46 / 111
罠
13
しおりを挟む
「監督が邪魔だったって」
声が震える。知らぬ間に篤史の両方の手は自分のそれぞれの膝の上でこぶしを握っていた。それを見やったのちに崢は篤史の目元に視線を戻し、笑う。ふっ、と。目は笑わぬままだ。
「そうだな、確かに邪魔だった」
首を傾げるようにして篤史の目を見ながら崢は肯定する。
「おまえと疎遠になっちまってた」
「あんなこと」
「大したことじゃない。ありゃ監督の自爆だ。誘いに乗ったのは監督だろう、知ったこっちゃない。正直、うまくいくとは思ってなかった。こっちのほうがびっくりだ」
「監督を消したのは、」
声が掠れる。二つ目の質問に入っていた。知らぬ間に左手が右肘を掴んでいた。
「俺に肘を痛めるフォームを仕込む為だったわけだ」
崢の唇から笑みが消える。
「もう一回言え」
篤史の目を真っ向から見据えながら崢はそう言った。
薄い壁の向こうは今日も何やらやかましい。人の声であったり物音だったり色々だ、しかしそれらは耳元でうやむやになった。もはや自分がここにいないかのようにすら感じた。遠くから自分を眺めているかのような。その先にいる自分は置物のように固まり、言葉すらも誰かに操作されその結果発しているかのような、そんな印象だった。
「おまえは肘を痛めるフォームを意図的に俺に仕込んだ」
まさに兄の言葉だった。それをなぞっていた。
しばし崢は篤史の目を眺めていた。言葉の意味を考えているわけか。しばらくたったのちに、ゆったりと、実に緩慢に、その目が笑った。
「兄ちゃんがそう言ったか」
崢は聞いた。
なぜ兄だと思ったわけか。なぜすぐに兄の名が出た。崢のかつての監督でありクラスの担任であった、兄。
「兄ちゃん、兄ちゃん。何でも信じる。鵜呑みにする。盲目な弟ってやつだ」
その唇も、笑った。実に穏やかに。
言葉足らずなのである、自分でもそう思った。しかしながら短すぎる言葉は崢にしっかり届いたわけだ、崢は笑って、
「理由、考えたか」と言った。「俺がおまえの肘を壊そうとしているとして、その理由だ」
「考えても分からないから聞きに来た」
「そうだな」
ふっと、崢は笑う。あぐらをかいた足を組み直し、それから言った。
「もしもな、今もライバルだったとしたらそれもありうるかもしれない。けど考えてもみろ。今、俺らはライバルか? むしろチームメイトだろ? そして俺はマネージャーだ。張り合う理由もない。だいたいな、投手陣のざまを思い出してみろよ。へぼばかりだ。さらにおまえをへぼにしてみろ。どうなることか」
周囲に野球部の三年生らがいるわけもないというのに篤史は辺りが気になった。崢によりへぼと表現された彼らであるが、確かに今年の投手陣は最弱世代と揶揄されていた。
「散々なことになるだろうが。甲子園どころじゃない」
「監督が消えれば甲子園も消える」
「だから次の監督を待ってるんだよ」
ふわりと、崢の手が篤史の髪に触れる。その手を払うこともなかったのはその笑んだ目のせいか。声も笑んだ。ふわりと。
「次が来るまでに俺は完全な投手コーチになる。監督が口出しできないくらいの、部にとって必要な存在に。おまえの兄ちゃんがな、」
また兄の名が出るから篤史はその目を見つめる。自分の知らない兄が出てくるわけか。崢の手がゆったりと篤史の頬にまで降りてきた。やや冷えた指達だ、篤史の頬をそっと撫でる。
「監督に裏で話してたんだよ。俺を辞めさせるようにと。実際、監督から俺に何度か話があった。マネージャーの数は足りているから何とかかんとかってな。遠回しに退部しろってことだ」
自分の知らない兄。自分の知らないところで動いていたのか。あんまり言いたくなかったがな、と崢は言って篤史の頬から手を離した。笑いの混じった声で言った。
「おまえの兄ちゃんは俺のことが嫌いなんだよ。俺を潰したかった。だから中学生のうちにあれだけたくさんの変化球を仕込んで俺を壊そうとした。極めつけはフォークボールだ、中学生に投げさせた」
声が震える。知らぬ間に篤史の両方の手は自分のそれぞれの膝の上でこぶしを握っていた。それを見やったのちに崢は篤史の目元に視線を戻し、笑う。ふっ、と。目は笑わぬままだ。
「そうだな、確かに邪魔だった」
首を傾げるようにして篤史の目を見ながら崢は肯定する。
