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act.04
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[5]
どうしてスコットは、あんな態度を取ったんだろう・・・。
教室で、昨日の学力テストの結果が一人ひとりに渡されていくのを見つめながらも、ショーンはぼんやりとそのことだけを考えていた。
スコットが他人のことをあんな風に言うの、初めて聞いた・・・。
いつもなら、ショーンの毒舌をスコットがたしなめているのだ。それが、今朝は違った。スコットは、クリス・カーターに対して、過剰な反応をしてみせた。
前に酷い目にでもあわされたのかな? カーターの仲介で紹介された娼婦が最悪だったとか? ── いいや、そんな筈はない。スコットが、そんなことをするなんてとてもじゃないけど想像できない。
スコットが恋人を連れて家に来たことはまるでなかったし、恋人がいる風な素振りも見せたことがなかったが、スコットが娼婦を抱いている姿など考えられなかった。
けれど、いずれにしても、あそこまでクリス・カーターの事を言うなんて、何か理由がありそうだ。
ショーンがその考えに行き着いた時、丁度ショーンの名前が呼ばれた。
教師は、ショーンの答案がどの教科でもトップの成績を収めたことを誇らしげに発表した。
皆が口々に「さすがショーンだな」と言う中で、最前列に座っているデニスだけが不機嫌そうな顔でショーンを見つめていた。以前より、ショーンのせいで万年二位に甘んじている自称天才だ。
彼の親は町の警察署長で、彼もまたポールと同じく裕福な家の出だった。
彼は、そんな自分より中流以下の家のショーンが皆にチヤホヤされるのが気にくわないのだ。しかもショーンは、飛び級しているので一つ年下だというおまけつきである。
デニスはことある事に不機嫌そうな顔をしてショーンを睨み付けているが、ショーンが男子生徒にも女子生徒にも人気があることを意識して、ちょっかいを出してくることはない。実害がないのだから、ショーンも相手にしていなかった。
放課後、案の定ポールに今日の公演に行こうと誘われたが、ショーンは父の仕事を手伝う約束になっているからと断った。
ポールが顔を顰める傍らでポールのガールフレンドであるエバを呼んでチケットを渡す。
「ポールがデートしたいって」
それを聞いて喜ぶエバに、ポールも引っ込みがつかなくなった。
「まったく、ショーンにはいつもしてやられるよ」
ポールは苦笑いしながら、エバを車に乗せて行った。
ショーンは笑顔で彼らを見送りながら、通りの向こうに車が消えると大きく息を吐いた。
本当なら、クリスにスコットと顔見知りなのかどうか確かめたかった気持ちもあったのだが、「またここに来ることになる」と言ったクリスの言いなりにはなりたくなかったし、何よりスコットを悲しませたくなかった。
歩いて帰ることになったショーンは、いつもなら車で通る道をブラブラと歩き始めた。
スコットが勤めている工場の近くまで来た時、ショーンに声を掛けてくる老人がいた。
「よう! ショーン!!」
無骨そうな面構えのダリルだった。スコットの雇い主だ。
「ハハハ、久しぶりだなぁ! 随分と男前になったもんだ。どれ、よく顔を見せてごらん」
南部訛り丸出しの大きな声でショーンに近づき、ゴツゴツした硬い手でショーンの頭や顔を撫でる。隣のC市や新興住宅地の地域では、これほど訛りの強い人間は逆に少ないが、南部からの移民の子孫が多く残るこの地区では、昔の名残の南部訛りがまだ根強く残っている。
「それにしてもお前は本当にオヤジに似てないな。同じハンサムでもゴールドとレッドじゃ、似ても似つかん」
通り中に響き渡りそうな大声でそう言うダリルに、ショーンは苦笑いした。ダリルと肩を組み歩く。
「おじさん、父さんと俺は血が繋がってないんだよ。もういい加減、それぐらい覚えてくれよ」
「あれ? そうだったか? 最近、益々忘れっぽくなっちまって・・・」
ダリルとは、もう5、6年も前から同じ会話を繰り返している。
「どうだ、工場に寄って行け。ハンナもお前の顔が見たいといつも言ってるんだぞ」
ハンナとは、ダリルの奥さんだ。小さい頃はよくおやつを貰っていた。
ダリルに半ば強引に工場に連れ込まれると、スコットの同僚である男達が三人、笑顔でショーンを迎えてくれた。
「久しぶりだな、ショーン! すっかり男っぽくなって。いくつだ? 18か?」
