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13歳 人喰い狼と、成長

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 夏期休暇中に、キースが帰ってくる。
 ローザがその手紙を受け取ったのは、休暇に入る直前のことだった。

「パステール、サラ! みて! 船が来たよ!」

 そう言って、ローザがつま先立ちで手を振った。
 豆粒のようにしか見えなかった船が、徐々に近づいてくる。
 その上に乗っている人影がローザと同じように手を振っているのを見て、私もサラもついつい笑ってしまった。
 幼い頃から一緒にいるせいか、どうも二人とも行動が似通った点がある。

「キース!」

 船が港についてすぐ、ローザが船に駆け寄った。
 帰国の知らせが来てから今日までずっとそわそわとしていたから、もう待ちきれなくなったのだろう。
 タラップを降りたキースに近づいて……その少し手前で不意に立ち止まる。

「ただいま、ローザ。パステールさんに、サラさんも」
「ああ、おかえり」
「元気そうで何よりね。
 どうしたの? ローザ。急に黙り込んで」

 サラが声をかけると、黙っていたローザがようやく口を開いた。

「……キース、大きくなった?」
「うん、少し……ええと、そこそこは」

 そう言って、キースが頬を掻いた。
 確かに、言われてみれば背が伸びたような気がする。
 少なくとも、去年の夏期休暇に会ったときにはまだローザと同じくらいだったはずだ。
 今は頭一つ分は差があるだろうか。

「それに、声も変わった気がする。風邪?」
「ううん、声変わり。だからもうずっとこの声だよ。きらい?」
「うーん……慣れないから変に思えるだけで、たぶん慣れたら好きになると思う」
「よかった」

 そう言って、キースが微笑んだ。
 その笑みがどことなく大人びたように思えるのは、背が伸びたり声が変わったりしたせいばかりではないだろう。
 ローザも同じように感じたようで「キース、大人っぽくなったね」と言っていた。

「かっこよくなった。前もそうだったけど」
「あはは、ありがとう。
 ローザも一段と綺麗になったね。お姫様みたいだ」

 幼い頃のローザがお姫様に憧れていたことを知っているためか、キースはよくローザを褒めるときに「お姫様みたい」という。
 以前なら「ありがとう!」と無邪気に喜んでいたローザだったが、今回は頬を薔薇色に染めて俯くだけだった。
 久々に言われて、恥ずかしくなったのだろうか。

「一週間、いるんだよね」
「本当はもっといたいんだけど、魔法植物をおいてあまり長く留守にも出来なくてね。
 魔法使いの勉強はどう? 順調?」
「うん……新しい魔法も覚えたの。いっぱい」
「そうなんだ。後で見せて欲しいな。
 僕も、ローザに見せたいものがたくさんあるんだ」
「うん……」

 どうしたのだろう。
 去年の夏期休暇―――冬期休暇の時は、こちらの積雪がひどく海も一部が凍り付いてしまったため、キースが帰省できなかったのだ―――に会ったときはあれほど喜んでずっと話し続けていたというのに、今日はやけに静かだ。
 すっかり俯いて、キースの言葉にも頷くか首を振るかしかしていない。

 私がわからなかっただけで、今のやりとりの間に喧嘩でもしたのだろうか。
 一瞬そう思ったが、二人の間に流れる空気はいつもの通り穏やかだ。
 これが喧嘩をしている者同士の空気でないことくらい、私でも分かる。
 では、急に具合が悪くなったのだろうか。

「サラ、ローザは具合が悪くなったのかもしれない。急いで休ませよう」
「大丈夫よ。見る限り、どこも悪くなってないわ」
「しかし、元気がなさそうに見えるが……」

 サラは私よりもずっと賢いし、経験も豊富だ。
 そのサラの言葉を疑うわけではないが、やはり心配だった。
 私の言葉に、サラは「身体の問題じゃないわ」といって上下に揺れた。

「気持ちの問題よ。
 もう少しだけ、様子を見ましょう。大丈夫よ、倒れることはないから」
「それならば、よいが……」

 どうやら、サラにはローザが黙り込んだ理由がわかっているらしい。
 ここはサラの言うとおり、様子を見ることにした。

 その日は一日中、ローザは元気のないままだった。

 翌日になっても、ローザの様子は前日と変わらなかった。
 魔法の練習をしたり、勉強をしたりするのはいつものことだが、どこか上の空なのだ。
 頻繁に鏡の前に行っては鏡をじっと睨んで首を横に振ったり、いつもは簡単にこなせるはずの魔法を失敗したりとローザらしくない。
 何より、せっかくキースが帰ってきているのに遊びに行こうともしないのは妙だ。

「キースと遊びに行かなくともよいのか、ローザ」
「うん……いいの。
 今日は、家にいる」

 そう言って、ローザは鏡の前で項垂れた。
 去年は毎日のように街へいってキースと遊んでいたから、てっきり今年もそうするとばかり思っていたのだが。

「長期休暇が明けたらすぐに試験でしょう。
 進路を決めてから初めての試験だから、勉強しておこうと思って……それだけなの」
「そうか。ならばよいが……」

 長期休暇の前に試験を終えるフォレストランドとは違って、雪の国では長期休暇の後に試験がある。
 進路を決めた後の試験は、これまでの筆記に加えて実技もその対象となる。
 初めての試験に向けて準備してしすぎることはないのだから、ローザの言葉はもっともだ。

