瀬戸内の狼とお転婆な鶴

氷室龍

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お転婆な鶴の姫

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 吉隆が城に戻るとそこには亮康が待ち構えていた。吉隆は褌姿ふんどしすがたのまま鯛を手に意気揚々と上がったのだった。
 
「只今戻りました」
「この、馬鹿が!!」

 吉隆はいきなり頭を叩かれた。何故怒られたのか分からぬらしく、吉隆は困惑している。

「あれほど一人で沖に出るなと申したであろうが!!」
「ですが……」
「よいか。そなたは確かに泳ぎも舟の扱いも上手い。だが、過信してはならぬ。海では何が起こるか分からぬからだ」
「申し訳ありませぬ」
「無茶をして母の心配事を増やすな。ただでさえ、嫁も迎えておらぬと嘆いておるのに……」

 吉隆は申し訳なさそうに後ろ頭を搔いた。亮康には景康の他に景隆と吉亮という二人の息子がいた。因島本家の吉充よしみつに実子がなかったため景隆が養子に入った。だが早世したため吉亮が新たに養子として迎えられたのだった。亮康の元には景康と養子となった吉隆の二人のみだ。特に吉隆は妻の朱里あかりが可愛がっており、余り無茶して欲しくないのだ。

「次からは平太を供に連れて行きます」
「うむ」

 亮康は【分かれば良い】といったふうに頷いた。

「父上、遂に織田との決戦でしょうか?」
「分からぬ」
「因島本家や小早川様から何か聞いてはおらぬのですか?」
「恐らくは大義名分を手に入れたいのであろう」
「大義名分ですか……」
「【腐っても鯛】と言うことじゃ」

 亮康の言葉は言い得て妙であった。義昭は既に武家のみならず公家からも見放されている。朝廷との接触もままならず、望んでいた右近衛うこんのえ大将たいしょうには信長が任官されてしまうなど最早権威もへったくれも無い状態だ。
 とはいえ、信長の勢力外となると話は別である。未だに足利将軍家を崇拝する者も多い。また、亮康の言う通り、大義名分を手に入れるにはちょうど良いのだ。ましてや、今の義昭は思い通りに事が運ばず不満を募らせている。甘い言葉を囁けば簡単に御内書を出してくれる。と言う訳である。

「先般の木津川口での戦で公方様も毛利に全幅の信頼を置いておるようだ」
「面倒なことが起きねば良いですが……」
「そのために儂らと一乗山の渡辺殿とで警護するのだ」
「なるほど……」
「それより、準備ができ次第出航する。抜かるでないぞ」
「はい!」



 二日後、亮康たち鞆の海賊衆は東へ向けて出航した。行く手を阻む者はない。だが、油断は出来ない。途中で塩飽しわくの海賊衆から三好一族の干渉があることを示唆されたからだ。

「義父上、そろそろ讃岐さぬきに入ります」
「うむ。気を引き締めてかかれ」

 舟には張り詰めた空気が広がる。やがて見えてきた安宅船が恐らく義昭を乗せた船であることは間違いない。だが、その周りにいる関船に掲げられた旗を見て亮康の顔は険しくなる。

三階菱さんかいびし五つ釘抜いつくぎぬき。間違いない、三好一族じゃ」
「父上……」
「皆の者! 気を引き締めよ!!」
「おお!!!」

 吉隆は強弓こわゆみを手に船首に立つ。矢を射かけ、引き絞る。つるがギリギリと音を立てる。目一杯引き絞ったところで矢を放った。矢はヒュンッと音を立てて空を切り裂くと、三好の家紋が染め抜かれた旗に命中した。

「さすが、又四郎様だ!!」

 みなの士気が一気に上がった。逆に三好の船ではざわめきが起きていた。そして、【丸に上の字】の旗を見て慌てふためいている。

「村上の海賊衆だと!?」
「儂らでどうにかなるのか?」

 動揺は船の動きに出た。亮康はその機を見逃さず船団を動かす。小回りのきく関船を要しているだけに三好の兵たちを翻弄する。結局、さしたる争いも起きず、三好の干渉をはねのけたのであった。



「さすがは瀬戸内一の海賊衆じゃ」

 無事、鞆に到着した義昭は開口一番そう言ったのだった。

「公方様におかれましてはあちらの屋敷に逗留とうりゅうしていただくことになっております」
「おお、そうか」
「警護の方は渡辺はじめ殿とこの亮康が担います故、ご安心くだされ」

 義昭は港を見渡せる小高い丘に建つ屋敷に入った。

「この鞆の地は足利家にとって吉兆の土地じゃ。ここから再び京を目指すぞ!!」

 義昭は強い決意を漲らせている。一同はそれに従うフリをしているが、内心では夢物語と嘲笑ったのだった。その証拠に、付き従う者の少なさがあげられる。幕臣の二割にも満たないと言うことであった。朝廷とのつなぎ役であった公家に至っては皆無という有様である。

