Don't Speak

国沢柊青

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act.06

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[7]

 ショーンは身体を引いてドアを蹴ったが、スコットが頑丈なドアを取り付けているせいで、ビクともしない。
 心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じながらも、もう一人の自分が頭の中で「冷静になれ、焦りは心を麻痺させる・・・」と何度も呟いた。
 ショーンは玄関から離れて、周囲を見渡す。
 そうだ。リビングの窓ガラス。
 ショーンはリビングに回り込みながら、自分の上着を脱いだ。
 あっという間に大きくなった雨粒が容赦なくショーンの身体を濡らしていく。だが、返ってこのスコールのような雨は好都合だ。雨のお陰で、ガラスを割る音が響かずに済む。
 上着を窓ガラスに押しつけると、拳で思い切り叩いた。
 片手が入る程度に穴が空く。
 ショーンはそこから窓ガラスの鍵を開けると、窓を開けてリビングに忍び込んだ。
 足音を潜ませて玄関に繋がる廊下を覗くと、額から血を流して俯せの姿勢のまま気を失っているスコットにデビッドが馬乗りになって、スコットのTシャツを破いているところだった。
 ショーンはリビングを見回す。
 確かどこかにスコットが護身用のショットガンを隠していたはずだ。
 ショーンは這い蹲って家具の下を探した。
 案の定、壁際のソファーの下に置かれてあった。
 ショーンはそれを掴むと、一気に廊下に走り出た。
 デビッドが驚いて顔を上げたのと同時に、ショットガンの尻でデビッドの顎を殴りつけた。
 デビッドが悲鳴を上げてひっくり返る。だが、相手もすぐに反撃の体勢を整えた。
 ジーンズの腰のポケットからナイフを取り出すと、血反吐を床に吐きつつ、ショーンに突きつけてくる。
 しかし同時に、ショーンもデビッドに向かって銃口を向けた。
 一瞬顔を強ばらせたデビッドだったが、すぐに薄ら笑いを浮かべる。
「撃ち方、知ってんのか? ガキの癖に」
 ショーンは極めて冷静な顔つきで安全装置を外し、ガシャリと弾倉に弾を込める。
 そこで初めてデビッドの額から冷や汗がたらりと流れた。
「・・・まさか、マジじゃないだろうな・・・?エリート大学を目指してるお前が、人殺しなんて割の合わないこと・・・」
「正当防衛は殺しと見なされない」
 ショーンの冷たい声が響く。
「俺が刑事の前で涙の一つでも見せれば、あんたの味方なんて一人もいなくなる。死人に口なしだ。なんなら、試してみる?」
 デビッドは、口を戦慄かせた。
 彼が見つめる銃口の先には、瞬き一つしない燃えるような深いルビー色の瞳があった。窓の外がキラリと青く光り、雷がドドンと唸り声を上げる。
 稲光に照らされるショーンの顔は、整った容姿のせいもあって、大の大人も怯ませるような凄みがあった。
 デビッドは両手を挙げると、ゆっくりと後ずさりしながら、部屋を出て行った。
 デビッドは強がりのにやけた笑みを浮かべていたが、顔中には多量の汗が噴き出していた。
 じきに、玄関ドアが乱暴に開いて閉まる男がして、雨音に混じって車の走り去る音が続く。
 ショーンはしばらくショットガンを構え続けたが、やがて家の外が静かになると、一気に腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
 恥ずかしいほど、膝が笑っていた。
 ショーンは手の中のショットガンを恐怖で引きつった顔つきで見つめると、焦った手つきで安全装置をかけ、床に放り出す。
 ショーンは這いずってスコットに近づいた。
 スコットの重い体を反転させ、破られたTシャツの切れ端で額の血を拭った。
 幸いなことに額の傷は浅く、血は既に止まっていた。
「スコット・・・、スコット・・・」
 青白い頬を撫で、ショーンが声を掛けると、すぐにスコットは目を覚ました。
 彼は数回瞬きをすると、身体の痛みに顔を歪ませながら、「ショーン、大丈夫だったのか」と言った。
 ショーンは呆れて溜息をついてしまう。
