槍の又左、傾いて候

氷室龍

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語られる過去

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 又左は風の如く馬を駆り城門を通り抜けた。

「利家?! おい! どこへ行く?!」

大声で声を掛けたのは又左と同じく津島神社へ動向を命じられ、厩に向かおうとしていた内蔵助だった。その只ならぬ雰囲気に異変を感じ、彼が飛び出したであろう場所へと急いだ。

「一体何事か? 今、利家が……」

そう口を開きかけたところで内蔵助は口を紡ぐ。そこには尋常ではない雰囲気が漂っていた。苦虫を潰噛み潰したような渋面の筆頭家老・勝家は怒りのあまり拳を震わせて、それに相対している藤吉郎は怪我をしているらしい男児を宥めている。

「あの、馬鹿が!!!」

そう地団太を踏む勝家はやり場のない怒りを藤吉郎にぶつけようと睨み付け、怒声を上げようと口を開きかけたところでドスドスと大きな足音が近づいてきた。

「犬!! 犬はどこじゃ!!!」

それは主君信長であった。その場に居合わせた者が全員臣下の礼を取り、膝をつく。

「権六、如何いたした?」
「……」

怒りに打ち震えているのか勝家は答えようとしなかった。信長は早々に諦め、同じ問いを藤吉郎に投げかける。

「猿、何事か?」
「……」

藤吉郎もなんと答えるのが一番良いか言葉を選んでいるため速答ができない。とはいえ、信長の気の短さを考えれば答えぬ訳にもいかないと顔を上げたその時、一人の女人が駆け込んできた。

「殿ぉ!!」

それは寧々であった。寧々は信長に縋りつき涙声で友の危機を訴える。

「松が、松さんが……」
「松? 其方の友人の松か?」
「はい……。 グスッ」
「松に何かあったか?」
「前に絡まれた野盗たちに……」

そこまで聞いたところで信長は察した。

「権六、事の次第を話せ」
「はっ……」

勝家は不本意と言わんばかりに事と次第をポツポツと話し始める。信長はそれを静かに聞く。

「それで、利家は槍を手に取って一人野党の根城に向かったのでございます」
「……」

信長は目を瞑り、手にした扇でトントンと肩を叩きながら思案する。それを今まで黙ってみていた内蔵助が意を決して声を上げる。

「お、恐れながら。も、申し上げます」
「うん?」
「利家は松殿あっての【前田利家】にございます」
「どういうことか?」
「御館様は【篠原一計】殿をご存じでしょうか?」
「松の父であるな」
「はい、篠原殿は松殿が幼い頃に討ち死にされました。母君はその後、高畠直吉殿に再嫁されたのですが……」
「松は置いて行かれたか」
「はい」

それはこの時代なればよくある話であった。若くして未亡人となったものが再婚する際に前夫との子を実家に預けたり、養子に出したりしたものである。

「松殿は叔母の嫁ぎ先である荒子の前田利昌殿、つまり利家の父君に預けられたのです」
「で、あるか」
「気丈な松殿は人前では寂しさなど微塵も感じさせなかったようですが、夕暮れ時になると荒子の物見櫓に上って遠くを見られておったそうで……」
「母の嫁ぎ先の方角か……」
「恐らくは……」

その話に皆絶句し、その場に沈痛な空気が立ち込める。

「それを見かねた利家が言ったそうです」
「?」



『松! またこんなところに上ってんのか?!』
『犬千代……』
『そんなに母上が恋しいか?』

松は俯き、コクリと頷いた。顔を上げないのは必死で涙を押しとどめようとするのを見られたくないからだ。

『松! お前、俺の嫁になれ!!』
『は?!』
『俺がお前の家族になってやる。んで、いっぱい子を授けてやる!』
『何、それ……』
『子がたくさんおれば、寂しゅうはなかろう?』
『何、馬鹿なこと……』
『俺は大真面目じゃ』
『犬千代』
『ほれ、犬は子沢山じゃろ? だから、俺も子沢山じゃ! 犬千代だけにな!!』

又左はそう言って満面の笑みを浮かべ松を見た。松はそれに釣られて笑顔になったのだった。



「それから松殿は以前にも増して明るくなられたそうです」
「で、あるか……」

内蔵助の話が終わると、真っ先に口を開いたのは勝家だった。

「御館様!! それがし、またしても道を誤ったようにござる」
「で、あるか」
「なれど、まだ間に合いましょう。 利家の加勢に参りとうござる」

信長は思案するように目を瞑っている。皆、主君の次の言葉を待っていた。

「猿……」
「はっ」
「犬の相手は如何程いかほどか?」
「百程かと……」
「百であるか……」

信長は扇で手を打ち、目を見開く。

「百に一人で挑むは【喧嘩】ではのうて【戦】じゃ!」
「殿?」
「松が犬の大事な女子おなごと言うのであれば、これは一世一代の大戦おおいくさ。されば、この信長が後詰めをせねばなるまい!」

その場の空気が明るくなる。そして、

「内蔵助! 其方は先駆さきがけとなり、犬を追え! 猿! 其方は内蔵助を案内あないせよ!」
「「はっ!」」

二人はすぐに出立すべく動き始める。それを追いかけようと慶次が叫んだ。

「俺も連れってください!」
「慶次殿、これは遊びではない」
「分かってる」
「無茶はせぬと、約束できるか?」
「佐々殿!」
「木下、坊主と言えど【男】だ」
「?」
「汚名返上の機会を与えてやれ」
「なるほど、そうでござるな」
「連れってくれるのか?」
「慶次殿、それがしのそばを離れぬと約束していただけますかな?」

藤吉郎の言葉に力強く頷く慶次。それに満足した藤吉郎は自分が乗る馬を用意し始める。

「佐々内蔵助成政、出陣いたす!!  木下! 案内あないを頼むぞ!!」
「承知!!」

こうして、藤吉郎に先導のもと内蔵助と慶次が又左の後を追ったのだった。


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