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君に惹かれた理由
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居候して三日目、気怠さを感じながら台所に立っていた。理由は明確で、どうすれば解消できるかを考え憂鬱な気分になる。
(血、吸わなきゃダメか。)
血の不足による不調だ。血を吸うこと自体は嫌では無いが、頼める相手は清飛しかいない。痛みを伴う行為を強いるのはやはり気が引けた。本人はなんとも思っていなくても、肌に歯を突き立てて血が出るまで噛むだなんて聞くだけでも恐ろしい。しかし、不自由なく動き回れるのは今日が限界だということも分かっているし、頼み込むしかないかと小さくため息を吐いた。
その時だった。
「ケリー……」
「ん?」
背後から清飛の声が聞こえて、驚いて振り返る。起きたばかりで目を擦りながらベッドから出て俺に近付いてきた。
まだ五時過ぎで起きるには早い筈だ。不思議に思いながらボウルを置いて清飛に向き直る。
「目が覚めた?どうしたの?」
「……俺も何かする」
「え?」
寝ぼけ声で放たれた言葉に思わず聞き返すが、清飛はいたって真面目な様子だった。
もしかして、良かれと思ってしてきた行為が何か気に食わなかったのだろうかと思い返してみる。自分の中では特に思い当たる節は無いのだが、確かに言うなれば赤の他人に部屋の中をべたべた触られるのは嫌なのかもしれない。
「何か嫌だった?ごめんね」
すぐさま謝り、どのくらいなら大丈夫か聞こうとすると清飛はすぐに首を横に振った。
「ううん、嫌じゃない」
「じゃあ、なんで?」
「ケリーにばっかりさせてるから、申し訳ない」
(あー、なるほど。)
嫌な思いをさせたのかもしれない、という俺の心配は外れたようで、どうやら俺にばかり負担を強いているのでないかと不安になっていたようだ。言外に不満を滲ませているのでは、という思いも一瞬脳裏を掠めたが清飛はそんなに器用な性格でも無く、言葉はそのままの意味を持っているようだった。
(甘えて良いのに。)
居候なんて使ってくれて良いのに、律儀に負担を背負おうとする清飛に苦笑しながら頭を撫でた。撫でる瞬間、目を細めて受け入れる清飛の様子がかわいらしい。
「気にしなくていいよ!全然負担になんてなってないんだから」
「でも……」
それでも気にする清飛に、交換条件のように悩んでいたことを持ち出した。
「それより、今夜ちょっと血吸っても良いかな?こんなこと清飛にしか頼めないし」
「あ、そっか」
「怖くない?」
「別に怖くないって。大袈裟」
付け込むような交渉になってしまって申し訳無いが、頼むことができて良かったと安心し「ほら、もう少し寝ときな」とベッドに促すと「うん」と頷いて戻っていった。そして、布団に入った瞬間にすぐに寝息が聞こえてきて思わず笑ってしまう。ずっと寝ぼけ声だったし、相当眠たかったのだろう。
(良い子だなぁ。)
そういえば、直接触れられるのが苦手だと言っていたし手袋を買いに行こうと、今日の予定を決めてからボウルの中に玉子を落とした。
日々は穏やかなもので、素直な反応をしてくれる清飛に俺はいつも癒されていた。毎日朝起きてテテを見ると顔を綻ばせ、料理を見て目をきらきらさせる清飛を見るのがとてもかわいくて、幸せだった。家事についてはあの日以来特に何も言わなくなったが、清飛は事あるごとにきちんとお礼を言ってくれて、その真面目さも嬉しかった。清飛を見ていると温かな気持ちになる、俺はすっかり清飛という人間が好きになっていた。とは言っても、友人の一人のようなそんな感覚で、人間の友達ができて嬉しいなぁという柔らかな易しい感情だった。
しかし、一つだけ気になること……心配になることがあった。それは清飛が寝ている時のことだ。
「……うぅ……う」
(ああ、またか。)
折り紙と鋏でテテのおもちゃ箱を工作している時、清飛から小さな唸り声が聞こえてきた。
清飛は寝ている時、よく魘された。それは血を吸わなかった日に多く、悪い夢を見ているのか時折発せられるそれは辛そうで聞いているだけで悲しくなった。
「清飛、大丈夫だよ」
工作する手を止めて、清飛の傍に寄る。テテもうつらうつらしていたが清飛が心配になったのか枕元に身を寄せ頬にぴたりと体を添わせた。清飛が朝目覚める時、テテがベッドの上にいるようになったのは清飛を心配して傍にいるようになったからだ。
布団ごしに体をポンポンと叩いたり、頭を撫でたりすると次第に声は止んで、静かな寝息へと変化していく。「すー……すー……」と、寝息が聞こえてくると詰めていた息をほっと吐き出した。
(ルイボスティー、あんまり効果無いかぁ。)
カフェインが入っていない、安眠効果があるものを探してルイボスティーを買ってみたが効果はあまり得られなかったようだ。薬では無いし仕方ないとは思うが、辛そうな清飛を見るのは悲しかった。しかし、味は気に入ってくれたようなので食後に淹れたり勉強の合間に淹れたりしている。
「不安なことがあるの?清飛」
目尻に薄らと涙が浮かんでいるのを見て、胸が痛くなった。頭を撫でていた手を頬に滑らせる。寝ている時にもすぐに触れられるように、手袋はつけたままだ。眠っていても、その手に擦り寄ってくる清飛は本当に甘えん坊なのだろう。
「いつか知りたいな」
清飛の悪い夢のこと。出会って間もない俺に教えてくれる日はくるのだろうか。
