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act.98
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ウォレスが指さした地図の一点は、レイチェルが丸く印を入れているエリアがある通りの向かいに面しているコーナーだった。
マックスとレイチェルが顔を見合わせながら、地図を覗き込む。
少なくとも地図の上には、このコーナーに何があるのかわかるような文字情報は、何もない。
「ここが・・・どうかした?」
マックスがそう訊くと、ウォレスはマックスを見つめ「忘れたのかい?」と訊き返す。
ウォレスの蒼い瞳にじっと見つめられ、マックスは「あ! そうか・・・! うっかりしてた」と声を上げた。
「もう、何よ!」
短気なレイチェルが、業を煮やす。
マックスはふいに顔を赤らめ、ゴホンと咳払いをすると「初めて俺が、ジムと出会った場所だ」と言った。
レイチェルばかりか、シンシアさえも目を丸くする。
「そんな話、私も聞いてないわ。そうだったの? パパ」
ウォレスは頷く。
「ああ。私がここにある店で酒を飲んでいるところに、彼が転がり込んできた。ベロベロに酔っぱらっていてね。吐きそうだというから、手を貸したんだよ。それが最初の出会い。後日会社のロビーで彼と偶然会うことになったんだが、生憎マックスは私のことを忘れてしまっていた」
「最悪な出逢い方ね」
レイチェルが口を尖らせてマックスを見る。マックスが顔を真っ赤にしたまま身体を小さくするのを見て、シンシアがケタケタと笑った。皆、揃って吹き出す。
しばらく笑いあった後、ウォレスが不意に笑みを消して言った。
「この店は、私がアイルランドにいた頃の友人がオーナーをしている店なんだ。だから、私がこの店に通っていたことを知る人間は少ない。しかし、今これだけの事実があって、ミスター・ドースンがこの店の近くに秘密の部屋を借りていたということは、やはり何かの繋がりがあるんだと思う。私がもしその部屋を探すとして・・・」
ウォレスが指で地図の上に円を描く。そこは、酒場の入口が見渡せる一体のアパートメントだった。
「ここら辺が一番有力だと思う。彼はひょっとして、私の過去を調べていくうち、偶然にジェイクのところにまで辿り着いてしまったのかもしれない。だから・・・あんな目に・・・」
沈黙が流れる。
ウォレスは、テーブル上のシンシアの手を握った。
シンシアが、ぎこちなくウォレスを見る。だが彼女は、かすかに微笑みを浮かべた。ウォレスは更に力を込めて、娘の手を握る。
「お前にも、きちんと話す時がきたのかもしれない。私は10代の頃、アイルランドでテロ活動に従事していた。ジェイクというのは、私をその道に導いた男で、島にいた頃、私はその男を尊敬し心酔していた。その男から与えられる世界が全てだった。たくさんの人を傷つけ、時には殺めたこともある。私は、そうすることが正しいと思いこまされた彼の“道具”だった。言い訳はしない。私は、酷いことをたくさんしてきた。そしてその罪に気が付き、彼を裏切り、お前のママと一緒に逃げた」
シンシアの口が戦慄く。
「マックスは・・・、マックスはそのことを知っているの?」
シンシアが小さな声でそう訊く。
シンシアがマックスを見ると、マックスは何も言わずただ頷いた。
シンシアの瞳から涙が零れ落ちた。
再びウォレスを見る。
「パパの身体の傷も、そのジェイクという人がつけたの?」
ウォレスが瞳を閉じる。
「そうだ」
「ママは? ママはどうなったの?」
ウォレスは眉間をきつく摘んで大きく息を吐くと、目を開き、娘を真っ直ぐに見つめた。
「ジェイクの元からママと一緒に逃げ、そしてお前が生まれ、酷く貧しかったが、そのまま幸せに生きていけると思っていた。だが、ジェイクはそんな私達を見つけ出し、二人とも森の中に監禁された。彼は私が仲間に戻ることを望んでいたが、私は従わなかった。次第に彼の行いはエスカレートして、私が彼の元に止まるためには、手段を選ばなくなった。彼はママが逃げられないように彼女の足を傷つけた。ママが手元に止まれば、私も逃げないと思っていたからだ。ママはそれを知っていた。── シンシア、お前のママは本当に強い人だったんだぞ。ママは、自分が足手まといになるのを拒んだ。ママはお前を私に託して、自ら死を選んだ。今、お前とパパがこうして生きているのは、ママの勇気のおかげなんだ。
