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第一章 聖者降臨
〇二五 コーディネートはこうでねえと
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翌朝、フリッツことフリードリヒ陛下の使いの者が呼びに来て起こされた。
朝食への招待という名目だが、昨日の顛末の説明を求めているんだろう。
エリアスと二人で同じベッドで全裸で寝ていた俺が、初めての状況にアワアワしていると、エリアスがさっと俺に頭からブランケットを掛けて対応してくれた。
自分では対処しきれなかった状況を打破してくれた頼り甲斐のある行動に、思わずエリアスに縋りついて陛下の使いが退室するのを待っていると、やがてドアが閉まる音がして、俺は恐る恐るブランケットから首を出す。
寝起きなのに変わらずイケメンなエリアスと目が合って、蕩けるほど甘くて優しい笑顔が朝日を受けて尚眩しく返される。
それで一気に昨日の出来事を詳細に思い出してしまった。
「ナナセ、おはようございます。もう出てきても大丈夫ですよ」
「お、はよう、ございマス、勇者様……!」
ブワッと顔が熱くなるのを感じて俺は慌てて目を逸らす。
クッソ恥ずかしい!
なんだよこれ、羞恥プレイか!
昨日は自分のじゃない意思に突き動かされての非常事態からの緊急避難って流れだったし、幾らでも言い訳がきく状況だったけど、それらの理由が綺麗さっぱりなくなった今は違う。
全ての行動は俺の意思によるもので、自己責任だ。
誰のせいにもできない。
「ナナセ……。折角のお誘い大変嬉しいのですが、今はいけません……王族をあまりお待たせする訳にはいかないでしょう」
少し残念そうに言われて、エリアスに縋りついている自分自身にはたと気付く。
「わあああああッ! ごっごめんなさいッ!」
弾かれたようにエリアスから飛び退って離れた。
「バスルーム、お先にいいですか? それともご一緒しますか?」
「オ先ニドウゾッ!」
敬語がデフォになりつつあるが、一度こうなったら急には戻せない。
俺は最早エリアスの顔を正面から見ることが出来なくて、背を向けてエリアスがベッドから抜け出してくれるのをチラチラと横目で追い、ほっとしていると不意に朝日が遮られる。
見上げると、思ったより近くにいたエリアスが俺の上に屈みこんでいた。
「危うく忘れるところでした」
昨日は金色に見えていた榛色の瞳が今は淡緑色寄りに見えて、それが栗色の睫毛に縁取られた瞼に覆われるのに気を取られている間に唇が重なる。
それらはすべて一瞬の出来事で、俺が何が起こったのか把握する前に離れて行った。
「ではお先に失礼します」
俺の前髪を柔らかく撫でたエリアスがバスルームの扉の向こうへ消えるまで俺の硬直は解けなかった。
うはおk把握。今把握した。完全に把握した。
今のが噂に聞く「おはようのキス」か。
さすが勇者様、全裸でも堂々としたものだ。
まあ、あれだけ良い身体してたら隠す必要もないし、恥ずかしいなんて感じたこともないんだろう。
それにしても、勇者様でも朝勃ちするんだな。
そこは親近感覚えてちょっと安心した。
俺もその朝の生理現象が治まるのをベッドの中でじっと待った。
そういえば、俺の着替えやらここでの全財産やらが入った荷物はどうなっちゃったんだろう。
旅芸人の一座に身を窶したヴェイラ王国の近衛騎士の方々と一緒に、フリードリヒ陛下の船に乗せて貰っているはずだから、持ってきてくれているとは思うけど。
着るものがないか室内を見回すと、椅子に掛けてあったシルクのナイトガウンが目に留まる。
生理現象も治まってきたので羽織ってみると、かなり大きくて、手が隠れるほど袖が長い。
これ、エリアスのかな。
身長差からくる手足の長さというより、体格と肩幅と筋肉の厚みがこういう形で露見するのか。結構な屈辱だな。
手が使えないのは不便なので袖口を幾重にか折り返しても、滑らかなシルクはすぐにつるんと解けてしまう。
早々に諦めて袖口を振りほどく。
刹那、不図視線を感じて振り向けば、何時からそうやっていたのか、バスルームの扉を開けた姿勢のまま固まったエリアスがバスローブ姿で穴の開くほどじぃっとこっちを見ていた。
