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火の章
信濃進攻の再開
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天文十九年(1550年)、晴信は信濃進攻を再開すべく動き始めた。
まずは今川との同盟の強化を進める。今川が北条の占領下にある駿河国富士郡・駿東郡の奪還を目指したからだ。これに伴い年明け早々に協議が始まった。
また、京や美濃との外交も頻繁に行い、着々と戦国大名としての基盤を強固にしていった。
一方、信濃では上田原の敗戦の影響が未だ強かった。勢いに乗る村上方の蠢動が激しく、諏訪上社領を伊那郡の知久頼元ともども押領していたのだ。
「村上の勢いは衰えを知らぬと言うことでしょうか?」
「全くもって腹立たしい!!」
「とはいえ、わざわざ勢いある方にぶつかっていくのは下の下にございましょう」
幸綱の言葉に皆が頷く。晴信も同意見であった。地の利において武田が不利である状況は変わっていない。そこを変えなければいくら攻めても落とすことは出来ないであろう。
「搦め手でいくしかないな」
「そのようですな」
虎胤が晴信に同調しつつため息をつく。それは飯富兄弟、工藤昌秀、春日虎綱、馬場信春、秋山虎繁らも同じであった。
「ここはやはり弱体化の著しい小笠原を攻めるべきでしょう」
「それがしも同意見です」
「御館様。この際、安曇郡の仁科を調略しては如何でしょう」
「仁科か……」
安曇郡の仁科氏は小笠原氏と深い関係にある。当主・盛政の祖父・道外は小笠原長時の舅である。それ故、結びつきは強いと言えた。
「仁科の当主は盛政。理を説けば武田に降りましょう」
「まずは話だけでも付けてみるか」
こうして、仁科の調略が始まる。駒井政武改め高白斉を派遣して、盛政と密かに連絡を取る。すると、盛政の祖父・道外が諏訪まで来て高白斉と対面したのである。
「いやはや、まさか諏訪まで足を運んで下さるとは……」
「何を言われる。駒井殿を使者に遣わすと言うことはそれほど仁科を当てにしていただいておると言うことでありましょう」
道外は武田の調略に応じる旨を伝える。数年の内に帰属することを約束したのだった。これにより仁科の調略は成功したのであった。
閏五月。仁科調略を成就した晴信は軍事を招集し、小笠原の本拠・信府の奪取を祈願して浅間神社に願文を納める。
「今度こそ、小笠原の息の根を止める!」
「御館様。我らにお任せ下され」
「そうじゃ。信方や虎康のためにも次こそは勝つ!!」
皆の士気の高さに晴信も満足であった。
(これならば勝利は間違いあるまい)
そう思った矢先。駿河より急使が遣わされた。
「御館様!一大事にございます!!」
「何事か?!」
「今川義元御内室、定様が重篤であると……」
「姉上が重篤、だと?!」
それは今川へ嫁いだ晴信の姉・定の危篤との知らせであった。共に暮らした日々は少ないが、事あるごとに自分たち弟妹のことを気にかけてくれていた。特に晴信は父・信虎と不仲を演じていたため行く末を常に心配されていた。輿入れの際、最後まで父との仲を案じ、窪八幡に願文を納めたほどであった。
「姉上……」
晴信は手にした扇を落とし、姉の回復を祈る。
高白斉が見舞いの使者として駿府に遣わされる。高白斉はすぐに太原雪斎と会談をし、その後義元に対面した。
「定姫様の病状は?」
「芳しくない。今宵が山であろうと……」
「左様ですか」
「京から寄せた薬石も効かぬようでな」
「では、やはり……」
「うむ。子らにも覚悟するように、と伝えたところだ」
義元の沈痛な面持ちに高白斉はそれ以上何も言えなかった。
六月二日、今川義元室・定姫死去。その早すぎる死に皆が心を痛めたのだった。
義元は朝比奈泰能・一宮出羽守・高井兵庫助をして甲府と高白斉の宿所に知らせる。
「御館様。今川からは何と?」