「17だよ。でも飛び級してるから、今年卒業する」
「飛び級か。こりゃすげぇ。スコットも自慢の息子だな!」
皆、手の汚れをタオルで拭ってはショーンの肩を叩いていく。
ショーンは会釈を返しながらも、スコットの姿を探した。
高い屋根の大きなガレージの中には、6台の壊れた自動車がリフトアップされたり、バンパーを開けられたりしてずらりと並んでいる。
至る所に工具が入れられたワゴンが散乱しており、壁や天井はグレイ色に煤けていた。周囲にはオイルと鉄屑の焼けるような臭いが立ちこめている。スコットの匂いだ。
一番奥には裏の住居に繋がるドアが開いたままになっており、その横には酒場にあるようなカウンターがあった。そこは、お客の受付カウンターになっているのと同時に従業員の休憩所にもなっている。
しかしそのどこにも、スコットの姿はなかった。
「父さんは・・・」
ショーンがそう呟くと、ショーンの傍らに置かれてある青いキャデラックの下から、作業板の上に寝っ転がったスコットが、ガラガラと音を立てて突然姿を現した。ショーンは「うわっ!」と声を上げ、後ろに飛び下がる。スコットはハハハと声を上げて笑った。ショーンは少し口を尖らせる。
スコットは、立ち上がってショーンを抱き締めようとしたが自分が甚だ汚れていることに気づき、それを躊躇った。
ショーンはそれを察すると自分が汚れるのも構わず、スコットを抱き締める。
最初戸惑っていたスコットは、それでも笑顔を浮かべるとショーンの背中を優しく擦った。
「どうした、珍しいな。ここに寄るなんて。一人か? ポールは?」
「ポールは彼女とデートだよ」
ふ~んとスコットは目を見開く。
「ポールにガールフレンドがいたとは初耳だ」
「最近できたんだよ。デートの誘い方もまだぎこちないんだ」
ショーンがそう言うと、スコットは益々笑顔を浮かべた。ショーンもつられて笑う。
ショーンは、スコットの笑顔を見るのが大好きだった。
少し厚めの下唇がクイッと上がって、男臭いがとろけそうに甘い笑顔を浮かべる。ショーンはどちらかといえば薄いの唇なので、本当に対照的な顔つきをしている親子だ。
「まぁ! ショーン来てたのね! おばさん特性のレモネードを飲んで行きなさい!」
騒ぎを聞きつけて奥から顔を出してきたハンナおばさんが、慌ただしくショーンの頬にキスをして奥の部屋にレモネードを取りに行った。
バタバタと騒がしいその様子に、一同が笑い声を挙げる。
ショーンは、カウンターに腰掛けた。
カウンターの端には真っ黒いダイヤル式の電話と14インチの小さなテレビが置かれてあって、今はニュースが流れている。
すぐにハンナがレモネードの入ったピッチャーとグラスを8つ、そして籠に入った手焼きの大きなクッキーを運んできた。
「さぁ、ショーンもいることだし、皆一休みしたら?」
まるで配給物を配るように、ハンナが見事な手際でレモネード入りのグラスとクッキーを従業員に配る。
手の汚れを落としてきたスコットは、ショーンの隣に腰掛けた。その向こうに、スコットの同僚のデビッドが座る。デビッドはいかにもガタイのいいマッチョで、半年前に母親を連れてこの街にやってきた。スコットとは仲がいいらしい。
「それで、ショーン。お前、学校卒業したらどうするんだ?」
ダリルがショーンの前に椅子を運んできて座る。
ショーンはクッキーを囓りながら両肩を竦めた。
「先生にはイエール大学を薦められてるけれど・・・」
「イエール大か! そりゃすごい。で、大学出たら、何になるんだ? 弁護士か?」
「そこまではまだ・・・」
ショーンは苦笑いをする。その肩をスコットが抱いた。
「別に焦る必要はないって言ってるんです。自分が本当に望むことをしてもらいたいから。大学には入ってから決めても遅くない」
「まぁ、偉いわ。ショーンもパパに感謝しないとね。あなたをここまで育てるのは本当に大変なことだったのよ」
そう言われてショーンは頷いた。スコットを見つめて言う。
「本当に、感謝してます。これ以上にないくらい。どれだけ言葉を使っても、表現しきれないけれど」
ショーンがそう言うと、微かにスコットの瞳に涙の幕がすっと下りた。
スコットがショーンを抱き寄せて、前髪の生え際にキスをする。
ショーンは照れくさくなってスコットの肩越しに視線を外すと、ふいにデビッドと目があった。
デビッドはショーンと目があったことに少し驚いた表情をしたが、すぐに笑顔を浮かべた。なんだかじっとりと湿った笑顔のように感じた。
ふと静寂が空いた間に、テレビニュースの声が飛び込んできた。
隣の州で連続殺人事件の犯人が捕まって、その男がゲイであったことが報道されていた。
そのニュースを聞いて、ダリルが激しく顔を顰める。
「男の腐ったような奴らにまともなのはいやせん。まったく、酷いことだ」
「本当にそうよね。そんな奴らの気が知れないわ。男同士で、一体何をしようというんだか・・・」
それを聞いて、ショーンは何とも言えない気持ちになった。
都会では大分開放的になってきたとはいえ、田舎町でゲイはまだまだ迫害の対象だ。
町の外れにある小さなバーに仲間はずれにされたゲイ達がたむろしているという噂はあるが、表向きは極力そういう話題に皆触れようとはしない。
まさにショーンにとっては人ごとでない話題であり、できれば知らんぷりをしていたい話題でもあった。
しかも自分の場合、ゲイの上に“近親相姦”ときている。殺人犯よりはよっぽどマシだったが、それでも町を支配している道徳観からすると十分「異常」だ。
ショーンは背中に悪寒を感じてブルブルと身震いすると、スコットが心配そうにショーンの顔を覗き込んだ。
「どうした? 風邪か?」
熱を計ろうと額をくっつけてこようとするスコットを押さえて、ショーンは苦笑いを浮かべた。
「人前でやめてくれよ」
その様子を見てハンナが笑う。
「親にとっては、いくら大きくなっても子どもは子どもなのよ」
ふいにグサリとくる台詞だった。
ショーンは複雑な笑みを浮かべ、照れ隠しをするように顔を俯けた。
スコットの行動もハンナが言ったことも、ショーンを傷つけるつもりはさらさらないのだろうが、やはりショーンには堪える。
── これから幾度、こういう思いを繰り返さねばならないのだろう・・・。
少し沈んだ顔をしたショーンを元気づけようとしたのだろうか、ハンナがこう切り出した。
「今夜は久しぶりにうちでご飯を食べていったらどう? ねぇ、ショーン」
ハンナの提案にダリルが表情を明るくする。
「そうだ、ショーン、それがいい。男所帯でろくなもの食ってないだろう」
「でも・・・」
ショーンは躊躇いながらスコットを見た。
スコットも少し考えているようだったが、そこにデビッドが畳みかけるように言った。
「たまにはいいんじゃないか? スコットも父親業を休業することだって必要だろ? 俺達が飲みに誘ってもいつも断られてばかりだし、たまには骨休みしたらどうだ?」
デビッドの提案は絶好のタイミングだった。
ハンナもダリルも大きく頷く。
「そうよ、そうしなさいな。ショーンなら晩ご飯が済んだら、きちんとダリルに家まで送り届けさせるようにするから。たまには羽根を伸ばしてきたら? ショーンもそう思うでしょ?」
確かに、スコットが飲んで帰ってくることなど、殆どなかった。
ここでもスコットは、「いや、俺はそんなこといいんだよ」と遠慮するようなことを言っていたので、ショーンは「いいよ、行ってきなよ」とスコットの肩を小突いた。
「家に帰ったら、洗濯も済ましておくから、遅くなってもいいよ」
スコットは不安そうな顔をして見せたが、デビッドやハンナに後押しされて、渋々承諾したのだった。
結局、日付が変わってもスコットは帰ってこなかった。
先にベッドに入ったショーンも、何となく眠ることができずにいた。
ベッドに寝っ転がったまま、ギターを爪弾く。
一人でいる時は、落ち着きがなくなるとついついギターを手にしてしまう。
あのスコットが羽目を外し過ぎることはないだろうが、それでも気になって町の飲み屋に電話を掛け回ってみようかなと思っていた矢先、電話が鳴った。
ショーンが電話に出ると、知り合いの警官の歯切れ悪い声が聞こえてきた。
『あ~・・・、ショーン。悪いがお父さんを迎えに来てくれないか』
ショーンは父親の車で警察署まで迎えに行くことになった。
どうやら聞くところによると、飲み屋でデビッドと殴り合いのケンカをして二人とも留置場までしょっ引かれたらしい。
警察署まで行く道すがら、ショーンの気持ちは不安でいっぱいだった。
スコットはあの通りとても温厚な性格なので、殴り合いのケンカをするということ自体がまずあり得ないことだった。
ケンカの原因が何にあったにせよ、スコットが相手を傷つけるまで怒るなんてことは、余程のことだ。
いずれにしても、11年間同じ屋根の下で暮らしてきて、スコットがこんな騒ぎを起こしたのは初めてのことだった。
ショーンが警察署に到着すると、ショーンの家の斜向かいに住む警官のハウワーが受付カウンターでショーンを待っていてくれていた。
深夜の警察署はガランとしていて、青白い蛍光灯の明かりだけがやけに煌々とともっている。どこか寒々とした空気だった。
「すみません、ハウワーさん。父は大丈夫ですか?」
ハウワーはショーンの腕を力強く掴む。まるで励ますような仕草だった。更に不安が募る。
だがハウワーはショーンを安心させるような笑顔を浮かべた。
「揉めた際に口の端を切ったぐらいだよ。大丈夫」
ショーンは取り敢えずほっと胸を撫で下ろす。
「本当にすみませんでした。お世話をおかけして・・・。父は今までケンカなんて縁のない人だったから、俺もびっくりして・・・」
ショーンがそう言うと、ハウワーも頷いた。
「ああ、そうだな。お前の父さんは軽々しく人を殴ったりはしない。余程腹に据えかねたんだろう」
「それで、ケンカの原因はなんです?」
ショーンが訊ねると、突然ハウワーは言い淀んだ。
「それは直接本人から訊くといい。今、父さんのところに案内しよう」
ショーンはハウワーの後をついていきながら、新たに浮かんだ不安を感じていた。
身を翻すハウワーの表情が、一瞬強ばったのをショーンは見逃さなかった。
── 余程言いにくい理由なのだろうか・・・。
留置場は、地下にあった。
階段を降りると、突き当たりに警官の詰め所がある。
そこには警官が待機するためのデスクと椅子。その横に壁付けで濃いブラウンのカウチが置かれてあった。
壁の色は、煤けたエメラルドグリーンで、蛍光灯の光を受けて黄緑色の光を反射させていた。
右手に鉄格子の入口があり、その奥に留置場両側に並んだ細い廊下が続いている。
ショーンがカウチに座り待っていると、鉄格子のドアが開閉する音が大きく響き、奥の方からスコットが歩いてきた。ハウワーに付き添われる形で出てきたスコットの足取りは酷く重く、俯いたその様子は普段の彼とまったく違っていた。
スコットはショーンの顔を見るなり、無精ひげの伸びた顔を気まずそうに顰めて見せた。
できれば、こんなところで息子と対面したくなかったのだろう。
詰め所まで出た段階で、足が竦んでしまったかのように歩みを止め顔を覆うスコットに、ショーンはそっと近づいた。
「大丈夫? 取り敢えず、無事でよかったよ」
ショーンが抱きしめようとすると、スコットはそれを拒み、今し方までショーンが座っていたカウチに腰をかけた。低く頭を項垂れる。
スコットが今感じているのが後悔なのか羞恥なのかそれは分からなかったが、深く傷ついていることだけは確かだった。
ショーンはスコットの隣にそっと座ると、父の背中をさすった。
一瞬スコットはビクリと身体を震わせたが、彼は何も言わず再び頭を項垂れさせた。
ハウワーがショーンに会釈して、姿を消す。
「それで・・・。デビッドは大丈夫なの? まさか病院送りとかにしてないよね」
勤めて普段のように父に話しかけた。
スコットは、首を横に振る。まだ少し酒の臭いがした。
「・・・デビッドは先に帰ったよ。さっき彼の母親が迎えに来た」
「そう・・・。俺の方が一番乗りだと思ったのにな」
ショーンが戯けてみせると、力はないがそれでもスコットは少し微笑んでくれた。その目はかわいそうなほど赤く充血している。
スコットはしばらくショーンの顔を見つめると、やがて耐えられなくなったのか、顔をくしゃくしゃにして涙を零した。
「・・・すまない、ショーン・・・。本当にすまない・・・。情けないよ。俺に父親の資格なんてない・・・本当に申し訳ない・・・」
ショーンはしっかりとスコットを抱きしめた。
「何を言ってるんだよ。父さんは素晴らしい父親じゃないか。世界で俺の父さんはただ一人だ」
「・・・違う・・・違うんだ、ショーン・・・」
スコットはショーンの腕の中で首を横に振った。だが、涙でそれ以上言葉が出なかった。
「帰ろう、父さん。家に、帰ろう」
涙を拭うスコットに自分のGジャンをかけて、ショーンは警察署を出た。
スコットを助手席に乗せて、ショーンが車をスタートさせても、スコットは何も語ろうとはしなかった。ただ重苦しい沈黙を抱いて、窓の外を見つめていた。
── 理由はなんであれ、スコットにこんな思いをさせるなら、今晩飲みに何か行かせるんじゃなかった・・・。
ショーンは後悔した。
スコットにこういう顔をさせる羽目になったデビッドを憎んだし、それを許してしまった自分も憎らしく思えた。
ショーンは冷たくなったスコットの手を握ると、「たかがケンカじゃないか。気にする事なんてないよ」と声を掛けた。
どうしてスコットは、あんな態度を取ったんだろう・・・。
教室で、昨日の学力テストの結果が一人ひとりに渡されていくのを見つめながらも、ショーンはぼんやりとそのことだけを考えていた。
スコットが他人のことをあんな風に言うの、初めて聞いた・・・。
いつもなら、ショーンの毒舌をスコットがたしなめているのだ。それが、今朝は違った。スコットは、クリス・カーターに対して、過剰な反応をしてみせた。
前に酷い目にでもあわされたのかな? カーターの仲介で紹介された娼婦が最悪だったとか? ── いいや、そんな筈はない。スコットが、そんなことをするなんてとてもじゃないけど想像できない。
スコットが恋人を連れて家に来たことはまるでなかったし、恋人がいる風な素振りも見せたことがなかったが、スコットが娼婦を抱いている姿など考えられなかった。
けれど、いずれにしても、あそこまでクリス・カーターの事を言うなんて、何か理由がありそうだ。
ショーンがその考えに行き着いた時、丁度ショーンの名前が呼ばれた。
教師は、ショーンの答案がどの教科でもトップの成績を収めたことを誇らしげに発表した。
皆が口々に「さすがショーンだな」と言う中で、最前列に座っているデニスだけが不機嫌そうな顔でショーンを見つめていた。以前より、ショーンのせいで万年二位に甘んじている自称天才だ。
彼の親は町の警察署長で、彼もまたポールと同じく裕福な家の出だった。
彼は、そんな自分より中流以下の家のショーンが皆にチヤホヤされるのが気にくわないのだ。しかもショーンは、飛び級しているので一つ年下だというおまけつきである。
デニスはことある事に不機嫌そうな顔をしてショーンを睨み付けているが、ショーンが男子生徒にも女子生徒にも人気があることを意識して、ちょっかいを出してくることはない。実害がないのだから、ショーンも相手にしていなかった。
放課後、案の定ポールに今日の公演に行こうと誘われたが、ショーンは父の仕事を手伝う約束になっているからと断った。
ポールが顔を顰める傍らでポールのガールフレンドであるエバを呼んでチケットを渡す。
「ポールがデートしたいって」
それを聞いて喜ぶエバに、ポールも引っ込みがつかなくなった。
「まったく、ショーンにはいつもしてやられるよ」
ポールは苦笑いしながら、エバを車に乗せて行った。
ショーンは笑顔で彼らを見送りながら、通りの向こうに車が消えると大きく息を吐いた。
本当なら、クリスにスコットと顔見知りなのかどうか確かめたかった気持ちもあったのだが、「またここに来ることになる」と言ったクリスの言いなりにはなりたくなかったし、何よりスコットを悲しませたくなかった。
歩いて帰ることになったショーンは、いつもなら車で通る道をブラブラと歩き始めた。
スコットが勤めている工場の近くまで来た時、ショーンに声を掛けてくる老人がいた。
「よう! ショーン!!」
無骨そうな面構えのダリルだった。スコットの雇い主だ。
「ハハハ、久しぶりだなぁ! 随分と男前になったもんだ。どれ、よく顔を見せてごらん」
南部訛り丸出しの大きな声でショーンに近づき、ゴツゴツした硬い手でショーンの頭や顔を撫でる。隣のC市や新興住宅地の地域では、これほど訛りの強い人間は逆に少ないが、南部からの移民の子孫が多く残るこの地区では、昔の名残の南部訛りがまだ根強く残っている。
「それにしてもお前は本当にオヤジに似てないな。同じハンサムでもゴールドとレッドじゃ、似ても似つかん」
通り中に響き渡りそうな大声でそう言うダリルに、ショーンは苦笑いした。ダリルと肩を組み歩く。
「おじさん、父さんと俺は血が繋がってないんだよ。もういい加減、それぐらい覚えてくれよ」
「あれ? そうだったか? 最近、益々忘れっぽくなっちまって・・・」
ダリルとは、もう5、6年も前から同じ会話を繰り返している。
「どうだ、工場に寄って行け。ハンナもお前の顔が見たいといつも言ってるんだぞ」
ハンナとは、ダリルの奥さんだ。小さい頃はよくおやつを貰っていた。
ダリルに半ば強引に工場に連れ込まれると、スコットの同僚である男達が三人、笑顔でショーンを迎えてくれた。
「久しぶりだな、ショーン! すっかり男っぽくなって。いくつだ? 18か?」
「17だよ。でも飛び級してるから、今年卒業する」
「飛び級か。こりゃすげぇ。スコットも自慢の息子だな!」
皆、手の汚れをタオルで拭ってはショーンの肩を叩いていく。
