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独眼竜、傾奇者に諭される
天下御免の傾奇者登場
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五郎八が2歳を迎え、世間の情勢と関わりなく穏やかな時が流れゆくある日のこと、一人の男が伊達屋敷を訪れる。
「これはこれは前田様。 ようお越しくださいました。」
愛が出迎えたのは前田慶次郎利益。加賀大納言・前田利家の義理の甥であり、秀吉から傾奇御免状を許された当代きっての傾奇者。伊達家はこの男に多大な恩があった。
「奥方にお子が出来たと聞いて遅ればせながら祝いをお持ちした。」
「まぁ、ありがとうございます。」
慶次の両手には祝いの品がたんと抱えられており、愛はそれを微笑みながら客間へと案内する。
「ほうほう、これはまた可愛らしい姫君で…。」
「ありがとうございます。」
「して、名は何と?」
「五郎八と申します。」
愛は筆をとり、五郎八と書き記す。それを見て慶次は眉を顰めた。読みこそ女子ではあるが、その字は男子のものだったからだ。
「世継ぎと思うて疑われてなかったようで…。」
「なるほど…。」
「終いに考え直すのが面倒だと言ってこの名に…。」
「ははは、あの伊達殿らしいわ。」
「そうですわね。」
ふわりと笑った愛だったがその中に悲哀が含まれているのを慶次は見逃さなかった。
「愛殿、なんぞ悩みでもおありか?」
「え?」
「どこか寂しげに見えたのだが、それがしの気のせいか?」
愛は驚いたが、慶次の真摯な瞳に隠し事は出来ぬとため息をつく。
「流石は前田殿。 何でもお見通しですか…。」
「人より察しが良いだけですよ。」
「なるほど…。」
「それで何をそんなに気にかけておられるのか?」
すると、愛はおもむろに立ち上がり、奥から一着の直垂を持ってくる。それを慶次の前に差し出した。何かわからず訝しむが、すぐにあることに気付いた慶次。
「なるほど…。」
「先日、古田織部殿の元に参られたときにお召しになっていたものです。」
「愛殿…。」
「茶の湯を学びに行かれたのに何故このような残り香を…。」
愛は思わず、袖で目頭を覆う。慶次はその様子に腕を組み、眉間に皺を寄せる。だが、この香りに覚えがあったため、膝をポンと叩くとニカッと笑う。
「愛殿、此度の一件。 この前田慶次郎にお預け願えないだろうか?」
「え? 前田殿に、でございますか?」
「悪いようにはしませぬ故、任せくださらぬか?」
「前田殿がそうおっしゃるのなら…。」
「そうと決まれば、善は急げ! 耳を貸していただけぬか?」
そう言って、愛の耳元で何事か耳打ちをした後、慶次は屋敷を後にしたのだった。
*********************************************
一方、政宗はあることに頭を悩ませていた。それは目の前にいる男の申し出をどうしたものかと…。
男の名は大野治長。手紙はこの男の乳姉からのものだ。
「内々の事ですので、お返事は織部殿を通してくだされ。」
「…………。」
「では、それがしはこれで…。」
そう言って、男は立ち去った。あとに残った政宗は一人ため息をつく。目の前に置かれた書状を懐に入れて、屋敷への帰路についたのだが、その足取りは重い。それに気づいたのは小十郎が声を掛ける。
「殿、如何なされました?」
「うん?」
「大野殿から何か無理難題でも?」
「まぁ、そうだな。 ある意味難題ではあるな…。」
「?」
「すまぬが、これは俺一人で何とかせねばならぬことだ。」
政宗の苦笑いに小十郎は一抹の不安を覚えたが、その瞳の奥に悲しみの色を見つけ押し黙るよりほかなかった。
――――――――伊達屋敷――――――――
馬を降りると、よちよち歩きの五郎八が出迎える。
「ととしゃま~~~」
「おお、五郎八。
今日もよい子にしておったか。」
「あい。」
「そうか、そうか。」
政宗は抱き上げ、そのまま屋敷へと入る。ふと愛の姿がないことに気付き、眉を顰める。五郎八を乳母に預け、愛がいるであろう部屋へと向かった。
「愛、俺だ。」
「あ、はい…。」
政宗は障子を勢い良く開ける。するとそこには南蛮渡来の品々が所狭しと並んでいた。流石にこれには驚き、目を丸くする政宗。
「これは…。」
「前田殿ですわ。」
「前田殿?」
政宗は一瞬加賀大納言の顔を思い浮かべたが、すぐにもう一人の前田の姓を名乗る男を思い出した。以前、小田原遅参の原因である毒殺未遂事件で世話になったあの傾奇者の顔を…。
「そうか、慶次殿が訪ねて参られたのか…。」
「はい、五郎八の誕生祝だそうです。」
「あの方らしいな。」
「そうですね。」
愛は薄く笑う。その顔を見て政宗の顔が険しくなった。それは愛の頬に涙が伝った痕が見えたから…。
政宗はその両肩に手を置き、問い詰める。
「愛、何があった?」
「え?」
「慶次殿と何があったのだ?!」
「な、何も…。」
「では、何故、涙の痕がある?」
「こ、これは…。」
愛は口籠ってしまう。言えるわけはなかった。政宗が心変わりをしたのではないかと不安に思っているなどと。それを堪えきれず、慶次の前で泣いてしまったなど口が裂けても言えない。そうやって黙り込んでいると、肩に置かれていた手に力が入るのがわかった。余りの強さに顔を上げるとそこには不動明王の如き憤怒の表情の政宗がいた。
「と、殿?」
「許さぬ…。」
「え?」
「許さぬ! 俺の愛を泣かせるなど!!
