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風の章

晴信の初陣と継室・三条の方

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天文五年(1536年)十一月、武田晴信初陣。
その活躍は後に一夜にして海ノ口を落城せさえたと伝えられるほどであった。

「いやぁ、若殿の勇姿は見物でございました」
「左様であったか」

虎康が興奮気味に語るのをさも当然と聞き流す信虎。その姿に末席からはヒソヒソと語り合う者がいる。それを信方が一睨みして押さえたのだった。



甲府への帰還途中、信虎は晴信とくつわを並べる。その表情はいつもと変わらず厳しくあった。

「ようやった。さすが武田の嫡男。儂も鼻が高いわ」

晴信にだけ聞こえるようにそう呟くと信虎は愛馬の腹を蹴り、去って行った。父の変わらぬ優しさに晴信も頬が緩む。だが、すぐに幼き日の約束を思い出し、感情を消し無表情になる。

「若殿?」
「何でもない」

そんな姿を信方は心配するが父とこの間に何かあると知ってなのかそれ以上口に出すことはない。虎康も同様に口出しはしない様子だった。



武田の軍勢は意気揚々と躑躅ヶ崎つつじがさきやかたに帰還する。そして、広間に主立った重臣が集まる。床の間には【御旗みはた】と呼ばれる日章旗と【楯無たてなしの鎧】が飾られていた。
信虎を筆頭に皆が座してそれを仰ぎ見る。

御旗楯無みはたたてなし御照覧こしょうらんあれ!」

それに続くように一同が「御旗楯無、御照覧あれ!」と叫び、平伏した。この【御旗】と【楯無の鎧】は武田の家宝である。それに戦勝を報告し、次の戦の勝利を誓う。それにより家中の士気を高めるのであった。


「此度は晴信の初陣、勝利を収めることができ誠に嬉しいばかりじゃ」
「若殿のご活躍、我らも安堵しましたわ」

一同を見渡し、信虎は満足げに頷く。このときばかりは晴信との険悪な雰囲気はなかった。
その夜は館を上げての祝いの宴となったのだった。



それから程なくして、左大臣家の姫君が京より輿入れしてきた。彼女は三条公頼きみよりの次女で晴信とは同い年であった。

「これよりは若殿に生涯尽くしていく所存にて、よしなに……」
「あ、ああ」

初めて目にする【公家の姫君】に晴信は戸惑った。阿佐の死からこの方女子に触れていないだけにどう対処して良いのかわからなかったのだ。これほどまでに美しい姫とは思いもよらなかっただけに、話も弾まない。

「晴信だ」
「え?」
「俺のことは晴信と呼んでくれ」

ぶっきらぼうにぼそりと呟く晴信の顔を驚いたように見つめる姫君。晴信の言ったことを理解してふわりと微笑んだ。その笑顔は美しく、天女が舞い降りたのではないかと思えるほどだった。

「では、晴信様」
「お、おお」
「私のことは【三条】とお呼び下さい」
「それでいいのか?」
「はい」

ぎこちなく迎えた二人の顔合わせはそれなりに成果はあったようであった。その後迎えた祝言はそれは盛大であったという。左大臣家としても今川家より『よしなに』と頼まれており、迎える武田家としても【甲斐源氏の嫡流】としての意地もある。それぞれの思惑がこの祝言の裏には隠れていたと言ってもいい。



宴が続く中、三条は早々に引き上げた。それを横目で見ながら晴信は少し落ち着かない。それを誤魔化すように杯を空けるのだった。

「晴信、そのくらいにしておけ」
「父上?」

信虎は晴信から杯を取り上げる。少しばかり顔が赤いので酔っているのかもしれない。信虎はいつもと違い陽気に話しかけてくる。肩を組み、ニヤリと笑って耳打ちする。

「あまり飲むと肝心なときにたぬぞ」
「!!」

晴信は父の言わんとすることを理解して顔を真っ赤にする。反論しようにも言葉が出ぬようで口を開けたり閉めたりするばかりだ。
そんな息子をからかうように信虎は「このくらいのことで慌てるようでは女子は抱けぬぞ」などと言って笑い飛ばす。一瞬、殴り飛ばしてやろうかと拳を握りしめたが、背中を思いっきり叩かれ睨みつけただけとなる。

「ほれ、早うねやに行け」
「言われずともそうします!」
「おうおう、頼もしい事じゃ。我が嫡男殿は!」

ドカドカと床を踏みならして晴信は寝所へと向かった。だが、不意に足を止めるとあることに気づいた。先程までの落ち着かない気持ちがすっかり消えている。

「はは……。やはり、父上には叶わぬ」

晴信は肩をすくめ、再び寝所へ向かって歩き出したのだった。



晴信が寝間着に着替え寝所に入ると当然の如く三条が待っていた。下座に控えているのは三条の侍女であろうか。瞬間、晴信はその侍女にただならぬ物を感じ眉をひそめる。だが、この場で口にすることではないと思い直しやり過ごす。

「多重、そなたは下がりなさい」

三条の凛とした声に多重と呼ばれた年嵩のその侍女は一礼をし、音も立てずに下がっていった。晴信は三条の隣に腰を下ろし、深いため息をつく。

「どうなさいました?」
「父上に酷くからかわれた」
義父上ちちうえ様に?」
「ああ。今宵のことで気分が落ち着かず、酒をあおっておったら……」

晴信はそこで口籠もってしまう。 三条は小首を傾げて晴信を見つめている。晴信は頬を赤らめ視線を外してしまう。その様子に何か思い当たったのか三条はクスリと笑う。

「笑わずとも良いだろう」
「そうおっしゃいましても……」
「そういう奴は仕置きじゃ!」
「きゃっ」

晴信はしとねに三条を押し倒すとその唇を自らのそれで塞ぐ。初めは驚き身を固くした三条であったが、やがて両手を晴信の背に這わせ強く抱きしめる。晴信は一度唇を離すと、確認するように三条の瞳をじっと見つめる。

「俺は武士だ」
「左様でございますね」
「公家の作法は知らぬ」
「それはそうでございましょう」
「あー、だから、そのぉ、なんだ……」
「なんでございましょう?」
「俺の知る作法でそなたを抱く。だから、辛い思いをするかもしれぬが許せ」

まさか、そんなことを言われるとは思っていなかったのか三条はこれでもかと目を見開いた。晴信のその心遣いが嬉しくてクスリと笑うと今度は自ら唇を寄せる。

「晴信様のお好きなように。私は晴信様の妻ですので」
「三条……」

三条の了承を得た晴信は慎重に事を進める。だが、晴信は三条のそのきめ細やかな肌に魅了され、途中から貪りついた。気づけばまだ解し切れていない隘路に剛直を突き入れてしまっていた。

「すまぬ……」
「晴信様は酷いお方じゃ」
「面目次第もない」

自分の欲望に突き動かされ本能のままに三条を乱暴に扱ってしまったことに後悔しきりの晴信。そんな夫の姿に三条は体を寄せる。

「次はもそっと優しゅうして下さりませ」
「わ、わかった」

二人は互いを抱きしめながら眠りについたのだった。


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