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『仮契約』
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『仮契約』
はぁぁぁぁ、と深い溜息をついた後、オレは氷雨社長を見る。
「氷雨社長、母はどのように言っておりましたか?」
「なんと言えばいいかな。全て任せてくださるとの事だった。私が女性用下着を扱っていると説明差し上げた際も、息子が承知しているのなら全て承諾すると言って詳しいアルバイト内容も確認されなかったな」
クソ女神様はオレのバイトの内容なんてどうでもいいだろうから、単に説明を聞くのが面倒だっただけだろう。
「契約に関しては口頭で承諾いただいたという形だ。書類に関しては帰国後にご記入いただく事になっている。契約書は内容に興味があれば君に預けておいてもいいし、その時まで私が預かっていていてもいい」
「あ、では紛失すると危ないので預かって頂けますか」
管理が面倒なものはなるべく手元に置きたくない主義だ。
本来、契約書の内容は完全に把握し、自身で管理して当然なのだが、氷雨社長なら不正や悪用はしないだろうと信用できる。
そうオレが思っていると氷雨社長は少し厳しい顔になり、書類を整えながらこう言った。
「私が言うのもなんだが契約書というのは、不正や悪用を防ぐために内容を把握し、不正やや悪用を防ぐように管理しなければならない。君は未成年だからまだ社会人としての心得がないとはいえ、そのような対応は非常に危ないと心得ておきたまえ」
別に責めているわけでも意地悪でもなく、オレを思っての言葉だろう。
オレはその厳しくも優しい気遣いに笑顔を返す。
「冬原先生が紹介してくださった方が不正をすると思いません。そして実際に氷雨社長とお話して、ボク自身がこの方なら全てをまかせられると確信した上で、書類を預かって頂こうと思いました」
イケメンスマイルをキープしたまま、キリっと断言するオレ。
これは決まったでしょうと思いきや、氷雨社長はオレの言葉の一部を反芻していた。
「……す、全てをまかせられる……?」
これまでずっと毅然とした態度だった氷雨社長だが、自称オレの母親との話もついて気が緩んでいたのか、少しデレっとした顔になった。
さすが冬原先生の先輩。思考と反応が良く似ている。
「う、うむ。私は宮城君の信用を決して裏切らない。責任をもって預かっておく」
「はい。よろしくお願いいたします」
「いずれお母さまから正式に署名を頂くが、今は本人欄に君の署名をしてもらってもいいだろうか? 判や拇印は必要ない。そうしておけば不備があったという理由で。いつでも君はこの契約書など知らない、と突っぱねることもできる」
契約を望む氷雨社長側の言葉とは思えないが、逆説、もしオレの気が変わったとしても契約書で縛る気はないという意志表明なのだろう。
そのように、責任や強制力すらない契約書に意味はあるのかと思うが、男と交わす契約書は覚書や後々の証拠といった思惑の方が強いのかもしれない。
「はい。ここですね」
「お願いする」
氷雨社長がオレに書類とペンを差し出す。
オレはなるべく綺麗な字になるよう、ゆっくりとサインをする。
下手とも上手とも言い難い字で“宮城京”と署名がされた書類を手にとった氷雨社長は、しばらくジッと見つめていた。
そうして取り出した時のように足元のブリーフケースへ丁寧に契約書をしまいこむ。
「宮城君、ありがとう。これで本日の要件は終了だ。後日、仕事を依頼する日は美雪を通して連絡すれば良いだろうか?」
「いえ、わざわざ先生にお手間をおかけしなくとも、直接、電話かメールで連絡を頂ければと思いますけれど……」
オレはしまいかけていたケータイを取り出す。電話番号なりメールなりSNSなり、連絡手段はいくらでもあるし、そもそも雇用主と連絡がとれないというのもおかしな話だろう。
「そうか。君がそれで良いのであれば、失礼してケータイの番号とメールアドレスを伺いたい」
「はい」
そうして氷雨社長とアドレスの交換をする。
「ありがとう。どうにも調子が狂ってしまって、手間をかけさせてしまったね」
「どういう事でしょうか?」
