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第七章 それぞれの人生 一、
しおりを挟む―二十年後の十二月―
その年は冬の気配を感じることもなく、いつまでも秋が居座り、十月には大型台風が続けて二つもきて、局所的ではあったが、甚大な災害をもたらした。
今日も十二月にしては、暖かなか日であった。
僕は自家製湯葉豆腐を注文し、それが来たので一口、口にした。
顔が火照っていたのもあり、冷たくて美味しかった。
豆乳とゼラチンで作るつるんとした喉ごしの簡単豆腐だ。
僕はポン酢がきいたものが好きで、この料理がすぐに好きになった。
アルコールと脂っこい匂い、それからもうもうと立ちこもる煙に、少し圧倒されるが、この部屋でなんとか、居場所を探し、そして、寛ごうとする。
「個別にはあるかもしれないが、俺ら全員が、こうやって集まるのは、二十年振りじゃないか」
黒色の礼服を着た楢崎のルックスは、未だに崩れてはいなかった。
年と共に刻まれた皺が、魅力的に、その場所に収まっている。
楢崎は、まるでここが自分の部屋であるかのように、寛いでいた。
こいつならどんな所でも、どんな状況になろうとも、生きていけるだろう。二十年経った今でもそう思える。
「二十年という年月はかなりの時間が経ったよな。
だって、お互い、人相も変わったし、何より体型がな。
ボクシングやっていたとは思えん。しょうがない俺ら三十八歳なんだ。歳とったよ」
頭に白いものが目立つようになった、黒縁眼鏡の三浦が言った。
「お前、何食ってんだよ?」
「牛すじの煮込みだよ。悪いか」
「何だ、それ?」
三浦は枝豆を肴に、はやくも二杯目の生中を飲み干していた。
「牛のすじ肉をじっくり煮込んだもので、七味唐辛子がピリッときいているんだ」
楢崎は言った。
「さっきから気になっていたんだが、河辺一体、何だそれ? 美味しいのか」
「明太チーズ出し巻き卵だ。出し巻き卵に明太子とチーズをプラスしたもので、クリームチーズが何ともいえないんだ」
鼻の下にあるチョビ髭を触りながら河辺が言った。
「楢崎は、顔が少し大きくなっただけだが、河辺なんか、禿げてるし、それに中年太りで、貫録出てきたよな。何だよ、その鼻の下にあるチョビ髭は。
でも、三浦は意外と太ってねぇし、髪の毛もふさふさだ。
近藤は、うん。そんなに変わってねえけど、でも禿げたな。河辺は前からだけど、近藤は頭頂部が危ない」
僕は片方の唇を釣り上げた。
「近藤、お前は相変わらず、そうやって一人だけで、変わってねぇな。隠すなよ。何食ってんだ?」
近藤はそれに答えず、もくもくと口を動かしていた。相変わらずマイペースというのか、周りに振り回されることのない、というのか、まったく影響を受けることのない男だった。
鶏むね肉を、揚げ焼きにし、それをマヨネーズ添えしたものを一人で食べている。
「鶏マヨのねぎまみれ、だよ」
三浦が、近藤の料理を見ながら答えた。
「これ、意外といけんだよ。この前俺も食べたから、知ってんだよ。俺のお墨付きだ。どうだ、お前も」
「いい。遠慮しとくわ」
今日は心配された雨も降らず、予定通り僕と皆川沙織の結婚式が執り行われた。
僕と皆川沙織が結婚したのには、それは大きなことがあり、今までに様々なことがあってのことだった。
所謂、長い、長いストーリーがある。
式は身内もろくに集まらなかったが、それは仕方がない、といえばそうかもしれないが、少し寂しいものがあった。
だが、このように友人がつめかけてくれたお蔭で、こぢんまりとした式ではあったが、無事行われた。
楽しみにしていた、教会前の階段で、集合写真も撮ることができたし、いうことはない。
そして、沙織の方の友達は帰宅したが、僕の方の友人は残ってくれた。
元共栄高校ボクシング部の面々が、結婚式場近くの居酒屋で、急遽、二次会を取り計らってくれたのだ。