「あ……これ、借りて、マス」
「……え、ああ、はい。構いません……」
「バスルーム、次イイデスカ?」
「も、勿論」
エリアスの様子がおかしいことには気付ていたが、それより更に様子がおかしい俺が突っ込むわけにもいかず、微妙な空気が漂う中、入れ替わりにバスルームに入ろうとすると、エリアスは俺が入るまで扉を押さえていてくれて、入った後は外からしっかり閉じてくれた。
一連の動作が流れるように自然で、こういうことが当たり前にできることに文化と育ちの違いを見る。
バスルームには昨日の湯殿には遠く及ばないまでも、お湯が出るシャワーもバスタブもあったので、お湯を貯めて少しだけ浸かって出ると、エリアスはほぼ身支度を整え終えるところだった。
エリアスの隣で真新しいピカピカの十円玉みたいな青銅色をした髪の従僕らしき者が、傍で襟や裾を引っ張って細部の最終チェックを行っている。
初めて見る人だ。
「ナナセ。よかった。遅いので中で倒れていないか心配していました」
エリアスの様子も普段通りに戻っていた。
今日はいつも診療所に来るときのテールコート姿とも白騎士隊の制服姿とも違い、ヴェイラ王国の貴族のユニフォーム的なジュストコールとジレとキュロットの三つ揃えに、襟と袖口にレースをたっぷりあしらった白いブラウスを身に着けていて、金糸と銀糸で刺繍の施されたミント色のそれはエリアスの栗色の髪と榛色の瞳に合っていて良く映える。
ジュストコールってのはシルエットとしては、某海賊映画でジョニデ演じる船長の着ている、折り返した大きな袖口が特徴的な膝丈くらいの上着を思い出して貰えば分かるだろうか。だいたいああいう形のものがそう呼ばれている。
大航海時代後期に流行ったスタイルだから、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの海洋冒険小説「宝島」や、異世界転移ものの名作ジェームス・マシュー・バリーの戯曲「ピーター・パン」のフック船長然り、一般的な日本人が海賊船の船長と言われて想像するものは大体ジュストコール姿で、片目に義眼入れて眼帯をしていたり、片足が義足だったり、片手がフックだったり、肩にオウムや猿を乗せているだろう。
だが勿論、エリアスは海賊じゃなくて貴族だから、太陽王ルイ十四世の頃の十七世紀の名画で見るような、生地も装飾も豪華な、ザ・ブルボン王朝って感じの繊細で煌びやかなやつだ。
義眼でも義足でもフックでもないし、肩にオウムや猿も乗せていないからな。
でも眼帯は似合いそうだ。
普通の眼帯もいいけど、ルキノ・ヴィスコンティの映画「山猫」のアラン・ドロン演じるタンクレディの眼帯が中二病みがあっていい。
ドルガバのコレクションでも、あの眼帯よく使われてるし。
眼帯はさておき、もうちょっと時代が後になって十八世紀に入ると、ロココスタイルが台頭してきて、大きかった袖口が普通サイズになり、ジュストコールよりシルエットのすっきりしたアビ・ア・ラ・フランセーズと呼ばれるものが出てくる。
余談だが、俺の祖母にかかると、その手のものは何でも「ロングコート」って一括りに呼んでいて、「ロングコート」って聞いたとき普通に想像するものとは余りにもかけ離れているので、俺の両親にいちいち訂正されている。
中二病の精神は細部に宿るから、その辺ははっきりさせておきたいのだとか。
そしてエリアスは、髪もいつもと違い、片サイドだけ後ろへ流して撫でつけたような色気漂うヘアスタイルだ。
もう、なんていうか、なんていうか――。
「……カッコイイ……」
気付けばボケッと突っ立ったままそう呟いていた。
刹那、見る見るうちに耳まで赤くなったエリアスは口元を押さえて横を向いてしまい、一部始終を見ていた従僕が「ぶはっ」と噴出す。
「エミール、ここはもういいから私の荷物を取って来てくれ」
「えー? ご紹介して下さらないんですか?」
「早く行け」
「仰せのままに。それでは失礼します、聖者様」
主人の前で噴出したり気安い感じから見るに、実家から連れて来ている従僕なのだろう。
エリアスの口から敬語じゃない言葉が出るところは初めて見るから新鮮だ。
言葉遣いは素っ気ないが、口調は決して高圧的ではない。
きっと普段は誰に対してもこんな感じなんだろう。
「あのこれ、ありがとうございマシタ」