例え、恩がある方であろうが絶対に許さぬ!!!」
政宗は部屋を飛び出した。愛の制止する声が聞こえたが、今の政宗には届かない。右手には愛用の太刀が握られており、その様子にだれも止めることができなかった。唯一、声を掛けれたのは傅役の小十郎だった。
「殿、どちらへ?」
「山城守のところへ行ってくる。」
「では、それがしも供を…。」
「いらぬ!」
「し、しかし…。」
「俺一人で十分だ!!!」
流石の小十郎もそれ以上引き留めるのは無理と思ったのか、すぐに馬を用意させて、手綱を渡した。政宗はそれに乗るとまさに疾風の如く屋敷を飛び出した。
――――――――直江山城守邸――――――――
「誰かある!!」
政宗は馬上で叫んだ。それに慄いて現れた下男は平伏して、迎える。
「山城守殿はおられるか?」
「は、はい。」
「伊達政宗が聞きたいことがあると…。」
すると、門前の騒ぎに気付いたのか兼続が現れる。政宗は馬を飛び降り、ズカズカと歩み寄ると兼続の胸倉を掴んで問い詰めた。
「前田慶次の居場所はどこだ?」
「は?」
「隠すと為にならんぞ!」
「隠しはせぬが…。 一体何が…。」
「いいから教えろ! ヤツはどこにいる!!」
「恐らく、二条柳町の妓楼・紫雲楼でしょう。」
「紫雲楼?」
「馴染みの遊女の座敷で…。」
「そうか。」
政宗は腕を下ろすと再び馬上の人となり去っていった。
「殿、あれは何なんでしょうか…。」
「う~~~む、独眼竜の悋気、か?」
「へ?」
「何やら面白そうなことが起きそうだ…。」
兼続は政宗の去った方角を見やりながら肩を竦め笑うのだった。
――――――――二条柳町―――――――
秀吉は京の町の復興のためと称してこの地に遊里開設の許可を出す。故にここ二条柳町は色里となっていた。その一角に紫雲楼はある。二階で慶次は馴染みの遊女・薄雲の琵琶の音を聞きながら酒を飲んでいた。
「どうやら、おいでなすったようだ。」
「どないしはいはったんどす?」
「うん? なぁに、ちょいと人が訪ねてくるころだと思ってな。」
「へぇ、前田はんを訊ねて、でおますかぁ?」
「まぁな。 さて、どんな顔で現れることやら…。」
すると、階下から女たちの悲鳴とともにけたたましい足音がしてくる。慶次はすぐに誰かわかってニヤリと口の端を上げた。バンッと開け放たれた障子の向こうには肩で息をする憤怒の形相の政宗の姿であった。そのまま慶次ににじり寄ると胸倉を掴む。
「どう言うつもりだ。」
「どう、とは?」
「とぼけるな!!」
「とぼけてなどおらぬ。」
「なら! なら何故愛に涙の痕など…。」
そう言いかけたところで慶次の眼の色が変わる。胸倉を掴んでいる政宗の手首を取り引き剥がし、立ち上がると右拳で政宗の頬を殴った。余りに強烈な一撃に政宗の体は吹き飛ぶ。
「阿呆だとは思っておったがここまでだったとはなぁ。」
「前田はん。」
「何だ?」
「ここはわての座敷。 喧嘩はやめておくれやす。」
「おうおう。 わかっておる。 この阿呆に説教するだけじゃ。」
慶次は薄雲にニコリと笑うと政宗に向き直る。政宗が殴られた頬をさすりながら起き上がると再び噛みついてきた。
「痛っ。 誰が阿呆じゃ!!」
「女心を察してやれんような男は阿呆以外の何者でもないわ!」
「女心、だと?」
慶次は一枚の直垂を投げつける。政宗はその柄に見覚えがあった。
「これは…。」
「お主が古田織部の元を尋ねた折に着ておった物だそうだ。」
「織部殿の…。」