「娘はどうだ?」
高校の時のモジャモジャ頭を短く刈り、鼻の下にチョビ髭を生やした河辺が訊いた。
顔をよく見ると、少し大きくなり、皺も増え、それなりに苦労の色が滲み出ていて、それが貫禄を醸し出していた。
「何が?」
いきなりのことで僕は、どう答えていいのか戸惑った。
「いきなり十一歳の娘ができて、その、感想とか聞きたいわけだが、お前に懐いているのかよ、その子は?」
「まだな。あんま、交流が少なくて・・・」
僕はしどろもどろに答えた。
「そりゃ、難しいだろ。ま、娘といってもお前とは、あかの他人なんだから」
楢崎が胸のポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
そうである。未だに信じられないのだが、結婚と同時に僕には、現在十一歳の娘ができたのだ。勿論、血は繋がってはいない。
その娘、香世は、結婚式が終わると沙織の母親に引き取られ、一足先に帰宅している。
最初こそ、母親の背中に隠れ、僕の前には出て来てくれなかったが、今ではようやく隣に並んで、一緒に歩くことができるようになった。
それでも、二人きりになると、お互いが緊張して、口数が減るのだが。
「俺のことはいいから、お前らのことを教えてくれよ。せっかくこうして集まったんだから」
僕は話しを切り替えるために、言った。
今は、丁度沙織がトイレに立ち、野郎だけとなっていた。
何処となく落ち着いた雰囲気になったので、口にしたのだろう。だが、僕はその話には正直抵抗があった。
「お前も変わってねえな。むしろ、痩せてないか?」
楢崎が酎ハイを手に、しんみりとした口調で言った。
「いや。数年前までは太ってたよ。でも、十五キロかな、急激に痩せたんだ」
「何でだ?」
黒縁眼鏡に手をかけて、その後、枝豆を摘まみ、三浦が言った。
「色々と深い事情がありそうだな。聞かせろや」
「まあな。色々あってね・・・。説明すると、長い話しになる」
「何、勿体つけてんだよ。ところで、お前ら仕事は何してんだ?」
楢崎が僕の顔色を窺いながら言った。
「俺は大工だけど」
「大工って朝早いんだろ?」
僕は訊いた。
「まあな。大変だよ。でも、新しい家建てて、お客に喜んでもらえると、うれしいんだな、これが。お前らには、わからねぇだろうが」
「わからねぇよ。それより、お前のところは、中学の時の同級生と結婚したんだよな?」
「そうだよ。中学の時は、フッたんだけど、成人式の時に再会すると、綺麗になっててな。
それで今度はこっちから付き合ってくれ、って言ったんだ」
「それで結婚したんだよな?」
僕は、楢崎の結婚式に出ており、そこで友人代表として、祝辞を述べた経緯がある。
「ああ」
「子供は何人いるんだ?」
「二人だ。二人共男だよ。年は十四と十二」
「そっか。それより、お前、ほんと勿体ないよ。高校を卒業してから、ボクシングをしてないんだから」
「まあな」
「何でだよ? 大学からも誘われたのに、なぜ断ったんだ?」
「ボクシングは痛いし、それに、疲れる。それ以上でも、それ以下でもない」
楢崎は煙りを、天井に向かって吐き出した。
「俺のことはいいから、他の奴らのことを訊けよ」
「情けねんだよ、楢崎は。せっかくいいもん持っていたのに。
アマより、プロでやるべきだったんだ。ま、終わったことはしょうがないが・・」
黒縁眼鏡の三浦。
「俺自身は、今花屋で修業中」
「今、って最近?」
存在感の薄い近藤が珍しく食いついてきた。
「まあな。今まで色々やってきたからな。最初は大仏の営業。文字通り大仏を売ってきたんだ。
で、次に宅配業者の仕分け。殆んど夜勤だったよ。あの頃は昼夜逆転の生活で、起きてるのか、寝てるのか判別に苦しんだものだ。
そして、大型の免許を所得して、トラックの運転手をしてた時もある。
その後、しばらく無職が続いて最近、嫁の友人の紹介で、やっと花屋に就職したんだ」