エミールが退室するのをなんとなく見守ってから、借りていたナイトガウンをエリアスに返した。
バスルームに俺サイズのバスローブが用意してあったので今はそれを羽織っている。
「いえ、またいつでも……」
エリアスは何故かがっかりしたように肩を落としてナイトガウンを受け取ると、仕切り直すようにベッドの上に置かれた革張りの大小二つの箱を指す。
起きた時はこんなものはなかったはずだ。
「それより、ナナセ。陛下からナナセの衣装が届いていますよ。昨日のお詫びだそうです」
促されて開けてみると、大きい箱にはエリアスが着ているようなジュストコールやその他諸々一式と、小さい箱には靴。
森の中で陛下に会ったとき、闇に愛されていた俺は黒衣とのシンクロ率四〇〇パーセントで黒尽くめの格好をしていたせいか、余程黒が好きだと思われたらしく、どれも素材と色味の違う黒を絶妙な配合とバランスで組み合わせてある。
踵の高い靴は男物ではあるけど、宝石や刺繍でゴテゴテした装飾が施されていて、黒い本体にヒールとソールの部分だけ見るからに純度の高そうな金でできていて、裏側まで飾り掘りが凄いから、歩いたらゴリゴリ擦り減りそうで履くのが怖い。金て柔らかいからな。
「勇者様、コレ……」
「王族への儀礼として着て行かないとまずいでしょうね」
黒いレースの束のようなブラウスを摘まんで若干涙目でエリアスを見上げる俺に、エリアスは少し複雑そうな顔で箱の中からこれまた黒い下着を取り上げた。
「あの方は、人が悪い癖に、趣味は悪くないところがまた……」
いや、文句なしに悪趣味だろう。
――と、思っていたのだが、エリアスに手伝って貰いながらそれらを身に着けて姿見を覗くと、「これが俺?」ってくらいには見違えた。
良いとこの坊ちゃんにはギリ見える。
だが、これで千歳飴でも持ったら七五三になるかもという微妙なラインだ。
最後にエリアスに繊細なレースの塊のようなもさもさした黒いクラバットを襟に巻いて貰っていると、ココココッとノックがしてエミールが戻ってきた。
クラバットってのは、某巨人と戦う漫画の兵長が首に巻いてて名称が広く認知されるようになったあのヒラヒラだ。
でもこれは色も黒いし、柔らかいレースで出来ていて兵長のよりもっとずっとボリュームがある。
どうでもいいけど上流階級の人のノックってビートが早くてロックだよな。
「お荷物取って参りましたよ」
「ご苦労」
トランクが積み上げられたバゲージカートが運び込まれるのを「貴族のご旅行ェ……」と思いながら見ていると、エミールが歓声を上げる。
「おお! これはこれは、見事に着こなされて!」
「見るな、減る。だが丁度良かった、エミール。私の制服のサッシュがあっただろう? あれを出してくれ」
「ああ、なるほど、戦闘服のですね? いいかも知れませんね」
エリアスは折角巻いたクラバットを解いてしまって、代わりに白騎士隊のセルリアンブルーのサッシュ――よく軍服なんかで襷掛けにしてる幅広のリボンみたいなアレのことな――を俺の襟にリボンタイみたいに巻いた。
サッシュの幅が一〇センチ以上あるから、俺の顎の下にかなりでかい蝶々結びが出来上がる。
ついでに髪も、エリアスがしてるのと逆側を後ろに流して撫でつけるヘアスタイルにしてくれたので、当社比でちょっと大人びた感じになった。
「これでよし!」
「とても良くお似合いです聖者様!」
なんか着ぐるみ着せられてSNS用の写真撮られてるペットの気分なんだが、考えないことにする。
「……でも勇者様コレ、白騎士隊の識別色デスヨネ……? 俺が着けたらまずくないデスカ」
ちょっと治る気配がなくなってきたぎこちない敬語で訊くと、エリアスはとんでもない答えを返してきた。
「そのサッシュは白騎士隊のというより、隊長の私個人にのみに着用が許されているものなので、パートナーが着ける分には問題ありません。互いの持ち物を交換して身に着けるのはよくあることなので」
問題アリアリで最早問題しかない。
ていうか、エリアスが白騎士隊の隊長だったのも今知ったくらいだし。
エリアスはご機嫌で、自分の白いクラバットを外して、さっきまで俺の首に巻かれていた黒いレースのクラバットに付け替えている。
でもな、クラバットもリボンタイもお互いそこだけ色が浮いてないか?