「おおよ。 で、主はそれを受け取っても何も感じぬのか?」
政宗は何を言われているのか全く分からなかった。慶次はその姿にほとほと呆れ果てる。すると、それまで傍観していた薄雲が話に割って入った。
「これはあきまへんわ。」
「?」
「こないな残り香つけて帰りはったら、そら、誰でも泣きますわぁ。」
「!!!」
政宗は慌ててその直垂を嗅いでみる。確かに愛とは違う香の匂いがした。政宗は頭の中が真っ白になった。呆然となり、直垂を落としてしまう。
(なんてことだ。 あの涙は俺のせい、だったのか…。)
政宗は泣きたくなった。あれ程、『必ず守る』と誓った愛しき人を自分の不注意で傷つけてしまったと気づいたから…。
がっくりと項垂れる姿に薄雲は気の毒になり、声を掛けた。
「人の心はうつろいやすいものどす。」
「うつろいやすい…。」
「そうどす。 せやから、女子は皆己を磨くんですわぁ。」
「愛もそうなのか?」
「さぁ、うちにはわかりまへん。 せやけど、不安になるお気持ちはようわかります。」
「愛の気持ち?」
「好いたお方がこないな香り、纏おて戻ってきはったら。 うちかて泣きますわぁ。」
「…………。」
「せやけど、今なら間に合うんちゃいます?」
「え?」
「今なら、何ぞ贈りものしはって、頭下げたら、許してくれはいますえ。」
「贈り物、か…。」
政宗は薄雲の言葉に胡坐をかいて真剣に考え始めた。その姿に慶次はやれやれと肩を竦める。
「贈り物はいいがその前にお主は風呂だな。」
「は?」
「ほれ、ちょっと来い!!」
「うわ!」
慶次は政宗の襟ぐり掴んで風呂へと引きずっていく。
「前田はん。 どなたか迎え呼びましょかぁ?」
「おお、なら、真田左衛門佐を呼んでおいてくれ。」
文句を言いたいところだったが、何せ慶次は大男。如何に鍛え上げた政宗といえど慶次に敵うはずもなく身ぐるみ剥がされ、湯殿に放り投げられた。
「うむ、いい湯加減だ。」
「慶次殿!」
「ここは妓楼だ。 そのまま帰ったらマズいだろ?」
「むぅ…。」
「なぁ、政宗。」
「…………。」
「愛殿のにはお前しかおらんのじゃ。」
「…………。」
「毅然としておられるが、ホントはお主に寄りかかりたいはずだ。」
「俺は…。」
「うん?」
「俺は、どうすれば…。」
「まぁ、まずは謝ることじゃ!」
慶次はニカッと笑って政宗の背中を叩く。政宗は眉を下げて笑うより仕方なかった。
「で、これは一体どういうことでしょうか?」
「いやぁ、すまんなぁ。」
「いきなり、呼び出されるからない事かと思いましたぞ。」
「詳しい話は政宗に聞いてくれ。」
「はぁ。」
左衛門佐こと真田信繁は困惑顔で慶次と政宗の顔を見る。慶次は頭を掻きながら苦笑いをしてるし、政宗は何やら真剣に悩んでいる様子だし訳がわからない。
「伊達はん。 四条にええ腕した扇職人がおりますえ。」
「扇?」
「武家の奥方いうたら扇は必要でっしゃろ?」
薄雲は華やかに笑って懐から一枚の紙きれを出し、それを政宗に持たせた。政宗はそれを握りしめる。
「源次郎! 悪いが買い物に付き合え!」
「仕方ない。 ただ藤次郎殿は目立ってしょうがないからなぁ。」
「なんだ、それは!!」
「おいおい、こんな往来で喧嘩を始めるなよ。」
「「あ…。」」
二人は慶次に窘められて頭を掻く。そうして、二条柳町を後にした。
その後、薄雲に紹介された扇職人の元を尋ねた二人。既に話が通っていたのか、すんなりと中に通される。
「へぇ、色々とあるものだ。」