その後、私は事切れたママを置いて、お前を抱いて逃げた。何とかしてアメリカに逃げ延びてからベルナルドに助けられるまで、私は様々なことをした。お前と二人、生きていくために、時には犯罪と言われることまでも。そんな生活の中でベルナルドに出会った。彼の車にわざと体当りして、慰謝料を請求するつもりでしたが、それが嘘だとすぐに見抜かれた。彼は私が幼子のお前を抱えていることを知って、彼の家に来るようにと迎えてくれたんだよ。そこでやっとまともな教育を受け、誰かの役に立つことこそが正しい人生の歩み方だと知ることができたが、かと言って私の罪が消えた訳ではなかった。私の手は、今も様々な人々の悲しみにまみれている。こんな私でも・・・まだパパと呼んでくれるかい?」
ウォレスの瞳が潤んだのを見て、シンシアがウォレスに抱きついた。
「シンシア・・・」
ウォレスがシンシアの細い身体を抱き締める。
その様子を見て、マックスもズズッと鼻を啜り、レイチェルに至ってはボロボロと大粒の涙を零した。
シンシアはウォレスの腕の中で顔を起こすと、「話してくれて、ありがとう」と涙声で言った。
「私、ママ似なのね。誇らしいわ」
彼女は自分のプラチナブロンドの髪を触り、涙に濡れた微笑みを浮かべた。
翌日、レイチェルとウォレスは連れだって例の店に行くことにした。
ウォレスの古い友人であるローレンスというオーナーが、ドースンについて何か知っているかもしれないと思ったからだ。
店が開く時間を見計らってレイチェルとウォレスは店付近で待ち合わせし、そのまま店に入った。
ウォレスがレイチェルを連れて店に入ると、カウンターの中にいた男が、意外そうな顔をして見せた。
「やぁ、ローレンス」
ウォレスとレイチェルが、揃ってカウンターに座る。
彼は店内にまだ客はいないのに、他に人はいないかとチェックする素振りを見せた。
「まぁ、落ちつけよ、ローレンス」
年老いたバーテンダーは、気恥ずかしそうに肩を竦める。
「この前は随分活躍したそうじゃないか、ミスター・ウォレス」
ジェイコブ・マローンの逮捕劇のことを言っているらしい。
「何を言ってるんだ、ローレンス。情報屋のコールを首の回らない状況に追いやって素直にさせたのは、君なのに。随分助かったよ。お陰で、アレクシス・コナーズの情報が漏れずに済んだ」
ウォレスがそう言うと、ローレンスは驚いたような顔をして、ウォレスの傍らに座るレイチェルを見た。
「いいんだ、ローレンス。彼女は何もかも知っている」
「私達、チーム組んでんの。凄く仲良しよ。── ただし、肉体関係はまだないわ」
レイチェルがすました表情を浮かべ、煙草を吹かす。
ローレンスがぎょっとした顔つきをした。
ローレンスの滅多に浮かべない表情を目の当たりにして、ウォレスは笑い声を上げる。
「さすがのローレンスも形無しだな」
「ハーイ。レイチェル・ハートよ。マックス・ローズの従姉にあたるの。どうぞよろしく」
レイチェルがそう言って手を差し出すと、ローレンスはやっと状況が飲み込めたらしい。微笑みを浮かべて、レイチェルの手を握り返した。
「ミスター・ウォレス復活に奮闘してくれた天使くんの従姉さんか。なるほど」
その台詞を聞く限り、ローレンスはウォレスが暗い時代の頃に戻ることをあまり望んでいなかったらしい。彼は表情の明るいウォレスを見て、ほっとしたように朗らかな微笑みを浮かべた。
「今日は奢りだ。何を飲む?」
「スコッチ」
「私は、ビール」
レイチェルの前につまみのジャーキーが出されて、レイチェルはそれにかじり付いた。
「おいしいわ。これ何の肉?」
「セイウチ。アイルランドの名物だよ」
ローレンスがビアタップから黄金色の酒をグラスに注ぎながらそう言うと、レイチェルは派手に顔を顰めて、ウエッという顔をした。