そう思っていると、クラバットを結び終えたエリアスに手を引かれて再び姿見の前に立たされる。
……なるほど。
鏡を見て納得した。
お互いが隣に立つことで完成するのか。
コーディネートはこうでねえと。
じっと見ていると、不意に鏡越しに目が合って、慌ててそっぽを向いた。
「そろそろお時間です」
「では向かいましょうか、ナナセ」
自然な所作で腰を抱かれ扉までエスコートされて廊下へ出ると、朝起こしに来た陛下の使いが待機していた。
「エミール、お前は付いてくるな。この色の服を着ているときは私に近寄るなと言っているだろう。お前の髪のせいで私が緑青に見える」
誰が上手いことを言えと言った……!
二人が並ぶと妙に既視感のあるカラーリングになるのはソレか。
聖人君子かと思ってたらエリアスも結構アレな性格してるんだな。
王族コンビのルッツ&フリッツはコントって感じだったが、エリアス&エミールは漫才って感じだ。なんとなく。
緑青は銅が酸化した錆のことで、古い十円玉にこびり付いている自由の女神色のアレだ。
勘違いされやすいが、青銅とは銅と錫の合金のことで、本来十円玉みたいな赤銅色をしていて、錫の含有量が増えると黄金から白金みたいな色になる。
それなのに青銅を青いと思っちゃう人が多いのは、名前に青って文字が入っているのもあるが、社会科の教科書に載ってる、錆びて緑青の吹いたあの銅鐸と銅鏡のビジュアルがインプリンティングされてるせいだよな。
銅鏡なんかは錫の含有量が多くて元は白金色だったはずなのに。
エリアスは自身が本来持ってる色味から、白騎士隊のセルリアンブルーとか、今着てるみたいなマカロンカラーのチョコミント色が映えるんだが、単体でいればチョコミントでも傍にエミールがいると緑青になってしまう。
そう考えるとこの二人、相性が良いのか悪いのかわからないな。
「ええ~! そんな~! 俺も勇者様と聖者様のお供したいですよ~!」
「余計に連れて行けないな。いいから大人しく待機していろ」
仲良いな?
朝食への招待という名目だが、昨日の顛末の説明を求めているんだろう。
エリアスと二人で同じベッドで全裸で寝ていた俺が、初めての状況にアワアワしていると、エリアスがさっと俺に頭からブランケットを掛けて対応してくれた。
自分では対処しきれなかった状況を打破してくれた頼り甲斐のある行動に、思わずエリアスに縋りついて陛下の使いが退室するのを待っていると、やがてドアが閉まる音がして、俺は恐る恐るブランケットから首を出す。
寝起きなのに変わらずイケメンなエリアスと目が合って、蕩けるほど甘くて優しい笑顔が朝日を受けて尚眩しく返される。
それで一気に昨日の出来事を詳細に思い出してしまった。
「ナナセ、おはようございます。もう出てきても大丈夫ですよ」
「お、はよう、ございマス、勇者様……!」
ブワッと顔が熱くなるのを感じて俺は慌てて目を逸らす。
クッソ恥ずかしい!
なんだよこれ、羞恥プレイか!
