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昼間のガランとした劇場内。
目の前では、ポールが、必死の形相で『Over The Rainbow』を歌い上げている。
お世辞にも上手いとは言えなかったが、一生懸命さは伝わってくる。
すり切れたボルドー色のモケット生地で覆われた客席にポツンと座っているショーンの二つ隣には、この劇場のオーナーであるクリストファー・カーターがいる。オーナーと言ってもまだ三十代半ばから後半という風情の男で、確かスコットと同世代の筈だ。つい一年ほど前に突然この町に現れて、落ちぶれたこの劇場の権利を現金一括払いで買い取ったことから、「得体の知れない男」と言われていた。
ショーンは、ちらりと隣の男の横顔を盗み見る。
スコットよりは随分明るい色をしたブロンドの髪を無造作に長く伸ばし、頭の後ろで一つに結わえている細面の男で、昔はきっとショービスの世界で活躍したであろうことが容易に想像できる美しい容姿をしていた。今は濃いブラウンの瞳に丸い形の銀縁眼鏡をかけて、白いシャツにジーンズという地味な出で立ちをしていたが、それでも随分と雰囲気に“華”がある。それも、とても危険な類の“華”だ。噂によると、裏では娼婦の斡旋をしているらしい。明らかに夜の世界が似合う男だ。
だが今は、飄々とした顔で舞台上のポールを見つめていた。
彼が今、何を考えステージを見つめているかは、その表情からは窺い知ることはできなかった。
クリス・カーターは確かに危険な男だ。たが一時は完全に落ちぶれていたこの劇場を完全に復活させた実力を、ポールは熱っぽくショーンに語ったことがある。事実、カーターがこの劇場を買い取ってからというもの、ブロードウェイでもトップクラスの著名な劇団や、トップセールスを誇るポップスター、ロックバンドまでもがここを訪れるようになった。どういう理由で、こんな小さな町の小さな劇場にスターを次々と招くことができているのかは誰も知らなかったが、それでも町の人々には大きく刺激を与えたようだ。劇場に縁遠かった町の人々も最近では開演前に劇場の前に列をなすようになっていたし、町の外から公演を見に来る人々も多くなった。そのお陰で町のホテルや商店も潤い、カーターの陰口を表立って言う人々はいなくなった。だから、ショービズの世界にちょっとでも興味がある若者なら、この劇場オーナーを英雄視するのも確かに分かる気がする。
けれど・・・。
こういう世界は、いやでも本当の父親のことを思い起こさせる。そして、その父親を盲目的に愛していた母親のことも。
ショーンは、ぼんやりとステージの上のポールを見つめながら、自分を置いてこの世を去った両親のことに思いを馳せた。
ショーンの父親は、ロックスターだった。
ビル・タウンゼントの天才的なギターテクニックと印象に残る歌声がいつしか話題を呼び、南部の小さな町出身のバンドはやがて全米デビューを果たした。丁度、デビッド・ボウイやイギー・ポップ、T-REXなどのグラムロッカーの時代が終わりをつげようとしていた時期だった。
ショーンの母親は父のバンドの所謂「グルーピー」の一人で、燃えるような赤毛を持つ美しい少女だった。ビルは一目で彼女を気に入り、自分の部屋に招き入れた。
全米ツアーでどさまわりをしている間に母は妊娠し、やがてショーンが生まれた。
幼いショーンの周辺には常に音楽が溢れ返っていた。ショーンの家は、移動のバスと滞在先のホテルの部屋であり、父の愛用していたギターはいつしかショーンの遊び道具になった。そしてショーンのオムツカバーにはツアー先で出会う有名なバンドのメンバーが次々とサインしていった。
だが、煌びやかな世界は意外に早く終演を迎える。
次第にポップス・ミュージックが台頭してこようというタイミングの悪い時期にデビューしたロックスターは、最初こそヒット曲を飛ばしたとはいえ、すぐに皆から忘れられる運命だった。
結局、ロックスターの理想と現実のギャップに耐えきれなくなった惨めな男は、田舎に帰ってきてもまだ現実を忘れるためにドラッグをやり続け、彼の心の中でのみ幻想のロックスターでありつづけた。母親もロックスターである父を愛し続けていたため、それを止めることはできなかった。
いつしか借金してまで酒とドラッグに溺れた父は、ショーンが六つの時、ショーンの目の前でドラッグの売人に殺された。母もまた、その巻き添えになった。
