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しおりを挟む兄ちゃんはたびたびいなくなる。お仕事だよ、と兄ちゃんは言う。帰ったらたぁくんの食べたい物を作ってあげるからね、おりこうに待っておくんだよ、と。
僕も行くよ、と僕は言う。外の世界に行ってみたい。本の世界に広がる学校だとか、遊園地だとか動物園に一度でいいから行ってみたい。僕はこの家しか知らない。二つの部屋に、台所に風呂、それにトイレに洗面所、これだけだ。
この空間の中で僕はたくさんの絵本や童話や生き物図鑑などを読みふけり、国語や算数のドリルに励んできた。家にいる時兄ちゃんは僕の隣について丁寧に勉強を教えてくれたし、時にはギターや電子ピアノの弾き方を教えてくれた。図鑑に出てくる生き物達に会いたいと僕が言えば兄ちゃんは家で育てられる生き物をペットショップという所から連れて帰ってきてくれた。それは金魚やメダカだったりハムスターやインコだったりカメやザリガニだったり色々で、僕は毎日彼らの世話を焼き、彼らと話をして過ごした。
眠くなったら眠ったし、頭に物語が浮かんだらノートに書いてみたりもした。兄ちゃんの手や舌の動きによってもたらされる快楽を思い出しては自分の手でそれをして、ひとしきりそれにふけった。
いつ雨が入り込むか分からないからね。兄ちゃんは言う。だから窓を開けたらいけないし、玄関なんかは絶対に開けたらだめだ。たくさんの雨がたぁくんの身体に突き刺さって痛い思いをするからね。僕はこくりと頷いて、そんな僕の頬を兄ちゃんは撫でる。ゆったりと、笑いながら。兄ちゃんの笑みを見るたびに僕も笑う。伝染したかのように。
兄ちゃんが歩いてゆく。スーツというものを着た兄ちゃんのそのさまは颯爽としていて、僕もいつかあんなふうになるのかなと、窓の中から僕は思った。
兄ちゃんに教えてもらったのは随分前のことであったが今ではもはや病みつきというものである。頬も耳も火照り、心臓は高鳴り呼吸は乱れ、液状のものが飛び散る頃には身体中に汗をぐっしょりかいている。ソファーに背中を預けて荒い息を整えながらふとあるものが視界に入ったから僕はすぐさま身を起こして下着を上げ、露出していたものをしまった。そんなことばかりして、と言われたような気がする。机の上に広げてあった読みかけの絵本のほうからだ、そのページにはママというものの絵が描かれてあった。
迂闊だった。次からは布団を被ってしようと思った。生き物達のいる部屋では絶対にしない。
なんで僕にはパパとママがいないの? いつだったか僕は兄ちゃんにそう尋ねたことがある。絵本にはパパやママというものがよく登場した。遠くにいるんだよ、と兄ちゃんは答えた。もう会えないんだ、とも。
兄ちゃんにはパパとママがいるらしい。兄ちゃんの回答はいつものように、さあてな、忘れた、なんて調子だったわけだが、その存在は窓から見えた。
朝や夕方、兄ちゃんと僕が暮らす家の下から車というものが這い出てきたり潜り込んできたりする。ガレージというものらしい、そしてその上にある建物が僕らの暮らす家というわけだ。車の中から出てくる人達は決して僕らの家まで上がってくることはなく真っすぐに自分達の暮らす家に向かう。庭というものを挟んだ向こう側に彼らの家はある。兄ちゃんは何も言わないが、彼らの住む家が母屋というやつで、僕らの住む家が離れというやつなんだろうなと僕は思った。何かの本でそういうつくりの家について学んだ。
彼らの家にはパパやママのほかにもう一人の住民がいた。いまだに背中しか見たことがないがほっそりとした黒髪の女の人であるのは確かであった。パパとママの娘だろうか、ということは兄ちゃんのきょうだいか。妹、というやつだろう、おそらく。
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