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14歳 人喰い狼と、告白

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「ただいま、ローザ」

 夏期休暇に会ってから半年後、キースが留学からもどってきた。
 二年前にキースがフォレストランドに旅立った時から帰国の時期は決まっていた筈なのに、ローザは一月も前からそわそわと落ち着かない様子だった。
 もっとも、マギアスが生きていた頃は半日離れただけでも散々扉の前で鳴いて待っていた私には、その気持ちがよく想像できる。
 なにをしても時が流れる速さが変わらないと分かってはいても、一分一秒が長く感じられてしまうのだ。

「おかえり、キース!」

 もどってきたキースを見て、ローザが顔を輝かせた。
 以前同様に駆け寄り、なんども「おかえり」と繰り返す。
 去年のように胸がどきどきとする感覚にはもう慣れたようだ。

「キース、また大きくなったね」
「なんだか、成長期みたいなんだ。
 たまに、骨が伸びる音が聞こえるよ」

 キースの言葉を聞いて、ローザが目を丸くした。

「え、本当? 今もする?」
「うーん、今はしないかな。夜になるとたまに聞こえる」
「骨が伸びるって、いたくないの?」
「少し痛いかな。最近は収まってきたけど、前は大変だった」

 そう言って、キースが苦笑いした。
 なんでも、夜になると膝や腰の辺りがしくしくと痛んでなかなか眠れなかったらしい。
 心配そうに眉をひそめて話を聞いていたローザがふと顔を輝かせて「じゃあ」と旅行鞄を持ち上げた。

「旅行鞄は、キースの家に送っておくね」

 そう言ってローザが手を振ると、キースの鞄はあっという間に消えた。
 もちろん本当に消えたわけではなく、魔法でキースの家に送っただけだ。
 それを見たキースが、小さく拍手をした。

「すごいね。杖なしで転移魔法が使えるようになったんだ」

 サラがよく使う転移魔法は、人間にとっては難度の高い魔法だ。
 転移先を人間も精霊もしっかりと思い浮かべる必要があるし、消費する魔力も多い。

 その上、失敗すると転移させたものがばらばらになってしまうという欠点もある。
 物質の転移は生物の転移に比べて比較的容易とはいえ、杖の補正なしで扱うのはなかなか難しい魔法だった。
 それだけ、ローザの魔法の腕が優れている証拠だ。

 褒められたことがうれしかったのか、ローザがほんのりと頬を赤く染めた。
 もじもじしながら「練習したの」と答える。

「ほら、通学の時とか便利だから。
 教科書とかノートを持ち歩かなくていいでしょ」
「あはは、確かにそうだね。羨ましいよ。
 やっぱり、ローザは魔法使いに向いてるね」
「うん、わたしもそう思う。悩んだけど、魔法使いになるのを選んで本当によかった。
 ……卒業した後、ちゃんと魔法使いになれればいいんだけど」

 そう言って、ローザが少し不安な表情をした。
 魔法使いを目指す同学年の中で、ローザは実技と座学ともにもっとも成績がいい生徒だ。
 学校の教師からも「これほどの腕を持っているなら、将来「ビブリオ」の称号を与えられる二人目の魔法使いになるかもしれない」と言われている。

 だが、サラ曰く成績がいいからといってよい仕事に就けるわけではない……らしい。
 学校の勉強と社会に出てからの活躍は直結しないのだと言っていた。
 ただ、選択肢は確実に増えるそうなのでよい成績を取ることが全く無駄というわけでもないそうだが。

 わたしには人間のいう「よい仕事」「悪い仕事」の区別はよくわからないが、ローザが望む仕事に就ければそれでよかった。
 ローザの人生は、ローザのものだ。
 彼女がどのような道を選んだとしても、満足できる道を選んだのなら文句はない。

「ローザなら大丈夫だよ」
「ありがとう。キースは、もう卒業後の進路は決まってるの?」

 ローザよりも一つ年上のキースは、今年学校を卒業する筈だった。
 早いものでは、もう様々な研究機関から声をかけられて進路が決まっている者もいるという。
 ローザの問いかけに、キースは「うん」と小さく頷いた。

「フォレストランドの研究機関で働かないかって誘われてるんだ」

 キースの返答に、ローザが一瞬黙り込んだ。
 左手が、スカートの裾をぎゅっと握ったのが見える。

「すごいね、キース!
 フォレストランドって、植物学が一番盛んなところなんでしょう。
 そこから誘われるなんて、すごい!」

 その声は普段よりも明るく、大きかった。
 いつものように笑いながら、ローザが更に問いを重ねる。

「長期休暇の時には、帰ってくる?」
「うん、その予定だよ。
 お土産をたくさん持ってくるから」
「そっか……楽しみにしてるね。
 わたしも、卒業して魔法使いになったらフォレストランドにいくから!」
「その時は、ぜひ案内するよ。
 ローザに見せたいものがたくさんあるんだ」
「キースのお話も、いっぱい聞かせてね」