家族ですら知らない間に父にかけられていた生命保険は借金の返済にあてられ、ショーンの元に残ったのは、両親の墓とその時点で未だ残っていた借金の借用書だけだった。
父の親戚連中は父の借金問題の巻き添えを食らって早々に町から姿を消し、家出娘だった母の親類もまた探しようがなく、ショーンは天涯孤独の身となった。
目の前で両親を殺害されたショックで、口がきけなくなったショーンは、そのまま施設に預けられる運命だった。
それに待ったをかけたのが、スコット・クーパーだ。
スコットは、父がドラッグ漬けの負け犬となって町に帰ってきた時も、唯一味方になってくれた幼なじみだった。
スコットは、ビルの残した借金の肩代わりまでして、ショーンを引き取ることにした。
スコットがそうまでしてショーンを引き取ることに周囲の人々は反対をしたが、スコットの意志は固かった。
スコットの献身的な看病に、ショーンが再び言葉を取り戻したのは僅か三ヶ月後のことで、結果的にそれが最後の決め手となり、ショーンは正式にタウンゼントという名前からクーパーという名前になった。
それ以来、ショーンは表向き、音楽から遠ざかる生活を送っている。
スコットは、「きっとショーンも音楽の才能があるに決まってるよ」とショーンにギターを買い与えてくれたが、ショーンはスコットの前でもギターを弾くことはなかった。
自分も父親のような人間になるような気がして、怖かったからだ・・・。
ショーンはふいに息苦しさを感じて、席を立った。
今ポールが立つステージは、まだこの劇場がカーターの手に渡るずっと以前、父が立った筈の場所だった。
その当時は、ライブハウスなど一つもなかった田舎の町だったので、バンドがライブをすると言えば、この劇場しかなかった筈だ。
思えば、この劇場が父の破滅的な人生のスタート地点だった。
それを思うと、ショーンの胸は苦しくなる。
席を立ったショーンに目を遣るカーターの視線から逃れるように、ショーンはそのまま、右側にある通路に出た。
そこは薄暗くひんやりとしていて、ショーンはやっとまともに息ができたような気がした。無意識のうちに火照っていた頬に空気が気持ちいい。
ホゥとため息をついて、その場に座り込む。
目の前には、誰かの置き忘れなのか、白い薄汚れたエレキギターが立てかけてあった。
ショーンはギターの傍らに移動すると、すっとギターの弦を撫でる。
人前では決して歌うこともせず、ギターを弾くこともしなかったショーンだったが、その実、音楽の魅力は十分に分かっている人間だった。恋しくさえ思ったこともある。
幼い頃、人が最も外部から刺激を吸収する時分に、常に音楽と生活をしていたショーンだ。ギターも信じられないほど幼い頃から、小さな手でいっちょまえにコードを弾き分けて周囲の大人を驚かせた。
ショーンは恐る恐るギターを膝に抱えると、音を響かせることのないエレキギターの弦をビィンと弾いた。ショーンは周囲に人がいないことを確認してから、ギターを肩に掛けるとおもむろにギターをつま弾き、ジミー・ヘンドリクスの『リトル・ウインド』を口ずさんだ。
その物悲しく繊細なメロディラインに、なんだか涙が出てきそうだった。
クリスが最後まで見てくれたことに、ポールは感激と興奮を抑えられなかったようだ。
おまけにクリスが車まで見送ってくれたことは、それを更に助長した。ポールは何度もクリスに感謝の意を表した。
「劇場の事務所に明日の公演のチケットがある。二枚取って帰るといい」
「え! 本当ですか!」
「ああ。取ってくるがいいさ。事務所のおばさんに、俺が招待すると言ってるといえばすぐにくれる」
ポールは飛び上がってショーンの肩を叩くと、跳ねるように劇場の中に姿を消した。
現在公演中の劇団は、演劇界で今一番ホットな演出家であるジョン・シーモアが主宰する劇団で、つい最近までオフブロードウェイのロングラン公演を終えていたばかりだった。当然、劇団は取り分け新人を募集してはいなかったが、シーモアと親しげに言葉を交わすクリスを見込んで、あわよくば口利きしてもらえるかもしれないと乗り込んできたのだから、クリスからのこのプレゼントは本当に嬉しかったのだろう。
ポールの喜びように、流石のショーンも表情を緩ませた。育ちのいいポールの素直な性格は、気難しいショーンの心でさえも和やかにしてくれる。
ふいにクリスと目が合い、ショーンは肩を竦めた。
「すみません。激情家なんです。でも悪い奴じゃないから」
クリスは折れ曲がった煙草を銜えると、ニヤニヤと笑いながら頷いた。
「あの熱気は、確かにパフォーマーに向いてるかもな。・・・けど」
クリスは煙を吐き出し、煙草を挟んだ指でショーンを指し示した。
「俺は、お前さんの方が興味ある。今度はちゃんと歌いに来ないか。ギターを弾きに来るだけでもいい」
ショーンの顔が強ばった。
丸眼鏡の奥にあるチョコレート色の瞳が、鋭い光を浮かべてショーンを見ていた。
この風変わりな曲者劇場主は、通路でショーンがしていたことに気づいていたのだ。
しかもポールのショーに最後まで付き合ったのは、ショーンにその一言を言うチャンスを窺っていたからなんだということに気が付いた。
ショーンの顔がみるみる顰め面へと変わっていく。
クリスは、その表情を見逃さなかったようである。
「何だ。気に入らないか? 自分の友達をダシにしているみたいで」
クリスは大人の余裕なのか、雲行きが怪しいショーンの顔つきを見ても笑みを消さなかった。
「こっちも商売だ。より物になる才能を探すのは当然だろう? そう言われてお前さんも悪い気はしないはずだ」
ショーンは、車のドアを開けて荷物を乱暴に投げ入れた。
「残念だけど、俺にとってその台詞は全然魅力的じゃない」
それを聞いたクリスが片眉を引き上げる。
「いっとくけど、俺は人前で歌わない。絶対に」
「へぇ。何で?」
煙草を吹かし、クリスが訊く。
ショーンはしばらく黙ってこう言い返した。
「・・・そんなの、アンタに関係ない。とにかく、俺は歌わないし、ここにも来ない」
ショーンが睨み付けると、クリスはニヤリとまた笑みを浮かべた。
丁度その時、ポールが歓声を上げながら劇場の裏口から飛び出してくる。
「ショーン!! 本当にチケット貰えたぜ!! すげぇ!! 三列目の真ん中だ!!」
「ああ、よかったな」
飛び跳ねるポールの腕を掴み、ショーンはポールの身体を車に突っ込む。
ショーンが運転席に滑り込もうとする間際、クリスがショーンに接近し耳元で呟いた。
きっとまた、お前さんはここに来ることになるよ、と。
昼間のガランとした劇場内。
目の前では、ポールが、必死の形相で『Over The Rainbow』を歌い上げている。
お世辞にも上手いとは言えなかったが、一生懸命さは伝わってくる。
すり切れたボルドー色のモケット生地で覆われた客席にポツンと座っているショーンの二つ隣には、この劇場のオーナーであるクリストファー・カーターがいる。オーナーと言ってもまだ三十代半ばから後半という風情の男で、確かスコットと同世代の筈だ。つい一年ほど前に突然この町に現れて、落ちぶれたこの劇場の権利を現金一括払いで買い取ったことから、「得体の知れない男」と言われていた。
ショーンは、ちらりと隣の男の横顔を盗み見る。
スコットよりは随分明るい色をしたブロンドの髪を無造作に長く伸ばし、頭の後ろで一つに結わえている細面の男で、昔はきっとショービスの世界で活躍したであろうことが容易に想像できる美しい容姿をしていた。今は濃いブラウンの瞳に丸い形の銀縁眼鏡をかけて、白いシャツにジーンズという地味な出で立ちをしていたが、それでも随分と雰囲気に“華”がある。それも、とても危険な類の“華”だ。噂によると、裏では娼婦の斡旋をしているらしい。明らかに夜の世界が似合う男だ。
だが今は、飄々とした顔で舞台上のポールを見つめていた。
彼が今、何を考えステージを見つめているかは、その表情からは窺い知ることはできなかった。
クリス・カーターは確かに危険な男だ。たが一時は完全に落ちぶれていたこの劇場を完全に復活させた実力を、ポールは熱っぽくショーンに語ったことがある。事実、カーターがこの劇場を買い取ってからというもの、ブロードウェイでもトップクラスの著名な劇団や、トップセールスを誇るポップスター、ロックバンドまでもがここを訪れるようになった。どういう理由で、こんな小さな町の小さな劇場にスターを次々と招くことができているのかは誰も知らなかったが、それでも町の人々には大きく刺激を与えたようだ。劇場に縁遠かった町の人々も最近では開演前に劇場の前に列をなすようになっていたし、町の外から公演を見に来る人々も多くなった。そのお陰で町のホテルや商店も潤い、カーターの陰口を表立って言う人々はいなくなった。だから、ショービズの世界にちょっとでも興味がある若者なら、この劇場オーナーを英雄視するのも確かに分かる気がする。
けれど・・・。
こういう世界は、いやでも本当の父親のことを思い起こさせる。そして、その父親を盲目的に愛していた母親のことも。
ショーンは、ぼんやりとステージの上のポールを見つめながら、自分を置いてこの世を去った両親のことに思いを馳せた。
ショーンの父親は、ロックスターだった。
ビル・タウンゼントの天才的なギターテクニックと印象に残る歌声がいつしか話題を呼び、南部の小さな町出身のバンドはやがて全米デビューを果たした。丁度、デビッド・ボウイやイギー・ポップ、T-REXなどのグラムロッカーの時代が終わりをつげようとしていた時期だった。
ショーンの母親は父のバンドの所謂「グルーピー」の一人で、燃えるような赤毛を持つ美しい少女だった。ビルは一目で彼女を気に入り、自分の部屋に招き入れた。
全米ツアーでどさまわりをしている間に母は妊娠し、やがてショーンが生まれた。
幼いショーンの周辺には常に音楽が溢れ返っていた。ショーンの家は、移動のバスと滞在先のホテルの部屋であり、父の愛用していたギターはいつしかショーンの遊び道具になった。そしてショーンのオムツカバーにはツアー先で出会う有名なバンドのメンバーが次々とサインしていった。
だが、煌びやかな世界は意外に早く終演を迎える。
次第にポップス・ミュージックが台頭してこようというタイミングの悪い時期にデビューしたロックスターは、最初こそヒット曲を飛ばしたとはいえ、すぐに皆から忘れられる運命だった。
結局、ロックスターの理想と現実のギャップに耐えきれなくなった惨めな男は、田舎に帰ってきてもまだ現実を忘れるためにドラッグをやり続け、彼の心の中でのみ幻想のロックスターでありつづけた。母親もロックスターである父を愛し続けていたため、それを止めることはできなかった。
いつしか借金してまで酒とドラッグに溺れた父は、ショーンが六つの時、ショーンの目の前でドラッグの売人に殺された。母もまた、その巻き添えになった。
家族ですら知らない間に父にかけられていた生命保険は借金の返済にあてられ、ショーンの元に残ったのは、両親の墓とその時点で未だ残っていた借金の借用書だけだった。
父の親戚連中は父の借金問題の巻き添えを食らって早々に町から姿を消し、家出娘だった母の親類もまた探しようがなく、ショーンは天涯孤独の身となった。
目の前で両親を殺害されたショックで、口がきけなくなったショーンは、そのまま施設に預けられる運命だった。
それに待ったをかけたのが、スコット・クーパーだ。
スコットは、父がドラッグ漬けの負け犬となって町に帰ってきた時も、唯一味方になってくれた幼なじみだった。
スコットは、ビルの残した借金の肩代わりまでして、ショーンを引き取ることにした。
スコットがそうまでしてショーンを引き取ることに周囲の人々は反対をしたが、スコットの意志は固かった。
スコットの献身的な看病に、ショーンが再び言葉を取り戻したのは僅か三ヶ月後のことで、結果的にそれが最後の決め手となり、ショーンは正式にタウンゼントという名前からクーパーという名前になった。
それ以来、ショーンは表向き、音楽から遠ざかる生活を送っている。
スコットは、「きっとショーンも音楽の才能があるに決まってるよ」とショーンにギターを買い与えてくれたが、ショーンはスコットの前でもギターを弾くことはなかった。
自分も父親のような人間になるような気がして、怖かったからだ・・・。
ショーンはふいに息苦しさを感じて、席を立った。
今ポールが立つステージは、まだこの劇場がカーターの手に渡るずっと以前、父が立った筈の場所だった。
その当時は、ライブハウスなど一つもなかった田舎の町だったので、バンドがライブをすると言えば、この劇場しかなかった筈だ。
思えば、この劇場が父の破滅的な人生のスタート地点だった。
それを思うと、ショーンの胸は苦しくなる。
席を立ったショーンに目を遣るカーターの視線から逃れるように、ショーンはそのまま、右側にある通路に出た。
そこは薄暗くひんやりとしていて、ショーンはやっとまともに息ができたような気がした。無意識のうちに火照っていた頬に空気が気持ちいい。
ホゥとため息をついて、その場に座り込む。