「経験上、男性相手に署名や連絡先を求める時がもっともトラブルになりやすい。悪用と言うと言葉が強すぎるが、契約の際に知り得た男性の情報を私用目的で使う経営者も少なからずいる。嘆かわしい事だがね」
「私用とは?」
「君と私の関係であれば、仕事の後の打ち上げや次の仕事の説明のために食事でも、という誘いに使うのさ。普通は男性が成人済であるから酒の席を用意するだろうしね」
「なるほど。いいですね、打ち上げ」
仲の良い同僚や仕事先が相手なら打ち上げというのは楽しいものだ。
ましてやオレの場合、氷雨社長や冬原先生が同席するだろうし、目と腹、両方が満足できるだろう。
「ああ。仕事を建前に男性を誘うなど、決して私はしない……ん?」
「打ち上げ。興味があります。なんだか大人の世界っていう感じで憧れます」
実際打ち上げは大歓迎だが、それはそれとして氷雨社長のガードがどうにも固いので、オレは少しだけ好感度を稼ぐ事にしておく。
最初はアルバイトを紹介してもらうため今回の話を先生に持ち掛けたわけだが、まさか電車で出会ったこの女性、氷雨社長と再会できるとは思いもしなかった。
この再会の場をビジネスの話だけで終わらせるのはもったいない。
それに氷雨社長もオレの好感度を下げまいと礼儀正しく禁欲的に振舞っているが、オレと冬原先生の関係はある程度は知っているはず。
さすがにセフレ関係とまで赤裸々に説明しているとは思わないが、食事やデート、キス程度の話はしているかもしれない。
いや、先生と氷雨社長との仲の良さからして、ヤッてます、ぐらいは伝えている可能性もある。
そうなれば氷雨社長だって自分にもワンチャンあるかも? と考えるのが普通だろう。
事前にそのあたり確認しておくべきだった。情報が足りないとオレとしても、攻めも守りもやりにくい。
とは言え、今この場から先生だけを連れだして「ボクとヤッてる事、氷雨社長に話しました?」と聞くのも難しい。
そんな折に話題に上った打ち上げという言葉。
打ち上げの中で交わされる世間話には、互いの趣味嗜好が知れたり、素の一面が見えたりと距離を削るアイスブレイク的な役目もある。なら乗るしかないよね、この流れに。
はぁぁぁぁ、と深い溜息をついた後、オレは氷雨社長を見る。
「氷雨社長、母はどのように言っておりましたか?」
「なんと言えばいいかな。全て任せてくださるとの事だった。私が女性用下着を扱っていると説明差し上げた際も、息子が承知しているのなら全て承諾すると言って詳しいアルバイト内容も確認されなかったな」
クソ女神様はオレのバイトの内容なんてどうでもいいだろうから、単に説明を聞くのが面倒だっただけだろう。
「契約に関しては口頭で承諾いただいたという形だ。書類に関しては帰国後にご記入いただく事になっている。契約書は内容に興味があれば君に預けておいてもいいし、その時まで私が預かっていていてもいい」
「あ、では紛失すると危ないので預かって頂けますか」
管理が面倒なものはなるべく手元に置きたくない主義だ。
本来、契約書の内容は完全に把握し、自身で管理して当然なのだが、氷雨社長なら不正や悪用はしないだろうと信用できる。
そうオレが思っていると氷雨社長は少し厳しい顔になり、書類を整えながらこう言った。
「私が言うのもなんだが契約書というのは、不正や悪用を防ぐために内容を把握し、不正やや悪用を防ぐように管理しなければならない。君は未成年だからまだ社会人としての心得がないとはいえ、そのような対応は非常に危ないと心得ておきたまえ」
別に責めているわけでも意地悪でもなく、オレを思っての言葉だろう。
オレはその厳しくも優しい気遣いに笑顔を返す。
「冬原先生が紹介してくださった方が不正をすると思いません。そして実際に氷雨社長とお話して、ボク自身がこの方なら全てをまかせられると確信した上で、書類を預かって頂こうと思いました」
イケメンスマイルをキープしたまま、キリっと断言するオレ。
これは決まったでしょうと思いきや、氷雨社長はオレの言葉の一部を反芻していた。
「……す、全てをまかせられる……?」
これまでずっと毅然とした態度だった氷雨社長だが、自称オレの母親との話もついて気が緩んでいたのか、少しデレっとした顔になった。
