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2歳 人喰い狼と、お揃い

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 ローザと初めて家の外へ出かける事になった。
 つたないながらも歩けるようになってから、ローザの行動範囲は急速に広がった。
 それによって体力もついてきたことだし、今では私やサラのいうことも理解出来るだけの知能もついた。
 そろそろ外の世界にも慣れさせようということで、森の中を散策することになったのだ。

「いい、ローザ。
 絶対に、パステールから離れちゃだめよ」
「うん、はなれない!」

 実体のないサラでは、ローザを物理的に引き留めることは出来ない。
 だから何があっても―――腹の毛を多少むしり取ってもいいから―――私の傍にいるようにと、ローザによくよく言い聞かせていた。
 魔法で髪を二つに結ってもらってご機嫌なローザが大きく頷く。
 「いい子ね」とローザの頭の上でその髪を撫でるようにくるりと回ってから、サラがこちらへ飛んできた。

「パステールは、ローザから目を離さないこと。
 かっこいいところを見せようとして、小鳥を狩ったらだめよ。
 それはもう少し成長してからね」
「う……善処する」

 さすがに、長い付き合いのサラは私がしそうなことをしっかりと見抜いていたらしい。
 何も言われなかったら間違いなくローザの前で小鳥を狩って狩りの仕方を教え込んでいただろう私は、彼女の言葉にただ頷くしかなかった。

「パステール、ぎゅー」
「ああ。しっかり掴むのだぞ」

 そういうと、ローザの小さな手が私の腹の毛をしっかりと握った。
 幼子の力とはいえ遠慮無く握りしめられるとそこそこ痛いが、これもローザの安全のためだ。
 ……願わくば、この散歩が終わったあとに私の腹の一部分だけ禿げていた、等ということになっていなければいいのだが。

「はなれちゃ、だめよ」
「そうだな。もちろん離れないとも」

 サラの真似をするローザの頬を鼻先でつつくと、ローザがきゃあきゃあと笑い声を上げて腕を振り回した。
 それ自体はいいのだが、腹の毛を捕まれたままそれをやられるとかなり痛い。
 先ほどの私の願いは、どうも叶いそうにない。まあ、毛はまた生えてくるからよいのだが……。






「パステール、ことり! かわいい!」
「ああ。青い鳥だな」
「おうたも上手ね。おひめさまみたい!」

 枝にとまってこちらを見下ろしている青い鳥を指さし、ローザが目をきらきらとさせて声を上げた。
 ちなみに「おひめさまみたい」というのは最近のローザがよく使う褒め言葉だ。
 様々な絵本に登場する「おひめさま」が気に入ったローザは、それに例えるのが最上の褒め言葉だと思っているのかなんでも「おひめさま」に例えたがる。
 この前など、サラが作ったシチューを食べて「これ、おいしいね。おひめさまみたい」とにこにこ微笑んでいた。

 こちらに敵意がないことを感じ取ったのか、青い鳥は飛び去ることもなく美しい歌声を披露していた。
 いまなら簡単に仕留め……いやいや、考えるまい。

 つい青い鳥の隙をうかがってしまう本能を理性で押さえ込み、ローザと共にその歌声に耳を傾けることにした。
 今までは特に気に留めてもいなかったが、こうしてじっくりと聞いてみると確かになかなかよい声だ。

 歌が終わると、ローザが満面の笑みで拍手をした。
 その意味が伝わったのか、誇らしげに鳴いた青い鳥が勢いよくその場から飛び立つ。

「パステール、パステール」
「どうした、ローザ」
「パステールも、おうた歌って!」
「よいとも。よく聞くのだぞ」

 今までマギアス以外の前で歌ったことはなかったが、ローザが望むならいくらでも歌おう。
 こう見えて、私はなかなか歌がうまいのだ。

 何度か咳払いをして喉の調子を整えた後、一番得意な曲を高らかに歌い上げる。
 私がマギアスに保護されたばかりの時によく聞かされていた、子守歌だ。
 優しい声と曲調が好きで、使い魔となってからも時折マギアスに頼んで聞かせてもらっていたから自信がある。

「……どうだ、よい曲だろう。
 これはな、子守歌というのだぞ」

 さほど長くはない子守歌を歌い終えてローザの方を向くと、ローザは神妙な顔で「うん」と頷いた。
 きっと気に入ったのだろう。

「次はな……」
「やめなさい、耳障りね」

 この調子で次の子守歌も披露しようと口を開いた途端、サラが右の脇腹に体当たりしてきた。
 痛みも熱さもないが、耳障りとは聞き捨てならない。

「マギアスが歌ってくれた曲なのだぞ」
「曲に文句をいってるんじゃないのよ。あんたの歌声に文句を言ってんのよ!」
「うまかっただろう」
「耳を取り替えた方がいいと思うわ」

 サラは辛辣だった。
 精霊は歌にうるさいのか、あるいは感性が違うのかもしれない。

 だが、マギアスは「独創的な歌声」だと褒めてくれたのだ。
 同じ人間のローザなら、きっと……。

「ローザ。次は何の歌をききたい?」

 すると、ローザがさっと目を逸らしてサラの方を向いた

「……サラ、おうた歌って」
「はいはい」
「な、なぜだ……」

 さすがにこの反応で褒められたと思い込めるほど、前向きな感性は持っていない。
 それまでの自信を崩されて気落ちしている私に、サラが「あのねえ」と呆れたように言った。