ローレンスがニヤリと笑い、レイチェルの前にビールを置きながら言う。
「冗談。ただのビーフジャーキーさ。ただし、自家製のタレにつけ込んで干しているから、他のヤツとは風味が少し違うがね」
レイチェルが大きな目を更に大きく見開く。「これでおあいこだ」と言うローレンスに、再びウォレスが笑った。
「なかなか気が合うかもしれないな」
そう言うウォレスに、レイチェルが笑いながら、ひじ鉄を食らわせる。
「それで、今日はまたなんで?」
ウォレスの前にスコッチが入ったグラスを置いて、自分はビンに入った黒ビールを飲みながらローレンスが訊く。
「ジェイクが生きていて、この街にいるだなんて、ふざけたことをまた言うんじゃなかろうな」
ローレンスは、闇にある自分のコネクションを通じても、ジェイク・ニールソンの痕跡が掴めずにいるのだ。
「ま、今日その話は置いておくよ。実は見てもらいたい写真がある」
ウォレスがそう言うと、レイチェルがハンドバックからドースンの写真を取り出した。
「この人、知らない? ひょっとしたら、この店に来てたんじゃないかって思って」
ローレンスは写真を受け取ると、ふん・・・と鼻を鳴らして写真を見入った。
「来たかなぁ・・・」
「丁度爆弾事件が起こり始めた頃じゃないかって思うんだけど」
「その頃来てたのは、爆弾処理班の警察官だけで・・・」
ウォレスとレイチェルが顔を見合わせる。
「まさかそれって・・・セス? セス・ピーターズ?」
「ああ、そうだ。昔、いろいろあってな」
「世間は狭いものね」
レイチェルが溜息をつく。ローレンスが怪訝そうに二人を見ると、ウォレスが「セスは私達の協力者で、レイチェルの恋人だ」と言った。
「あいつも大した彼女を選んだものだ」
「どういう意味よ」
レイチェルが口を尖らせたのと同時に、テレビからサッカーの試合の歓声が響いてきた。それを聞いて、ローレンスが「あ!」と声を上げる。そして彼はもう一度まじまじと写真を見た。
「思い出した。丁度ピーターズが店に来た時、彼もここにいた」
「え?!」
レイチェルが、カウンターから身を乗り出す。
「そうだ。そうだった。いたよ、確かに」
「やはり、彼はここに来ていたのか・・・」
「じゃ、やっぱりケヴィンは、この近くのアパートメントに部屋を借りていた可能性は高いってわけね・・・。そうと決まったら、確かめに行って来るわ。ここまで来たら、直接住人に確かめてやる」
レイチェルはビールを一気に飲み干すと、席を立った。
「レイチェル」
ウォレスが振り返ると、レイチェルがウォレスの身体を椅子に押しとどめる。
「あなたはここにいて。あなたが動くと目立つわ。住人に覚えられるとやっかいでしょ。二時間経っても帰ってこなかったら、この番号に連絡して」
レイチェルはそう言って、ウォレスに携帯電話の番号を書いたメモを渡した。
「しかし、この地区は女性一人だと危険だよ」
「誰に向かって言ってるの?」
レイチェルは、ハンドバッグからペッパースプレーを取り出して、それをブラブラさせながら店を出ていったのだった。
やっと見つけた。
ジェイクは、息を上げている自分を我ながら情けなく思いながら、何かの店から出てくる彼女を追いかけた。
女が職場を出てから後をつけたのだが、女がタクシーを拾ってしまったので途中見失ってしまった。自分も何とかタクシーを拾い、途中で女を乗せたタクシーを見つけたので、強引に車を降り、そのタクシーを捕まえた。ジェイクは、運転手を少し脅して女が降りたところを吐かせた。
その場所はそこからさほど離れていないところだったので、早足でそこに向かったが、女の姿はすでにそこにはなかった。
仕方がない・・・と諦めかけていた時だ。女が店から出てきたのは。
女はふと足を止め、通りの向かいに立ち並ぶアパートメント群を見上げると、通りを渡って、その中の一つに入って行った。
ジェイクは大きく一息つくと、女が消えた建物に向かって、足を進めたのだった。
マックスとレイチェルが顔を見合わせながら、地図を覗き込む。