「どうです? 真田はんも奥方におひとついかがどす?」
「そうだなぁ…。」
信繁がどれにしようかと悩み始めた時、政宗の眼はある一枚に釘付けとなっていた。
「主、これは?」
「ああ、陸奥の国に行った際に目にした光景を描いたもんどす。」
「ほぉ、これは珍しい。」
信繁も驚いた。そこに描かれていたのは梅と桃と桜。
「あの時は『なるほどなぁ』思いましたわぁ。」
「どう言うことだ?」
「陸奥には一度に咲くところがあるんだ。」
「え?」
「三春、というのだ。 梅と桃と桜が一度に咲くから…。
三つの春が一度にやってくるからそう呼ばれるようになった。」
「へぇ…。」
「愛の故郷だ。」
信繁も店主もそのまま押し黙ってしまった。二の句を告げないでいると政宗が口を開く。
「主、これを譲ってもらぬか?」
「そのような話、聞いてもぉたら売らんわけにはいきまへんわなぁ。」
店主はニコリと笑ってその扇を譲ってくれた。政宗はそれを大事そうに懐にしまうと店を後にする。
「あぁ~~~。」
「源次郎?」
「藤次郎殿! 何があったかは聞きませぬ。」
「?」
「これから難しいことも多くなりましょう。」
「…………。」
「その時、一番の支えは妻であると俺は思うんです。」
「源次郎…。」
「夫婦の間で隠し事はなし、それが円満の秘訣です。」
いつになく真剣な信繁の表情に政宗は吹き出してしまう。政宗が大声で笑うものだから、信繁はますます眉間の皺が深くなった。そうやって笑ううちに政宗はすっきりした。
「源次郎! やはり其方とつるむのは楽しいな。」
「はぁ?」
訝しむ信繁を尻目に政宗は晴れやかな気持ちでいた。今夜はこの扇とともに真実を語ろう。そう決意したのだった。
************************************************
お読みいただきありがとうございます。
「これはこれは前田様。 ようお越しくださいました。」
愛が出迎えたのは前田慶次郎利益。加賀大納言・前田利家の義理の甥であり、秀吉から傾奇御免状を許された当代きっての傾奇者。伊達家はこの男に多大な恩があった。
「奥方にお子が出来たと聞いて遅ればせながら祝いをお持ちした。」
「まぁ、ありがとうございます。」
慶次の両手には祝いの品がたんと抱えられており、愛はそれを微笑みながら客間へと案内する。
「ほうほう、これはまた可愛らしい姫君で…。」
「ありがとうございます。」
「して、名は何と?」
「五郎八と申します。」
愛は筆をとり、五郎八と書き記す。それを見て慶次は眉を顰めた。読みこそ女子ではあるが、その字は男子のものだったからだ。
「世継ぎと思うて疑われてなかったようで…。」
「なるほど…。」
「終いに考え直すのが面倒だと言ってこの名に…。」
「ははは、あの伊達殿らしいわ。」
「そうですわね。」
ふわりと笑った愛だったがその中に悲哀が含まれているのを慶次は見逃さなかった。
「愛殿、なんぞ悩みでもおありか?」
「え?」
「どこか寂しげに見えたのだが、それがしの気のせいか?」
愛は驚いたが、慶次の真摯な瞳に隠し事は出来ぬとため息をつく。
「流石は前田殿。 何でもお見通しですか…。」
「人より察しが良いだけですよ。」
「なるほど…。」
「それで何をそんなに気にかけておられるのか?」
すると、愛はおもむろに立ち上がり、奥から一着の直垂を持ってくる。それを慶次の前に差し出した。何かわからず訝しむが、すぐにあることに気付いた慶次。
「なるほど…。」
