先生は海の匂いがした 〜兄は僕を愛し、支配した。そんな兄が殺された。殺したのは兄の教え子であり、僕の同級生だった〜

西浦夕緋

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 まったくもって余裕なのである。篤史の耳元に崢は口を寄せた。
「おまえを起用しないわけにいかないからな。二年のぼんくらはあまりにもへぼだ」
 引退した三年生と同様、二年生までもぼんくらだとかへぼと描写し崢は笑うのである。辺りに聞こえていやしないか篤史はひそかに周囲に目を配った。縦じまのユニフォーム姿の部員達は素振りに励むのみだ、バットが風を切る音が勇ましかった。

「最初は様子見としてへぼを先発に起用するが、間もなくおまえに代える。そのつもりでいろ」

 篤史の投球練習が始まるのを二年生のキャッチャーは黙って待っている。篤史への崢の指示が終わるのをじっと待っているわけだ。有言実行、崢は今や完全なる投手コーチとなっていた。篤史の投じる変化球、エグいと表現されるそれを作り出した者としてチーム内で名を馳せた。そうしてチームにとって必要な存在となったわけだ、その証拠として、この試合、投手陣には俺が指示を出します、との崢の言葉に皆が頷いた。二年生も、キャプテンをも頷かせたわけだ、桐原崢の言うことだ、と。このチームに年齢は関係ない。

「おまえには一球ずつ球種の指示を出す。投げる前に必ず俺を見ろ」
 監督不在の練習試合だ、崢の作る試合となる。

 夏は過ぎた。しかしながら太陽は真っ向から照りつけた。それでいて崢はあまりにも涼しかった。そこにはやはり風鈴の音があった。
 こぶし同士を当て合った。言葉はない。ついてこいよ、崢はその目でそう言って、篤史は頷いた。
 崢の作る試合である。必ずや、成功させる。




 崢がマウンドに送り出した先発投手は悪くはなかった。最初こそ制球が定まらず、四連続フォアボールによる押し出しで自爆、その後はバッティングピッチャーかのごとく打たれ続けて点を失いはしたが冷静さは失っていなかった。徐々に制球が安定し始め打線が静まり始めた。それでも崢はピッチャー交代を告げた。先発投手のスタミナの不安、それに伴う大量失点の危惧、そして篤史への絶対的な信頼である。

 篤史は五回からマウンドに上がることとなった。用心の為であろう、崢の指示により登板直前にバッテリー間のサインをすべて変えた。念には念を、である。必ず勝つ、崢の意志が確かに宿っている。
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