少なくとも地図の上には、このコーナーに何があるのかわかるような文字情報は、何もない。
「ここが・・・どうかした?」
マックスがそう訊くと、ウォレスはマックスを見つめ「忘れたのかい?」と訊き返す。
ウォレスの蒼い瞳にじっと見つめられ、マックスは「あ! そうか・・・! うっかりしてた」と声を上げた。
「もう、何よ!」
短気なレイチェルが、業を煮やす。
マックスはふいに顔を赤らめ、ゴホンと咳払いをすると「初めて俺が、ジムと出会った場所だ」と言った。
レイチェルばかりか、シンシアさえも目を丸くする。
「そんな話、私も聞いてないわ。そうだったの? パパ」
ウォレスは頷く。
「ああ。私がここにある店で酒を飲んでいるところに、彼が転がり込んできた。ベロベロに酔っぱらっていてね。吐きそうだというから、手を貸したんだよ。それが最初の出会い。後日会社のロビーで彼と偶然会うことになったんだが、生憎マックスは私のことを忘れてしまっていた」
「最悪な出逢い方ね」
レイチェルが口を尖らせてマックスを見る。マックスが顔を真っ赤にしたまま身体を小さくするのを見て、シンシアがケタケタと笑った。皆、揃って吹き出す。
しばらく笑いあった後、ウォレスが不意に笑みを消して言った。
「この店は、私がアイルランドにいた頃の友人がオーナーをしている店なんだ。だから、私がこの店に通っていたことを知る人間は少ない。しかし、今これだけの事実があって、ミスター・ドースンがこの店の近くに秘密の部屋を借りていたということは、やはり何かの繋がりがあるんだと思う。私がもしその部屋を探すとして・・・」
ウォレスが指で地図の上に円を描く。そこは、酒場の入口が見渡せる一体のアパートメントだった。
「ここら辺が一番有力だと思う。彼はひょっとして、私の過去を調べていくうち、偶然にジェイクのところにまで辿り着いてしまったのかもしれない。だから・・・あんな目に・・・」
沈黙が流れる。
ウォレスは、テーブル上のシンシアの手を握った。
シンシアが、ぎこちなくウォレスを見る。だが彼女は、かすかに微笑みを浮かべた。ウォレスは更に力を込めて、娘の手を握る。
「お前にも、きちんと話す時がきたのかもしれない。私は10代の頃、アイルランドでテロ活動に従事していた。ジェイクというのは、私をその道に導いた男で、島にいた頃、私はその男を尊敬し心酔していた。その男から与えられる世界が全てだった。たくさんの人を傷つけ、時には殺めたこともある。私は、そうすることが正しいと思いこまされた彼の“道具”だった。言い訳はしない。私は、酷いことをたくさんしてきた。そしてその罪に気が付き、彼を裏切り、お前のママと一緒に逃げた」
シンシアの口が戦慄く。
「マックスは・・・、マックスはそのことを知っているの?」
シンシアが小さな声でそう訊く。
シンシアがマックスを見ると、マックスは何も言わずただ頷いた。
シンシアの瞳から涙が零れ落ちた。
再びウォレスを見る。
「パパの身体の傷も、そのジェイクという人がつけたの?」
ウォレスが瞳を閉じる。
「そうだ」
「ママは? ママはどうなったの?」
ウォレスは眉間をきつく摘んで大きく息を吐くと、目を開き、娘を真っ直ぐに見つめた。
「ジェイクの元からママと一緒に逃げ、そしてお前が生まれ、酷く貧しかったが、そのまま幸せに生きていけると思っていた。だが、ジェイクはそんな私達を見つけ出し、二人とも森の中に監禁された。彼は私が仲間に戻ることを望んでいたが、私は従わなかった。次第に彼の行いはエスカレートして、私が彼の元に止まるためには、手段を選ばなくなった。彼はママが逃げられないように彼女の足を傷つけた。ママが手元に止まれば、私も逃げないと思っていたからだ。ママはそれを知っていた。── シンシア、お前のママは本当に強い人だったんだぞ。ママは、自分が足手まといになるのを拒んだ。ママはお前を私に託して、自ら死を選んだ。今、お前とパパがこうして生きているのは、ママの勇気のおかげなんだ。
