All You Need is Love

国沢柊青

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第八章 本当の恋ってなに


<side-CHIHARU>

 正確に言えば。
 昨夜のシノさんは、泣いてなかった。
 でも、僕には泣いているように思えた。
 僕は、シノさんを傷つけてしまったんだ。
 まさか、ホテルに行こうとまで言われているとは思わなかった。
 僕がガードすべきだったのに、シノさんをひとりで野獣達の海に解き放ってしまったのだ。
「僕って、最低の人間だな。 ── 今に始まったことじゃないけど」
 オープンカフェのテラス席から、道行く人をぼんやりと眺めながら、僕は知らず知らずそう呟いていた。
「何をぶつくさ言ってるの?」
 突然、後ろから顔を覗き込まれ、僕はハッとした。
 葵さんだ。
「驚いたわ。いきなり呼び出されたものだから」
 彼女はそう言いながら、店員にグレープフルーツジュースを頼むと、僕の向かいに座った。
 葵さんは、まじまじと僕の顔を見る。
「 ── やだ、どうしたの、その無精髭。随分やさぐれてるじゃない」
 僕はハァと大きく溜息をついて、両手で顔を擦った。
 葵さんは、「かなりやられてるわねぇ。まぁ、そういう成澤くんも色気あっていいけどね」とか呟いている。
「どうしたの? 昼間に呼び出すなんて、しばらくぶりじゃない。彼氏にフラれた? って、今月の彼氏は誰だっけ?」
 葵さんの小気味のいいテンポの物言いを聞いていると、少しほっとする。
 昔から、ちょっとキツいことがあると、僕は葵さんを呼び出す癖がある。
 彼女もそれを分かっていて、呼べば必ず来てくれた。
 彼女はバイセクシャルだから、僕の心の闇も理解してくれやすい。
「 ── 実は、作戦を失敗しまして」
「作戦?」
「シノさんに自信を取り戻させるための作戦」
「シノさんって・・・、ああ! あのジムの子。成澤くんが『僕の生徒』って言ってた子?」
 僕は頷く。
 僕は、ざっとこれまでのことを葵さんに説明した。
 シノさんには悪いと思ったが、シノさんがまだ未経験なところも話した。
 葵さんは偏見なんて持たない人だから、話しても大丈夫だと思ったからだ。
 案の定、葵さんはうんうんと頷いた。
「あの子、本当にピュアな子だったのねぇ。だから健全だって感じたのか。なるほどね」
 葵さんはジュースをストローで啜りながら、溜息をつく。
「そりゃ、成澤くんが荒療治過ぎたわねぇ。そんな子をあの悪名高い『椿姫』に連れて行くだなんて」
 『椿姫』はクラブ『ラ・トラヴィアータ』を日本語にした言葉だ。オペラ演目の『椿姫』がクラブの名前になっている。
「私も若い頃はよく行ったけどさ。今はバカバカしく思えちゃって、一切行くのをやめたわ」
 それは僕もよく知っていた。
 葵さんは、随分早いうちに退廃的なクラブ遊びからは卒業していた。
 僕は疼痛がする眉間を、指で押す。
「それで? シノくんはどうなったの?」
「ショットガン飲まされたみたいで、ヨレヨレになってました。タクシーで帰りましたけど、全然余裕がなくて、買った洋服もロッカーに預けたままになっちゃって」
「違うわよ。私が訊いてるのは、シノくんのあなたに対する態度よ。元の成澤くんに戻ってほしいって言われたんでしょ?」
 僕の頭痛は、益々酷くなる。
「あれから口をきいてません。シノさんの言ったことは、僕にとって難し過ぎます。シノさんの言っている僕が、一体どんな僕なのか、全然わからない。どうしようもありません、お手上げですよ」
 ハァとまた自然に溜息が出る。
