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風の章

勝千代誕生!!

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富士の霊峰れいほうの北に位置する四方を山に囲まれた国、それが甲斐国かいのくにである。彼の国は古くは『甲斐の黒駒くろごま』と呼ばれる駿馬しゅんめの一大生産地であり、良質の金を産出することでも有名であった。
その甲斐国に根付いたのが甲斐源氏である。その嫡流ちゃくりゅうである武田家は初代・信義の死後、鎌倉御家人の一人としての地位を堅守する。だが、信義の危惧したとおり源氏の嫡流は僅か三代で滅亡した。またしても身内同士の血で血を洗う惨劇の果てのに起きた出来事であった。
その後、頼朝が起こした鎌倉の府は妻・政子の実家・北条氏によって引き継がれる。だが、それも元寇による疲弊によって綻びを見せ始めた。
やがて、王政復古を望む後醍醐天皇の声に応えるように各地で反乱が起きる。それを抑えるだけの力は既に北条氏にはなかった。必然的に迎えた鎌倉幕府の滅亡。これにより混乱は収まったかに見えた。
だが、主権を取り戻した後醍醐天皇の親政は懐古的であり、武士たちには受け入れることが出来なかった。そうした中、蜂起したのは頼朝の母方の従弟・足利あしかが義兼よしかねの血を引く足利尊氏たかうじである。尊氏は不満をくすぶらせる武士たちを纏め上げ、新たな幕府樹立のために立ち上がる。一度は敗れ、九州に落ち延びる。そこから再起して遂に京の都に幕府を開いたのだった。

その間、武田はその血を絶やさず残していく。時流を見極め、幕府から甲斐守護の地位を認められ堅持していた。だが、やがて起きた内紛などにより国人衆・逸見氏に取って代わられるほど衰退する。その難局も乗り越え、幕府の後押しにより武田家は再び力を取り戻し始めたのである。



時は流れ、応仁の乱より続く戦乱は全国に広がり、群雄割拠ぐんゆうかっきょの戦国時代へと突入する。武田家はその波を乗り切り、いよいよ天下へと名乗りを上げようとしていた。
大永元年(1521年)十月、武田家十八代当主・信虎は駿河の今川家家臣・福島正成の軍勢を退ける。これにより甲斐統一が達成し、武田は守護大名から戦国大名の地位を確立することとなる。

「御館様、遂にやりましたな」
信方のぶかた虎康とらやす。これで甲斐は儂のものじゃ」
「ここまで長うございました……」

家臣団の勝ち鬨を聞きながら、信虎は最も信頼する板垣信方いたがきのぶかた甘利虎康あまりとらやすとうなずき合う。信虎は今川の後ろ盾を得ていた甲府盆地西部の大井信達を数年前に打ち破り屈服させ、その娘を自身の正室として娶った。そして、甲府に躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたを中心とした城下町を開いていた。

「これで北の方様の御子が元気な男児であれば武田は安泰でございますな」
「うむ。無事に生まれれば良いがのぉ」

正室・大井の方は臨月を迎えており此度の戦を避けて要害の山城へと移っている。信虎には竹松という男児が既にあったが体が弱く悩みの種であった。

(此度の子は強き子であれば良いが……)



十一月二日未明。黄泉の国より地上に戻された信玄の魂は母・大井の方が住まう山城へと帰ってきていた。大きなおなかを労るように眠る母を見下ろしながら、信玄は複雑な顔をしている。その隣にはなんとも厳つい顔の男が立っている。その男こそ、地獄の裁判官・閻魔大王えんまだいおうである。閻魔大王はは手にしたしゃくで信玄の頭を小突く。

「晴信、此度こたびは義光と信義の顔に免じて時を戻してやる」
「はぁ……」
「何じゃ。嬉しゅうないといった感じだのぉ」

それはそうだ。信玄としては三途の川を渡って三条の方や若くして亡くなった側室の香姫と黄泉の国で、戦のことなど考えず、楽しく過ごすつもりでいたのだから。

「まぁ、諦めよ」
「トホホ……」
「そんなに悪いものではなかろうよ」
「左様でしょうか?」
「そなたは父に疎まれたことで父を追いやった。息子とも仲違いして自害に追い込んだ」

信玄は痛いところを突かれてぐっと拳を握りしめる。

「人生をやり直すというのはそういうことも正せるという事じゃ」
「え?」
「父とも、息子とも新たな絆を作る機会ぞ。それでもやり直すのは気が進まぬか?」

信玄は顎に手をやり、考えを巡らす。そして、この押しつけられた使命以外でやり直し人生の意味を見出した。

(そうじゃ。ここで人生やり直しをすれば父上のことも太郎のことも変えられる。それだけではない。禰々ねねの事も、香の死すら変えられるのではないだろうか?)

そう考えると俄然やる気がわいてくる。信玄は顔を上げ閻魔大王の顔を見る。その瞳には強い決意が浮かんでいる。それを見てニヤリと笑う閻魔大王は何事か唱える始める。

「さぁ、ゆけ。今度こそ間違えるでないぞ!!」
「はい!」

信玄は再び光の玉となる。そして、大井の方の腹の中へと消えていった。

「はてさて、このやり直しは吉と出るか、凶と出るか……」

そんな思いを残して閻魔大王は黄泉の国へと帰ったのだった。



翌十一月三日、大井の方は男児を産む。その報を聞き、信虎は急ぎ駆けつけた。既に産まれたのであろうか、侍女たちが慌ただしく動き回っている。

「御館様、ご覧下さい。元気な若様にございます」

信虎は案内された部屋の戸を開けると産婆から産衣に包まれた我が子を手渡される。信虎は恐る恐る赤子をその腕に抱く。すると、赤子は火がついたように泣き始める。

「はは、随分と威勢が良いのぉ」
「御館様……」
「お方、でかしたぞ!これほど元気な男の子であれば武田の行く末は明るいわ」
「左様でございますね」

お産の疲れが抜けぬのか、大井の方は儚げに笑う。その額には玉のような汗が浮いており、前髪が張り付いている。それをさっと払いのけてやる。

「今は休め」
「それより、その子の名を決めて下さいませ」
「おお、そうであったな」

信虎はジッと赤子の顔を見つめる。赤子は先程と打って変わりすやすやと眠っていた。

(赤子は常に母を求めるものと思うておったが、なかなかどうして……。もしやすると、武田の悲願を叶えるはこの子やもしれぬ)

信虎の脳裏に一つの名が浮かぶ。それは武田家初代・信義の幼名『勝千代』であった。

「よし、決めたぞ!」

信虎は我が子を高く掲げ上げると、その名を告げる。

「そなたの名は初代様から取って勝千代じゃ」

こうして、信虎と大井の方との間に生まれたこの和子は『勝千代』と名付けられる。こうして、信玄のやり直し人生は始まったのである。


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