 しかし結局、翌日もそのまた翌日もローザが出かけることはなかった。
 その上、日を追うごとにローザがぼんやりとする時間が増えている。

 今日など、炎の魔法を失敗してテーブルを焦がしていた。
 幸いすぐに気がついて火を消していたが、これはさすがに危険だ。
 私が口を開く前に、ローザの隣で漂っていたサラが「ローザ」と声を上げた。

「魔法の練習は、これで一旦終わりよ」
「え? でも……」
「今の状態で魔法を使っても身にならないどころか、危険よ。
 集中できないなら、やめた方がいいわ」
「……ごめんなさい」

 サラの声は、常になく厳しかった。
 魔法とは強大な力を操るものだ。その分、失敗すれば、甚大な被害が出る。
 まだマギアスが生きていた頃、そんな光景を何度も見た。

 戦場で命の危険に晒された魔法使いが風の魔法を暴走させたとき、周囲にいた人間は敵味方の区別なく切り刻まれた。
 自らの欲を満たすために凶行に走り、水の精霊に見放された犯罪者は生きながら氷漬けになった。
 古の魔法を復活させようとした学者は魔法を制御しきれず、学者が住んでいた街もろとも大地に飲み込まれた。

 その全てをマギアスは鎮圧させたが、その度に「魔法を使うときには細心の注意を払わなくてはいけない」「決して精霊を怒らせてはいけない」と繰り返していた。
 私が覚えているくらいだ。記憶力のよいサラなら、もちろん覚えている筈だ。
 サラがこう言った以上、今日はもうローザは魔法を使えないだろう。
 精霊が力を貸さなければ、どれほど魔力の高い魔法使いでも魔法は使えないのだから。

「謝らなくともいいわ。悩むこと自体は、悪いことじゃないもの。
 気がかりなことがあるなら、話してみるといいわ。
 解決できるかは分からないけれど、話すだけでも気持ちが軽くなるわよ」

 謝るローザに、サラが優しく声をかけた。
 ローザが「でも……」と躊躇った様子で首を横に振る。

「そんなに大した悩みじゃないよ」
「だけど、それで原因でローザは悩んでいるんでしょう。
 それなら、大した悩みよ。
 話したくないなら強制はしないけれど、ずっと抱え込んでいても苦しいだけだと思うわ」
「うん……」

 ローザが小さく頷いて、私の隣に座った。
 小さな手が毛皮を撫でる。特に意味はないが、こうしていると落ち着くのだそうだ。
 私もマギアスに撫でられると安心したから、そういうものだろうか。

「ひさしぶりにキースに会ったら、なんだか変なの」」
「変? どこも変わっていないと思うが……」

 思い返す限り、キースは以前のままだった。
 もちろん背は伸びたし声変わりもしていたが、穏やかな瞳や匂いは昔となんら変わらない。
 私の言葉に、ローザは「ちがうの」と言って首を横に振った。

「キースじゃなくて、わたしがへんなの」
「ローザが?」

 それはもしや、病気だろうか。
 焦って立ち上がろうとする私の上に、サラが素早く乗った。
 小さな声で「いいから話を聞きなさい」と言われてローザの言葉に耳を傾ける。

「この前「お姫様みたい」って言われたら、胸がどきどきして……。
 それから、前みたいに手を繋いだり、おはなししようとしたりすると胸が苦しくなるの」
「普段はそのような症状はあるのか?」
「ううん。キースと一緒にいるときだけ」
「そうか……そうか……」

 ローザの話を聞いて、さすがに私も理解した。
 それはきっと、恋だ。

 私自身は恋をしたことがないが、それがどのようなものかは知っている。
 間違いなく、と断言は出来ないがこの予想はきっと当たっているだろう。
 しかし、それを伝えてもよいのだろうか。
 もしかしたら私の予想が外れているかもしれないし、こういったものはローザが自然と自覚するのを待つ方が……。

「キースは悪くないのに、避けてたらいけないって分かってるの。
 でも、お手紙を書こうと思ってもなんて書いたらいいのか分からなくて……」

 俯いたローザの声は消え入りそうなほど小さかった。
 閉じかけていた口を再び開き、名前を呼ぶ。

「ローザ。私はそれを体験したことはないが……一つ心当たりがある」
「心当たり?」

 ローザが首を傾げた。

「おそらくそれは……恋だろう」
「恋?」

 ローザにとっては予想外の言葉だったのだろう。
 薔薇色の瞳が大きく見開かれた。

「でも、わたしとキースは友だちだよ」
「親しくなってから芽生える恋もある……と、聞いたことがある。そういうものなのだろう。
 それに、友人に恋をしてはならないという決まりもあるまい」
「そっか……そうだよね」

