叢の損傷につながる。しかし、このまま娩出しなければ赤ちゃんの命が危ない。緊急帝王切開ができない今、こうやって引くしかない。

 お願い!赤ちゃん、出てきて!!

 ロミさんの怒責に合わせ、祈りを込めて牽引した。

 おいで! 赤ちゃん! こっちだよ!

 ずるっと肩が狭い部分を抜けたのが感覚でわかる。

 後は、骨盤誘導線に沿ってゆっくり娩出させる。

 赤ちゃんの足で会陰を傷つけないよう、慎重に、慎重に……。

 なんて大きな赤ちゃん……。

 ロミさんと対面するように、児が娩出した。

 落ちないようにしっかり保持しつつ、臍帯を結紮し、素早く児を刺激して啼泣させる。

「ぎゃぁぁぁぁ」

 丸々した男の子は大きな大きな声を響かせ、第一啼泣(呼吸)をはじめた。赤ちゃんの声は凝った闇を打ち祓い、命の強さをこの世に示している。薄暗い室内でそこだけ輝いて見えた。

「ロミさん! 旦那さん! おめでとうございます。元気な男の子ですよ」

 この言葉を贈れる職業を、私は誇りに思う。

 赤ちゃんを胸にだかせて清潔な布で覆う。ユズルバさんに赤ちゃんを拭きながら支えているようお願いした。

 壮絶な戦いを繰り広げたロミさんは笑っていた。

 その笑みは清々しく、とても力強い。

 一方旦那さんは……号泣していた。

  涙を拭うことも忘れてロミさんと赤ちゃんを見つめている。

 さすが女性は強い。生んだ瞬間から母親の顔になっている。

 感動の対面中ではあるが、私には急いで行わなければならないことがある。子宮底を輪状マッサージしながら声をかけた。

「ロミさん、これから胎盤を出して後処理します。少し痛むかもしれませんが赤ちゃんの顔を見ていてください」

 臍帯を切断して胎盤娩出にかかる。胎児面からするんと欠損なく綺麗に娩出できた。しかし、やはり出血が多い。軟産道の明らかな裂傷はなく、子宮底が柔らかいことから、恐れていた弛緩出血だと判断した。すぐに左手を挿入して右手で腹壁越しに子宮を圧迫する双手圧迫法を行う。薬も輸血も無いこの世界ではこれ以上出血させては命に関わるからだ。

「ロミさん、出血が多いため処置を行います。旦那さん、奥さんをベットに横にならせてあげてください。枕は抜いて頭を下げた状態にです。ミズルバさん、ユズルバさんと代わって、赤ちゃんにロミさんのお乳を吸わせてあげてください。ミーツさん、保冷石を薄布でくるんで下腹部に置いてください。サノスさん、清潔なガーゼを五枚連ねて結んでください。ユズルバさん、赤ちゃんの布を取り替えて、ロミさんと赤ちゃんを保温してください」

 誰一人として、何故こんなことをするのか聞き返したりはしなかった。皆、黙々と手を動かす。


 深夜に赤ちゃんの元気な声がこだまする。お母さん頑張って! と言っているかのようで私には心強く響いた。


 結果から言うと、出血は双手圧迫ですぐにおさまった。これもロミさんの生命力の強さと、赤ちゃんがお乳をよく吸ってくれたからだと思う。乳頭刺激で下垂体後葉から分泌されるオキシトシンは子宮収縮作用があるのだ。用意した圧迫止血用のガーゼを使わずに済んで本当によかった。

 ロミさんの清拭と更衣をミズルバさん親子に任せて、私は一旦身を清めるために内庭に出た。東の空が薄群青に染まり、日の出が近いことを示している。肘まで血に染まった私は、殺人鬼もかくやという格好だろう。手と顔を井戸で洗ってロワさんの元へ行く。ロワさんは相変わらずの仁王立ちで待っていた。

「ロワさん、赤ちゃん産まれました。一晩中待たせてしまって申し訳ないです……ふふっ」

「どうした」

「なんだか安心して……っふふ、あははは。
 ごめんなさい、総督様を一晩中家の前に立たせてしまうなんて! 私はなんて罰当たりなんでしょう。一緒にいてくれてありがとうございます」

 ホッとして気が緩んだのと、心配して一晩中待っていてくれたロワさんの温かさに胸がいっぱいになる。両手を広げると、ロワさんが抱き上げてくれた。愛しい気持ちが膨らんで、身体から飛び出していきそうだ。

「愛しています」

 彼の頬を両手で挟んで、告白する。どうか感謝と愛が伝わりますように。

「私もお前を愛している。よく頑張った」

 ロワさんは力強い腕で、しっかり私を抱きしめ、涙を拭ってくれた。朝日が彼の氷色の瞳に差し込んで、私の世界を輝かせる。

 この世界で私の果たすべき役割が見えた気がした。

 今回のお産を通して様々な問題点が見えた。医療水準が低いのはしょうがないとしよう。だが、いくら安産体質とはいえ、産婆は酔っ払って寝ていたり、そんな産婆に全てを任せる風習はどうかと思う。

 落ち着いた頃、目を覚ました産婆に話を聞いた。産婆になるための資格は無く、徒弟制のように弟子入りして技術を学ぶんだとか。ロミさんは回旋異常のため、分娩遷延していたと話すと「私らは神様じゃないけ、腹ん中で赤ん坊を回したりできるもんかね。聖人様のライナとは違うんですよ」と言っていた。

 確かに、人智の及ばぬところもあるだろうが、やれることは多い。それを放棄するどころか聞く耳も持たないとは……呆れ果てた。

 今回出会った産婆が特別最悪だったと思いたい。ほかの産婆も同様であれば、産婦や新生児の死亡率は高くなるだろう。

 ロミさんの義理の両親は、評判のいい産婆として知られていたためお願いしたのだと話していた。後で秘密裏に調べたところ、評判の裏には、腕の良さだけで無く、闇のお産も引き受けていると言ったことも含まれているらしいのだ。

 闇のお産、それは望まれない子の分娩介助であったり、想像もしたくないが口減し(唾棄すべき事柄なので詳細は書きません)を請け負ったりすることだった。

 倫理に反する行為をする産婆が悪なのか、それを依頼する人間が悪なのか、それとも弱者を守れない文化水準の低い世の中が悪いのか……。

 中世のまだ薄暗い闇の中で私は泣いた。

 自分の無力を痛感して。

 消えていく命を守れなくて。

 泣いて

 泣いて

 決意した。

 この世界の母子は私が守る!
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