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第三章 黎明と黄昏
〇三六 生きた
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俺は風呂に入ってたはずなのに、何でベッドにいるんだろう。
エリアスもエミールも何で心配そうな顔で俺を見てるんだろう。
「気が付いたか……ナナセ」
「ナナセ様は入浴中に溺れかけたんですよ。あと少し気付くのが遅れていたらどうなっていたか……。エリアス様が私の小言から早々に逃げ出してくれて今回ばかりは助かりました」
そうか俺、風呂で気を失ったのか。
立て続けにいろんなことがあってアドレナリンが出てて気付かなかったけど、実際疲れていて当然だろう。
首を動かすと額から何かがずり落ちて肩口に冷たい物がべちゃりと張り付く。
見れば額に乗せてくれていたらしい濡れタオルだった。
起きようとするとエリアスが起きるのを手伝ってくれて、エミールが素早く濡れタオルを回収し冷水の入ったグラスを手渡してくれる。
俺はゆっくり時間をかけて冷水を飲んでから、風呂で考えていたことを口にしてみる。
「……エリー、俺、考えたんだけど」
心は驚くほど凪いでいた。
「ヒューは死んだんじゃないと思う」
言ってしまってから少し語弊があることに気付いた。
案の定、エリアスとエミールは困ったように視線を交わしている。
違うんだ。俺はそういうことを言いたいんじゃない。
俺は、俺は……!
しかしエリアスは誤解に気付いてくれず、言い難そうに口を開く。
「ナナセ、受け入れ難いとは思うがヒューはもう……」
凪いでいた心が突如として嵐に変わり、その言葉の続きを言わせまいとして俺は必死で叫ぶ。
「違うっ違うっ違うっ! ヒューは死んだんじゃない! 死んでなんかない!」
突然の俺の剣幕に驚いたエリアスが落ち着かせようと何か言っていたが、聞くことを拒絶した俺の耳には少しも入ってこなかった。
駄目だ。これでは誤解は解けないままだ。
これじゃあまるで癇癪を起した餓鬼みたいだ。
だけど一度昂ってしまった感情は自分ではどうにも止められない。
だって、他でもないエリアスにその言葉を言わせてはいけないと思ったんだ。
ヒューの「生」を「死」なんて単純な一言で片付けて欲しくはない。
「死」という言葉でヒューの「生」をまるでなかったことみたいにするのなんて許さない。
俺の大事な人が誰かをそんなふうに否定するところなんて見たくない。
だから絶対に言わせちゃいけないんだ。
「ち、違っ……ヒュ……ヒューはっ……」
刹那、俺は急に息が出来なくなって口をパクパクさせながらエリアスにしがみついた。
ちゃんと吸ってるのに吸えば吸うほど息が出来ない。
「ナナセッ!? 過呼吸だ、落ち着いて」
「か、かこ……っ」
「こっちを見ろ、ナナセ。私の呼吸に合わせるんだ。ほら、一緒に深く息を吐いて……」
過呼吸なんて今まで一度もなったことなかったし、日本語では知っていたけど公用語で過呼吸って単語を知らなかった俺は、何で突然息が出来なくなったのか訳も分からず、言われた通りただエリアスに背中をさすられながら呼吸を合わせようと努力する。
「そうだ、吸って……吐いて……」
そうしているうちに少しずつ上手に息ができるようになってきて、頭を過ったのは、日本語の意味を知りたがるエリアスっていつもこんな気持ちなんだろうかということだった。
俺の呼吸が安定してくると、エリアスはほっとした顔をして笑顔を見せる。
その笑顔を見て俺は酷く安心して、昂っていた気持ちも漸く落ち着いてきた。
「もう、大丈夫か? ちゃんと聞くからゆっくり話せるか?」
俺は頷いた。
エリアスは信じられる。
ちゃんと言えばエリアスなら俺を分かってくれる。
俺の言うことをちゃんと聞いてくれる。
これは大事なことなんだ。
凄く、凄く、大事なことだから――。
「ヒューは『生きた』んだっ……」
初めての経験で上手く言語化するのに手間取ったけど、俺はヒューが「生きた」ってことを「死んだ」なんて言葉で片付けて欲しくなかったんだ。
やっと口に出して言ったら、涙が溢れ出してもう止まらなかった。
ずっと感情が麻痺していて泣けていなかった分、反動が酷い。
エリアスが俺を抱き締め、エミールがそっと部屋から出ていく気配がした。
「……そうだな、ヒューは生きたんだ」
エリアスがそう呟いて、後には俺の嗚咽だけが部屋に響いた。
エリアスもエミールも何で心配そうな顔で俺を見てるんだろう。
「気が付いたか……ナナセ」
「ナナセ様は入浴中に溺れかけたんですよ。あと少し気付くのが遅れていたらどうなっていたか……。エリアス様が私の小言から早々に逃げ出してくれて今回ばかりは助かりました」
そうか俺、風呂で気を失ったのか。
立て続けにいろんなことがあってアドレナリンが出てて気付かなかったけど、実際疲れていて当然だろう。
首を動かすと額から何かがずり落ちて肩口に冷たい物がべちゃりと張り付く。
見れば額に乗せてくれていたらしい濡れタオルだった。
起きようとするとエリアスが起きるのを手伝ってくれて、エミールが素早く濡れタオルを回収し冷水の入ったグラスを手渡してくれる。
俺はゆっくり時間をかけて冷水を飲んでから、風呂で考えていたことを口にしてみる。
「……エリー、俺、考えたんだけど」
心は驚くほど凪いでいた。
「ヒューは死んだんじゃないと思う」
言ってしまってから少し語弊があることに気付いた。
案の定、エリアスとエミールは困ったように視線を交わしている。
違うんだ。俺はそういうことを言いたいんじゃない。
俺は、俺は……!