「姉上が亡くなられた」
「それは……」
「虎昌、すぐに弔辞を送り、高白斉へは俺の名代として葬儀に参列するよう伝えよ」
「御意」
(姉上、安らかに眠って下され)
晴信は一人静かに姉の冥福を祈ったのだった。
七月。姉の葬儀が滞りなく行われたのを見届けてから信濃進攻を再開する。若神子を経て、村井城へ入る。
「御館様。いよいよですな」
「幸綱、そなたの更なる活躍を期待している」
「お任せ下さい。必ずや勝利を手にしてみせましょう!」
武田方は破竹の勢いで進軍する。これにより小笠原方の大城・深志・岡田・桐原・山家の五条が自落。島立・浅間も降伏したのだった。こうなっては長時に打つ手はなく、逃亡せざるを得なかった。ここに信濃守護・小笠原氏の没落は決定的となたった。
その後、深志城の惣普請が行われ、馬場信春・日向是吉が配備されたのである。
八月に入り、春日氏が武田に降る。それに合わせ晴信は攻勢を強め足軽衆を合田へ出陣させる。和田城の自落、落合山城守の起請文提出などを経て、いよいよ村上義清攻めのため深志城を発つ。その後長窪城に入り、戸石城の検分に原虎胤らを派遣。武田軍は戸石城近くの屋降に布陣したのである。
「勢いを駆ってここまできたが、どうしたものか」
「とはいえ、次々と武田に付いております。そう時間はかかりますまい]
九月になると清野氏が、次いで須田新左衛門が武田に降る。戸石城攻めにおいて優位に立った。だが、それも長くは続かなかった。高梨政頼が対立していた村上義清と和睦し、寺尾城を攻撃し始めたと注進が入ったのだ。
晴信はすぐに真田幸綱と勝沼衆を援軍として派遣。これに対して村上は撤退し幸綱も屋降に帰陣した。
「御館様。これでは長期戦になりますぞ」
「ああ。これは一旦引く方が得策か」
実はこの年、六月から八月にかけ大雨が続いていた。甲斐でも洪水が発生しており、布陣する信濃でも大洪水が起きたばかりである。この天候不順は飢饉を深刻にさせていた。晴信は早々に戸石城の攻略を諦めて撤退を決断したのである。
「御館様」
「幸綱か。どうした?」
「撤退に際しては注意が必要かと」
「村上がこの機を逃がさぬと?」
「それがしが敵将ならばそういたします」
晴信は幸綱に【何か策はあるか】と問うた。すると、幸綱は【敢えて負ける】事を進言した。それは村上の増長を呼び込むための策である。被害を最小限に抑えつつ、撤退する。だが、世間には武田が受けた被害を誇張して伝聞するというのだ。
「まずは大門峠を抜けて諏訪に戻り、事後処理を終えて甲府に帰られるが宜しいでしょう」
「わかった。その手で参ろう」
「村上が勝利に沸けば隙も出来まする。そこへ我が真田の手の者を忍ばせます」
「頼むぞ」
十月一日。幸綱の指示通り、晴信は撤退を始めた。予想通り、村上は追撃をかけてきた。武田の殿は終日村上と戦う。晴信は夜になって望月城に到着した。すぐに被害を確認し、武将を含め千人が戦死。それを誇張して五千人が戦死したと風聞を流した。この敗戦は後に【戸石崩れ】と呼ばれ、長く記録に残ることになる。だが、その中に隠された真田幸綱の策を見破る者はいなかった。
望月城をあとにした晴信は大門峠を抜け諏訪に撤退。上原城で諸処寄りの報告の聴取、対処のための書状を各方面に出す。
「では、頼重殿。後は任せましたぞ」
「お任せ下さい。晴信殿も道中お気を付けて」
晴信は頼重らに見送られ甲府へと帰陣した。
「ご無事の帰還、祝着にございます」
「うむ。皆息災であったか?」
躑躅ヶ崎館に帰還した晴信を待っていたのは三条や香姫、それに子供たちであった。三条の腕には産まれて間もない赤子が抱かれている。三女の真理姫だ。乳をたっぷり飲んだせいか満足げに眠っていた。その愛らしい寝顔に晴信の頬が緩んだのは致し方ない。
「真理ばかりズルい!」
「すまん、すまん。皆の顔も良く見せてくれ」
「父上!太郎は弓が引けるようになりました」
「なんと、それは凄い」