「先日、古田織部殿の元に参られたときにお召しになっていたものです。」
「愛殿…。」
「茶の湯を学びに行かれたのに何故このような残り香を…。」
愛は思わず、袖で目頭を覆う。慶次はその様子に腕を組み、眉間に皺を寄せる。だが、この香りに覚えがあったため、膝をポンと叩くとニカッと笑う。
「愛殿、此度の一件。 この前田慶次郎にお預け願えないだろうか?」
「え? 前田殿に、でございますか?」
「悪いようにはしませぬ故、任せくださらぬか?」
「前田殿がそうおっしゃるのなら…。」
「そうと決まれば、善は急げ! 耳を貸していただけぬか?」
そう言って、愛の耳元で何事か耳打ちをした後、慶次は屋敷を後にしたのだった。
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一方、政宗はあることに頭を悩ませていた。それは目の前にいる男の申し出をどうしたものかと…。
男の名は大野治長。手紙はこの男の乳姉からのものだ。
「内々の事ですので、お返事は織部殿を通してくだされ。」
「…………。」
「では、それがしはこれで…。」
そう言って、男は立ち去った。あとに残った政宗は一人ため息をつく。目の前に置かれた書状を懐に入れて、屋敷への帰路についたのだが、その足取りは重い。それに気づいたのは小十郎が声を掛ける。
「殿、如何なされました?」
「うん?」
「大野殿から何か無理難題でも?」
「まぁ、そうだな。 ある意味難題ではあるな…。」
「?」
「すまぬが、これは俺一人で何とかせねばならぬことだ。」
政宗の苦笑いに小十郎は一抹の不安を覚えたが、その瞳の奥に悲しみの色を見つけ押し黙るよりほかなかった。
――――――――伊達屋敷――――――――
馬を降りると、よちよち歩きの五郎八が出迎える。
「ととしゃま~~~」
「おお、五郎八。
今日もよい子にしておったか。」
「あい。」
「そうか、そうか。」
政宗は抱き上げ、そのまま屋敷へと入る。ふと愛の姿がないことに気付き、眉を顰める。五郎八を乳母に預け、愛がいるであろう部屋へと向かった。
「愛、俺だ。」
「あ、はい…。」
政宗は障子を勢い良く開ける。するとそこには南蛮渡来の品々が所狭しと並んでいた。流石にこれには驚き、目を丸くする政宗。
「これは…。」
「前田殿ですわ。」
「前田殿?」
政宗は一瞬加賀大納言の顔を思い浮かべたが、すぐにもう一人の前田の姓を名乗る男を思い出した。以前、小田原遅参の原因である毒殺未遂事件で世話になったあの傾奇者の顔を…。
「そうか、慶次殿が訪ねて参られたのか…。」
「はい、五郎八の誕生祝だそうです。」
「あの方らしいな。」
「そうですね。」
愛は薄く笑う。その顔を見て政宗の顔が険しくなった。それは愛の頬に涙が伝った痕が見えたから…。
政宗はその両肩に手を置き、問い詰める。
「愛、何があった?」
「え?」
「慶次殿と何があったのだ?!」
「な、何も…。」
「では、何故、涙の痕がある?」
「こ、これは…。」
愛は口籠ってしまう。言えるわけはなかった。政宗が心変わりをしたのではないかと不安に思っているなどと。それを堪えきれず、慶次の前で泣いてしまったなど口が裂けても言えない。そうやって黙り込んでいると、肩に置かれていた手に力が入るのがわかった。余りの強さに顔を上げるとそこには不動明王の如き憤怒の表情の政宗がいた。
「と、殿?」
「許さぬ…。」
「え?」
「許さぬ! 俺の愛を泣かせるなど!!