しかしエリアスは誤解に気付いてくれず、言い難そうに口を開く。
「ナナセ、受け入れ難いとは思うがヒューはもう……」
凪いでいた心が突如として嵐に変わり、その言葉の続きを言わせまいとして俺は必死で叫ぶ。
「違うっ違うっ違うっ! ヒューは死んだんじゃない! 死んでなんかない!」
突然の俺の剣幕に驚いたエリアスが落ち着かせようと何か言っていたが、聞くことを拒絶した俺の耳には少しも入ってこなかった。
駄目だ。これでは誤解は解けないままだ。
これじゃあまるで癇癪を起した餓鬼みたいだ。
だけど一度昂ってしまった感情は自分ではどうにも止められない。
だって、他でもないエリアスにその言葉を言わせてはいけないと思ったんだ。
ヒューの「生」を「死」なんて単純な一言で片付けて欲しくはない。
「死」という言葉でヒューの「生」をまるでなかったことみたいにするのなんて許さない。
俺の大事な人が誰かをそんなふうに否定するところなんて見たくない。
だから絶対に言わせちゃいけないんだ。
「ち、違っ……ヒュ……ヒューはっ……」
刹那、俺は急に息が出来なくなって口をパクパクさせながらエリアスにしがみついた。
ちゃんと吸ってるのに吸えば吸うほど息が出来ない。
「ナナセッ!? 過呼吸だ、落ち着いて」
「か、かこ……っ」
「こっちを見ろ、ナナセ。私の呼吸に合わせるんだ。ほら、一緒に深く息を吐いて……」
過呼吸なんて今まで一度もなったことなかったし、日本語では知っていたけど公用語で過呼吸って単語を知らなかった俺は、何で突然息が出来なくなったのか訳も分からず、言われた通りただエリアスに背中をさすられながら呼吸を合わせようと努力する。
「そうだ、吸って……吐いて……」
そうしているうちに少しずつ上手に息ができるようになってきて、頭を過ったのは、日本語の意味を知りたがるエリアスっていつもこんな気持ちなんだろうかということだった。
俺の呼吸が安定してくると、エリアスはほっとした顔をして笑顔を見せる。
その笑顔を見て俺は酷く安心して、昂っていた気持ちも漸く落ち着いてきた。
「もう、大丈夫か? ちゃんと聞くからゆっくり話せるか?」
俺は頷いた。
エリアスは信じられる。
ちゃんと言えばエリアスなら俺を分かってくれる。
俺の言うことをちゃんと聞いてくれる。
これは大事なことなんだ。
凄く、凄く、大事なことだから――。
「ヒューは『生きた』んだっ……」
初めての経験で上手く言語化するのに手間取ったけど、俺はヒューが「生きた」ってことを「死んだ」なんて言葉で片付けて欲しくなかったんだ。
やっと口に出して言ったら、涙が溢れ出してもう止まらなかった。
ずっと感情が麻痺していて泣けていなかった分、反動が酷い。
エリアスが俺を抱き締め、エミールがそっと部屋から出ていく気配がした。
「……そうだな、ヒューは生きたんだ」
エリアスがそう呟いて、後には俺の嗚咽だけが部屋に響いた。
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