「次郎は手習いを褒められました」
「三郎は字が書けるようになりました」
「そうかそうか。梅と佐保はどうであった?」
「「母上に歌を習いました」」
娘二人が口を揃えて報告する様を晴信はその頭を撫でて褒めてやる。皆その瞳をキラキラと輝かせている。晴信が【守りたい】と思うには十分なものであった。
ふと視線を変えると、部屋の隅で香姫と共に押し黙って控える四郞の姿が見えた。香姫の袖をギュッと握り、こちらをじっと見つめている。晴信が手招きすると驚いたように体を跳ね母の後ろに隠れてしまう。
(どうやら、四郞が俺に一番似た子かもしれんな)
幼い頃の自分を思い出し、苦笑いを浮かべる。香姫と視線を合わせ、側に来るように促す。そこで漸く四郞は兄姉の輪に交じって晴信に抱きついた。
「父上、お帰りなさいませ」
「只今帰った」
四郞がはにかんだように笑う。その小さな手が晴信の袖をギュッと握る。晴信は抱き寄せその温もりを存分に感じた。
「私も抱っこ!!」
梅がそう言い出して飛びついてくると、三郎も佐保も飛びついてくる。晴信はあっという間に子供たちにもみくちゃにされたのだった。
しばらくすると下の子供たちははしゃぎ疲れて眠ってしまう。その子らの面倒を乳母たちに任せあとに残った太郎・次郎・三条・香姫に晴信は今後のことを話す。
「此度の負け戦は気にすることはない」
「父上……」
「次の戦のための布石だ」
「そうでしたか」
「とはいえ、このままでは士気が下がる」
「そうですね。国人衆も黙ってはおりますまい」
香姫も同意見であったようで、頷いている。晴信は一呼吸置いてあることを告げた。
「これを機に太郎の元服の儀を執り行おうと思う」
「父上、本当ですか?!」
「そなたも十三。そろそろ大人の仲間入りをしても良かろう」
「兄上、おめでとうございます」
自身の元服の議に太郎の心は躍る。次郎も我が事のように喜んだ。三条は直垂の生地をどうするかといい、香姫も仕立てを手伝うという。喜びに満ちた家族の団らんに晴信は安堵するのだった。
十二月七日、晴信の嫡男・太郎は元服の儀を迎えたのであった。
まずは今川との同盟の強化を進める。今川が北条の占領下にある駿河国富士郡・駿東郡の奪還を目指したからだ。これに伴い年明け早々に協議が始まった。
また、京や美濃との外交も頻繁に行い、着々と戦国大名としての基盤を強固にしていった。
一方、信濃では上田原の敗戦の影響が未だ強かった。勢いに乗る村上方の蠢動が激しく、諏訪上社領を伊那郡の知久頼元ともども押領していたのだ。
「村上の勢いは衰えを知らぬと言うことでしょうか?」
「全くもって腹立たしい!!」
「とはいえ、わざわざ勢いある方にぶつかっていくのは下の下にございましょう」
幸綱の言葉に皆が頷く。晴信も同意見であった。地の利において武田が不利である状況は変わっていない。そこを変えなければいくら攻めても落とすことは出来ないであろう。
「搦め手でいくしかないな」
「そのようですな」
虎胤が晴信に同調しつつため息をつく。それは飯富兄弟、工藤昌秀、春日虎綱、馬場信春、秋山虎繁らも同じであった。
「ここはやはり弱体化の著しい小笠原を攻めるべきでしょう」
「それがしも同意見です」
「御館様。この際、安曇郡の仁科を調略しては如何でしょう」
「仁科か……」
安曇郡の仁科氏は小笠原氏と深い関係にある。当主・盛政の祖父・道外は小笠原長時の舅である。それ故、結びつきは強いと言えた。
「仁科の当主は盛政。理を説けば武田に降りましょう」
「まずは話だけでも付けてみるか」
こうして、仁科の調略が始まる。駒井政武改め高白斉を派遣して、盛政と密かに連絡を取る。すると、盛政の祖父・道外が諏訪まで来て高白斉と対面したのである。
「いやはや、まさか諏訪まで足を運んで下さるとは……」
「何を言われる。駒井殿を使者に遣わすと言うことはそれほど仁科を当てにしていただいておると言うことでありましょう」