例え、恩がある方であろうが絶対に許さぬ!!!」
政宗は部屋を飛び出した。愛の制止する声が聞こえたが、今の政宗には届かない。右手には愛用の太刀が握られており、その様子にだれも止めることができなかった。唯一、声を掛けれたのは傅役の小十郎だった。
「殿、どちらへ?」
「山城守のところへ行ってくる。」
「では、それがしも供を…。」
「いらぬ!」
「し、しかし…。」
「俺一人で十分だ!!!」
流石の小十郎もそれ以上引き留めるのは無理と思ったのか、すぐに馬を用意させて、手綱を渡した。政宗はそれに乗るとまさに疾風の如く屋敷を飛び出した。
――――――――直江山城守邸――――――――
「誰かある!!」
政宗は馬上で叫んだ。それに慄いて現れた下男は平伏して、迎える。
「山城守殿はおられるか?」
「は、はい。」
「伊達政宗が聞きたいことがあると…。」
すると、門前の騒ぎに気付いたのか兼続が現れる。政宗は馬を飛び降り、ズカズカと歩み寄ると兼続の胸倉を掴んで問い詰めた。
「前田慶次の居場所はどこだ?」
「は?」
「隠すと為にならんぞ!」
「隠しはせぬが…。 一体何が…。」
「いいから教えろ! ヤツはどこにいる!!」
「恐らく、二条柳町の妓楼・紫雲楼でしょう。」
「紫雲楼?」
「馴染みの遊女の座敷で…。」
「そうか。」
政宗は腕を下ろすと再び馬上の人となり去っていった。
「殿、あれは何なんでしょうか…。」
「う~~~む、独眼竜の悋気、か?」
「へ?」
「何やら面白そうなことが起きそうだ…。」
兼続は政宗の去った方角を見やりながら肩を竦め笑うのだった。
――――――――二条柳町―――――――
秀吉は京の町の復興のためと称してこの地に遊里開設の許可を出す。故にここ二条柳町は色里となっていた。その一角に紫雲楼はある。二階で慶次は馴染みの遊女・薄雲の琵琶の音を聞きながら酒を飲んでいた。
「どうやら、おいでなすったようだ。」
「どないしはいはったんどす?」
「うん? なぁに、ちょいと人が訪ねてくるころだと思ってな。」
「へぇ、前田はんを訊ねて、でおますかぁ?」
「まぁな。 さて、どんな顔で現れることやら…。」
すると、階下から女たちの悲鳴とともにけたたましい足音がしてくる。慶次はすぐに誰かわかってニヤリと口の端を上げた。バンッと開け放たれた障子の向こうには肩で息をする憤怒の形相の政宗の姿であった。そのまま慶次ににじり寄ると胸倉を掴む。
「どう言うつもりだ。」
「どう、とは?」
「とぼけるな!!」
「とぼけてなどおらぬ。」
「なら! なら何故愛に涙の痕など…。」
そう言いかけたところで慶次の眼の色が変わる。胸倉を掴んでいる政宗の手首を取り引き剥がし、立ち上がると右拳で政宗の頬を殴った。余りに強烈な一撃に政宗の体は吹き飛ぶ。
「阿呆だとは思っておったがここまでだったとはなぁ。」
「前田はん。」
「何だ?」
「ここはわての座敷。 喧嘩はやめておくれやす。」
「おうおう。 わかっておる。 この阿呆に説教するだけじゃ。」
慶次は薄雲にニコリと笑うと政宗に向き直る。政宗が殴られた頬をさすりながら起き上がると再び噛みついてきた。
「痛っ。 誰が阿呆じゃ!!」
「女心を察してやれんような男は阿呆以外の何者でもないわ!」
「女心、だと?」
慶次は一枚の直垂を投げつける。政宗はその柄に見覚えがあった。
「これは…。」
「お主が古田織部の元を尋ねた折に着ておった物だそうだ。」
「織部殿の…。」
「おおよ。 で、主はそれを受け取っても何も感じぬのか?」
政宗は何を言われているのか全く分からなかった。慶次はその姿にほとほと呆れ果てる。すると、それまで傍観していた薄雲が話に割って入った。
「これはあきまへんわ。」
「?」
「こないな残り香つけて帰りはったら、そら、誰でも泣きますわぁ。」
「!!!」
政宗は慌ててその直垂を嗅いでみる。確かに愛とは違う香の匂いがした。政宗は頭の中が真っ白になった。呆然となり、直垂を落としてしまう。
(なんてことだ。 あの涙は俺のせい、だったのか…。)
政宗は泣きたくなった。あれ程、『必ず守る』と誓った愛しき人を自分の不注意で傷つけてしまったと気づいたから…。
がっくりと項垂れる姿に薄雲は気の毒になり、声を掛けた。
「人の心はうつろいやすいものどす。」
「うつろいやすい…。」
「そうどす。 せやから、女子は皆己を磨くんですわぁ。」
