男たちの晩餐会

中野拳太郎

文字の大きさ
上 下
16 / 26

第七章 それぞれの人生 一、

しおりを挟む

  ―二十年後の十二月―

 その年は冬の気配を感じることもなく、いつまでも秋が居座り、十月には大型台風が続けて二つもきて、局所的ではあったが、甚大な災害をもたらした。
 
 今日も十二月にしては、暖かなか日であった。
 僕は自家製湯葉豆腐を注文し、それが来たので一口、口にした。
 顔が火照っていたのもあり、冷たくて美味しかった。
 豆乳とゼラチンで作るつるんとした喉ごしの簡単豆腐だ。
 僕はポン酢がきいたものが好きで、この料理がすぐに好きになった。
 アルコールと脂っこい匂い、それからもうもうと立ちこもる煙に、少し圧倒されるが、この部屋でなんとか、居場所を探し、そして、寛ごうとする。

「個別にはあるかもしれないが、俺ら全員が、こうやって集まるのは、二十年振りじゃないか」
 黒色の礼服を着た楢崎のルックスは、未だに崩れてはいなかった。
 年と共に刻まれた皺が、魅力的に、その場所に収まっている。
 楢崎は、まるでここが自分の部屋であるかのように、寛いでいた。
 こいつならどんな所でも、どんな状況になろうとも、生きていけるだろう。二十年経った今でもそう思える。

「二十年という年月はかなりの時間が経ったよな。
 だって、お互い、人相も変わったし、何より体型がな。
 ボクシングやっていたとは思えん。しょうがない俺ら三十八歳なんだ。歳とったよ」
 頭に白いものが目立つようになった、黒縁眼鏡の三浦が言った。

「お前、何食ってんだよ?」

「牛すじの煮込みだよ。悪いか」

「何だ、それ?」
 三浦は枝豆を肴に、はやくも二杯目の生中を飲み干していた。

「牛のすじ肉をじっくり煮込んだもので、七味唐辛子がピリッときいているんだ」
 楢崎は言った。
「さっきから気になっていたんだが、河辺一体、何だそれ? 美味しいのか」

「明太チーズ出し巻き卵だ。出し巻き卵に明太子とチーズをプラスしたもので、クリームチーズが何ともいえないんだ」
 鼻の下にあるチョビ髭を触りながら河辺が言った。

「楢崎は、顔が少し大きくなっただけだが、河辺なんか、禿げてるし、それに中年太りで、貫録出てきたよな。何だよ、その鼻の下にあるチョビ髭は。
 でも、三浦は意外と太ってねぇし、髪の毛もふさふさだ。
 近藤は、うん。そんなに変わってねえけど、でも禿げたな。河辺は前からだけど、近藤は頭頂部が危ない」
 僕は片方の唇を釣り上げた。
「近藤、お前は相変わらず、そうやって一人だけで、変わってねぇな。隠すなよ。何食ってんだ?」

 近藤はそれに答えず、もくもくと口を動かしていた。相変わらずマイペースというのか、周りに振り回されることのない、というのか、まったく影響を受けることのない男だった。
 鶏むね肉を、揚げ焼きにし、それをマヨネーズ添えしたものを一人で食べている。

「鶏マヨのねぎまみれ、だよ」
 三浦が、近藤の料理を見ながら答えた。
「これ、意外といけんだよ。この前俺も食べたから、知ってんだよ。俺のお墨付きだ。どうだ、お前も」

「いい。遠慮しとくわ」

 今日は心配された雨も降らず、予定通り僕と皆川沙織の結婚式が執り行われた。
 僕と皆川沙織が結婚したのには、それは大きなことがあり、今までに様々なことがあってのことだった。
 
 所謂、長い、長いストーリーがある。
 式は身内もろくに集まらなかったが、それは仕方がない、といえばそうかもしれないが、少し寂しいものがあった。
 だが、このように友人がつめかけてくれたお蔭で、こぢんまりとした式ではあったが、無事行われた。
 楽しみにしていた、教会前の階段で、集合写真も撮ることができたし、いうことはない。
 そして、沙織の方の友達は帰宅したが、僕の方の友人は残ってくれた。
 元共栄高校ボクシング部の面々が、結婚式場近くの居酒屋で、急遽、二次会を取り計らってくれたのだ。

「娘はどうだ?」

 高校の時のモジャモジャ頭を短く刈り、鼻の下にチョビ髭を生やした河辺が訊いた。
 顔をよく見ると、少し大きくなり、皺も増え、それなりに苦労の色が滲み出ていて、それが貫禄を醸し出していた。