昨日は自分のじゃない意思に突き動かされての非常事態からの緊急避難って流れだったし、幾らでも言い訳がきく状況だったけど、それらの理由が綺麗さっぱりなくなった今は違う。
全ての行動は俺の意思によるもので、自己責任だ。
誰のせいにもできない。
「ナナセ……。折角のお誘い大変嬉しいのですが、今はいけません……王族をあまりお待たせする訳にはいかないでしょう」
少し残念そうに言われて、エリアスに縋りついている自分自身にはたと気付く。
「わあああああッ! ごっごめんなさいッ!」
弾かれたようにエリアスから飛び退って離れた。
「バスルーム、お先にいいですか? それともご一緒しますか?」
「オ先ニドウゾッ!」
敬語がデフォになりつつあるが、一度こうなったら急には戻せない。
俺は最早エリアスの顔を正面から見ることが出来なくて、背を向けてエリアスがベッドから抜け出してくれるのをチラチラと横目で追い、ほっとしていると不意に朝日が遮られる。
見上げると、思ったより近くにいたエリアスが俺の上に屈みこんでいた。
「危うく忘れるところでした」
昨日は金色に見えていた榛色の瞳が今は淡緑色寄りに見えて、それが栗色の睫毛に縁取られた瞼に覆われるのに気を取られている間に唇が重なる。
それらはすべて一瞬の出来事で、俺が何が起こったのか把握する前に離れて行った。
「ではお先に失礼します」
俺の前髪を柔らかく撫でたエリアスがバスルームの扉の向こうへ消えるまで俺の硬直は解けなかった。
うはおk把握。今把握した。完全に把握した。
今のが噂に聞く「おはようのキス」か。
さすが勇者様、全裸でも堂々としたものだ。
まあ、あれだけ良い身体してたら隠す必要もないし、恥ずかしいなんて感じたこともないんだろう。
それにしても、勇者様でも朝勃ちするんだな。
そこは親近感覚えてちょっと安心した。
俺もその朝の生理現象が治まるのをベッドの中でじっと待った。
そういえば、俺の着替えやらここでの全財産やらが入った荷物はどうなっちゃったんだろう。
旅芸人の一座に身を窶したヴェイラ王国の近衛騎士の方々と一緒に、フリードリヒ陛下の船に乗せて貰っているはずだから、持ってきてくれているとは思うけど。
着るものがないか室内を見回すと、椅子に掛けてあったシルクのナイトガウンが目に留まる。
生理現象も治まってきたので羽織ってみると、かなり大きくて、手が隠れるほど袖が長い。
これ、エリアスのかな。
身長差からくる手足の長さというより、体格と肩幅と筋肉の厚みがこういう形で露見するのか。結構な屈辱だな。
手が使えないのは不便なので袖口を幾重にか折り返しても、滑らかなシルクはすぐにつるんと解けてしまう。
早々に諦めて袖口を振りほどく。
刹那、不図視線を感じて振り向けば、何時からそうやっていたのか、バスルームの扉を開けた姿勢のまま固まったエリアスがバスローブ姿で穴の開くほどじぃっとこっちを見ていた。
「あ……これ、借りて、マス」
「……え、ああ、はい。構いません……」
「バスルーム、次イイデスカ?」
「も、勿論」
エリアスの様子がおかしいことには気付ていたが、それより更に様子がおかしい俺が突っ込むわけにもいかず、微妙な空気が漂う中、入れ替わりにバスルームに入ろうとすると、エリアスは俺が入るまで扉を押さえていてくれて、入った後は外からしっかり閉じてくれた。
一連の動作が流れるように自然で、こういうことが当たり前にできることに文化と育ちの違いを見る。
バスルームには昨日の湯殿には遠く及ばないまでも、お湯が出るシャワーもバスタブもあったので、お湯を貯めて少しだけ浸かって出ると、エリアスはほぼ身支度を整え終えるところだった。
エリアスの隣で真新しいピカピカの十円玉みたいな青銅色をした髪の従僕らしき者が、傍で襟や裾を引っ張って細部の最終チェックを行っている。
初めて見る人だ。
「ナナセ。よかった。遅いので中で倒れていないか心配していました」
エリアスの様子も普段通りに戻っていた。
今日はいつも診療所に来るときのテールコート姿とも白騎士隊の制服姿とも違い、ヴェイラ王国の貴族のユニフォーム的なジュストコールとジレとキュロットの三つ揃えに、襟と袖口にレースをたっぷりあしらった白いブラウスを身に着けていて、金糸と銀糸で刺繍の施されたミント色のそれはエリアスの栗色の髪と榛色の瞳に合っていて良く映える。
ジュストコールってのはシルエットとしては、某海賊映画でジョニデ演じる船長の着ている、折り返した大きな袖口が特徴的な膝丈くらいの上着を思い出して貰えば分かるだろうか。だいたいああいう形のものがそう呼ばれている。
大航海時代後期に流行ったスタイルだから、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの海洋冒険小説「宝島」や、異世界転移ものの名作ジェームス・マシュー・バリーの戯曲「ピーター・パン」のフック船長然り、一般的な日本人が海賊船の船長と言われて想像するものは大体ジュストコール姿で、片目に義眼入れて眼帯をしていたり、片足が義足だったり、片手がフックだったり、肩にオウムや猿を乗せているだろう。