ショーンは会釈を返しながらも、スコットの姿を探した。
高い屋根の大きなガレージの中には、6台の壊れた自動車がリフトアップされたり、バンパーを開けられたりしてずらりと並んでいる。
至る所に工具が入れられたワゴンが散乱しており、壁や天井はグレイ色に煤けていた。周囲にはオイルと鉄屑の焼けるような臭いが立ちこめている。スコットの匂いだ。
一番奥には裏の住居に繋がるドアが開いたままになっており、その横には酒場にあるようなカウンターがあった。そこは、お客の受付カウンターになっているのと同時に従業員の休憩所にもなっている。
しかしそのどこにも、スコットの姿はなかった。
「父さんは・・・」
ショーンがそう呟くと、ショーンの傍らに置かれてある青いキャデラックの下から、作業板の上に寝っ転がったスコットが、ガラガラと音を立てて突然姿を現した。ショーンは「うわっ!」と声を上げ、後ろに飛び下がる。スコットはハハハと声を上げて笑った。ショーンは少し口を尖らせる。
スコットは、立ち上がってショーンを抱き締めようとしたが自分が甚だ汚れていることに気づき、それを躊躇った。
ショーンはそれを察すると自分が汚れるのも構わず、スコットを抱き締める。
最初戸惑っていたスコットは、それでも笑顔を浮かべるとショーンの背中を優しく擦った。
「どうした、珍しいな。ここに寄るなんて。一人か? ポールは?」
「ポールは彼女とデートだよ」
ふ~んとスコットは目を見開く。
「ポールにガールフレンドがいたとは初耳だ」
「最近できたんだよ。デートの誘い方もまだぎこちないんだ」
ショーンがそう言うと、スコットは益々笑顔を浮かべた。ショーンもつられて笑う。
ショーンは、スコットの笑顔を見るのが大好きだった。
少し厚めの下唇がクイッと上がって、男臭いがとろけそうに甘い笑顔を浮かべる。ショーンはどちらかといえば薄いの唇なので、本当に対照的な顔つきをしている親子だ。
「まぁ! ショーン来てたのね! おばさん特性のレモネードを飲んで行きなさい!」
騒ぎを聞きつけて奥から顔を出してきたハンナおばさんが、慌ただしくショーンの頬にキスをして奥の部屋にレモネードを取りに行った。
バタバタと騒がしいその様子に、一同が笑い声を挙げる。
ショーンは、カウンターに腰掛けた。
カウンターの端には真っ黒いダイヤル式の電話と14インチの小さなテレビが置かれてあって、今はニュースが流れている。
すぐにハンナがレモネードの入ったピッチャーとグラスを8つ、そして籠に入った手焼きの大きなクッキーを運んできた。
「さぁ、ショーンもいることだし、皆一休みしたら?」
まるで配給物を配るように、ハンナが見事な手際でレモネード入りのグラスとクッキーを従業員に配る。
手の汚れを落としてきたスコットは、ショーンの隣に腰掛けた。その向こうに、スコットの同僚のデビッドが座る。デビッドはいかにもガタイのいいマッチョで、半年前に母親を連れてこの街にやってきた。スコットとは仲がいいらしい。
「それで、ショーン。お前、学校卒業したらどうするんだ?」
ダリルがショーンの前に椅子を運んできて座る。
ショーンはクッキーを囓りながら両肩を竦めた。
「先生にはイエール大学を薦められてるけれど・・・」
「イエール大か! そりゃすごい。で、大学出たら、何になるんだ? 弁護士か?」
「そこまではまだ・・・」
ショーンは苦笑いをする。その肩をスコットが抱いた。
「別に焦る必要はないって言ってるんです。自分が本当に望むことをしてもらいたいから。大学には入ってから決めても遅くない」
「まぁ、偉いわ。ショーンもパパに感謝しないとね。あなたをここまで育てるのは本当に大変なことだったのよ」
そう言われてショーンは頷いた。スコットを見つめて言う。
「本当に、感謝してます。これ以上にないくらい。どれだけ言葉を使っても、表現しきれないけれど」
ショーンがそう言うと、微かにスコットの瞳に涙の幕がすっと下りた。
スコットがショーンを抱き寄せて、前髪の生え際にキスをする。
ショーンは照れくさくなってスコットの肩越しに視線を外すと、ふいにデビッドと目があった。
デビッドはショーンと目があったことに少し驚いた表情をしたが、すぐに笑顔を浮かべた。なんだかじっとりと湿った笑顔のように感じた。
ふと静寂が空いた間に、テレビニュースの声が飛び込んできた。
隣の州で連続殺人事件の犯人が捕まって、その男がゲイであったことが報道されていた。