「何が?」
 いきなりのことで僕は、どう答えていいのか戸惑った。

「いきなり十一歳の娘ができて、その、感想とか聞きたいわけだが、お前に懐いているのかよ、その子は?」

「まだな。あんま、交流が少なくて・・・」
 僕はしどろもどろに答えた。

「そりゃ、難しいだろ。ま、娘といってもお前とは、あかの他人なんだから」
 楢崎が胸のポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
 そうである。未だに信じられないのだが、結婚と同時に僕には、現在十一歳の娘ができたのだ。勿論、血は繋がってはいない。
 その娘、香世は、結婚式が終わると沙織の母親に引き取られ、一足先に帰宅している。
 最初こそ、母親の背中に隠れ、僕の前には出て来てくれなかったが、今ではようやく隣に並んで、一緒に歩くことができるようになった。
 それでも、二人きりになると、お互いが緊張して、口数が減るのだが。

「俺のことはいいから、お前らのことを教えてくれよ。せっかくこうして集まったんだから」
 僕は話しを切り替えるために、言った。

 今は、丁度沙織がトイレに立ち、野郎だけとなっていた。
 何処となく落ち着いた雰囲気になったので、口にしたのだろう。だが、僕はその話には正直抵抗があった。 

「お前も変わってねえな。むしろ、痩せてないか?」
 楢崎が酎ハイを手に、しんみりとした口調で言った。

「いや。数年前までは太ってたよ。でも、十五キロかな、急激に痩せたんだ」

「何でだ?」
 黒縁眼鏡に手をかけて、その後、枝豆を摘まみ、三浦が言った。
「色々と深い事情がありそうだな。聞かせろや」

「まあな。色々あってね・・・。説明すると、長い話しになる」

「何、勿体つけてんだよ。ところで、お前ら仕事は何してんだ?」
 楢崎が僕の顔色を窺いながら言った。

「俺は大工だけど」

「大工って朝早いんだろ?」
 僕は訊いた。

「まあな。大変だよ。でも、新しい家建てて、お客に喜んでもらえると、うれしいんだな、これが。お前らには、わからねぇだろうが」

「わからねぇよ。それより、お前のところは、中学の時の同級生と結婚したんだよな?」

「そうだよ。中学の時は、フッたんだけど、成人式の時に再会すると、綺麗になっててな。
 それで今度はこっちから付き合ってくれ、って言ったんだ」

「それで結婚したんだよな?」
 僕は、楢崎の結婚式に出ており、そこで友人代表として、祝辞を述べた経緯がある。

「ああ」

「子供は何人いるんだ?」

「二人だ。二人共男だよ。年は十四と十二」

「そっか。それより、お前、ほんと勿体ないよ。高校を卒業してから、ボクシングをしてないんだから」

「まあな」

「何でだよ? 大学からも誘われたのに、なぜ断ったんだ?」

「ボクシングは痛いし、それに、疲れる。それ以上でも、それ以下でもない」
 楢崎は煙りを、天井に向かって吐き出した。
「俺のことはいいから、他の奴らのことを訊けよ」

「情けねんだよ、楢崎は。せっかくいいもん持っていたのに。
 アマより、プロでやるべきだったんだ。ま、終わったことはしょうがないが・・」
 黒縁眼鏡の三浦。
「俺自身は、今花屋で修業中」

「今、って最近?」
 存在感の薄い近藤が珍しく食いついてきた。

「まあな。今まで色々やってきたからな。最初は大仏の営業。文字通り大仏を売ってきたんだ。
 で、次に宅配業者の仕分け。殆んど夜勤だったよ。あの頃は昼夜逆転の生活で、起きてるのか、寝てるのか判別に苦しんだものだ。
 そして、大型の免許を所得して、トラックの運転手をしてた時もある。
 その後、しばらく無職が続いて最近、嫁の友人の紹介で、やっと花屋に就職したんだ」

「三浦のところは、何人子供がいるんだっけ?」
 三浦のところは、入籍だけで、結婚式を行わなかった。この中で、一番早く結婚をしたのが、この三浦だ。出来ちゃった結婚だ。

「三人いるよ。高二、高一、それから中二の娘ばかり」

「そうか大変だな。嫁さんは年上だったよな? だから家じゃ、頭上がんねんだよ、女ばっかの家族だし」

「ああ。十歳離れてるよ」
 三浦はブスっとした。

「河辺のところは、まだ小さかったよな?」

「ああ、生まれて、まだ十か月の赤ちゃんだよ」

「生まれたばかりなんだな」
 僕は、河辺の結婚式にも参列した。

「うちは、子供が出来なくてな、それで不妊治療を受けて、ようやく生まれたんだ。
 嫁は、俺の二つ下なんだけど、病院に行かなきゃならなかったから働けなくて、あの時は、ほんと苦労したんだ。
 医療費はかさむし、嫁の体調が優れなかったから。
 ま、でも医療費控除があった分、助かったけどな。あれがなかったら、今頃破産してただろうな」