「おまえと疎遠になっちまってた」
「あんなこと」
「大したことじゃない。ありゃ監督の自爆だ。誘いに乗ったのは監督だろう、知ったこっちゃない。正直、うまくいくとは思ってなかった。こっちのほうがびっくりだ」
「監督を消したのは、」
声が掠れる。二つ目の質問に入っていた。知らぬ間に左手が右肘を掴んでいた。
「俺に肘を痛めるフォームを仕込む為だったわけだ」
崢の唇から笑みが消える。
「もう一回言え」
篤史の目を真っ向から見据えながら崢はそう言った。
薄い壁の向こうは今日も何やらやかましい。人の声であったり物音だったり色々だ、しかしそれらは耳元でうやむやになった。もはや自分がここにいないかのようにすら感じた。遠くから自分を眺めているかのような。その先にいる自分は置物のように固まり、言葉すらも誰かに操作されその結果発しているかのような、そんな印象だった。
「おまえは肘を痛めるフォームを意図的に俺に仕込んだ」
まさに兄の言葉だった。それをなぞっていた。
しばし崢は篤史の目を眺めていた。言葉の意味を考えているわけか。しばらくたったのちに、ゆったりと、実に緩慢に、その目が笑った。
「兄ちゃんがそう言ったか」
崢は聞いた。
なぜ兄だと思ったわけか。なぜすぐに兄の名が出た。崢のかつての監督でありクラスの担任であった、兄。
「兄ちゃん、兄ちゃん。何でも信じる。鵜呑みにする。盲目な弟ってやつだ」
その唇も、笑った。実に穏やかに。
言葉足らずなのである、自分でもそう思った。しかしながら短すぎる言葉は崢にしっかり届いたわけだ、崢は笑って、
「理由、考えたか」と言った。「俺がおまえの肘を壊そうとしているとして、その理由だ」
「考えても分からないから聞きに来た」
「そうだな」
ふっと、崢は笑う。あぐらをかいた足を組み直し、それから言った。
「もしもな、今もライバルだったとしたらそれもありうるかもしれない。けど考えてもみろ。今、俺らはライバルか? むしろチームメイトだろ? そして俺はマネージャーだ。張り合う理由もない。だいたいな、投手陣のざまを思い出してみろよ。へぼばかりだ。さらにおまえをへぼにしてみろ。どうなることか」
周囲に野球部の三年生らがいるわけもないというのに篤史は辺りが気になった。崢によりへぼと表現された彼らであるが、確かに今年の投手陣は最弱世代と揶揄されていた。
「散々なことになるだろうが。甲子園どころじゃない」
「監督が消えれば甲子園も消える」
「だから次の監督を待ってるんだよ」
ふわりと、崢の手が篤史の髪に触れる。その手を払うこともなかったのはその笑んだ目のせいか。声も笑んだ。ふわりと。
「次が来るまでに俺は完全な投手コーチになる。監督が口出しできないくらいの、部にとって必要な存在に。おまえの兄ちゃんがな、」
また兄の名が出るから篤史はその目を見つめる。自分の知らない兄が出てくるわけか。崢の手がゆったりと篤史の頬にまで降りてきた。やや冷えた指達だ、篤史の頬をそっと撫でる。
「監督に裏で話してたんだよ。俺を辞めさせるようにと。実際、監督から俺に何度か話があった。マネージャーの数は足りているから何とかかんとかってな。遠回しに退部しろってことだ」
自分の知らない兄。自分の知らないところで動いていたのか。あんまり言いたくなかったがな、と崢は言って篤史の頬から手を離した。笑いの混じった声で言った。
「おまえの兄ちゃんは俺のことが嫌いなんだよ。俺を潰したかった。だから中学生のうちにあれだけたくさんの変化球を仕込んで俺を壊そうとした。極めつけはフォークボールだ、中学生に投げさせた」
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お兄ちゃんはお医者さん!?
すず。
恋愛
持病持ちの高校1年生の女の子。
如月 陽菜(きさらぎ ひな)
病院が苦手。
如月 陽菜の主治医。25歳。
高橋 翔平(たかはし しょうへい)
内科医の医師。
※このお話に出てくるものは
現実とは何の関係もございません。
※治療法、病名など
ほぼ知識なしで書かせて頂きました。
お楽しみください♪♪


サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる