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エピローグ
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10年後――
秋が深まる9月の終わり。新冠スタリオンの居住スペースに仁菜の声が響き渡る。
「若菜、勇馬、起きなさい!!」
「もうちょっと……」
「ママ、あと五分だけ……」
そう言って二人は布団にくるまる。仁菜はため息をつきながら、ぼそりと呟いた。
「仕方ないわね。だったら二人はここにお留守番ね」
その言葉に二人は飛び起きた。仁菜の言葉に今日が何の日か思い出したのだった。二人は慌ただしくベッドから降りると着替え始める。
「やれやれ……」
仁菜は肩をすくめながら、ダイニングルームへと戻る。そこでは夫・斗馬が新聞を片手にコーヒーを飲んでいた。付けっぱなしのテレビからは翌週に迫った凱旋門賞の特集が流れている。
「あ、直哉おじさんだ!」
インタビューに答える津島直哉の姿を見て勇馬が叫ぶ。それを若菜が窘め、二人は席に着いた。仁菜はコーンスープの入ったマグを渡しながら、画面を見やる。
「凱旋門賞ってどんな感じなんだろ?」
「ヨーロッパで一番盛り上がるレースの一つよ」
「ママは出たことあるんだっけ?」
若菜がトーストにバターを塗りながら、問いかける。仁菜はどう答えるべきか悩むが、斗馬が先に答えた。
「そうだ。ママはソレイユ・ノアールで二回出場したことがある」
「二回目の時は勝ったんだよね!!」
勇馬が興奮気味に声を上げ、テレビの上に掲げられている記念写真を見上げた。それはマグワイアファームの面々やアレクシスと写る優勝記念の口取り写真だった。
ジャパンカップを制覇したソレイユ・ノアールは翌年の凱旋門賞を制覇した。勿論、騎乗したのは仁菜だ。つまり、仁菜は史上初の凱旋門賞を制覇した女性騎手となったのである。
「でも、そのせいでユキノライジンは引退したんでしょ?」
若菜の言う通りだ。ユキノライジンはレース後に故障が判明し、そのまま引退することになってしまったのだ。
「あの時は悔しい思いをしたが、ユキノライジンを無事に帰国させる事が出来たからいい。次の世代がリベンジを果たしてくれる」
斗馬は新聞を折りたたみながら、画面に映る芦毛の馬に目をやった。それはユキノライジン産駒シガノフウジンだ。昨年、無敗の三冠馬となり有馬記念を制したシガノフウジンは、今年の春の天皇賞・宝塚記念も制した。そして、国内最強の称号を手に、満を持してフランスへと乗り込んだのだった。
「今年こそは直哉おじさんがが勝つに決まってるわ」
「そうそう、なんたってシガノフウジンはママが育て上げたんだから、絶対勝てるよ!」
若菜が得意げに宣言すれば、勇馬がそれに続きガッツポーズをする。仁菜は肩をすくめるのだった。
「さぁ、飛行機に乗り遅れるわ。二人とも食べてしまいなさい」
「「は~~い」」
勇馬と若菜は朝食を食べすすめる。仁菜は再び画面に視線を移す。特集はシガノフウジンのライバルたちの様子が語られている。
「ムッシュ・ルブランもシーク・サラディンも良い馬を送り込んできたな」
「敵はあちらだけとは限らないわよ」
画面には上月酒造の社長・上月満政のインタビューに切り替わっていた。シルバーフレームの眼鏡が彼の冷静沈着さを際立たせている。
「最後に笑うのはうちのテンペスターですよ」
不敵な笑みを浮かべていた。
「二人とも準備はいいか?」
「うん、大丈夫!」
「ちゃんとカメラも持ったよ」
若菜と勇馬は目を輝かせながら父の斗馬に返事をし、牧場の名前が入ったワンボックスに乗り込んだ。それを確認した斗馬は留守の間の指示の確認をスタッフと始めた。
「じゃ、留守の間は任せた」
「はい、こっちのことは心配しないで下さい」
斗馬は頷くと牧草地の方に目をやる。そこには風と共に駆け上がる芦毛の馬がいた。既にその体はくすんだ灰色ではなく、その名の通りの雪を思わせる純白となったユキノライジンだ。放牧の時間が大好きで現役時代と変わらず思いっきり走る。
「フフフ、気持ちよさそうに走っているわね」
戸締まりが終わった仁菜が声をかける。
「ああ、アイツは走るのが大好きだから」
そんなユキノライジンを見つめる仁菜を斗馬は抱き寄せた。そんな二人を急かすように子供たちが車窓から顔を出す。
「パパ、ママ。早くしないと飛行機に遅れちゃうよ!」
「ああ、そうだな」
二人は肩をすくめて、車に乗り込んだ。向かうのはフランス・ロンシャン競馬場。長年の夢であった凱旋門賞制覇がすぐ目の前まで来ていた。
空港へ向かう車の中、仁菜はこの十年を思い返す。慌ただしい10年だった。
斗馬と結婚したのはあのプロポーズから二年後、ソレイユ・ノアールが凱旋門賞を勝った翌年だ。といっても、すぐに一緒に暮らせるようになった訳ではない。仁菜はアレクシスとの契約でもう一年はソレイユ・ノアールの主戦騎手を務める事になっていたからだ。
それだけではない。斗馬も劇的に変わった状況の対応に追われた。父・兵馬が遠征失敗の責任を問われたばかりか、パワハラやセクハラが取り沙汰され鷲尾グループ総帥の座を負われた。
隠居していた祖父・龍馬が一時的に復帰、グループの立て直しを図る。その後、後継者に斗馬を指名し、取締役会で承認され全ての権限が委譲されたのである。
二人が新冠スタリオンで生活を始めるまでには更に二年を要した。ようやく夫婦で暮らせるようになった斗馬はすぐに子供が欲しいと願い、避妊をやめた。その成果はすぐに現れる。新冠スタリオンで暮らし始めて二ヶ月後、仁菜は妊娠した。そうして生まれたのが若菜と勇馬の二人だ。
「パパ、ママ! ユキノライジンが!!」
若菜が指さした方に目をやると、ユキノライジンが嘶きを上げ、後ろ足で立ち上がった。まるで鼓舞するようなその姿に二人は笑みを浮かべた。
「ねぇ、あっちには鷲が飛んでるよ!!」
勇馬が見つけた大きな黒い鷲はユキノライジンの上を悠然と旋回していた。その後、何度か羽ばたくと更に北へと飛び去っていく。その羽ばたきは自由を求めているかのようであった。
秋が深まる9月の終わり。新冠スタリオンの居住スペースに仁菜の声が響き渡る。
「若菜、勇馬、起きなさい!!」
「もうちょっと……」
「ママ、あと五分だけ……」
そう言って二人は布団にくるまる。仁菜はため息をつきながら、ぼそりと呟いた。
「仕方ないわね。だったら二人はここにお留守番ね」
その言葉に二人は飛び起きた。仁菜の言葉に今日が何の日か思い出したのだった。二人は慌ただしくベッドから降りると着替え始める。
「やれやれ……」
仁菜は肩をすくめながら、ダイニングルームへと戻る。そこでは夫・斗馬が新聞を片手にコーヒーを飲んでいた。付けっぱなしのテレビからは翌週に迫った凱旋門賞の特集が流れている。
「あ、直哉おじさんだ!」
インタビューに答える津島直哉の姿を見て勇馬が叫ぶ。それを若菜が窘め、二人は席に着いた。仁菜はコーンスープの入ったマグを渡しながら、画面を見やる。
「凱旋門賞ってどんな感じなんだろ?」
「ヨーロッパで一番盛り上がるレースの一つよ」
「ママは出たことあるんだっけ?」
若菜がトーストにバターを塗りながら、問いかける。仁菜はどう答えるべきか悩むが、斗馬が先に答えた。
「そうだ。ママはソレイユ・ノアールで二回出場したことがある」
「二回目の時は勝ったんだよね!!」
勇馬が興奮気味に声を上げ、テレビの上に掲げられている記念写真を見上げた。それはマグワイアファームの面々やアレクシスと写る優勝記念の口取り写真だった。
ジャパンカップを制覇したソレイユ・ノアールは翌年の凱旋門賞を制覇した。勿論、騎乗したのは仁菜だ。つまり、仁菜は史上初の凱旋門賞を制覇した女性騎手となったのである。
「でも、そのせいでユキノライジンは引退したんでしょ?」
若菜の言う通りだ。ユキノライジンはレース後に故障が判明し、そのまま引退することになってしまったのだ。
「あの時は悔しい思いをしたが、ユキノライジンを無事に帰国させる事が出来たからいい。次の世代がリベンジを果たしてくれる」