「日野様も織田の説得に応じたそうだ」
「なんとも割に合わぬ役目じゃのぉ」
「多少、備中びっちゅう御料所の年貢があるだけマシであろう」

 二人は復権に意欲を燃やす義昭を冷めた目で見つめるのであった。



 その頃、吉隆は未だ城に帰還出来ず、港で口論に巻き込まれていた。

「だから、私は街を見て回りたいだけなの!!」
「それは出来ません。殿からは貴女様を公方様の屋敷にお連れするように申しつかっております」

 鶴が描かれた小袖を着た若い娘が海賊衆相手に食ってかかっている。どうやら、鞆の街を見て回りたいとだだをこねているようだ。

「又四郎様、良いところに!!」
「どうした?」
「こちらの姫君が街を見て回りたいと言い張って困っているのです」
「街を見て回るくらい……」

 吉隆が言いかけたところで、いつもつるんでいる平太が耳打をしてきた。

「あちらはただの娘ではありません」
「?」
「広橋家の姫君です」

 吉隆は驚いた。広橋家は藤原北家日野流の名家である。本家となる日野が足利将軍御台所みだいどころ(将軍の正室)を多く輩出していることもあり、朝廷との折衝役を務めてきた。その家紋は【対い鶴むかいづる】。つまり、彼女が鶴をあしらった小袖を着ているのはそのためなのだ。

「誰かが供をして案内すれば良いのでは?」
「そうはいきませぬ。公方様からすぐに屋敷につれて参れと……」
「だが、本人は嫌そうにしているが?」
「だから困っているのです。仮にも名家の姫君。もしもの事があったら誰が責任を取るのですか!?」

 平太が鼻息も荒く詰め寄ってきたので吉隆はどうしたものかと後ろ頭を搔いて思案する。すると、彼女がこちらに気づき、吉隆を目が合う。ニコリと笑みを浮かべた。その笑みにドキリとした吉隆は思わず目を逸らしてしまった。

「ねぇ」
「?」

 いきなり声をかけられたので吉隆は彼女の方に視線を戻す。と、目の前に彼女の顔があり、驚いて一歩後ずさる。

「あなたはこの人たちより話が分かりそうね」
「そういうわけでは……」
「お願い! 私に付き合って!!」

 手を合わせて拝まれてしまっては吉隆は狼狽えた。どう答えて良いのか分からず、視線を彷徨わせたが皆目を逸らしその場から立ち去ろうとする。中には【又四郎様ならば護衛役として安心だし、公方様も納得して貰えるでしょう】という者までいる始末。こうなると、吉隆が申し出を断るのは無理であった。

「分かった。俺が案内しましょう」
「ありがとう!」

 吉隆は平太に養父への言伝を頼み、街へと繰り出したのだった。



「ねぇ、あの船なんで出航しないの?」
「ああ、潮を待っているんだ。ここは潮待ちの港だからな」
「潮待ち?」

 彼女、広橋家の姫・楓は吉隆に質問を投げかける。港には多くの船が停泊し、潮が変わるのを待っていた。京で育った楓にとってここは発見の連続のようだった。吉隆はそれら全てに答えてやる。

「潮には満ち引きがある。それで潮の流れが変わるんだ。潮の流れは人の力ではどうにもならないくらい強い」
「逆にそれを利用すれば楽に船を動かせる?」

 吉隆は頷いた。楓は何やら呟きながら考え込んでいるようだった。そんな彼女を吉隆は不思議そうに見やった。公家の姫だというのに様々なことに興味を示す。更に気さくに人々に声をかけていた。そのせいか、吉隆も気兼ねすることなく話していたのだった。
 
「尊氏公がこの地に立ち寄られたのは、そうする必要があったからなのね」
「そうだ。この辺りで潮の流れが変わるからな」
「その上、新田義貞追討の院宣も受けた地……」

 そこで、楓は一際大きくため息をつく。その様子に吉隆は訝しんだ。

「どうかしたか?」
「公方様は何も分かってらっしゃらない……」
「楓?」
「公方様は大事なことを忘れているわ」
「大事なこと?」
「ご自身の立場が尊氏公や義稙公とは違うって事をね」

 楓は冷めた瞳で呟いた。一度目を伏せてから深く息を吸い込むと吉隆に微笑みかけた。その笑みに吉隆は見せられたのだった。
 
「ところで、あの島には渡れるのかしら?」

 楓が指さしたのはこの近くで一番大きな島である仙酔島だった。
 
仙酔島せんすいじまか……。渡れるがもうすぐ日の入りだ。日を改めたほうが良い」
「じゃあ、今度連れて行ってね」
「公方様のお許しが出たらな」

 吉隆はそう返すと楓はあからさまに眉をひそめたのだった。その瞳には非難の色が見えたが、敢えて無視して肩をすくめたのだった。

「日が暮れる前に屋敷に送っていく」
「まだ大丈夫でしょう?」
「このご時世だ。用心に越したことはない」

 そう言って手取ったすぐ横を早馬が駆け抜けていく。吉隆は楓を守るために自分の胸に抱き寄せた。

「危ないだろうが!!」
「火急の用じゃ! 許せ!!」

 吉隆が大声で叫ぶが、相手はそう言い返して走り去ったのだった。

「全く……」

 吉隆がため息をつく。不意に楓を抱きとめたままだと気づき、慌てて一歩下がった。

「えっと……」

 吉隆がどうしたものかと後ろ頭を搔く。それに対して楓は俯き両手を握りしめている。よく見ると両方の耳が真っ赤だ。

「屋敷まで送っていく」

 吉隆はぶっきらぼうにいうと、再び楓の手を取った。その瞬間、楓はビクリと肩をふるわせたが吉隆は敢えて気にせず歩き始めた。まさかこのとき、楓が自分に好意を抱いたとも知らずに……。
   
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