 昨夜は帰りのタクシーでも、一言も口をきかなかった。
 今日はシノさんの妹さんが上京してくると前から聞いていたから、朝から顔をあわせていない。
 シノさんが僕に対して今どんな感情を抱いてるか、本当に全然分からないんだ。
 そんな僕を見て、葵さんはクスクスと笑う。
 僕は頬杖をつきつつ、葵さんを上目遣いで見た。
「なんで笑うんですか?」
「だから、シノくんの言っているのは、今みたいな成澤くんのことじゃないの?」
「え?」
「それか、ジムで大爆笑してた成澤くんのことか」
 僕は、顔を顰める。
 思い切りバカになった気分だ。
 葵さんは益々おかしくなったのか、声を出して笑った。
「凄い、シノくんって子。完全にあの澤清順を翻弄してる。今まであなたのいろんな悩み訊いてきたけど、ここまで尋常じゃない澤清順は初めて」
「尋常じゃない、ですか?」
 葵さんは、ストローを銜えながら、うんうんと頷く。
「でも私、今の成澤くんの方が好きよ。好感が持てる。人間らしい。これまでの君は、まるでサイボーグだったもの」
 僕は葵さんの言い草に、ハッと笑い声を上げた。
「サイボーグ?」
「そ。姿形がキレイでも、心がない感じとでもいうのかな?」
「酷い言い草ですね」
「自分でもそう思ってたんでしょ? だから、今になって感情的なものが突然沸き出してきて、自分でもどうしていいか分からないでいる。違う?」
  ── うぅん・・・。やっぱり葵さんは鋭い。
 僕の口の中に苦々しいものが浮かんでいる間に、葵さんは「すみませ~ん、スコーンください」だなんてのんきな声を上げている。
 ああ・・・・。
 僕はテーブルに突っ伏した。
 その頭を、葵さんに撫でられる。
「よしよし。よかったじゃないの、いい人見つかって。大事にしてあげなきゃダメよ」
「は?」
 僕は頭をテーブルにつけたまま、顔だけ上向けて葵さんを見た。
「どういう意味ですか? それ」
「恋してるんでしょ? シノくんに」
「恋?」
「好きなんでしょ、やっぱり」
「・・・・」
 僕は再び顔をテーブル面に向ける。
「 ── 黙秘か」
 葵さんが呟いた時、スコーンが運ばれてきた。
 葵さんはスコーンの皿を店員から受け取ると、「ほら、早く顔上げないと、頭の上に皿乗っけるわよ」と言う。
 僕は仕方なく、身体を起こした。
「いい加減、素直になりなさいよ。そうすれば、楽になれるのに」
 いつかどこかで誰かに言われた台詞。
 僕は息苦しさを覚えて、深呼吸をした。
「素直になるやり方が分からないんですよ。そんな気持ち、もうずっと前になくしてしまいましたから」
 葵さんがちょっと悲しげな目で僕を見る。
 葵さんも、十代の僕が経験した痛い失恋の内情を知っている数少ない人のひとりだ。
「成澤くん」
 葵さんの声が柔らかくなる。
「きっとシノくんは、会うべくして出会った人なんだよ。ずっと隣に住んでいながら、今まで会っていなかったのは、それにも意味があるって私は思う。今じゃなきゃいけない理由が、成澤くんにもシノくんにもあったんだって。大げさに言えば、運命の出会いっていうんじゃないの?」
「運命の出会いって・・・そんな・・・」
「そういうの、成澤くんバカにするけどさ。成澤くんをこんな風にしちゃったのは、シノくんが初めてなんだよ。他の誰とも違う。これは成澤くんが変わらなきゃいけない時期にきてるってことなんだよ。それは、シノくんも同じ。だから彼は日々変わる努力を積み重ねてきた訳でしょ? 成澤くんと一緒にさ」
「でも、シノさんは女の子からホテルに誘われたのに、行かなかった。行けなかったんです。行けば、彼の願いが叶ったのに、彼はそうしなかったんですよ?」
「バカねぇ!」