「それはこっちの台詞じゃないか。デビッドは追っ払ったよ。・・・身体のどこが痛むの? 救急車呼ぶ?」
 スコットはゆるゆると身体を起こし、腹部に手を当てると、壁際に身体を凭れかけさせた。喘ぐように息をする。
「病院はいい・・・。事を荒立てたくない」
 心配なのは山々だったが、確かに病院へ行けば、このいざこざの原因がばれてしまう。
 今以上に「あの事実」を広めてしまう結果となるのだから、スコットの気持ちは分からないでもなかった。けれど、このままこんなところに座っているわけにもいかない。
「とにかく、リビングのソファーまで行こう。手当をしなくちゃ。立てる?」
 ショーンがそう訊くと、スコットは頷いて壁に手を付き、歯を食いしばりながら立ち上がった。
 右の足を庇うようにしている。
 ショーンは顔を顰めた。
 右膝は、昔スコットが靱帯断裂と骨折を繰り返した場所だ。
 ショーンはすかさずスコットの身体を支えると、スコットの身体を半分抱えるようにしてリビングまで連れて行った。やはり案の定、右足を引きずっている。
 ソファーに座らせると、スコットがハァ・・・と大きく息を吐く。
 スコットは、破れて身体にただまとわりついているだけのTシャツを見下ろして緩く首を横に振った。こめかみをグッと押さえてから、Tシャツを脱ぐ。
「・・・ああ、酷いね・・・」
 ショーンの口から思わず突いて出る。
 スコットの引き締まった腹筋の上に赤黒い大きな痣が二つもできている。おまけに、Tシャツを破いた際についた引っ掻き傷のようなものも肩や背中にできていた。
 ショーンは、キッチンから救急箱を取ってくると、額の傷と背中の傷を消毒した。
 消毒液を染み込ませたコットンを圧し当てる度に、ビクリビクリと身体を震わせる。
 ショーンがジーンズに手をかけると、スコットは初めて抵抗らしき抵抗を見せた。
「ショーン、それはいい・・・」
「何いってんだよ。脚もかなり悪そうだ。こんなの履いてたら見られないよ」
 強引にボタンを外しジッパーを下ろすと、膝にあまり刺激を与えないようにしながら、ジーンズを脱がした。
 白いボクサーショーツだけの姿にされてスコットは気まずそうに視線を外したが、ショーンはわざとそれに気づかぬふりをした。
 すぐに真っ赤に腫れ上がっている右膝が現れて、ショーンは溜息をつく。
 やっぱり、思った通りだ。
 再びキッチンに戻り、ビニール袋に氷を入れタオルに包むと、再びリビングに取って返した。床に跪いて、膝を覆うようにして押し当てる。
 脱がせたジーンズの膝の部分を見ると、踏みつけられたのか蹴られたのか、大きな靴跡がついていた。
「やっぱり、病院に行った方がいいよ」
 ショーンはスコットを見上げて言った。
 古傷だけに、心配だった。
 今でも、スコットの右膝には大きな手術の痕が残っている。それが今、赤く膨張していた。
 だがスコットは首を横に振った。
「この程度なら、ただの打ち身だ。靱帯をやっていたら、こんなに冷静でいられないはずだから」
 過去に経験済みともなると、説得力がある。
「本当に? 大丈夫?」
「ああ、他のところも落ち着いてきたよ」
 スコットはそう言って、微かに笑みを浮かべる。
 元々、右膝以外はとても頑丈な人だ。
 学生時代にアメフトで鍛え上げてきた筋肉は、今なお健在である。
 ショーンもずっとバスケットボールをしていたから筋肉はそこそこついているが、やはり大人の充実した身体つきには負けてしまう。
 久々に見たスコットの肌を意識の外に追いやりながら、ショーンは薬品を救急箱に片づけた。
「・・・おい、ショーン。ところでお前、学校は?」
 やっとスコットはそのことに気が付いたらしい。
 下手な言い訳をすればどうせバレる。
 ショーンはスコットを見上げると、「昨夜デビッドと揉めた件を知ってるヤツがいてさ。少しからかわれて、学校飛び出してきた。あ、でも前みたいに殴ってはないから」と答えた。
 スコットは二、三度瞬きをして目を伏せると、「ひょっとして・・・、工場にも寄ってたのか?」と訊いた。
 ショーンは「うん」と手短に答える。
 スコットは顔を上げて口を覆うと、窓の外に目線をやった。
 その目はみるみる赤く充血していったが、昨夜と違ってスコットは泣かなかった。
 ただ、この現実を息子にどう伝えればいいのか、必死に模索しているように見えた。