道外は武田の調略に応じる旨を伝える。数年の内に帰属することを約束したのだった。これにより仁科の調略は成功したのであった。
閏五月。仁科調略を成就した晴信は軍事を招集し、小笠原の本拠・信府の奪取を祈願して浅間神社に願文を納める。
「今度こそ、小笠原の息の根を止める!」
「御館様。我らにお任せ下され」
「そうじゃ。信方や虎康のためにも次こそは勝つ!!」
皆の士気の高さに晴信も満足であった。
(これならば勝利は間違いあるまい)
そう思った矢先。駿河より急使が遣わされた。
「御館様!一大事にございます!!」
「何事か?!」
「今川義元御内室、定様が重篤であると……」
「姉上が重篤、だと?!」
それは今川へ嫁いだ晴信の姉・定の危篤との知らせであった。共に暮らした日々は少ないが、事あるごとに自分たち弟妹のことを気にかけてくれていた。特に晴信は父・信虎と不仲を演じていたため行く末を常に心配されていた。輿入れの際、最後まで父との仲を案じ、窪八幡に願文を納めたほどであった。
「姉上……」
晴信は手にした扇を落とし、姉の回復を祈る。
高白斉が見舞いの使者として駿府に遣わされる。高白斉はすぐに太原雪斎と会談をし、その後義元に対面した。
「定姫様の病状は?」
「芳しくない。今宵が山であろうと……」
「左様ですか」
「京から寄せた薬石も効かぬようでな」
「では、やはり……」
「うむ。子らにも覚悟するように、と伝えたところだ」
義元の沈痛な面持ちに高白斉はそれ以上何も言えなかった。
六月二日、今川義元室・定姫死去。その早すぎる死に皆が心を痛めたのだった。
義元は朝比奈泰能・一宮出羽守・高井兵庫助をして甲府と高白斉の宿所に知らせる。
「御館様。今川からは何と?」
「姉上が亡くなられた」
「それは……」
「虎昌、すぐに弔辞を送り、高白斉へは俺の名代として葬儀に参列するよう伝えよ」
「御意」
(姉上、安らかに眠って下され)
晴信は一人静かに姉の冥福を祈ったのだった。
七月。姉の葬儀が滞りなく行われたのを見届けてから信濃進攻を再開する。若神子を経て、村井城へ入る。
「御館様。いよいよですな」
「幸綱、そなたの更なる活躍を期待している」
「お任せ下さい。必ずや勝利を手にしてみせましょう!」
武田方は破竹の勢いで進軍する。これにより小笠原方の大城・深志・岡田・桐原・山家の五条が自落。島立・浅間も降伏したのだった。こうなっては長時に打つ手はなく、逃亡せざるを得なかった。ここに信濃守護・小笠原氏の没落は決定的となたった。
その後、深志城の惣普請が行われ、馬場信春・日向是吉が配備されたのである。
八月に入り、春日氏が武田に降る。それに合わせ晴信は攻勢を強め足軽衆を合田へ出陣させる。和田城の自落、落合山城守の起請文提出などを経て、いよいよ村上義清攻めのため深志城を発つ。その後長窪城に入り、戸石城の検分に原虎胤らを派遣。武田軍は戸石城近くの屋降に布陣したのである。
「勢いを駆ってここまできたが、どうしたものか」
「とはいえ、次々と武田に付いております。そう時間はかかりますまい]
九月になると清野氏が、次いで須田新左衛門が武田に降る。戸石城攻めにおいて優位に立った。だが、それも長くは続かなかった。高梨政頼が対立していた村上義清と和睦し、寺尾城を攻撃し始めたと注進が入ったのだ。
晴信はすぐに真田幸綱と勝沼衆を援軍として派遣。これに対して村上は撤退し幸綱も屋降に帰陣した。
「御館様。これでは長期戦になりますぞ」
「ああ。これは一旦引く方が得策か」
実はこの年、六月から八月にかけ大雨が続いていた。甲斐でも洪水が発生しており、布陣する信濃でも大洪水が起きたばかりである。この天候不順は飢饉を深刻にさせていた。晴信は早々に戸石城の攻略を諦めて撤退を決断したのである。
「御館様」
「幸綱か。どうした?」
「撤退に際しては注意が必要かと」
「村上がこの機を逃がさぬと?」