「三浦のところは、何人子供がいるんだっけ?」
三浦のところは、入籍だけで、結婚式を行わなかった。この中で、一番早く結婚をしたのが、この三浦だ。出来ちゃった結婚だ。
「三人いるよ。高二、高一、それから中二の娘ばかり」
「そうか大変だな。嫁さんは年上だったよな? だから家じゃ、頭上がんねんだよ、女ばっかの家族だし」
「ああ。十歳離れてるよ」
三浦はブスっとした。
「河辺のところは、まだ小さかったよな?」
「ああ、生まれて、まだ十か月の赤ちゃんだよ」
「生まれたばかりなんだな」
僕は、河辺の結婚式にも参列した。
「うちは、子供が出来なくてな、それで不妊治療を受けて、ようやく生まれたんだ。
嫁は、俺の二つ下なんだけど、病院に行かなきゃならなかったから働けなくて、あの時は、ほんと苦労したんだ。
医療費はかさむし、嫁の体調が優れなかったから。
ま、でも医療費控除があった分、助かったけどな。あれがなかったら、今頃破産してただろうな」
「そっか。仕事の方は? お前んとこ、自営業の電気屋だろ?」
「ああ。でも電気屋って、販売の方じゃないぞ。うちの会社は工場の配線工事を請け負ったりしているんだ。
高校を卒業してから、ずっと。親父から手解きを受け、後を継いで、今じゃ俺が社長として経営しているよ」
「かっこいいな」
僕は正直にそう思った。
「そんなことはないさ。今じゃ不景気でな、仕事も減ってきているし、利益なんてまったく出ていない。
それどころか赤字が続き、従業員に給料を支払うのもままならない状態なんだ。
ここだけの話だが・・・借金抱えててな。正直取り立てにもあっているくらいだ。
家も抵当に入っているし、このままじゃ従業員の削減に動かないと、ほんとやっていけないのが実情だよ」
「自営業も大変なんだな」
楢崎は、かっこつけて煙草の煙を吐き出していた。
「そうだよ。で、近藤は? 今何やってんだ」
「お、お、お俺は、いいよ」
頭頂部をしきりに気にした近藤の目は泳いでいた。高校時代よりも病的になったような気がする。
自分の話しになると、存在を消そうと、体を小さくし、それで目立たないようにするのだ。
「もしかして、無職とか?」
近藤は、忙しなく目を瞬かせてから何回も頷いた。頷く度に上半身も揺れていた。
もしかしたら、社会に適応できないのかもしれない。引き籠りから脱するには、相当な覚悟と勇気を必要とする。
なるべく早く、脱出しなければ、体力のなくなった歳になれば、そこから出られなくなってしまう。
果たして、近藤は、そこから抜け出せるのであろうか。少し不安を感じた。
「ずっとじゃないんだ。かれこれ、一年になるかな。
工場でラインに入っていたこともあるし、新聞配達もやったことある。あ、そうそう牛乳配達のバイトもしたよ」
「相変わらず、人とあまり会話の必要がない仕事ばっか、してたんだな」
近藤は小さく頷いた。
「で、今は親と一緒に暮らして、面倒を見てもらってるのか」
楢崎が訊いた。
「うん。いけないことだと思ってはいるんだけど。人前に出ることに、抵抗があってね、どうにも・・・」
「親御さんは、いくつだよ? まだ働いているのか?」
「いや、父親が六十八で、母親は六十六。とっくに隠居してる」
「両親の年金生活か」
楢崎が独り言のようにいった。
「皆、苦労してんだな。高校時代に、こんな自分の将来、予想してた奴いるか? 二十年後の今を」
三浦が誰に言うでもなく、投げかけた。
皆が首を振ると、しばらくは沈黙が落ちて、溜息と共にそれが充満し、この部屋に広がっていった。
そして、この言葉の重みをじわじわと感じることになる。
「一番信じられないことは、今、ここにいない奴のことだけどさ・・・」
三浦が静かに口を開いた。
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