時空の歪み

中野拳太郎

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△△△ ぼくは亀  1

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 アパートを出て、一方通行の細い道を歩いた。やがて金物屋が見えてくる。それを左折し、大きな道路に出る。ようやく駅が見えてくるので、そこへ向かった。
  何人もの人が僕と同じように無表情で、駅に足を向けているのを見かけた。

  いつもの光景が広がっている。うんざりだ。今日も変わらぬ一日が始まろうとしているのだから。
  ただ、それでも、いつもより金山駅周辺に人が集まっていることに気づいた。そりゃ朝のラッシュアワーだ。人が多いことには頷ける。
 しかし、いつもの二倍、いや、ひょっとすると三倍近く多いような気がした。まるでこの金山に全ての人間が集ってくるかのように。なぜだろう?
  コンビニから四十代のスーツ姿の男が突然出てきた。ぼくは、その男を寸前のところで、避けたが、相手は何も言わず、歩き去っていった。
  ぼくは溜息をつき、駅へと向かった。





「今日何時に帰ってくるの?」

 歯磨きをしているんだから、答えられないよ。

「ね、何時って、訊いてるでしょ」

 もう一度、訊いてきた。そろそろ答えないと、彼女の機嫌を損ねかねない。
 
「わからない!」

 こっちも大声で言う。

「ちゃんと教えてよ。料理の支度だってあるんだから。それに合わせて、買い物だって切り上げて来なくちゃならないのよー」

 先程の由梨とのやり取りが、脳裏に甦ってきた。

  時々思う時がある。これはデジャブ既視感きしかんなのではないか、と。
 睡眠不足や疲れが溜まっている時に感じるもので、いや、ぼくはもしかしたら、二重人格なのではないかとさえ思う時もある。
  強い自分。弱い自分。どれも自分なんだ。自分を表現するのを俺であったり、時にはぼくであったりと、まるで統一感のない自分に嫌気を感じることもある。なんなんだろう。
 時々、精神が不安定になる時があって、不安で呼吸困難に陥るときもある。

  一度病院に行って、診てもらわなくてはいけないのかもしれない。いや、昔からそうだった。小さな時からそうだった。

  ぼくは前日までは明るく、笑ったり、多くを語ったりしていても、翌日になると気分がひどく落ち込み、塞いでしまうことがあった。
  感情の起伏が激しく、自分をコントロールできないのだ。これは人には、説明できない苦しみだ。
  その苦しみがぼくの中には存在している。実際、今日も塞ぎモードに入っている。

  とにかく、今日も寝不足がたたり、頭も重く、足取りも重かった。
  普通ならアパートから駅まで七分で着く所を、今日は十分を要してしまった。それに、自動改札口でも、定期を落してしまい、通すのに時間がかかってしまった。
  気が乗らない時にはこんなものだ。





「堤か?」

 電話をとった。最初は誰かと思った。

「誰?」

「誰って、いやによそよそしいじゃないか」
 
 着歴に目を通すと、鴨川とあった。

「一体何の用? この忙しい時間帯に。鴨川はいいよな。でもこっちは社会人なんだ、電話をかけてくるのなら、もっと相手のことを考えてくれないと困るよ」

「何だよ。その言い方は? 俺たち親友だろ。今日のお前、いやに冷たいじゃないか」

「何も冷たくないよ。ただ、電話を掛ける時間を考えてくれればいい、といっただけだよ。
  例えば、仕事が終わり、夕食を食べ終え、ゆっくりと寛げれる九時頃であったのなら。
  そりゃ、いい助言を言えたかもしれないのに、今は・・・・・・。どうしたの、何か悩みでもあるの?」

「つれないな。もういいよ。急いでるみたいだから。ああ、忙しい男はいいよな。済まないな、どうせ、俺は、暇人だよ。なんだよ、その上から目線は」

 そういって電話が切れた。

  何かいいたかったのだろう。あるいは、何かを聞きたかったのかもしれない。こんな時間に電話してきたのだから。ああ、気になる。
  しかし、こちらから電話する余裕、時間なんかはない。もういい。その内忘れるさ。ぼくは、時計を見た。七時十分。急がなくては。



「うわっっ」

 突然大きな揺れを感じた。

   最初は眩暈かと思ったが、違う。確かに地面が揺れていた。階段の手摺りをしっかりと握り、その揺れに耐えた。
  ガタガタという何かがぶつかる音がした。叫び声も一緒になって聞こえてきた。
  歩いている通行人であったり、おろおろとする駅員だったり、切符を購入するために、券売機の前であたふたする人。その誰もが一瞬立ち止まった。そして、揺れが収まるのを待つ。

「きゃ!」

「うわっ。ヤベえぞ!」

「地震だ!」

  周期の長い横揺れの地震だった。階段の手摺を強く握るが、それも揺れているようだった。こんなことは初めてだった。
  遠くから伝わるこの地鳴り。建物が揺れ、そして、傾くような地響きが襲ってくる。
ゴオォォッという耳鳴りが消えず、いつまでも鼓膜にへばり付いているようだった。怖いー。