「それがしが敵将ならばそういたします」
晴信は幸綱に【何か策はあるか】と問うた。すると、幸綱は【敢えて負ける】事を進言した。それは村上の増長を呼び込むための策である。被害を最小限に抑えつつ、撤退する。だが、世間には武田が受けた被害を誇張して伝聞するというのだ。
「まずは大門峠を抜けて諏訪に戻り、事後処理を終えて甲府に帰られるが宜しいでしょう」
「わかった。その手で参ろう」
「村上が勝利に沸けば隙も出来まする。そこへ我が真田の手の者を忍ばせます」
「頼むぞ」
十月一日。幸綱の指示通り、晴信は撤退を始めた。予想通り、村上は追撃をかけてきた。武田の殿は終日村上と戦う。晴信は夜になって望月城に到着した。すぐに被害を確認し、武将を含め千人が戦死。それを誇張して五千人が戦死したと風聞を流した。この敗戦は後に【戸石崩れ】と呼ばれ、長く記録に残ることになる。だが、その中に隠された真田幸綱の策を見破る者はいなかった。
望月城をあとにした晴信は大門峠を抜け諏訪に撤退。上原城で諸処寄りの報告の聴取、対処のための書状を各方面に出す。
「では、頼重殿。後は任せましたぞ」
「お任せ下さい。晴信殿も道中お気を付けて」
晴信は頼重らに見送られ甲府へと帰陣した。
「ご無事の帰還、祝着にございます」
「うむ。皆息災であったか?」
躑躅ヶ崎館に帰還した晴信を待っていたのは三条や香姫、それに子供たちであった。三条の腕には産まれて間もない赤子が抱かれている。三女の真理姫だ。乳をたっぷり飲んだせいか満足げに眠っていた。その愛らしい寝顔に晴信の頬が緩んだのは致し方ない。
「真理ばかりズルい!」
「すまん、すまん。皆の顔も良く見せてくれ」
「父上!太郎は弓が引けるようになりました」
「なんと、それは凄い」
「次郎は手習いを褒められました」
「三郎は字が書けるようになりました」
「そうかそうか。梅と佐保はどうであった?」
「「母上に歌を習いました」」
娘二人が口を揃えて報告する様を晴信はその頭を撫でて褒めてやる。皆その瞳をキラキラと輝かせている。晴信が【守りたい】と思うには十分なものであった。
ふと視線を変えると、部屋の隅で香姫と共に押し黙って控える四郞の姿が見えた。香姫の袖をギュッと握り、こちらをじっと見つめている。晴信が手招きすると驚いたように体を跳ね母の後ろに隠れてしまう。
(どうやら、四郞が俺に一番似た子かもしれんな)
幼い頃の自分を思い出し、苦笑いを浮かべる。香姫と視線を合わせ、側に来るように促す。そこで漸く四郞は兄姉の輪に交じって晴信に抱きついた。
「父上、お帰りなさいませ」
「只今帰った」
四郞がはにかんだように笑う。その小さな手が晴信の袖をギュッと握る。晴信は抱き寄せその温もりを存分に感じた。
「私も抱っこ!!」
梅がそう言い出して飛びついてくると、三郎も佐保も飛びついてくる。晴信はあっという間に子供たちにもみくちゃにされたのだった。
しばらくすると下の子供たちははしゃぎ疲れて眠ってしまう。その子らの面倒を乳母たちに任せあとに残った太郎・次郎・三条・香姫に晴信は今後のことを話す。
「此度の負け戦は気にすることはない」
「父上……」
「次の戦のための布石だ」
「そうでしたか」
「とはいえ、このままでは士気が下がる」
「そうですね。国人衆も黙ってはおりますまい」
香姫も同意見であったようで、頷いている。晴信は一呼吸置いてあることを告げた。
「これを機に太郎の元服の儀を執り行おうと思う」
「父上、本当ですか?!」
「そなたも十三。そろそろ大人の仲間入りをしても良かろう」
「兄上、おめでとうございます」
自身の元服の議に太郎の心は躍る。次郎も我が事のように喜んだ。三条は直垂の生地をどうするかといい、香姫も仕立てを手伝うという。喜びに満ちた家族の団らんに晴信は安堵するのだった。
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