「親は大体、子に甘いのよ。
 マギアスはあんたの実の親じゃないけど、それくらいあんたには甘かったわ」
「そ、そうか……」

 魔狼として生きてきて、数百年。
 マギアスの優しさを知ったと共に、己の実力を思い知った瞬間だった。

「……パステール。パステール」

 落ち込む私を見かねたのだろう。
 サラの歌が終わった後、ローザが心配そうに私の腹の毛を引っ張って名を呼んだ。
 まだ散歩は終わっていないのだから、あまり長く気落ちしてしまってはいけないか。

「すまないな。少々へこんでしまった。
 次はどこへ行きたい? ローザ。見たいものでもいいぞ」

 落ち込む気持ちをなんとか奮い起こしてローザに尋ねると、ローザは「おはな見たい!」と笑った。
 花か。確か、東の方に花ばたけがあったはずだ。
 暖かな今の季節なら色とりどりの花が咲き乱れているはずだから、ローザもきっと喜ぶだろう。
 ただ、ここからだと少し距離がある。ローザの足では、着く前に日が暮れてしまうかもしれない。

「ならば、こっちだ。
 そこまで歩くと疲れてしまうから、ローザは背中に乗りなさい」

 小さなローザが乗りやすいように腹を地面に付けると、ローザは楽しそうにはしゃぎながら私の背中に乗った。
 「しっかりと背中の毛を掴むのよ」というサラの言葉に元気よく返事をしているのが聞こえる。
 サラの忠告通り背中の毛がぎゅっと握られたのを感じて、声を上げた。

「ローザはよいか、サラ」
「ええ。ちゃんと捕まってるわ」

 サラの言葉を聞いて、なるべく身体を傾けないよう慎重に立ち上がった。
 ローザを振り落とさないようゆっくりと、しかし先ほどよりは少々早足で駆けると、ローザの歓声が耳に届いた。
 普段よりも高い視点と速度に興奮しているのだろう。

「はやーい! パステール、すごい!」
「そうだろう。早いだろう」
「あんた、足の速さは一級品だものね」

 ローザとサラに褒められて、先ほどまでの落ち込んだ気分はいつの間にかどこかへ吹っ飛んでしまった。
 目的の花ばたけに着いた頃には、そもそも落ち込んでいた事実すら殆ど忘れかけていたほどだ。

 思っていたとおり、花ばたけには色とりどりの花が咲いていた。
 赤、白、黄、ピンク、紫……数え切れないほど多くの花が風に揺れている。
 私の背から降りたローザが「おはな、きれい!」と目をきらきらさせていた。

「気に入ったか?」
「うん!」

 ローザも花ばたけが気に入ったようで、満面の笑みを浮かべて花の中を駆け回っていた。
 時折花の前で足を止めては香りをかいだり、サラに「これなあに?」と尋ねたりしている。

 ちなみに私は、尋ねられてもここに咲いている花の半分ほどしか答えられないのでその辺りはサラに任せきりだった。
 食用か薬用の植物ならマギアスの手伝いで集めていたから覚えているのだが、観賞用となるとさっぱりなのだ。
 むしろ、サラはよく幾千、幾万とある花の名を覚えているものだ。
 精霊は長く生きる分その知識も広く深いと聞くが、本当にその通りだと思う。

「サラ、これなあに?」
「この花はね、薔薇って花よ」
「バラ?」
「ええ。ローザの名前の元になった花なの。
 ローザと一緒で、とても綺麗ね」
「うん、きれい!
 サラ、これおいしい?」
「……パステール。この花、おいしい?」
「うむ、美味だぞ。ジャムにすると最高だ」

 ただ、精霊は食事が出来ないのでこうした質問は私の出番になるが。

 花を眺めるローザとサラを眺めているうち、次第に日が傾いてきた。
 そろそろ、夕日が辺りを赤く染める頃だ。
 冬に比べれば日が長くなってきたとはいえ、黄昏時から夜になるまでの間は短い。
 もう帰ったほうがいいだろう。

「ローザ。そろそろ、ご飯の時間ね。
 おうちに帰りましょうか」

 サラも同じように感じたらしい。
 花に夢中になっているローザにもう帰宅の時間だと促していた。
 名残惜しそうにしているローザではあったが、サラの言うとおりお腹が空いていたのだろう。
 「うん」と頷いて、こちらへ駆け戻ってきた。

「パステール!」

 先ほどと同じように身体を伏せようとした私の前に、ローザが何かを差しだした。
 淡いピンク色が可愛らしい野薔薇だ。
 サラが事前に取り除いたのか、棘はない。

「あげる」
「よいのか?」

 驚いて尋ねると、ローザは「うん」とはにかんだ。

「サラとね、ローザのぶんもあるの。おそろい!」

 つたない言葉でそういったローザの手には、確かに二本の野薔薇が握られていた。
 お揃いという響きがこれほど嬉しく感じられたのは、マギアスに「お揃いだよ」と彼の瞳やサラの身体と同じ赤色の首輪を付けてもらったとき以来だ。

「そうか。では、ありがたく頂こう。
 今もらうと走っている間に落としてしまうから、しっかり持っていてくれるか?」
「うん!」

 ローザは真剣な顔で頷いて三本の野薔薇をぎゅっと握りしめ、慎重に私の背によじ登った。
 サラが「よかったわね」とくすくす笑う。

 帰り道の足取りは、行き以上に軽かった。
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