 自分自身が一番深く傷ついている筈なのに、一生懸命“息子”と向き合おうとしているスコットが痛々しく思えた。
「・・・いいんだよ。辛いことを無理に話そうとしなくても」
 ショーンは、傷ついていないスコットの左膝にポンと拳を置いた。だがスコットは、それで納得はしなかった。
「やはり、昨夜のうちにきちんと話しておくべきだったんだ」
 スコットはショーンの顔を見据えて、そう切り出した。
「昨日父さんは酷く酔っぱらってしまって、気が付けばデビッドに連れられてハワードの店にいたんだ。その店のことは知ってるな?」
 例のゲイがたむろするという有名な店だ。
 ショーンは頷く。
「そこでデビッドに迫られたんだが、俺は断った。そしたらデビッドは、お前に俺の性癖をばらすと言って・・・。気が付いたら、既に三発殴ってたよ。そしたら、店の中で殴り合いになって、警察を呼ばれてしまった。・・・まったく、バカみたいだろ? 結局は自分で騒ぎを大きくして、お前ばかりか皆にばらしてしまった」
 スコットは、力のない苦笑を浮かべる。
 ショーンは何となく話しづらくて、スコットの左膝をトントンと拳でノックしながら口を開いた。
「・・・いつから・・・? その・・・」
「同性にしか興味を持てなかったことか?」
「うん」
 スコットは少し宙を見つめて、「いつからかな・・・。多分、最初からだな」と答えた。
「でも、学生時代は彼女もいたって・・・」
 スコットは喉に何かが引っかかったように咳払いをすると、こう答えた。
「あの頃は、自分の“病気”を治そうと必死だった。ファーストキスも女性としたし、初体験も普通にしたが、余計に本能とのギャップが酷くなって・・・。嘘を取り繕うので必死だった・・・」
「ずっと・・・今まで?」
「そう、今まで」
 逆にショーンの方が泣けてきて、ショーンはスコットの左膝に額をつけた。
 ショーンが洟を啜ると、スコットの手が優しくショーンの赤毛を撫でた。
「お前が泣くことはない。ただ、お前には随分辛い思いをさせると思う。これからのことを考えると・・・・。ショーン、ごめんな。俺が、お前を引き取ったばっかりにこんな・・・」
 ショーンはスコットの手を掴んで、彼を見上げた。
「謝る必要なんてない。スコットは何も悪いことなんかしてないじゃないか。これから誰に何を言われようと、俺がスコットを守る」
「ショーン・・・」
 スコットが唇を噛み締める。
「もう誰にも、何も言わせない。・・・愛してるから」
 スコットが少し微笑む。
「俺も愛してるよ」
 そう言って、ショーンの雨に濡れた頬を撫でる。
 ショーンは険しい表情を崩さなかった。
「違う。そういう意味じゃない。俺が愛してるって言ったのは、そんな意味じゃないんだ」
 スコットが怪訝そうな顔をして見せた。
 ショーンはスコットの隣に座ると、スコットをその燃えるような瞳で真っ直ぐ見つめた。
「俺は、スコットを愛している。一人の人間として」
 スコットは一瞬何を言われたか分からないような表情をして見せた。
 眉間に皺を寄せているスコットの唇を、ショーンは奪った。
 それは決して親子の間でのキスではなく、もっと情熱的なキスだった。
 スコットの下唇をキュッと吸って、軽い音を立てながらショーンが離れると、スコットはようやく意味を飲み込んだようだった。酷く驚いた顔をして、声もなくショーンを見つめていた。
 ショーンは再度、スコットの頬を両手で包み込み、キスをする。
 さっきより更に熱い、燃えるようなキス。
 ショーンの性急な手が、下着の上からスコットのモノを擦り上げた。
 スコットのソコが、ピクリと震える。
「・・・ん・・・、んん・・・・。よ、よせ・・・よすんだ、ショーン!」
 スコットが、股間に置かれたショーンの手を両手で押し返す。
「なぜ?! 俺達が“親子”だから? でも、血なんて繋がっちゃいないじゃないか」
 ハァハァと荒い息をしながら、ショーンは声を荒げた。
 ショーンの手のひらには、男ならではの反応を見せたスコットのモノの感触が生々しく残っていた。
 一瞬だけれど、スコットの身体は自分を受け入れてくれたとショーンは思った。スコットに全くその気がなければ、こんなにすぐ反応を見せるはずなんてない。きっと、そうだ。そのはずなのに・・・!