だが勿論、エリアスは海賊じゃなくて貴族だから、太陽王ルイ十四世の頃の十七世紀の名画で見るような、生地も装飾も豪華な、ザ・ブルボン王朝って感じの繊細で煌びやかなやつだ。
義眼でも義足でもフックでもないし、肩にオウムや猿も乗せていないからな。
でも眼帯は似合いそうだ。
普通の眼帯もいいけど、ルキノ・ヴィスコンティの映画「山猫」のアラン・ドロン演じるタンクレディの眼帯が中二病みがあっていい。
ドルガバのコレクションでも、あの眼帯よく使われてるし。
眼帯はさておき、もうちょっと時代が後になって十八世紀に入ると、ロココスタイルが台頭してきて、大きかった袖口が普通サイズになり、ジュストコールよりシルエットのすっきりしたアビ・ア・ラ・フランセーズと呼ばれるものが出てくる。
余談だが、俺の祖母にかかると、その手のものは何でも「ロングコート」って一括りに呼んでいて、「ロングコート」って聞いたとき普通に想像するものとは余りにもかけ離れているので、俺の両親にいちいち訂正されている。
中二病の精神は細部に宿るから、その辺ははっきりさせておきたいのだとか。
そしてエリアスは、髪もいつもと違い、片サイドだけ後ろへ流して撫でつけたような色気漂うヘアスタイルだ。
もう、なんていうか、なんていうか――。
「……カッコイイ……」
気付けばボケッと突っ立ったままそう呟いていた。
刹那、見る見るうちに耳まで赤くなったエリアスは口元を押さえて横を向いてしまい、一部始終を見ていた従僕が「ぶはっ」と噴出す。
「エミール、ここはもういいから私の荷物を取って来てくれ」
「えー? ご紹介して下さらないんですか?」
「早く行け」
「仰せのままに。それでは失礼します、聖者様」
主人の前で噴出したり気安い感じから見るに、実家から連れて来ている従僕なのだろう。
エリアスの口から敬語じゃない言葉が出るところは初めて見るから新鮮だ。
言葉遣いは素っ気ないが、口調は決して高圧的ではない。
きっと普段は誰に対してもこんな感じなんだろう。
「あのこれ、ありがとうございマシタ」
エミールが退室するのをなんとなく見守ってから、借りていたナイトガウンをエリアスに返した。
バスルームに俺サイズのバスローブが用意してあったので今はそれを羽織っている。
「いえ、またいつでも……」
エリアスは何故かがっかりしたように肩を落としてナイトガウンを受け取ると、仕切り直すようにベッドの上に置かれた革張りの大小二つの箱を指す。
起きた時はこんなものはなかったはずだ。
「それより、ナナセ。陛下からナナセの衣装が届いていますよ。昨日のお詫びだそうです」
促されて開けてみると、大きい箱にはエリアスが着ているようなジュストコールやその他諸々一式と、小さい箱には靴。
森の中で陛下に会ったとき、闇に愛されていた俺は黒衣とのシンクロ率四〇〇パーセントで黒尽くめの格好をしていたせいか、余程黒が好きだと思われたらしく、どれも素材と色味の違う黒を絶妙な配合とバランスで組み合わせてある。
踵の高い靴は男物ではあるけど、宝石や刺繍でゴテゴテした装飾が施されていて、黒い本体にヒールとソールの部分だけ見るからに純度の高そうな金でできていて、裏側まで飾り掘りが凄いから、歩いたらゴリゴリ擦り減りそうで履くのが怖い。金て柔らかいからな。
「勇者様、コレ……」
「王族への儀礼として着て行かないとまずいでしょうね」
黒いレースの束のようなブラウスを摘まんで若干涙目でエリアスを見上げる俺に、エリアスは少し複雑そうな顔で箱の中からこれまた黒い下着を取り上げた。
「あの方は、人が悪い癖に、趣味は悪くないところがまた……」
いや、文句なしに悪趣味だろう。
――と、思っていたのだが、エリアスに手伝って貰いながらそれらを身に着けて姿見を覗くと、「これが俺?」ってくらいには見違えた。
良いとこの坊ちゃんにはギリ見える。
だが、これで千歳飴でも持ったら七五三になるかもという微妙なラインだ。
最後にエリアスに繊細なレースの塊のようなもさもさした黒いクラバットを襟に巻いて貰っていると、ココココッとノックがしてエミールが戻ってきた。
クラバットってのは、某巨人と戦う漫画の兵長が首に巻いてて名称が広く認知されるようになったあのヒラヒラだ。
でもこれは色も黒いし、柔らかいレースで出来ていて兵長のよりもっとずっとボリュームがある。
どうでもいいけど上流階級の人のノックってビートが早くてロックだよな。
「お荷物取って参りましたよ」
「ご苦労」
トランクが積み上げられたバゲージカートが運び込まれるのを「貴族のご旅行ェ……」と思いながら見ていると、エミールが歓声を上げる。
「おお! これはこれは、見事に着こなされて!」
「見るな、減る。だが丁度良かった、エミール。私の制服のサッシュがあっただろう? あれを出してくれ」
「ああ、なるほど、戦闘服のですね? いいかも知れませんね」