「そっか。仕事の方は? お前んとこ、自営業の電気屋だろ?」 

「ああ。でも電気屋って、販売の方じゃないぞ。うちの会社は工場の配線工事を請け負ったりしているんだ。
 高校を卒業してから、ずっと。親父から手解きを受け、後を継いで、今じゃ俺が社長として経営しているよ」

「かっこいいな」
 僕は正直にそう思った。

「そんなことはないさ。今じゃ不景気でな、仕事も減ってきているし、利益なんてまったく出ていない。
 それどころか赤字が続き、従業員に給料を支払うのもままならない状態なんだ。
 ここだけの話だが・・・借金抱えててな。正直取り立てにもあっているくらいだ。
 家も抵当に入っているし、このままじゃ従業員の削減に動かないと、ほんとやっていけないのが実情だよ」

「自営業も大変なんだな」
 楢崎は、かっこつけて煙草の煙を吐き出していた。

「そうだよ。で、近藤は? 今何やってんだ」

「お、お、お俺は、いいよ」
 頭頂部をしきりに気にした近藤の目は泳いでいた。高校時代よりも病的になったような気がする。
 自分の話しになると、存在を消そうと、体を小さくし、それで目立たないようにするのだ。

「もしかして、無職とか?」

 近藤は、忙しなく目を瞬かせてから何回も頷いた。頷く度に上半身も揺れていた。
 もしかしたら、社会に適応できないのかもしれない。引き籠りから脱するには、相当な覚悟と勇気を必要とする。
 なるべく早く、脱出しなければ、体力のなくなった歳になれば、そこから出られなくなってしまう。 
 果たして、近藤は、そこから抜け出せるのであろうか。少し不安を感じた。

「ずっとじゃないんだ。かれこれ、一年になるかな。
 工場でラインに入っていたこともあるし、新聞配達もやったことある。あ、そうそう牛乳配達のバイトもしたよ」

「相変わらず、人とあまり会話の必要がない仕事ばっか、してたんだな」

 近藤は小さく頷いた。

「で、今は親と一緒に暮らして、面倒を見てもらってるのか」
 楢崎が訊いた。

「うん。いけないことだと思ってはいるんだけど。人前に出ることに、抵抗があってね、どうにも・・・」

「親御さんは、いくつだよ? まだ働いているのか?」

「いや、父親が六十八で、母親は六十六。とっくに隠居してる」

「両親の年金生活か」
 楢崎が独り言のようにいった。

「皆、苦労してんだな。高校時代に、こんな自分の将来、予想してた奴いるか? 二十年後の今を」
 三浦が誰に言うでもなく、投げかけた。

 皆が首を振ると、しばらくは沈黙が落ちて、溜息と共にそれが充満し、この部屋に広がっていった。
 そして、この言葉の重みをじわじわと感じることになる。 

「一番信じられないことは、今、ここにいない奴のことだけどさ・・・」
 三浦が静かに口を開いた。








しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

乙男女じぇねれーしょん

ムラハチ
青春
 見知らぬ街でセーラー服を着るはめになったほぼニートのおじさんが、『乙男女《おつとめ》じぇねれーしょん』というアイドルグループに加入し、神戸を舞台に事件に巻き込まれながらトップアイドルを目指す青春群像劇! 怪しいおじさん達の周りで巻き起こる少女誘拐事件、そして消えた3億円の行方は……。 小説家になろうは現在休止中。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

自称未来の妻なヤンデレ転校生に振り回された挙句、最終的に責任を取らされる話

水島紗鳥
青春
成績優秀でスポーツ万能な男子高校生の黒月拓馬は、学校では常に1人だった。 そんなハイスペックぼっちな拓馬の前に未来の妻を自称する日英ハーフの美少女転校生、十六夜アリスが現れた事で平穏だった日常生活が激変する。 凄まじくヤンデレなアリスは拓馬を自分だけの物にするためにありとあらゆる手段を取り、どんどん外堀を埋めていく。 「なあ、サインと判子欲しいって渡された紙が記入済婚姻届なのは気のせいか?」 「気にしない気にしない」 「いや、気にするに決まってるだろ」 ヤンデレなアリスから完全にロックオンされてしまった拓馬の運命はいかに……?(なお、もう一生逃げられない模様) 表紙はイラストレーターの谷川犬兎様に描いていただきました。 小説投稿サイトでの利用許可を頂いております。

切り札の男

古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。 ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。 理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。 そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。 その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。 彼はその挑発に乗ってしまうが…… 小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

処理中です...