そのニュースを聞いて、ダリルが激しく顔を顰める。
「男の腐ったような奴らにまともなのはいやせん。まったく、酷いことだ」
「本当にそうよね。そんな奴らの気が知れないわ。男同士で、一体何をしようというんだか・・・」
それを聞いて、ショーンは何とも言えない気持ちになった。
都会では大分開放的になってきたとはいえ、田舎町でゲイはまだまだ迫害の対象だ。
町の外れにある小さなバーに仲間はずれにされたゲイ達がたむろしているという噂はあるが、表向きは極力そういう話題に皆触れようとはしない。
まさにショーンにとっては人ごとでない話題であり、できれば知らんぷりをしていたい話題でもあった。
しかも自分の場合、ゲイの上に“近親相姦”ときている。殺人犯よりはよっぽどマシだったが、それでも町を支配している道徳観からすると十分「異常」だ。
ショーンは背中に悪寒を感じてブルブルと身震いすると、スコットが心配そうにショーンの顔を覗き込んだ。
「どうした? 風邪か?」
熱を計ろうと額をくっつけてこようとするスコットを押さえて、ショーンは苦笑いを浮かべた。
「人前でやめてくれよ」
その様子を見てハンナが笑う。
「親にとっては、いくら大きくなっても子どもは子どもなのよ」
ふいにグサリとくる台詞だった。
ショーンは複雑な笑みを浮かべ、照れ隠しをするように顔を俯けた。
スコットの行動もハンナが言ったことも、ショーンを傷つけるつもりはさらさらないのだろうが、やはりショーンには堪える。
── これから幾度、こういう思いを繰り返さねばならないのだろう・・・。
少し沈んだ顔をしたショーンを元気づけようとしたのだろうか、ハンナがこう切り出した。
「今夜は久しぶりにうちでご飯を食べていったらどう? ねぇ、ショーン」
ハンナの提案にダリルが表情を明るくする。
「そうだ、ショーン、それがいい。男所帯でろくなもの食ってないだろう」
「でも・・・」
ショーンは躊躇いながらスコットを見た。
スコットも少し考えているようだったが、そこにデビッドが畳みかけるように言った。
「たまにはいいんじゃないか? スコットも父親業を休業することだって必要だろ? 俺達が飲みに誘ってもいつも断られてばかりだし、たまには骨休みしたらどうだ?」
デビッドの提案は絶好のタイミングだった。
ハンナもダリルも大きく頷く。
「そうよ、そうしなさいな。ショーンなら晩ご飯が済んだら、きちんとダリルに家まで送り届けさせるようにするから。たまには羽根を伸ばしてきたら? ショーンもそう思うでしょ?」
確かに、スコットが飲んで帰ってくることなど、殆どなかった。
ここでもスコットは、「いや、俺はそんなこといいんだよ」と遠慮するようなことを言っていたので、ショーンは「いいよ、行ってきなよ」とスコットの肩を小突いた。
「家に帰ったら、洗濯も済ましておくから、遅くなってもいいよ」
スコットは不安そうな顔をして見せたが、デビッドやハンナに後押しされて、渋々承諾したのだった。
結局、日付が変わってもスコットは帰ってこなかった。
先にベッドに入ったショーンも、何となく眠ることができずにいた。
ベッドに寝っ転がったまま、ギターを爪弾く。
一人でいる時は、落ち着きがなくなるとついついギターを手にしてしまう。
あのスコットが羽目を外し過ぎることはないだろうが、それでも気になって町の飲み屋に電話を掛け回ってみようかなと思っていた矢先、電話が鳴った。
ショーンが電話に出ると、知り合いの警官の歯切れ悪い声が聞こえてきた。
『あ~・・・、ショーン。悪いがお父さんを迎えに来てくれないか』
ショーンは父親の車で警察署まで迎えに行くことになった。
どうやら聞くところによると、飲み屋でデビッドと殴り合いのケンカをして二人とも留置場までしょっ引かれたらしい。
警察署まで行く道すがら、ショーンの気持ちは不安でいっぱいだった。
スコットはあの通りとても温厚な性格なので、殴り合いのケンカをするということ自体がまずあり得ないことだった。
ケンカの原因が何にあったにせよ、スコットが相手を傷つけるまで怒るなんてことは、余程のことだ。
いずれにしても、11年間同じ屋根の下で暮らしてきて、スコットがこんな騒ぎを起こしたのは初めてのことだった。
ショーンが警察署に到着すると、ショーンの家の斜向かいに住む警官のハウワーが受付カウンターでショーンを待っていてくれていた。
深夜の警察署はガランとしていて、青白い蛍光灯の明かりだけがやけに煌々とともっている。どこか寒々とした空気だった。