 そう言って、ローザが満面の笑みを浮かべた。
 もうフォレストランドへいく時のことを想像したのか、向こうの気候や気温についてキースに尋ねている。
 その顔は、とても楽しそうに見えた。






「大丈夫か、ローザ」

 サラが夕食を作っている途中、思わずそう尋ねてしまった私にローザは「なにが?」と首を傾げた。
 食器を並べていた手を止めて、私の前に膝をつく。

「その、キースがフォレストランドで働くと聞いてさみしくないのかと思ってな……」

 留学の時にあれだけ寂しがっていたのだ。
 てっきり、今回も同じくらい寂しがるのだとばかり思っていた。

 研究の多くは、結果が出るのに時間が掛かる。植物学も例外ではない。
 留学とは違って明確な期間が決まっていない以上、フォレストランドに永住する可能性もある。
 そう言うと、ローザは困ったように笑って「わたし、もうそこまで子どもじゃないよ」と笑った。

「さっきは少しびっくりしたけど……でも、キースの夢が叶ったことの方がうれしいから。
 長期休暇の時には帰ってくるなら、今までと変わらないし」
「そうか……成長したな、ローザ」
「本当は、ちょっとだけさみしいけどね。
 でも、もう二度と会えないわけじゃないから」

 おどけるようにそう言ったローザが、床に寝そべる私の隣に座って毛皮に顔を埋めた。
 ローザの温もりと鼓動が伝わってくる。
 昔のように背中を尻尾で撫でると、ローザの手が私の腹の毛をかき混ぜるように動いた。
 時折私の毛で小さな三つ編みを作りながら、ローザが口を開く。

「パステール、海を渡ったことある?」
「あるとも。マギアスやサラと共に、時折な」

 戦争中は雪の国を離れることは出来なかったが、帝国がその力を失ってからは何度か小旅行をした。
 海の国でジェラート―――アイスクリームとは少し違う、ねっとりとした舌触りの氷菓子だ―――を食べたり、宝石の国で帝国を討ち滅ぼした古代竜を讃える唄を聴いたり、鉄の国でドワーフたちが作った工芸品を見てまわったり……。
 数百年前の出来事なので細かなことは覚えていないが、楽しかったことだけは記憶にある。

「船に乗った?」
「船?」
「うん。海を渡るには、船に乗らないといけないんでしょう。
 キースがね、最初に船に乗った時は船酔いして大変だったって言ってたの」
「ううむ、船は乗ったことがないな」

 他国へ行く時、移動手段はもっぱらマギアスの転移魔法だった。
 転移魔法を使用する際には、転移先をしっかり思い浮かべる必要がある。
 その為、転移魔法で行き来できるのは一度行ったことのある場所に限られるのだが、私が使い魔となった時にはマギアスもサラも世界のあちこちに足を伸ばしていたのだ。

 それ故、私は船に乗ったことがなかった。
 ただ、マギアスが「船は酔うけど、慣れるといいものだよ」と言っていたので、一度乗ってみたいとは思っていたのだが……。
 そう言うと、ローザは「じゃあ」と笑みを浮かべた。

「フォレストランドに行く時は、わたしもパステールも船初体験だね。
 サラにいろいろおしえてもらわないと」
「私やサラも一緒に行くのか?」
「うん。あのね、こういうのを「家族旅行」って言うんだって。
 一度、やってみたかったの」
「そうか……楽しみだな」

 家族旅行、という言葉を口の中でくりかえすと、胸の辺りが少しあたたかくなったような気がした。
 そういえば、ローザと森や銀花の街以外に出かけたことはこれまでなかったな。
 フォレストランドへはマギアスと共に行ったことがあるが、ローザと共に巡るそこはまた別の魅力があるのだろう。
 その時が楽しみでならなかった。

「それからたくさん勉強して、サラみたいに転移魔法も使えるようになりたいな。
 そしたら、いつでもキースに会いにいけるから」

 生物の転移は非常に難しい上に、危険もある。
 失敗した時に運が悪ければ、首と身体が分断されて死んでしまう恐れがあるからだ。

 その上、転移する距離が長ければ長いほどその難度は上がる。
 転移魔法で国を行き来するのは、マギアスでさえ「出来ればあまり使いたくない」と言っていたほどだ。
 魔法でキースに会いにいけるようになるまでには、長い時間が掛かるだろう。

 だが、ローザならきっとすぐに使いこなせる筈だ。
 ローザは努力家だし、古代竜から生まれた炎の精霊であるサラと魔力がないとはいえ魔狼である私の子どもなのだから。

「……でも」

 ローザがぽつりと呟いた。
 その声は、先ほどとは打って変わって暗い。

「キースに向こうで恋人が出来たら、どうしよう」
「それは……ううむ」

 卒業すれば、キースはもう大人だ。
 向こうの国で番となる人間を見つけてもおかしくはない。

 私から見れば、ローザは本当に可愛らしくて賢い自慢の娘だ。
 だが、どれほど魅力的であっても好みというのは千差万別。
 キースがローザ以外の女性と番になる可能性は十分にある。
 どうすればよいのかと考えて、思いついた。