斗馬は新聞を折りたたみながら、画面に映る芦毛の馬に目をやった。それはユキノライジン産駒シガノフウジンだ。昨年、無敗の三冠馬となり有馬記念を制したシガノフウジンは、今年の春の天皇賞・宝塚記念も制した。そして、国内最強の称号を手に、満を持してフランスへと乗り込んだのだった。
「今年こそは直哉おじさんがが勝つに決まってるわ」
「そうそう、なんたってシガノフウジンはママが育て上げたんだから、絶対勝てるよ!」
若菜が得意げに宣言すれば、勇馬がそれに続きガッツポーズをする。仁菜は肩をすくめるのだった。
「さぁ、飛行機に乗り遅れるわ。二人とも食べてしまいなさい」
「「は~~い」」
勇馬と若菜は朝食を食べすすめる。仁菜は再び画面に視線を移す。特集はシガノフウジンのライバルたちの様子が語られている。
「ムッシュ・ルブランもシーク・サラディンも良い馬を送り込んできたな」
「敵はあちらだけとは限らないわよ」
画面には上月酒造の社長・上月満政のインタビューに切り替わっていた。シルバーフレームの眼鏡が彼の冷静沈着さを際立たせている。
「最後に笑うのはうちのテンペスターですよ」
不敵な笑みを浮かべていた。
「二人とも準備はいいか?」
「うん、大丈夫!」
「ちゃんとカメラも持ったよ」
若菜と勇馬は目を輝かせながら父の斗馬に返事をし、牧場の名前が入ったワンボックスに乗り込んだ。それを確認した斗馬は留守の間の指示の確認をスタッフと始めた。
「じゃ、留守の間は任せた」
「はい、こっちのことは心配しないで下さい」
斗馬は頷くと牧草地の方に目をやる。そこには風と共に駆け上がる芦毛の馬がいた。既にその体はくすんだ灰色ではなく、その名の通りの雪を思わせる純白となったユキノライジンだ。放牧の時間が大好きで現役時代と変わらず思いっきり走る。
「フフフ、気持ちよさそうに走っているわね」
戸締まりが終わった仁菜が声をかける。
「ああ、アイツは走るのが大好きだから」
そんなユキノライジンを見つめる仁菜を斗馬は抱き寄せた。そんな二人を急かすように子供たちが車窓から顔を出す。
「パパ、ママ。早くしないと飛行機に遅れちゃうよ!」
「ああ、そうだな」
二人は肩をすくめて、車に乗り込んだ。向かうのはフランス・ロンシャン競馬場。長年の夢であった凱旋門賞制覇がすぐ目の前まで来ていた。
空港へ向かう車の中、仁菜はこの十年を思い返す。慌ただしい10年だった。
斗馬と結婚したのはあのプロポーズから二年後、ソレイユ・ノアールが凱旋門賞を勝った翌年だ。といっても、すぐに一緒に暮らせるようになった訳ではない。仁菜はアレクシスとの契約でもう一年はソレイユ・ノアールの主戦騎手を務める事になっていたからだ。
それだけではない。斗馬も劇的に変わった状況の対応に追われた。父・兵馬が遠征失敗の責任を問われたばかりか、パワハラやセクハラが取り沙汰され鷲尾グループ総帥の座を負われた。
隠居していた祖父・龍馬が一時的に復帰、グループの立て直しを図る。その後、後継者に斗馬を指名し、取締役会で承認され全ての権限が委譲されたのである。
二人が新冠スタリオンで生活を始めるまでには更に二年を要した。ようやく夫婦で暮らせるようになった斗馬はすぐに子供が欲しいと願い、避妊をやめた。その成果はすぐに現れる。新冠スタリオンで暮らし始めて二ヶ月後、仁菜は妊娠した。そうして生まれたのが若菜と勇馬の二人だ。
「パパ、ママ! ユキノライジンが!!」
若菜が指さした方に目をやると、ユキノライジンが嘶きを上げ、後ろ足で立ち上がった。まるで鼓舞するようなその姿に二人は笑みを浮かべた。
「ねぇ、あっちには鷲が飛んでるよ!!」
勇馬が見つけた大きな黒い鷲はユキノライジンの上を悠然と旋回していた。その後、何度か羽ばたくと更に北へと飛び去っていく。その羽ばたきは自由を求めているかのようであった。
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