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二、
しおりを挟む東の空が明るくなりかけた頃に、ようやく義信は部屋に辿り着いた。
何十キロも歩き、途中放置された自転車を漕いで家まで帰ってきた。
鉛を背負ったかのように身体は重く、体の節々が軋んでいる。
家に着くなり、汚れた服を脱ぎ、ゴミ袋に丸めて捨てた。
もうこんな服を着る気にはなれない。それを風呂場に持っていき、火をつけて燃やした。
そして、すぐにシャワーを浴びた。
二十分が経っても身体に付いた泥や灰の煤、それから佐竹の血が取れないような気がした。石鹸で体をゴシゴシと何度も洗ったが、それでも気持ちが悪く、手を何度も擦りつけて、石鹸で洗った。皮膚が破けるんではないかと思うほどに。
シャワーを浴びた後、部屋で静かにしていたが、少年が目覚めたようだ。
しばらくこちらに視線を向け、何かを言いたそうに、キョロ、キョロと義信の顔を盗み見するのだが、何も言ってはこなかった。
なぜ俺はあの時、少年を殺す気でいたのに躊躇われたのだろう。自分でも不思議に思う。
「どうした?」
少年は起き上がり、壁の方にいき、そこに背をもたせかけて、天井を見つめた。
もしかしたら寝ていないのかもしれない。少年の足元が覚束ない。
「今何時だ?」
訊いてみたが、少年は答えない。
しょうがなく棚に置いた時計に目をやった。七時を指していた。いつも通りの生活をしなくてはならない。
「やばい、遅れる」
義信は急いで洗面所に向かった。
「お前はここにいればいい」
少年はまるで魚の腐ったような目を向けただけで、しばらくすると興味なさそうに俯いた。
義信は顔を洗い、それから歯を磨いた。焦りも手伝い、吐き気を感じたが、唾を吐いて、それを我慢した。
「お父さん・・・・・・」
そんな時。少年がポツリと呟いた。
義信は、手を止めて少年を見た。
「お前の父親は、もうこの世にはいない。事故で亡くなったんだ」
すると佐竹浩太が必死の形相で、洗面所に走ってきた。
「嘘だ!」
浩太は、義信の腕を掴み、揺さぶった。
「お兄ちゃんが、お兄ちゃんが―」
「俺がどうした?」
「ぼく、知ってるんだ」
義信は昨日、外出する時に、玄関の扉、それから窓を、外から固定し、脱出できないようにした。
なので中からは窓を開けること、それから玄関の扉を開けることもできない。
それにこの部屋には防音装置を取り付けてあるので、中から少々叫ぼうが、外に声が漏れることはない。だから少年の手足は比較的自由にしておいたのだ。
そんな中、少年は一人で想像を巡らしていたのだろう。俺が何をしていたのかを。
「何を?」
「増井病院で、お兄ちゃんの姿を見た。あのおじちゃんの部屋に入って行くところを、ぼくは見たんだ。
その後、看護師さんがウロウロしてたから、僕は部屋にもどったけど・・・・・・」
義信は、浩太の腕を払い除けた。
「それは何かの錯覚だ」
「いいや。この目でちゃんと見た。だから、お兄ちゃんは、あの時みたいにぼくのお父さんを殺したんだ―」
義信は嗽をして気を紛らせたが、その気は休まることなく、チクチクと胃を刺激するだけだった。
「それだったのか、警察に密告しようとしたことは」
義信がコップを所定の位置に戻すと、浩太は後ずさりし、顔を引き攣らせた。
義信は、いきなり浩太の顔面を殴りつけた。彼は後ろに吹っ飛んでいき、腰から砕け落ちた。
その後を追い、さらに俯いた頭を上から蹴りつけた。
「お前はこの家で今日一日、じっとしていろ!」
義信は叫んだ。
「外に出ていっても、お前のいく所はないし、いったとしても俺が必ず見つけ出す、わかったな」
洗面所で倒れていた浩太を担いで歩き、居間に持っていき、そして、投げ飛ばした。
「いいか、わかったか?」
浩太の顔を上げさせると、彼は震えながら肯いた。
「今日は半日で帰ってくるから、それまでの辛抱だ」
証拠はこのガキが握っていたのだ。
警察に密告されないとも限らない。やはり、殺すべきだったのだ。
そんなことを考えていると、スマートフォンに着信があった。
「はい」
義信は、電話に出た。
「今から仕事?」
瑠唯の声だ。
「ああ」
「忙しかったね。ごめんね」
「なんだ?」
少し苛立った。
「今日、兄貴が帰国するんだ」
「そうか」
必死で平静を取り戻そうとした。
瑠唯に何かあったのかを、勘ぐられてはならないし、心配してこの部屋に来る、などと言われるのだけは簡便してもらいたい。この部屋だけは、見せられないのだから。
「もしよかったら、一緒に中部国際空港に行ってくれない?
兄貴、これから忙しくなるし、毎回試合前は集中出来ないからって、人とは会わなくなるの。だから今のうちに会っておこうと思ってね」
少し考えた。
「何時だ?」
「午後の九時に到着するんだけど」
未だ考えはまとまらない。
「ちょっと、遅れそうだな」
「え~ どうして?」
「最近残業で忙しいんだ。なんとかして中部国際空港にいくから。先にいってくれても構わない」
しばらくは返答がなかった。
「どうした?」
「なんで最近そんなに忙しいの?」
瑠唯の尖った声。
「前は定時ばかりで、私とよく会ってくれていたのに。あやしくない。もしかして、ほんとのところは、今、邪険にしてるでしょ、私のこと」
「そんなことないよ。君にはわからないかもしれないが、仕事なんだ。ほんと最近忙しくてかなわん」
「冷たくなった」
瑠唯の声が小さくなった。
「前はもっと会ってくれたのに・・・・・・。私ね、今とても不安で、淋しのよ。会って話したいことだって、いっぱいあるんだから」
「え?」
聞こえないフリをした。
「ごめん。もう遅れるから、ちゃんといく。うん。国際線のターミナルでいいんだな?」
返事を訊く前に、女のヒステリックな声を消去すべく、自分の平常心を保つべく、あるいは自分が立てた予定を崩されないために、この不必要な情報ばかり送ってくる電話を切ってやった。
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