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風の章

初代様からの助言

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三条と激しく交わった晴信は心地良い疲労感と共に眠りについた。そうして夢の世界を揺蕩ううちに真っ白な世界へとたどり着いた。

「ここはどこだ?」

キョロキョロと周りを見渡しているうちに晴信は自身の変化に気づく。あごに手をやれば蓄えたひげが、頭を触れば剃髪ていはつしたかのようにつるつるの坊主頭。あまりのことに驚き、混乱する。
すると、後ろ頭を扇ではたかれた。何事かと振り返れば、折烏帽子に直垂姿の初老の武士が立っており、何やら難しい顔をしている。

(はて、どこかで見たような……)

晴信は首をかしげその武士が何者であるかを必死に思い出そうとする。

「あっ!」
「漸く儂が誰か分かったか」
「面目次第もございませぬ。初代様」

初老の武士、初代武田家当主・信義はため息と供にその場に胡座を掻く。晴信もそれに倣い胡座を掻いて座った。

「さて、分かっておるかと思うが、いよいよそなたの運命が変わる」
「運命……」
「まぁ、何というか『分岐点』という奴じゃ」

信義の言葉に晴信はゴクリと唾を飲み込む。あのとき……。母の腹に戻るとき、願った妹・禰々ねねの悲劇を止めたいという思い。それをこれから迎えるのだと察した。そして、父・信虎との関係も関わってくる。

「そなたは信虎を追放し、妹婿の諏訪頼重を討ち滅ぼした」
「はい」
「そのときに諏訪の庶流・高遠頼継と手を結んだであろう?」
「ええ」
「それを変えるのじゃ」

信義は晴信に運命を変える方を授ける。
頼重と禰々ねねの婚儀はそのまま執り行うこと。ただ、それについての交渉を晴信が行うこと。その交渉に際して頼重の娘を人質として差し出すように説き伏せること。

「おぬし、香姫ともねんごろに過ごしたいのであろう?」
「あ~、そんなこと申しましたなぁ」
「自分の側に置いておけばいずれは側室に出来るぞ」
「なるほど……」
「わかったなら、すぐに動け!」

信義に言い含められて晴信は立ち去ろうとしてもう一つ重要なことを思い出す。それは父・信虎との関係である。

「初代様……」
「なんじゃ?」
「父上とのことはどうすれば良いのでしょうか?」

晴信がそう尋ねれば、信義は呆れた顔をする。大きくため息をつき、手にした扇を晴信の鼻先に突き出す。晴信が驚き目を丸くしていると信義ははっきりと告げた。

「おぬしと信虎の絆は既に変わっておるわ!」
「そ、そうでございますか?」
「信虎がそなたを疎んでおるのは敵を欺くための芝居。つまり、信虎の本心ではないということ。それ、即ちめいあらたまったということじゃ」
「そうでございましたか!」
「わかったら、とっとと現世に戻れ」
「はい!」

晴信は心も晴れやかにその場をあとにしたのだった。



 晴信が目を見開くと隣では三条の穏やかな寝息が聞こえる。横を見れば妻の幸せそうな寝顔があった。晴信は安堵すると同時に顎と頭を触る。

(髭はない。髪は……、あるな。では、アレは夢?)

三条を起こさぬようにゆっくりと起き上がり、晴信は先程の白い世界での会話を思い出す。初代・信義は諏訪頼重と自ら交渉せよと告げた。晴信はどうすべきか腕を組み思案する。すると、白い手が伸びてきて眉間の皺を伸ばすように触れてくる。

「晴信様、折角の目覚めが台無しでございますよ」
「三条?」

三条はクスリと笑い、晴信の胸に体を預ける。それを愛おしく思い、抱き寄せ唇を重ねた。すると、そこへ三条の侍女である多重が現れ、朝餉の支度が出来ていることを告げる。

「やれやれ、俺には睦言を言う暇もなしか」
「仕方ありませぬ。昨夜、なかなか寝かしていただけませんでしたから」
「ははは……」

三条の囁きに晴信は昨夜の痴態を思い出す。我を忘れて貪り、明け方近くまで睦み合っていたのだ。晴信は申し訳ないやら恥ずかしいやら複雑である。それを誤魔化すように後ろ頭を掻いて苦笑するのだった。

「ところで、甲府での生活は慣れたか?」
「藪から棒にどうなさいました」
「いや、何とのう聞いてみただけだ」

朝餉を供にしながら晴信は三条に聞いてみた。晴信は京から遠く離れた甲府での生活を三条がどう思っているのか気がかりであった。晴信は京へ上ったことがない。だから、京とこの甲府ではどれほどの違いがあるのか見当もつかなかった。人伝に気候は似ているとは聞いたが、如何せん三条は公家の娘。作法やしきたりの違いに戸惑っているのではないかと気になっていたのだ。
三条は少し考えたあと、悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。

「そうですわね。思いのほか冬は寒いし、隙間風も……。城下は京とは雲泥の差ですし」
「まぁ、それはそうだな」
「道も狭うございますので牛車で出かけることも出来ませぬ」

そのあとも甲府が如何に田舎かを語る三条。さすがの晴信も生まれ育った街をここまでけなされては良い気分ではない。徐々に顰めっ面になっていく。それと同時にこのような問いかけたことを後悔し始めた。

「ですが……」

そう三条が切り出し、にっこりと笑いかけ言葉を続ける。

「ここには京では決して見ることが出来ぬものがございます」
「なんだ?」
「富士の霊峰にございます。あのように大きく、見る者を圧倒するような山は京にはございませぬ」
「なるほど」
「甲府に来て最も美しいと思うた景色にございます」
「今は雪に覆われておるが、桜や新緑の頃になればまた違う趣になる」
「まぁ、それは楽しみですわね」

三条の瞳がいつになく喜びに輝いている。晴信もつられて笑顔になった。その日一日、晴信が上機嫌だったのは言うまでもない。



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