「キースの番になればよいのではないか?」

 人間は―――正確に言えば、雪の国とフォレストランドを含む多くの国は一夫一妻制だ。
 一度番を定めたら、他に番を作ることはない。
 であれば、キースと番になればローザの不安も解消されるだろう。
 そう言うと、ローザは悩ましげに眉をひそめた。

「でも……キースは今大事な時だし」
「確かにそうかもしれないが、逆に言えば大事で無いときというのはあるのか?」

 サラの話によると、学者というのは一年中研究に追われているものらしい。
 時には複数の研究を同時進行で進めることもあるそうだ。
 学者にとって研究は大切なもの。であれば、研究をしている間は「大事なとき」になるのだろうが「大事でないとき」は果たしてくるのだろうか。

 ローザはしばらくの間、じっと考えていた。
 毛皮を弄っていた手はいつの間にか止まっている。
 どのくらい経っただろう。サラの作るシチューのよい香りが辺りに漂いだしたとき、ローザが口を開いた。

「明日、キースに言ってみる。
 振られたらって思うとこわいけど、でも言わないと伝わらないよね」
「そうだな」

 どうやら、ローザの心は決まったらしい。
 後はそれが、キースに受けいれられることを願うだけだ。

 どうか、ローザにとって喜ばしい結果であればよいのだが。





「これ、変じゃないかな」
「大丈夫よ。とてもかわいいし、似合ってるわ」

 翌日、ローザは普段よりも念入りに身支度を整えていた。
 お気に入りの服をいくつか身体の前にあてがってはサラに意見を尋ねている。
 髪には以前キースから贈られた薔薇の髪飾りがきらめいていた。

「振られたら、どうしよう……」
「振られたら、その時はその時よ。
 ローザに好みがあるように、キースにも好みがあるわ。
 ただ、それがたまたま合わなかっただけ。ローザが悪いのでも、キースが悪いのでもないの」
「うん……でも、振られたら友だちでもいられなくなっちゃうよね」
「そんなことないわ。
 私も一回振られたけど、その相手とは仲良く過ごしていたもの」
「本当?」
「ほ、ほんとうか? サラ」

 サラの声に、ローザが驚きの声を上げた。
 私も同様だ。今まで、サラが誰かに告白したなど聞いたことがない。
 サラがくすくすと笑って「そうよ」と上下した。

「だれに告白したの? 精霊?」
「精霊じゃないわ。ずっと一緒にいた相手よ」
「パステール?」
「だとしたら、相手を目の前にしてそんなこと言うわけないじゃない」

 それはそうだ。しかし、だとしたら誰がいるのだろう。
 考えこむ私とローザを促すように、サラが「ほら、行くわよ」と私たちの背を押して玄関の外に追いやった。

「早くしないと、待ち合わせに遅れちゃうわよ」
「う、うん。パステール、よろしくね」
「うむ、任せろ」

 頷いたローザが、私の背に乗った。
 その声に返事をして、森の入口に向けて駆け出す。
 サラのおかげか、街に着くまでの間ローザが再び不安を口に出すことはなかった。

 公園に着くと、既にキースがいた。
 去年と同じくベンチに腰掛け、本を読んでいる。
 こちらに気がついたキースが手を上げると、ローザが慌てた様子で駆け寄った。

「ごめんね、待った?」
「ううん、僕も今来た所なんだ。
 それで、話って? 試験のことかな」
「えっと……そうじゃなくて……」

 ローザが一瞬口ごもった後、意を決したように顔を上げた。

「あの、わたしキースが好きなの!
 だから、恋人になって……ください」

 最初は勢いのあった言葉が、段々と小さくなっていく。
 終いには俯いてしまったローザを見て、キースが困ったように笑った。

「参ったな……僕から言おうと思ってたんだけど」
「キースからって……」

 弾かれたように顔を上げたローザに、キースが優しく微笑んだ。

「昨日も言ったとおり、僕はフォレストランドにいこうと思ってる。
 いずれここに帰ってくる予定だけど、それまでは今までみたいに年に一度くらいしか会えないかもしれない。
 もちろん、頻繁に手紙は送るつもりだけど……寂しい思いをさせると思う。
 それでもよかったら、ぜひ恋人にして欲しい」

 その言葉にローザが大きく目を見開き、それから何度も頷いた。
 手を取り合う二人を見て無意識のうちに詰めていた息を吐き、その場に座り込む。

 小さかったローザがいつの間にか他の人間と番になるほど成長したことに、僅かばかりの寂しさはある。
 だが、それ以上にローザの思いが叶ったことに安堵したし、嬉しかった。
 きっと、今ほど嬉しいときはこの先ないだろう。
 そう言った私に、サラがくすりと笑った。

「馬鹿ね。この先も、今よりずっと嬉しいことがたくさんあるに決まってるじゃない」
「そうなのか?」
「もちろんよ。当たり前じゃない」

 私の頭の上をくるりと旋回して笑ったサラの言葉が真実であると知ったのは、その一年後のことだった。
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