エリアスは折角巻いたクラバットを解いてしまって、代わりに白騎士隊のセルリアンブルーのサッシュ――よく軍服なんかで襷掛けにしてる幅広のリボンみたいなアレのことな――を俺の襟にリボンタイみたいに巻いた。
サッシュの幅が一〇センチ以上あるから、俺の顎の下にかなりでかい蝶々結びが出来上がる。
ついでに髪も、エリアスがしてるのと逆側を後ろに流して撫でつけるヘアスタイルにしてくれたので、当社比でちょっと大人びた感じになった。
「これでよし!」
「とても良くお似合いです聖者様!」
なんか着ぐるみ着せられてSNS用の写真撮られてるペットの気分なんだが、考えないことにする。
「……でも勇者様コレ、白騎士隊の識別色デスヨネ……? 俺が着けたらまずくないデスカ」
ちょっと治る気配がなくなってきたぎこちない敬語で訊くと、エリアスはとんでもない答えを返してきた。
「そのサッシュは白騎士隊のというより、隊長の私個人にのみに着用が許されているものなので、パートナーが着ける分には問題ありません。互いの持ち物を交換して身に着けるのはよくあることなので」
問題アリアリで最早問題しかない。
ていうか、エリアスが白騎士隊の隊長だったのも今知ったくらいだし。
エリアスはご機嫌で、自分の白いクラバットを外して、さっきまで俺の首に巻かれていた黒いレースのクラバットに付け替えている。
でもな、クラバットもリボンタイもお互いそこだけ色が浮いてないか?
そう思っていると、クラバットを結び終えたエリアスに手を引かれて再び姿見の前に立たされる。
……なるほど。
鏡を見て納得した。
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「そろそろお時間です」
「では向かいましょうか、ナナセ」
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「エミール、お前は付いてくるな。この色の服を着ているときは私に近寄るなと言っているだろう。お前の髪のせいで私が緑青に見える」
誰が上手いことを言えと言った……!
二人が並ぶと妙に既視感のあるカラーリングになるのはソレか。
聖人君子かと思ってたらエリアスも結構アレな性格してるんだな。
王族コンビのルッツ&フリッツはコントって感じだったが、エリアス&エミールは漫才って感じだ。なんとなく。
緑青は銅が酸化した錆のことで、古い十円玉にこびり付いている自由の女神色のアレだ。
勘違いされやすいが、青銅とは銅と錫の合金のことで、本来十円玉みたいな赤銅色をしていて、錫の含有量が増えると黄金から白金みたいな色になる。
それなのに青銅を青いと思っちゃう人が多いのは、名前に青って文字が入っているのもあるが、社会科の教科書に載ってる、錆びて緑青の吹いたあの銅鐸と銅鏡のビジュアルがインプリンティングされてるせいだよな。
銅鏡なんかは錫の含有量が多くて元は白金色だったはずなのに。
エリアスは自身が本来持ってる色味から、白騎士隊のセルリアンブルーとか、今着てるみたいなマカロンカラーのチョコミント色が映えるんだが、単体でいればチョコミントでも傍にエミールがいると緑青になってしまう。
そう考えるとこの二人、相性が良いのか悪いのかわからないな。
「ええ~! そんな~! 俺も勇者様と聖者様のお供したいですよ~!」
「余計に連れて行けないな。いいから大人しく待機していろ」
仲良いな?
0
異世界で聖者やってたら勇者に求婚されたんだが
第一章 聖者降臨
📖文庫版(紙の書籍)
📖Kindle(電子書籍)
📖BOOK☆WALKER(電子書籍)
次章続巻も順次刊行予定
OLOLON
※この作品の出版権は作者本人に帰属しています。詳しくはこちらを参照してください。
第一章 聖者降臨
📖文庫版(紙の書籍)
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📖BOOK☆WALKER(電子書籍)
次章続巻も順次刊行予定
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※この作品の出版権は作者本人に帰属しています。詳しくはこちらを参照してください。
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性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
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身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
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怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
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