「すみません、ハウワーさん。父は大丈夫ですか?」
ハウワーはショーンの腕を力強く掴む。まるで励ますような仕草だった。更に不安が募る。
だがハウワーはショーンを安心させるような笑顔を浮かべた。
「揉めた際に口の端を切ったぐらいだよ。大丈夫」
ショーンは取り敢えずほっと胸を撫で下ろす。
「本当にすみませんでした。お世話をおかけして・・・。父は今までケンカなんて縁のない人だったから、俺もびっくりして・・・」
ショーンがそう言うと、ハウワーも頷いた。
「ああ、そうだな。お前の父さんは軽々しく人を殴ったりはしない。余程腹に据えかねたんだろう」
「それで、ケンカの原因はなんです?」
ショーンが訊ねると、突然ハウワーは言い淀んだ。
「それは直接本人から訊くといい。今、父さんのところに案内しよう」
ショーンはハウワーの後をついていきながら、新たに浮かんだ不安を感じていた。
身を翻すハウワーの表情が、一瞬強ばったのをショーンは見逃さなかった。
── 余程言いにくい理由なのだろうか・・・。
留置場は、地下にあった。
階段を降りると、突き当たりに警官の詰め所がある。
そこには警官が待機するためのデスクと椅子。その横に壁付けで濃いブラウンのカウチが置かれてあった。
壁の色は、煤けたエメラルドグリーンで、蛍光灯の光を受けて黄緑色の光を反射させていた。
右手に鉄格子の入口があり、その奥に留置場両側に並んだ細い廊下が続いている。
ショーンがカウチに座り待っていると、鉄格子のドアが開閉する音が大きく響き、奥の方からスコットが歩いてきた。ハウワーに付き添われる形で出てきたスコットの足取りは酷く重く、俯いたその様子は普段の彼とまったく違っていた。
スコットはショーンの顔を見るなり、無精ひげの伸びた顔を気まずそうに顰めて見せた。
できれば、こんなところで息子と対面したくなかったのだろう。
詰め所まで出た段階で、足が竦んでしまったかのように歩みを止め顔を覆うスコットに、ショーンはそっと近づいた。
「大丈夫? 取り敢えず、無事でよかったよ」
ショーンが抱きしめようとすると、スコットはそれを拒み、今し方までショーンが座っていたカウチに腰をかけた。低く頭を項垂れる。
スコットが今感じているのが後悔なのか羞恥なのかそれは分からなかったが、深く傷ついていることだけは確かだった。
ショーンはスコットの隣にそっと座ると、父の背中をさすった。
一瞬スコットはビクリと身体を震わせたが、彼は何も言わず再び頭を項垂れさせた。
ハウワーがショーンに会釈して、姿を消す。
「それで・・・。デビッドは大丈夫なの? まさか病院送りとかにしてないよね」
勤めて普段のように父に話しかけた。
スコットは、首を横に振る。まだ少し酒の臭いがした。
「・・・デビッドは先に帰ったよ。さっき彼の母親が迎えに来た」
「そう・・・。俺の方が一番乗りだと思ったのにな」
ショーンが戯けてみせると、力はないがそれでもスコットは少し微笑んでくれた。その目はかわいそうなほど赤く充血している。
スコットはしばらくショーンの顔を見つめると、やがて耐えられなくなったのか、顔をくしゃくしゃにして涙を零した。
「・・・すまない、ショーン・・・。本当にすまない・・・。情けないよ。俺に父親の資格なんてない・・・本当に申し訳ない・・・」
ショーンはしっかりとスコットを抱きしめた。
「何を言ってるんだよ。父さんは素晴らしい父親じゃないか。世界で俺の父さんはただ一人だ」
「・・・違う・・・違うんだ、ショーン・・・」
スコットはショーンの腕の中で首を横に振った。だが、涙でそれ以上言葉が出なかった。
「帰ろう、父さん。家に、帰ろう」
涙を拭うスコットに自分のGジャンをかけて、ショーンは警察署を出た。
スコットを助手席に乗せて、ショーンが車をスタートさせても、スコットは何も語ろうとはしなかった。ただ重苦しい沈黙を抱いて、窓の外を見つめていた。
── 理由はなんであれ、スコットにこんな思いをさせるなら、今晩飲みに何か行かせるんじゃなかった・・・。
ショーンは後悔した。
スコットにこういう顔をさせる羽目になったデビッドを憎んだし、それを許してしまった自分も憎らしく思えた。
ショーンは冷たくなったスコットの手を握ると、「たかがケンカじゃないか。気にする事なんてないよ」と声を掛けた。
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