 葵さんにストローを投げつけられた。
「好きでもない女とセックスできるほど器用じゃないのよ、彼は!」
 僕は唇を噛み締める。
「そのことをよく知ってるのは、成澤くんでしょ? 彼は気持ちを大切にする人なのよ、きっと。 ── ねぇ、本当に素直になったら? 成澤くんが気持ちを伝えれば、ひょっとしたら応えてくれるかもしれないじゃない」
 僕は葵さんから視線を外して、通りに目をやった。
 幾人もの人の波が、通り過ぎて行く。
 僕は拳を口に当てて、しばらく通りを眺めた。
 うまく感情が纏まらない。
 心が張り裂けそうだ。
「 ── やっぱり、僕からは言えません。男が男を愛するなんて、今でこそ市民権を得てきましたが、それでもシノさんが失うものが多過ぎる。僕みたいに、生まれた時からこういう嗜好の人間なら諦めがつきますが、シノさんはそうじゃない。そこへ僕が彼を引きずり込むだなんて、とてもできない」
 僕が葵さんに視線を戻すと、なぜか葵さんが少しだけ泣いていた。
 葵さんは鼻の下を擦って、少し洟を啜った。
「成澤くん、やっと本気で人のこと、好きになったんだ」
「葵さん・・・?」
「オネェさんは、感動してんだよ、成澤くん。これまでは、自分のことしか考えてないようなことばっかり言ってた、君がさ。自分の欲望より、相手のこと最優先に考えるだなんてさ。そういうのを、『本当の恋』っていうんだよ。いや、これは『愛』かな」
「なに、臭いこと言ってんの?」
「臭くて結構じゃない! 私も、何となく分かるわよ、『引きずり込みたくない』って気持ちがさ。こればっかりは、私も何が正解か、分からない。でも、これだけは言える」
 葵さんが僕を指差す。
「シノくんに触れることができる人間は、本当に彼のことを愛してる人じゃないとダメ。そして、シノくんも相手のことを思ってないと、きっとちゃんとできないと思う。成澤くん、あなた、そういう娘、本当に見つけられるの? あなた以上に彼のことを好きになってくれる娘」
 僕はまた、テーブルに突っ伏した。
 まるで葵さんの指に撃ち殺されたような気分だった。


<side-SHINO>

 俺が寝床から抜け出したのは、玄関のチャイムが鳴ってからのことだった。
 覗き窓も確認せずにドアを開けたが、そこにいたのは予想通り、妹の美優と甥っ子の晴俊だった。
「シュンちゃん!」
 晴俊は玄関先で乱暴に靴を脱ぐと、ジャンプして俺に抱きついてきた。
「お~、元気だったか~」
 俺は晴俊の腰を下から抱き上げる。
 晴俊は、キャッキャと笑いながら、俺にぎゅっとしがみついてきた。
 俺は晴俊を抱いたまま、ダイニングに向かう。
 美優も後からついてきた。
「ちょっとお兄ちゃん、どうしたの?」
 なんて言われる。
「何が?」
「何がって・・・」
 美優はそう言いながらダイニングに入って、口を噤んだ。
 俺は振り返る。
「ん? どうした?」
 美優は信じられないものでも見るかのように、俺を怪訝そうに見た。
 美優が言いたかった答えを、晴俊が言う。
「お部屋、キレイ」
「ん? ああ。部屋ね」
 俺はダイニングの椅子を引くと、晴俊を抱えたまま座った。
「てっきり散らかってるものとばかり思って、今日は掃除するつもりで来たのよ」
 美優はカバンをテーブルの上において、ヤカンに水を入れ、火にかけた。
「台所もキレイにしてる。まさか、毎日コンビニなの?」
 美優は流しの下のドアを開けると、プラスチックゴミを入れるゴミ箱を確認した。
「 ── やだ、ゴミ、少ない。どういうこと?」
 美優は、やや慌て気味に向かいの椅子に腰掛けた。
「お兄ちゃん、彼女、できた?」
「カノジョ、できたか?」