「駄目だ。こんなことは駄目だよ、ショーン」
 乱れた息を吐き出すスコットは、ショーンから視線を外して、そればかりを繰り返した。まるで譫言のような、浮ついた口調で。
 ショーンは必死に迫った。
「俺のこと嫌い? 俺は好みじゃない?」
「そういう・・・そういう問題じゃない・・・」
「俺って、魅力ない?」
 茜色の瞳が揺れた。
 十代特有の、透明度の高いガラスのように純粋な瞳。
 スコットの目が眩しそうに細められる。
「俺、一生懸命努力する。スコットの好みの男になれるように頑張る。スコットが望むなら、ギターだって弾くよ。俺がギター弾くの見たいってずっと言ってたし・・・」
「・・・ああ。俺はお前に音楽を楽しんで欲しいといつも思っていた。過去に縛られて、本当にしたいことを諦めて欲しくなかったんだ」
「そうだよ。本当の父さんのようになるのが怖くて、ずっと我慢してきた。けど、スコットが愛してくれるならそんな過去なんて、すぐに飛び越えられる。だから俺のこと、愛して・・・」
 スコットが口を戦慄かせる。
 そして彼は背中を向けた。
「愛してる・・・愛してるんだよ、ショーン。でも・・・でも、俺はショーンの気持ちには応えられない・・・」
「なぜ? なぜ?!」
 スコットの拒絶に、感極まったショーンの目から涙が溢れる。
「なぜだよ、スコット!」
「なぜなら!」
 スコットが振り返る。彼の目もまた、涙で濡れていて・・・
「なぜなら俺は、お前の父さんを愛していたからだ」
 それはまるで・・・まるで血反吐を吐くように、身体からようやく振り絞った叫び声だった。
 その場が凍り付く。
 まるで永遠に続くかのような沈黙の中。
 ショーンの濡れた瞳が宙を泳ぐ。
 ショーンは身体を引いて、まるで引きつけを起こしたかのように息を吸った。
 ぽろぽろと大きな涙の粒が零れる。
 それほどまでに、スコットのその一言は、恐ろしいほどの破壊力を持ってショーンの想いに深い深い一撃を穿った。
 スコットも苦しげに呼吸をして、涙を流す。
 スコットもまた、彼自身の言葉に傷ついていた。けれども彼は、痛みに負けて言葉を切ることはなかった。時折、歯を食いしばりながらスコットは続けた。
「だから・・・きっと後悔する。お前も、俺も。そういう事になれば、綺麗な世界が待ってるだけじゃないんだ。・・・確かに俺は、お前に音楽をしてもらいたいと願っている。それは、心の底ではお前がそれを必要としていると分かっていたからだ。けれどもしお前がギターを持てば、俺はどこかでビルの面影を追ってしまうかもしれない。凄く好きだった時代の、ビルの姿が蘇ってきてしまうかもしれない。それを抑える自信なんて、ひとつもないんだ。・・・俺はそんな男だよ。11年間育ててきたお前に、お前の父親の姿を重ねるような酷い男だ。それが一番ショーンを傷つけることは、よく分かってる。今まで、ビルのせいで好きなギターを思うように弾けなかったお前の気持ちを考えると、そんな酷い仕打ちを許せる訳がない・・・」
 スコットの言葉が、まるで頭上から滝が身体の中に流れ込んでくるように、染みていった。
 身体中が傷ついた心の固まりになったようで、声なき悲鳴を上げている。
 一声も出せなかったが、涙だけは枯れることなく流れ続けた。
「これからもっとお前の事を愛してくれる人がきっと現れるよ。もっと真摯に、お前のことだけを見てくれる人と出逢える。俺はお前の純粋な愛情を受けるだけの資格なんてない。俺自身悔しいけど、俺は今でもずっと亡霊に捕らわれ続けている男なんだ」
 ショーンは低く頭を項垂れさせた。
 スコットが、戸惑った表情で自分を見つめているのが分かる。
「ショーン・・・・。ショーン・・・。今のお前に言うのは酷かもしれないけれど、息子として愛している。世界で一番、お前のことを愛している。その気持ちは、お前の父さんへの気持ちより、ずっとずっと深いことをお前には知っていてもらいたい。11年間の暮らしは、絶対に嘘ではなかったことを信じてもらいたい・・・」
「俺はもう子どもなんかじゃない!!」
 ショーンは涙を散らしてそう叫んだ。
 絶叫に近かった。
 だがスコットは、静かな表情を浮かべ、こう一言言った。
「・・・だが、大人でもない」
 ショーンはカッと目を見開いた。
 そして、弾かれるようにして家を走り出て行った。
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