 私の言葉に、ローザは納得したようだった。
 ただ、その瞳には困惑の色が浮かんでいる。

「どうすれば、前みたいになれるのかな」
「ローザは、キースに恋をしたくないのか?」
「ううん。でも、おはなしできないのはいや」
「ならば、慣れるしかあるまい」

 そう言うと、ローザは「慣れる?」と不思議そうに繰り返した。

「何事も、回数を重ねれば慣れるものだ。
 キースと話してどきどきしなくなることはないとしても、そのどきどきに身体が慣れれば話しやすくなるだろう」

 私は恋をしたことが無いからこのアドバイスが合っているかは分からない。
 だが、私が思いつく案と言えばこのくらいしかなかった。
 今のままでは、どのみちローザとキースは疎遠になる。
 少々荒療治かもしれないが、今までのように友として近くにいたいのなら慣れるしかあるまい。

 ローザは私の言葉を聞いた後、しばらく考えていた。
 やがて「わかった」と頷く。

「明日、キースに謝っておはなししてみる。
 ありがとう、パステール。サラ」

 そう言ったローザの表情は、久々に晴れ晴れとしていた。





 翌日、ローザは早速街に出かけた。
 昨日のうちに伝書鳩で待ち合わせの場所や時刻を約束していたらしく、公園の噴水―――普段二人が遊ぶときは、必ずここか学校の前で待ち合わせをするのだ―――では、既にキースが待っていた。
 近くのベンチに腰掛けて本を読んでいたキースが顔を上げ「ローザ」と顔をほころばせる。

「おはよう、ローザ」
「う、うん……おはよう、キース」

 そう言ってローザが俯いた。
 キースが心配そうに「大丈夫?」と声をかける。

「具合が悪いなら、日陰に行こうか」
「ううん、ちがうの。
 ……あの、最初の日に遊ぶ約束断って、ごめんなさい。
 手紙も、お返事ほとんど出せなくて……」
「ローザが謝ることじゃないよ。
 こっちは長期休暇明けに試験だってこと、僕がすっかり忘れてたから……僕の方こそごめんね。
 初めての試験で大変なときに、一緒にあそぼうなんて誘って」

 申し訳なさそうな顔をして謝るキースに、ローザが慌てて首を横に振った。

「キースは悪くないよ。わたしが、その……うまくおはなしできなくて……」
「僕、ローザに何かしたかな」
「ちがうの。その……キースがあんまり大人っぽくなって、緊張しちゃったの」

 ローザの説明は、昨日の夜にサラと一緒に考えたものだった。
 どうやら、ローザはまだキースに思いを伝えるつもりはないらしい。
 「キースはいま大事な時期だから」とのことだそうだ。
 だから、上手く話せなくなった理由の半分だけを話すことにしたのだと言っていた。

「大人っぽくなったのは見た目だけで、中身は変わらないよ。
 この前だって、ハンスたちと川遊びして泥だらけになったし。
 おかげで母さんに怒られたよ。
 「あなた、いったい今いくつなの」って」
「子どもみたい」
「アメリア達にもそう言われたよ」

 くすくすと笑ったローザに、キースも照れくさそうに頬を掻いて苦笑いした。
 端から見れば、もうすっかりいつも通りだ。

「そうだ。ローザに渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの?」

 首を傾げたローザに頷いて、キースが杖を取り出した。
 杖を軽く振った途端、空中から薔薇の花束が現れる。
 海のように青い花びらをもち、その棘は雪のように白い。これまで見たことのない薔薇だ。

「はい、ローザ」

 それを、キースが差しだした。
 感嘆の吐息を漏らしたローザが、花束をそっと受け取る。
 途端、その色が青から燃えるような深紅へと変化した。

「きれい……」
「半年遅れたけど、誕生日プレゼントだよ」
「ありがとう、キース。
 これ、なんて薔薇なの?」
「ローザだよ」

 キースの答えに、ローザが首を傾げた。
 それから、何かに思い当たったのか「あっ」と声をあげる。

「去年の?」
「うん、新しく見つけた薔薇。ローザの名前をもらった奴。
 先月やっと、新種として認定されたんだ。
 切り花なら国外に持ちだしていいって言われたから、ローザに渡そうと思って」

 ああ、そういえば去年の冬に新種の魔法植物を見つけたと言っていたな。
 保存の魔法を掛けて持ってきたのか。

 よほどうれしかったのだろう。
 再度キースに礼を言ったローザの顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
 それを見て、キースの目に安堵の色が浮かぶ。

「よかった。ローザはきっと好きだろうと思って、渡すのを楽しみにしてたんだ」
「うん、大好き! 大切にするね」
「そうしてくれると嬉しいよ……それでね、ローザ」

 キースの声に、ローザが顔を上げた。

「ローザが大切な時期なのは知ってるんだけど、もしよかったら来年も迎えに来てくれるかな。
 それで、一日だけでいいから一緒に過ごして欲しい」
「うん……絶対に行く。
 来年は、いっぱい遊ぼうね。キース」

 そう言って笑ったローザは、数日前とは全く違う晴れやかな顔をしていた。
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