  一瞬にして、金山駅がパニックに陥った。視界が揺れていた。足腰が震え、立っていられないほどだった。
  脳裏に何処かの体育館で避難する映像が浮かんできた。見知らぬ人ばかりが周りに沢山いて、何時間も動かない映像がー。
  そこには由梨もいなければ、ぼくの知っている人間は誰もいなかった。そりゃそうだ。こんな所で、地震に合い、避難所に行けば、ぼくはただの一人の人間に過ぎない・・・・・・。



  そんな時だ。六番ホームに向かう階段を降りる所で、七十過ぎの老婆がゆっくり、ゆっくり階段の段差を確かめるように降りていく。
  じっとしていればいいものをなぜ動く。僕はそんなことを思いながら自然に体が動いていた。いまだ少しの揺れを感じていたが、ぼくは走った。

  そして、老婆の肩に手をかけた。

「あっ!」

 ぼくは、寸でのところで、その老婆を支えた。

「大丈夫ですか」

 老婆が足を滑らせ、転ぶところをぼくが救ったのだ。

「ああ、怖かった。もう少しで、落ちていく所だったわ」

 老婆の息使いが荒かった。

「助かったわ。ほんとありがとね」



 揺れを感じることがなくなっていた。どうやら落ち着いたようだ。

「もう、いいですよ。でも、おばあちゃん、気をつけてよ。わりと大きな揺れだったから・・・・・・こういう時はじっとしてなきゃ。
  あ、ヤバい。ぼく、急がなくちゃ、先に行きます。会社に遅刻するから」

「あなたも、気を付けてね」

 老婆は、優しく言った。

 ぼくは先を急いだ。階段の下までやってくると、いつも乗る地下鉄がホームにやってくるところだった。
  早く、早くホームへ。あんなおばあちゃんに構っているから、遅れたんだ。



 ふと、本当に今、地震が起きたのであろうか?

  そんなことを思った。皆が動揺することなく、自然に動いているのを見ると、そう思わされる。 いや、もしかしたら・・・・・・この駅の一部分だけが地震に見舞われたのではないか。
  それは、この金山に、いつもと違い、比べようもないほどの人が集まってきたからなのかもしれない。それで、地球の地面がその重さに耐えられず、地面が歪み、それで、地震を引き起こしたのかもしれないし、もしかしたら時空の歪みをもたらしたのかもしれない。

  ぼくは首を傾げながら、歩いた。

 目の前に大柄な男が立っていた。やや強引に交わすと、肩と肩がぶつかる。謝るより、電車に向かった。そんな、暇はない。
 ホームには長蛇の列が地下鉄の口に吸いこまれていた。ぼくもその口へ引き込まれる・・・・・・。
一番後ろにいた女が地下鉄に乗ろうとしている。早く、その女に続けといわんばかりに、急いだ。

だが、そこで、扉が閉まろうとしていた。

「ちょっと待ってくれ」

 扉に両手をつき、開けようとしたが、無情にもその口は、ゆっくりと、だが、確実に、閉じていった。

 ぼくの前に、電車に乗り込んだ女と、ガラス越しではあったが、目が合った。

   茶系のコートに黒のパンツスタイルが似合うショートカットの落ち着いた女だった。 ハッとした。タイプかもしれない。ボーイッシュな髪型に切れ長の目。

   目が合った。ドキリとした。

   だがその後、彼女が、一瞬笑ったような気がしたー。

 ぼくは、溜息を付き、肩を落した。

   その時だ。背後に気配を感じた。すると、ゆっくりと肩を叩かれた。さっきの大柄の男か。振り返るな。殴られる、そんな不安が頭を過った。

「君、急ぐのは、いいが、人とぶつかったり、最悪、地下鉄にかれるかもしれんぞ。これからは、気を付けるんだな」

 振り返ると、怖い顔ではなく、冷静な顔つきで話していることで、ぼくは、ほっと安堵した。

「済みません」





 時間が過ぎていく。

  それと共に後ろの列がどんどんと増えていった。じれていた。おかしい・・・・・・。
 いくら待っても次の電車が来ない。五分後にくる地下鉄が二十分経っても来ない。これはおかしいぞ。本気で思ったし、焦ってきた。




「地下鉄が大変遅れております。只今名城線伝馬めいじょうせんてんま町で人身事故が発生しましたー」



「何だよ」

 そこかしこで声が上がった。

「どういうことだ?」 

「もしかして、飛び降り?」

「こりゃ、参ったな。このまま地下鉄が動かないなんてことが・・・・・・」

 何かがおかしい・・・・・・。

  ぼくの知らない何処かで、その何かが動き出しているような、そんな気がした。
  来るはずの地下鉄がいくら待ってもこない。このままでは会社にいけず、遅刻してしまう。そしたら仕事は遅れ、皆に迷惑をかけてしまう。どうすればいい。

  歯車は、ゆっくりと反対方向に廻り続けているようだった。何でもないはずの日常がゆっくりと、だが音を立てて、変化を見せる。これから非日常の世界へ、飛び込んでいくのを、感じ取ったのは、この僕だけだろうか・・・・・・。

  周りの人を見ても、誰も変わらない顔で、日常を取り戻そうと,平静な顔つきでいるような気がした。 
  地震があり、人身事故があったというのに。
  しかし、ぼくだけは、それに付いていけず狼狽えていたに違いない。その、これから始まるパラレルワールドの入口に対して。
  



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