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五、
しおりを挟む「―え、なに?」
「大学って面白いですか?」
その女は興味深そうに、訊いた。
「私、中卒で就職しちゃったから。大学って憧れるんですよ」
「大学なんて、君が思っているほど、面白いところじゃないよ」
「そうですか? でも、ドラマなんか見てると、いいなって、いつも憧れるんです。
色んなことにチャレンジ出来て、視野も広くなれて。だって私みたいに早くから就職すると、あんな経験できないですから」
その女は小さくて、ガラスのように弱々しくも、陶器のように美しい、白い肌の持ち主だった。
「だからね、あなたの大学生活を聞かせてくれるだけでいいんです。友達にも自慢できるし・・・・・・」
「自慢、ね。わかった。俺はね、大学でテニス部に所属していてー」
いつも彼女は、何にでも興味を示し、瞳を大きく開き、俺が喋る言葉に一喜一憂してくれた。彼女は心が澄んでいていて、一緒にいるだけで癒された。
「へぇ~守さんって凄いんですね」
肩をそっと抱くと、それでしばらくは沈黙が落ち、彼女はその肩を小刻みに震わせた。
「そんなことないよ。誰にでも出来るさ。それより、ちょっと疲れたでしょ。そこのベンチに腰掛けようか。堅くて、冷たそうだけど、立っているよりはましだ」
「そうですね。じゃ、座ります」
素直な彼女。
「お尻、冷たくない?」
最近の女の子は挑んでくるというか、自分を強く持ち、こうしたい、という自己表現をすることに何の抵抗も感じないようだが、彼女は違った。
「いえ、大丈夫です」
ちょっと照れて、ハニカム彼女。
「良かった」
「また、来てくれますよね。私、あなたがここに来て、それで一緒にこんな風に河辺を歩いて、お喋りをしてくれるだけで、幸せな気分になれるんです」
多くを望まぬ彼女。
「ああ、また来るよ。でも、今日は寒いから、早く家に帰って暖かくして寝た方がいい。だって、君は無理をしてしまうようだからね」
その女の額に掌をやると、熱かった。
「ほら、熱が出てきたみたいだ。君の頬、こんなに寒いのにリンゴのように赤いんだもん」
「え? あ、有難う。守さんは優しいな・・・・・・見ていてくれたんですね、私のことを」
女は舌を出して、それから俯いた。
「早くよくならなくちゃ」
可愛かった。ただ、守ってやりたい、とその時は単純にそう思った。
「ああ。見てるよ。だから早く風邪を治して、クリスマスには名駅のイルミネーションを見に行こう。
あそこは毎年派手でね、とにかく豪華なんだ。名古屋に来てくれたら、案内する。そこだけじゃない。他にも案内したい所は沢山あるんだ」
「はい。楽しみにしてます」
今まで付き合ったことのない純情な子だ。自分の心が洗われるようで、それが新鮮な気持ちで、彼女を魅力的に思った。あの時はー。
きっとその時は彼女もおらず、奇遇なシチュエーションにより、出会った彼女との仲に、酔っていただけなのかもしれない。あの時は・・・・・・。
だが、なぜ、今、この身体のゆうことが利かない状況の中、あの女のことを思い出しているんだろう。自分でも不思議に思った。
―外はいまだ暗闇の中。
守はあの女のことを思い出していた。あの時は楽しかった。でも、今は・・・・・・・。
むしろ自分にとって間違った過去であったのは確かで、負い目を感じずにはいられない。
どれくらい眠っていただろう。
ほんの小一時間だろうか。
そんな時。ギィッという木が軋む音がして、病室の扉がゆっくりと開けられる気配を感じた。
何だ?
誰だ?
なぜ、こんな時間に?
未だ意識が朦朧とした中、最初は看護師の検温か何かと思ったが、違う。
扉付近に大柄な男が立っているのが薄らと視界に入った。
カーテンが開かれ、その残像がはっきりと浮かび上がった。忍び寄る危険。背筋が凍った。
気づくと同時に声を上げようとしたが、できるわけもない。
その男の左手が伸びてきて首を絞められた。死を感じた。金縛りにあったことなどなかったが、きっとこんな感じなのかもしれない。
呼吸ができず、人工呼吸器のチューブをもどかしく感じた。
相手からはっきりとした憎しみを感じた。
それも巨大な、今まで蓄積された怒りの数々が憎悪となり、この弱り切った身に襲いかかる。
だが、苦しくても、目の前にいる大きな男の手を掴み、引っ掻いてやった。
そうすれば、この苦しみから逃れられると思った。相手の腕から血が出るまで引っ掻いた。
そして、その男の首に手を廻し、力の限り、絞めた。これが僅かな抵抗だった。己の力が残っている限り、その抵抗する手を緩めない。
「あっあああ・・・・・・」
弱気な姿を曝せば、殺られる、そう思った。
意識が朦朧としていく中、光子のこと、英二や瑠唯の成長、それから会社のことが頭に浮かんだ。
それでも、やがては力が完全に抜け、両腕が垂れ下がった。もう、力が、入らない。だが、俺は、ここで死ぬわけには、いかない。ここで・・・・・・。
顔が引き攣る。
ピクピクと自分の顔ではないかのように。
ウグッッッ。
声にはならない声を絞り出し、それから、また男の腕に爪を立てて掴んだー。
実際にはそんな風に動けることなどできず、この動かぬ己の身体に、想いを込めることしかできなかった。
だが目の前の男には、その守の想いも届かなかった。
男は淡々と流れ作業のように、工場のラインで作業をするかのように、接続部分からチューブを引き離していた。
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