 晴俊が美優の真似をして、俺を見上げてくる。
「できてないよ、まだ」
 俺は苦笑いした。
 しかし美優は、疑いの目を変えない。
「いいや、嘘よ。だってお兄ちゃん、妙にカッコよくなってる。なんか、洗練されたっていうか」
「髪の毛を切ったんだよ」
「切ったっていっても、今までと全然違うじゃない。起き抜けでしょ? 髪の毛、全然爆発してない!」
「散髪屋を変えたんだよ。ただそれだけのこと」
「ふ~ん」
 お湯が沸いてくる。
 美優は一旦席を立つと、手慣れた様子でお茶を煎れた。
 その手つきを見て、何となく千春のことを思い出す。
 昨夜は、何だか気まずい別れ方をしたからな・・・。今頃、どうしてるんだろう。
 最後に店を出る時に、思わず千春に抱きついてしまって、きっとヘンに思われた。
 ダメだな、俺って。
 美優がお茶を入れてくれる。
「ああ、ありがとう」
 俺が湯のみに手を伸ばすと、その隙に美優は、テーブルの上に置いてあった俺の携帯を奪った。
「あ! おい!」
 俺は片手に湯のみ、片手に晴俊を抱えていたんで、咄嗟に反応できなかった。
 美優はダイニングの入口ドアまで下がると、ロックを外して画面を見た(美優にパスワードを教えた覚えはないのに、なぜかコイツは俺の携帯のロックを外すことができる)。
「おい! 勝手に見んなよ!」
「お兄ちゃん、千春って誰?」
 ニマニマと顔を緩めた美優が、携帯越しに俺を見る。
「友達だよ」
「何、このLINEのやり取り。夕飯作ってもらってる気配がある。友達っていっても、女の人でしょ?」
「だから違うって。おい、晴俊、ちょっと降りろ」
「ヤダ~~~~」
 晴俊は益々俺にしがみつく。くそぉ、親子で連係プレイか?
「お兄ちゃん、白状した方がいいんじゃないの? いいじゃない、彼女ができたんなら。私も安心」
「違うって。男なんだって」
「隠すことないじゃない、しぶといなぁ。まさか、不倫とかじゃないわよね」
「お前、何言ってんだよ・・・」
「フリン、フリン」
 晴俊がそう繰り返す。
「ほらぁ、ハル坊が変な言葉、覚えたぞ」
 肝心の母親は、「あ! 写真発見!」と甲高い声を上げている。
 だが、写真が画面に表示された瞬間、美優のテンションが一気に冷めた。
「あれ? これ、お隣のお兄さん?」
 美優が俺に向かって携帯の画面を突き出す。
 昨日、美住さんが送ってくれていた画像だ。
 最後に二人で写った写真。
「そのお隣さんが、千春って名前なんだよ」
「えぇ? そうなの?」
「お前、しかも、そのお兄さん、有名な作家さんだぞ。お前、気づかなかったのか?」
 俺が顔を顰めてそう訊くと、美優は小首を傾げた。
「え? ホント?」
「澤清順っていうペンネームらしい。お前、知らないのか?」
「知らない。アタシ、難しい本とか一切読まないから」
「 ── ・・・だろうな」
 俺は溜息をついた。
 美優が携帯を返してくる。そしてまた元通り、向かいに座った。
「でも、そのお隣のお兄さんに夕食作ってもらってるの?」
「お互いの時間が合えばな。週に三回か四回ぐらいだよ。お前より料理上手だぞ」
 美優が頬をぷっと膨らます。
「ま、失礼しちゃう」
「片付けも時々手伝ってくれてさ。この間なんか、洗濯物の干し方、習った。あれ、ちゃんと干さないと洋服ダメになっちゃうんだってな」
 美優が目を見張る。
「やだ~、食事の面倒どころか、掃除や洗濯もやってもらってるの? 何それ、完璧な嫁じゃん」
「嫁って・・・、お前なぁ・・・」
「お兄ちゃんがあか抜けたの、その人のせいでしょ」
 美優が目を細めて俺を見る。
 何なんだよ、その目は。
 我が妹ながら、呆れてしまう。