「愛もそうなのか?」
「さぁ、うちにはわかりまへん。 せやけど、不安になるお気持ちはようわかります。」
「愛の気持ち?」
「好いたお方がこないな香り、纏おて戻ってきはったら。 うちかて泣きますわぁ。」
「…………。」
「せやけど、今なら間に合うんちゃいます?」
「え?」
「今なら、何ぞ贈りものしはって、頭下げたら、許してくれはいますえ。」
「贈り物、か…。」
政宗は薄雲の言葉に胡坐をかいて真剣に考え始めた。その姿に慶次はやれやれと肩を竦める。
「贈り物はいいがその前にお主は風呂だな。」
「は?」
「ほれ、ちょっと来い!!」
「うわ!」
慶次は政宗の襟ぐり掴んで風呂へと引きずっていく。
「前田はん。 どなたか迎え呼びましょかぁ?」
「おお、なら、真田左衛門佐を呼んでおいてくれ。」
文句を言いたいところだったが、何せ慶次は大男。如何に鍛え上げた政宗といえど慶次に敵うはずもなく身ぐるみ剥がされ、湯殿に放り投げられた。
「うむ、いい湯加減だ。」
「慶次殿!」
「ここは妓楼だ。 そのまま帰ったらマズいだろ?」
「むぅ…。」
「なぁ、政宗。」
「…………。」
「愛殿のにはお前しかおらんのじゃ。」
「…………。」
「毅然としておられるが、ホントはお主に寄りかかりたいはずだ。」
「俺は…。」
「うん?」
「俺は、どうすれば…。」
「まぁ、まずは謝ることじゃ!」
慶次はニカッと笑って政宗の背中を叩く。政宗は眉を下げて笑うより仕方なかった。
「で、これは一体どういうことでしょうか?」
「いやぁ、すまんなぁ。」
「いきなり、呼び出されるからない事かと思いましたぞ。」
「詳しい話は政宗に聞いてくれ。」
「はぁ。」
左衛門佐こと真田信繁は困惑顔で慶次と政宗の顔を見る。慶次は頭を掻きながら苦笑いをしてるし、政宗は何やら真剣に悩んでいる様子だし訳がわからない。
「伊達はん。 四条にええ腕した扇職人がおりますえ。」
「扇?」
「武家の奥方いうたら扇は必要でっしゃろ?」
薄雲は華やかに笑って懐から一枚の紙きれを出し、それを政宗に持たせた。政宗はそれを握りしめる。
「源次郎! 悪いが買い物に付き合え!」
「仕方ない。 ただ藤次郎殿は目立ってしょうがないからなぁ。」
「なんだ、それは!!」
「おいおい、こんな往来で喧嘩を始めるなよ。」
「「あ…。」」
二人は慶次に窘められて頭を掻く。そうして、二条柳町を後にした。
その後、薄雲に紹介された扇職人の元を尋ねた二人。既に話が通っていたのか、すんなりと中に通される。
「へぇ、色々とあるものだ。」
「どうです? 真田はんも奥方におひとついかがどす?」
「そうだなぁ…。」
信繁がどれにしようかと悩み始めた時、政宗の眼はある一枚に釘付けとなっていた。
「主、これは?」
「ああ、陸奥の国に行った際に目にした光景を描いたもんどす。」
「ほぉ、これは珍しい。」
信繁も驚いた。そこに描かれていたのは梅と桃と桜。
「あの時は『なるほどなぁ』思いましたわぁ。」
「どう言うことだ?」
「陸奥には一度に咲くところがあるんだ。」
「え?」
「三春、というのだ。 梅と桃と桜が一度に咲くから…。
三つの春が一度にやってくるからそう呼ばれるようになった。」
「へぇ…。」
「愛の故郷だ。」
信繁も店主もそのまま押し黙ってしまった。二の句を告げないでいると政宗が口を開く。
「主、これを譲ってもらぬか?」
「そのような話、聞いてもぉたら売らんわけにはいきまへんわなぁ。」
店主はニコリと笑ってその扇を譲ってくれた。政宗はそれを大事そうに懐にしまうと店を後にする。
「あぁ~~~。」
「源次郎?」
「藤次郎殿! 何があったかは聞きませぬ。」
「?」
「これから難しいことも多くなりましょう。」
「…………。」
「その時、一番の支えは妻であると俺は思うんです。」
「源次郎…。」
「夫婦の間で隠し事はなし、それが円満の秘訣です。」
いつになく真剣な信繁の表情に政宗は吹き出してしまう。政宗が大声で笑うものだから、信繁はますます眉間の皺が深くなった。そうやって笑ううちに政宗はすっきりした。
「源次郎! やはり其方とつるむのは楽しいな。」
「はぁ?」
訝しむ信繁を尻目に政宗は晴れやかな気持ちでいた。今夜はこの扇とともに真実を語ろう。そう決意したのだった。
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