さすが冬原先生の先輩。思考と反応が良く似ている。
「う、うむ。私は宮城君の信用を決して裏切らない。責任をもって預かっておく」
「はい。よろしくお願いいたします」
「いずれお母さまから正式に署名を頂くが、今は本人欄に君の署名をしてもらってもいいだろうか? 判や拇印は必要ない。そうしておけば不備があったという理由で。いつでも君はこの契約書など知らない、と突っぱねることもできる」
契約を望む氷雨社長側の言葉とは思えないが、逆説、もしオレの気が変わったとしても契約書で縛る気はないという意志表明なのだろう。
そのように、責任や強制力すらない契約書に意味はあるのかと思うが、男と交わす契約書は覚書や後々の証拠といった思惑の方が強いのかもしれない。
「はい。ここですね」
「お願いする」
氷雨社長がオレに書類とペンを差し出す。
オレはなるべく綺麗な字になるよう、ゆっくりとサインをする。
下手とも上手とも言い難い字で“宮城京”と署名がされた書類を手にとった氷雨社長は、しばらくジッと見つめていた。
そうして取り出した時のように足元のブリーフケースへ丁寧に契約書をしまいこむ。
「宮城君、ありがとう。これで本日の要件は終了だ。後日、仕事を依頼する日は美雪を通して連絡すれば良いだろうか?」
「いえ、わざわざ先生にお手間をおかけしなくとも、直接、電話かメールで連絡を頂ければと思いますけれど……」
オレはしまいかけていたケータイを取り出す。電話番号なりメールなりSNSなり、連絡手段はいくらでもあるし、そもそも雇用主と連絡がとれないというのもおかしな話だろう。
「そうか。君がそれで良いのであれば、失礼してケータイの番号とメールアドレスを伺いたい」
「はい」
そうして氷雨社長とアドレスの交換をする。
「ありがとう。どうにも調子が狂ってしまって、手間をかけさせてしまったね」
「どういう事でしょうか?」
「経験上、男性相手に署名や連絡先を求める時がもっともトラブルになりやすい。悪用と言うと言葉が強すぎるが、契約の際に知り得た男性の情報を私用目的で使う経営者も少なからずいる。嘆かわしい事だがね」
「私用とは?」
「君と私の関係であれば、仕事の後の打ち上げや次の仕事の説明のために食事でも、という誘いに使うのさ。普通は男性が成人済であるから酒の席を用意するだろうしね」
「なるほど。いいですね、打ち上げ」
仲の良い同僚や仕事先が相手なら打ち上げというのは楽しいものだ。
ましてやオレの場合、氷雨社長や冬原先生が同席するだろうし、目と腹、両方が満足できるだろう。
「ああ。仕事を建前に男性を誘うなど、決して私はしない……ん?」
「打ち上げ。興味があります。なんだか大人の世界っていう感じで憧れます」
実際打ち上げは大歓迎だが、それはそれとして氷雨社長のガードがどうにも固いので、オレは少しだけ好感度を稼ぐ事にしておく。
最初はアルバイトを紹介してもらうため今回の話を先生に持ち掛けたわけだが、まさか電車で出会ったこの女性、氷雨社長と再会できるとは思いもしなかった。
この再会の場をビジネスの話だけで終わらせるのはもったいない。
それに氷雨社長もオレの好感度を下げまいと礼儀正しく禁欲的に振舞っているが、オレと冬原先生の関係はある程度は知っているはず。
さすがにセフレ関係とまで赤裸々に説明しているとは思わないが、食事やデート、キス程度の話はしているかもしれない。
いや、先生と氷雨社長との仲の良さからして、ヤッてます、ぐらいは伝えている可能性もある。
そうなれば氷雨社長だって自分にもワンチャンあるかも? と考えるのが普通だろう。
事前にそのあたり確認しておくべきだった。情報が足りないとオレとしても、攻めも守りもやりにくい。
とは言え、今この場から先生だけを連れだして「ボクとヤッてる事、氷雨社長に話しました?」と聞くのも難しい。
そんな折に話題に上った打ち上げという言葉。
打ち上げの中で交わされる世間話には、互いの趣味嗜好が知れたり、素の一面が見えたりと距離を削るアイスブレイク的な役目もある。なら乗るしかないよね、この流れに。
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