「昔からそのお兄さん、やたらオシャレだったもの。でもなんで急に仲良くなったのよ。今までまるで付き合いなかったじゃないの」
 俺はふぅと息を吐きながら、明後日の方を向いた。
 誰が妹に、「童貞を脱出するために、恋愛塾の塾長になってもらった」って言えるかよ。
「ハル坊、公園行くか、公園!」
「えー、行くー!」
「あ、誤摩化した。何よ、もう!」
「公園、行こうなー」
「なー」
 俺は晴俊をヨイショと抱え直すと、さっさと立ち上がって、部屋を出たのだった。


<side-CHIHARU>

 葵さんと別れてから後、シノさんの荷物を預けていた駅のコインロッカーに寄って、荷物をピックアップした。
 鍵を僕が預かっていたからだ。クラブで遊んでいる最中にシノさんがなくしたらいけないと思って。
 まぁ、結局は、遊ぶどころの話じゃなくなった訳だけど。
 僕は、シノさんを傷つけたことに対する自分への僅かながらの戒めとして、タクシーに乗らず、今日一日電車で移動した。
 相も変わらず不躾な視線に晒されることになったのだが、今の僕には必要だった。
 自分が傷つくことが。
 こんなことをしたって、無意味なことは十分分かっていたけれど、そうしていないと僕自身が落ち着かなかった。
 地下鉄で月島駅まで帰ってくると、いくつもの紙袋を抱えながら、僕は家までの道を歩いた。
 次、シノさんと顔をあわせる時、一体僕はどんな顔をして彼に会えばいいのだろうか。 ── そんなことを考えながら。
 思えば、こんな風に、自分ではない他の誰かのことを一生懸命考えるのは、随分久しぶりだ。
 こんなにいくら自分が考えたところで、所詮答えなんか出ないことに対して、いつまでもずっとグルグル考えているようなことは。
 本当に、愚かだと思える。
 こんな自分が。
 自己嫌悪って、こういうのを言うんだろうな、多分。
 今までの僕は、そんなことにすら目を向けてこなかったんだ・・・。
 そんなことを思いながら歩いていると、近所の小さな公園を通りかかった。
 ブランコと小さなベンチしかない、公園。
 日曜の昼下がり、小さな子どもの声が聞こえてきた。
 キャッキャッと楽しそうに、はしゃぐ声。
 植栽越しに、見覚えのある後ろ姿が見える。
 ブランコに乗る小さな男の子の背中を、返ってくる度に片手で押し出している。
 彼は軽く押し出しているような様子だったが、ブランコは本当に勢いよく上がって行くので、男の子は楽しくて仕方がないといった様子だった。
 彼はいつもの見慣れたTシャツにスウェット姿だったが、髪型が変わったせいでバランスよく見える。
 広い背中。
 長い手足。
 小さな頭。
 きっと僕は、群衆の中でもシノさんの後ろ姿を見つけることができると思う。
 だって、背中を見ただけでこんなに胸がギュッとなるのは、彼の背中だけだ。
 そうしてどれぐらいの間、シノさんの後ろ姿を見つめていただろう。
 ふいにシノさんが視線を感じたのか、僕の方を振り返った。
 ヤバい、と思ったけど、もう間に合わなかった。
 シノさんと視線が合う。
 そうなると僕はもう、逃げ出せない。
 シノさんは、最初少し驚いた表情をしていたが、やがて真顔になった。
 そして僕を見つめ返してきた。
 僕はただ、そこに突っ立っていることしかできなくて。
 シノさんは僕のことを許してないんだと思った。
 そう思ったんだけど。
 次の瞬間、シノさんが笑ったんだ。
 少しはにかんだ笑顔を浮かべながら、僕に向かって手を挙げた。
  ── 一生忘れられない笑顔。
 そういう笑顔だと、僕は思った。
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