陽気な吸血鬼との日々

波根 潤

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六十六、杉野清飛

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 「最近元気ないわね。どうしたの?」

ダイニングの机で朝ごはんを食べていると、美恵子さんが前の席に座ってそう言った。大翔は寒くて布団から出られないようで、俺だけだった。
 避けているのを気付かれているのかと、一瞬ひやっとする。しかし、その口調は深刻そうな感じという訳でも無く、ちょっと気になったから聞いただけというようなあっさりとしたものだった。

「そう?普通だけど」
「でも以前にも増してあんまり話さなくなったし。よくおじいちゃんとおばあちゃんの家に行ってるでしょ、大翔が清飛と一緒に遊べないって寂しがってたわ」

そう言われると心当たりがあった。最近は殆ど毎日祖父母の家に行っていて、家にいる時間が少なく大翔は俺が帰ってくるとしがみついて離れないということが多々あった。寂しいのかもしれないと思って、振り解く様なことはせずにしたいようにさせていたが、俺が思っていた以上に悲しんでくれているのかもしれない。
 しかし、積もり積もった違和感は大きくなり過ぎて自分でもこの感情を持て余すようになってしまった。何か一つの出来事というよりも常に寂しさと、そのように感じてしまう自分への苛立ちから目を背けたくてできるだけ家にいたくないと逃げる様に祖父母の家に行ってしまうのだ。

(でも、それも我儘か。)

住まわせてもらってる身で自分の感情だけで家族に嫌な思いをさせてはいけない、大翔のことを聞いて急にそう思いここ最近の自分の行動に反省した。

「ただ本が読みたかっただけ。でも、そうだね。たまには早く帰ってきて大翔とゲームでもしようかな」

暫く祖父母の家に行くのは控えようと思い、そう口にした。少し胸の中に不安が広がったような気がしたが、気のせいだろう。
 心なしか、美恵子さんの表情が歪んだように見えて不思議に思う。自分は何か可笑しな表情をしているのだろうか。

「清飛、あんた……」
「おはよー……」

美恵子さんが何か言いかけたところで大翔が目を擦りながら現れた。

「おはよ、大翔」
「おはよう、歯磨いてきなさい」

関心は大翔に移り、この話が終わってホッとする。「水冷たいのにー」と不満を漏らしながら歯磨きに行く大翔を見送って、残りのトーストを食べ終えた。

(急に行かなくなると心配させるかもしれないし、今日帰りに寄って暫く来ないことを伝えよう。)

そう決めて、「ごちそうさま」と食器をシンクに運んでから学校に行く準備をした。



 学校が終わって歩き慣れた道を行く。もうすぐ着くといったところで、祖母が近所の後藤さんと立ち話をしているのを見かけた。遠くからでも楽しそうな声が聞こえてきて、話が盛り上がってるのが分かる。 

「ただいま。後藤さん、こんにちは」
「あら、清飛くんおかえり」
「あらー、こんにちは」

近づいてみると、祖母の手には大きな買い物袋があり見ていると重たそうだった。買い物帰りに世間話に花が咲いたようだろう。まだ話し足りなそうな様子だったので、先に持って帰っておこうと提案する。

「持って帰っておくよ。重いでしょ」
「え?いいわよー。かなり重たいわよ」
「それなら尚更。ちょうど寄ろうと思ってたし」

渋る祖母に後藤さんが「良いお孫さんねー」とにこにこしている。最終的に祖母が折れて、「じゃあお願いしようかしら」と買い物袋を渡してくれた。

(荷物をしまって、祖父に暫く来ないことを伝えて帰ろう。)

 すぐに祖父母の家に着いて、「だだいまー」と言うが返事は無い。今日も本を読んでいるのだろうと、気にせず台所に向かう。今日は鍋なのかな?と買ってある物を見て思いながら、冷蔵庫や棚の中にしまいこんだ。祖父にお茶を淹れて、本の部屋に向かう。
 
「おじいちゃん、入ってもいい?」

「おお」と、いつもの祖父の返事を待った。しかし、

「……」
「……おじいちゃん?」

いつもならすぐに返ってくる返事は無かった。不思議に思い、首を傾げながら寝ているのだろうかという考えが頭に浮かぶ。

(それか、いない?勝手に入ってもいいのかな?)

気にはなったが、何故か若干胸騒ぎがしてドアを小さく開けた。
 すると、そのドアの隙間から「うぅ……」とくぐもった声が聞こえてきて、考えるよりも早くバッと開けきった。

「おじいちゃん!!」

 いつも祖父が座っている部屋の奥、そこに胸をおさえてうずくまる祖父の姿があった。それを見た瞬間、心臓が激しく鳴り急いで傍に駆け寄った。その拍子に持っていた湯呑を落としてしまい、割れてしまった。

「おじいちゃん!どうしたの!」

背中に手を当て、必死に声をかけるが話せる状態ではないようだった。意識はあったが苦悶の表情が窺え、俺の頭の中はパニックになっていた。

(救急車、呼ばないと……!)

そう頭では分かっているのに、意思のある行動がとれなかった。スマホは持っていないから固定電話まで行くしかない、しかし祖父を放っておくのが怖くて傍で声をかけ続けた。そうしていると、頭の中に嫌な考えがどんどん浮かんできた。

(おじいちゃん、死ぬ?いなくなる?)

小学生の時に急に警察から電話がかかってきたこと、母と対面したこと、母の手が氷のように冷たかったこと……それらが一気に脳裏に浮かんできて恐怖で思わず叫びだしそうになり、代わりに涙となって頬をつたった。

「やだ……おじいちゃん……!」

その時だった。「だだいまー」という柔らかな祖母の声が聞こえてきてはっと我に返った。

「おばあちゃん、来て!おじいちゃんが!」

すぐに助けを求めて声をあげると、「なにー?」とパタパタとスリッパを履いて駆けてくる音が聞こえて開いていたドアから祖母の姿が見えた。

「あら、湯呑みが……」

祖母は割れた湯呑みを気にしつつ、中の様子を見た瞬間「あなた!」と声をあげ、俺の隣に駆け寄ってきた。
 しかし、祖母の方が俺よりも冷静だった。慌てた様子からすぐに我に返り、持っていたスマホで救急車を呼んだ。そして、祖父が意識を失わないように落ち着いて声をかけ続けた。

「今救急車呼んだわよ」
「もう、お酒ばっかり飲むから」
「すぐに来てくれるわ。大丈夫よ」

祖母の声を聞いて祖父の表情が少し和らいだように見えた。俺はその様子を静かに見ていることしかできなかった。


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