弱気な思考とは裏腹に、その不安の原因であろう清飛の過去を知ったのはもう少し経ってからだった。
(血、吸わなきゃダメか。)
血の不足による不調だ。血を吸うこと自体は嫌では無いが、頼める相手は清飛しかいない。痛みを伴う行為を強いるのはやはり気が引けた。本人はなんとも思っていなくても、肌に歯を突き立てて血が出るまで噛むだなんて聞くだけでも恐ろしい。しかし、不自由なく動き回れるのは今日が限界だということも分かっているし、頼み込むしかないかと小さくため息を吐いた。
その時だった。
「ケリー……」
「ん?」
背後から清飛の声が聞こえて、驚いて振り返る。起きたばかりで目を擦りながらベッドから出て俺に近付いてきた。
まだ五時過ぎで起きるには早い筈だ。不思議に思いながらボウルを置いて清飛に向き直る。
「目が覚めた?どうしたの?」
「……俺も何かする」
「え?」
寝ぼけ声で放たれた言葉に思わず聞き返すが、清飛はいたって真面目な様子だった。
もしかして、良かれと思ってしてきた行為が何か気に食わなかったのだろうかと思い返してみる。自分の中では特に思い当たる節は無いのだが、確かに言うなれば赤の他人に部屋の中をべたべた触られるのは嫌なのかもしれない。
「何か嫌だった?ごめんね」
すぐさま謝り、どのくらいなら大丈夫か聞こうとすると清飛はすぐに首を横に振った。
「ううん、嫌じゃない」
「じゃあ、なんで?」
「ケリーにばっかりさせてるから、申し訳ない」
(あー、なるほど。)
嫌な思いをさせたのかもしれない、という俺の心配は外れたようで、どうやら俺にばかり負担を強いているのでないかと不安になっていたようだ。言外に不満を滲ませているのでは、という思いも一瞬脳裏を掠めたが清飛はそんなに器用な性格でも無く、言葉はそのままの意味を持っているようだった。
(甘えて良いのに。)
居候なんて使ってくれて良いのに、律儀に負担を背負おうとする清飛に苦笑しながら頭を撫でた。撫でる瞬間、目を細めて受け入れる清飛の様子がかわいらしい。
「気にしなくていいよ!全然負担になんてなってないんだから」
「でも……」
それでも気にする清飛に、交換条件のように悩んでいたことを持ち出した。
「それより、今夜ちょっと血吸っても良いかな?こんなこと清飛にしか頼めないし」
「あ、そっか」
「怖くない?」
「別に怖くないって。大袈裟」
付け込むような交渉になってしまって申し訳無いが、頼むことができて良かったと安心し「ほら、もう少し寝ときな」とベッドに促すと「うん」と頷いて戻っていった。そして、布団に入った瞬間にすぐに寝息が聞こえてきて思わず笑ってしまう。ずっと寝ぼけ声だったし、相当眠たかったのだろう。
(良い子だなぁ。)
そういえば、直接触れられるのが苦手だと言っていたし手袋を買いに行こうと、今日の予定を決めてからボウルの中に玉子を落とした。
日々は穏やかなもので、素直な反応をしてくれる清飛に俺はいつも癒されていた。毎日朝起きてテテを見ると顔を綻ばせ、料理を見て目をきらきらさせる清飛を見るのがとてもかわいくて、幸せだった。家事についてはあの日以来特に何も言わなくなったが、清飛は事あるごとにきちんとお礼を言ってくれて、その真面目さも嬉しかった。清飛を見ていると温かな気持ちになる、俺はすっかり清飛という人間が好きになっていた。とは言っても、友人の一人のようなそんな感覚で、人間の友達ができて嬉しいなぁという柔らかな易しい感情だった。
しかし、一つだけ気になること……心配になることがあった。それは清飛が寝ている時のことだ。
「……うぅ……う」
(ああ、またか。)
折り紙と鋏でテテのおもちゃ箱を工作している時、清飛から小さな唸り声が聞こえてきた。
清飛は寝ている時、よく魘された。それは血を吸わなかった日に多く、悪い夢を見ているのか時折発せられるそれは辛そうで聞いているだけで悲しくなった。
「清飛、大丈夫だよ」
工作する手を止めて、清飛の傍に寄る。テテもうつらうつらしていたが清飛が心配になったのか枕元に身を寄せ頬にぴたりと体を添わせた。清飛が朝目覚める時、テテがベッドの上にいるようになったのは清飛を心配して傍にいるようになったからだ。
布団ごしに体をポンポンと叩いたり、頭を撫でたりすると次第に声は止んで、静かな寝息へと変化していく。「すー……すー……」と、寝息が聞こえてくると詰めていた息をほっと吐き出した。
(ルイボスティー、あんまり効果無いかぁ。)
カフェインが入っていない、安眠効果があるものを探してルイボスティーを買ってみたが効果はあまり得られなかったようだ。薬では無いし仕方ないとは思うが、辛そうな清飛を見るのは悲しかった。しかし、味は気に入ってくれたようなので食後に淹れたり勉強の合間に淹れたりしている。
「不安なことがあるの?清飛」
目尻に薄らと涙が浮かんでいるのを見て、胸が痛くなった。頭を撫でていた手を頬に滑らせる。寝ている時にもすぐに触れられるように、手袋はつけたままだ。眠っていても、その手に擦り寄ってくる清飛は本当に甘えん坊なのだろう。
「いつか知りたいな」
清飛の悪い夢のこと。出会って間もない俺に教えてくれる日はくるのだろうか。
弱気な思考とは裏腹に、その不安の原因であろう清飛の過去を知ったのはもう少し経ってからだった。
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