目の前には、誰かの置き忘れなのか、白い薄汚れたエレキギターが立てかけてあった。
ショーンはギターの傍らに移動すると、すっとギターの弦を撫でる。
人前では決して歌うこともせず、ギターを弾くこともしなかったショーンだったが、その実、音楽の魅力は十分に分かっている人間だった。恋しくさえ思ったこともある。
幼い頃、人が最も外部から刺激を吸収する時分に、常に音楽と生活をしていたショーンだ。ギターも信じられないほど幼い頃から、小さな手でいっちょまえにコードを弾き分けて周囲の大人を驚かせた。
ショーンは恐る恐るギターを膝に抱えると、音を響かせることのないエレキギターの弦をビィンと弾いた。ショーンは周囲に人がいないことを確認してから、ギターを肩に掛けるとおもむろにギターをつま弾き、ジミー・ヘンドリクスの『リトル・ウインド』を口ずさんだ。
その物悲しく繊細なメロディラインに、なんだか涙が出てきそうだった。
クリスが最後まで見てくれたことに、ポールは感激と興奮を抑えられなかったようだ。
おまけにクリスが車まで見送ってくれたことは、それを更に助長した。ポールは何度もクリスに感謝の意を表した。
「劇場の事務所に明日の公演のチケットがある。二枚取って帰るといい」
「え! 本当ですか!」
「ああ。取ってくるがいいさ。事務所のおばさんに、俺が招待すると言ってるといえばすぐにくれる」
ポールは飛び上がってショーンの肩を叩くと、跳ねるように劇場の中に姿を消した。
現在公演中の劇団は、演劇界で今一番ホットな演出家であるジョン・シーモアが主宰する劇団で、つい最近までオフブロードウェイのロングラン公演を終えていたばかりだった。当然、劇団は取り分け新人を募集してはいなかったが、シーモアと親しげに言葉を交わすクリスを見込んで、あわよくば口利きしてもらえるかもしれないと乗り込んできたのだから、クリスからのこのプレゼントは本当に嬉しかったのだろう。
ポールの喜びように、流石のショーンも表情を緩ませた。育ちのいいポールの素直な性格は、気難しいショーンの心でさえも和やかにしてくれる。
ふいにクリスと目が合い、ショーンは肩を竦めた。
「すみません。激情家なんです。でも悪い奴じゃないから」
クリスは折れ曲がった煙草を銜えると、ニヤニヤと笑いながら頷いた。
「あの熱気は、確かにパフォーマーに向いてるかもな。・・・けど」
クリスは煙を吐き出し、煙草を挟んだ指でショーンを指し示した。
「俺は、お前さんの方が興味ある。今度はちゃんと歌いに来ないか。ギターを弾きに来るだけでもいい」
ショーンの顔が強ばった。
丸眼鏡の奥にあるチョコレート色の瞳が、鋭い光を浮かべてショーンを見ていた。
この風変わりな曲者劇場主は、通路でショーンがしていたことに気づいていたのだ。
しかもポールのショーに最後まで付き合ったのは、ショーンにその一言を言うチャンスを窺っていたからなんだということに気が付いた。
ショーンの顔がみるみる顰め面へと変わっていく。
クリスは、その表情を見逃さなかったようである。
「何だ。気に入らないか? 自分の友達をダシにしているみたいで」
クリスは大人の余裕なのか、雲行きが怪しいショーンの顔つきを見ても笑みを消さなかった。
「こっちも商売だ。より物になる才能を探すのは当然だろう? そう言われてお前さんも悪い気はしないはずだ」
ショーンは、車のドアを開けて荷物を乱暴に投げ入れた。
「残念だけど、俺にとってその台詞は全然魅力的じゃない」
それを聞いたクリスが片眉を引き上げる。
「いっとくけど、俺は人前で歌わない。絶対に」
「へぇ。何で?」
煙草を吹かし、クリスが訊く。
ショーンはしばらく黙ってこう言い返した。
「・・・そんなの、アンタに関係ない。とにかく、俺は歌わないし、ここにも来ない」
ショーンが睨み付けると、クリスはニヤリとまた笑みを浮かべた。
丁度その時、ポールが歓声を上げながら劇場の裏口から飛び出してくる。
「ショーン!! 本当にチケット貰えたぜ!! すげぇ!! 三列目の真ん中だ!!」
「ああ、よかったな」
飛び跳ねるポールの腕を掴み、ショーンはポールの身体を車に突っ込む。
ショーンが運転席に滑り込もうとする間際、クリスがショーンに接近し耳元で呟いた。
きっとまた、お前さんはここに来ることになるよ、と。
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