愛情

江花史

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小学六年の、何もかも幼稚だった頃に、私は生まれて初めて、人を本気で好きになった。その好きとは何を指すのかは、いまだなんと形容すればいいのかわからない。しかし、そんな曖昧な思いであっても、言えることは、あの時の私は彼女に、目も、音も、ましてや言葉まですらも、喜んで失ったような好意をぶつけており、それ以外の愛情表現を、私はそれっきり、したことがない。そして、知らなかった。
六時間目の授業終了を告げる鐘が鳴ると同時に、ちょんと背中に指の感覚が触れて、振り向くと、山田健太という坊主の男が、「今日学校終わったらさ、三丁目の団地とか使って鬼ごっこしよう」と言ってきて、それに私も、「いいよ。で、他に誰がいるの」と聞くと、健太は、人差し指を出して、教室の隅から隅まで水平を描きながら、
「ほとんど」
 と口にした。それに対して私は「こんな人数で迷惑にならないのか」と、一瞬頭に過ったが、しかし、健太にそのような他者を気遣う精神が備わっているのかといえば、うんと頷くことは難しく、たとえ私達が子供という身分であったとしても、それは騒いでいい理由にもならず、かといって、遊んではいけないだなんていう、一方的な大人の主張による強制的な考えも、息が詰まるもので、だが、私もこの教室にいる同級生と、年は変わらず、同じ勉学に励んでいた生徒であり、何よりまだ子供であったがために、やはり、そんな大人じみた賢さなんてすぐになくなって、好奇心に満ち溢れた子供に脳はすり替わり、健太の言うことに、私は一切口を挟むことなく、ただただ「わかった」と言って、放課後、約束の時間に、私の通う学校の児童ならばみんな馴染み深い、小さな公民館の前に集合して、入り口前の自転車置き場に、見慣れた顔が並んでいるのを遠くから見つけては、小走りで近づいた。すると、どうやら私が最後に到着したのだろう、健太が「これで揃った」と口にして、見渡してみれば、ざっと十二、三人と、人数的には十分だが、知ってる顔がちらほらいないことに気がついた。とくに、私が一番気にしていたのは、彼女だった。彼女の姿が見えない、彼女は背丈は低く、小柄で、いつも髪を一つ縛りしていて、おまけに、惹かれた異性を目で追う習慣が私にはあったものだから、彼女の存在がこの場にないことなんてすぐにわかって、すかさず私は健太の肩を尋ねて、しかし、彼女の存在だけをしつこく聞き出すのも、なんとも自分の内面を横目で見られているような思いで気恥ずかしく、何より、勘付かれることに嫌悪した私は「ねえ健太、福島は?」と、この場にいない生徒の名前を先に尋ねては、順々に一人一人の事情を聞きつつ、最後に、
「じゃあ、鎌形も習い事かなんか?」
 その、さりげなく口にした言葉は、出来上がった会話の波に見事に乗っかっており、また、健太が訝しんでいる様子はなかった。健太は、眼を空に向けて口を半開き、んーと低く声を伸ばして、そのすっぽり魂を抜かれたような面は私の問いに答えるための面であったが、しかし、何度か言葉を発する様子を見せては、口ごもり、まるで後ろめたさを包み隠す子供のような挙動が違和感を覚え、すかさず私は「健太?」と、その違和感の正体がなんなのかを健太に問うてみると「ん?」と、健太は見上げていた空から視線を私に移して、軽く首を捻り、
「どうした?」
 と私が言葉を続けると、
「いや、べつになんでもない」   
 そう、健太は苦笑いを浮かべて、言いかけた言葉を飲み込んでは、ぱんと一つ手を叩いて、その、つっぱるような短い音に、それまで飛び交っていた声の嵐はぴたりと止み、一瞬にして健太に注目の眼差しが向けられると、
「鬼決めまーす」
 と、健太は何事もなかったかのように進行を始め、ふと思い出した。
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