その後、私は事切れたママを置いて、お前を抱いて逃げた。何とかしてアメリカに逃げ延びてからベルナルドに助けられるまで、私は様々なことをした。お前と二人、生きていくために、時には犯罪と言われることまでも。そんな生活の中でベルナルドに出会った。彼の車にわざと体当りして、慰謝料を請求するつもりでしたが、それが嘘だとすぐに見抜かれた。彼は私が幼子のお前を抱えていることを知って、彼の家に来るようにと迎えてくれたんだよ。そこでやっとまともな教育を受け、誰かの役に立つことこそが正しい人生の歩み方だと知ることができたが、かと言って私の罪が消えた訳ではなかった。私の手は、今も様々な人々の悲しみにまみれている。こんな私でも・・・まだパパと呼んでくれるかい?」
ウォレスの瞳が潤んだのを見て、シンシアがウォレスに抱きついた。
「シンシア・・・」
ウォレスがシンシアの細い身体を抱き締める。
その様子を見て、マックスもズズッと鼻を啜り、レイチェルに至ってはボロボロと大粒の涙を零した。
シンシアはウォレスの腕の中で顔を起こすと、「話してくれて、ありがとう」と涙声で言った。
「私、ママ似なのね。誇らしいわ」
彼女は自分のプラチナブロンドの髪を触り、涙に濡れた微笑みを浮かべた。
翌日、レイチェルとウォレスは連れだって例の店に行くことにした。
ウォレスの古い友人であるローレンスというオーナーが、ドースンについて何か知っているかもしれないと思ったからだ。
店が開く時間を見計らってレイチェルとウォレスは店付近で待ち合わせし、そのまま店に入った。
ウォレスがレイチェルを連れて店に入ると、カウンターの中にいた男が、意外そうな顔をして見せた。
「やぁ、ローレンス」
ウォレスとレイチェルが、揃ってカウンターに座る。
彼は店内にまだ客はいないのに、他に人はいないかとチェックする素振りを見せた。
「まぁ、落ちつけよ、ローレンス」
年老いたバーテンダーは、気恥ずかしそうに肩を竦める。
「この前は随分活躍したそうじゃないか、ミスター・ウォレス」
ジェイコブ・マローンの逮捕劇のことを言っているらしい。
「何を言ってるんだ、ローレンス。情報屋のコールを首の回らない状況に追いやって素直にさせたのは、君なのに。随分助かったよ。お陰で、アレクシス・コナーズの情報が漏れずに済んだ」
ウォレスがそう言うと、ローレンスは驚いたような顔をして、ウォレスの傍らに座るレイチェルを見た。
「いいんだ、ローレンス。彼女は何もかも知っている」
「私達、チーム組んでんの。凄く仲良しよ。── ただし、肉体関係はまだないわ」
レイチェルがすました表情を浮かべ、煙草を吹かす。
ローレンスがぎょっとした顔つきをした。
ローレンスの滅多に浮かべない表情を目の当たりにして、ウォレスは笑い声を上げる。
「さすがのローレンスも形無しだな」
「ハーイ。レイチェル・ハートよ。マックス・ローズの従姉にあたるの。どうぞよろしく」
レイチェルがそう言って手を差し出すと、ローレンスはやっと状況が飲み込めたらしい。微笑みを浮かべて、レイチェルの手を握り返した。
「ミスター・ウォレス復活に奮闘してくれた天使くんの従姉さんか。なるほど」
その台詞を聞く限り、ローレンスはウォレスが暗い時代の頃に戻ることをあまり望んでいなかったらしい。彼は表情の明るいウォレスを見て、ほっとしたように朗らかな微笑みを浮かべた。
「今日は奢りだ。何を飲む?」
「スコッチ」
「私は、ビール」
レイチェルの前につまみのジャーキーが出されて、レイチェルはそれにかじり付いた。
「おいしいわ。これ何の肉?」
「セイウチ。アイルランドの名物だよ」
ローレンスがビアタップから黄金色の酒をグラスに注ぎながらそう言うと、レイチェルは派手に顔を顰めて、ウエッという顔をした。
ローレンスがニヤリと笑い、レイチェルの前にビールを置きながら言う。
「冗談。ただのビーフジャーキーさ。ただし、自家製のタレにつけ込んで干しているから、他のヤツとは風味が少し違うがね」
レイチェルが大きな目を更に大きく見開く。「これでおあいこだ」と言うローレンスに、再びウォレスが笑った。
「なかなか気が合うかもしれないな」
そう言うウォレスに、レイチェルが笑いながら、ひじ鉄を食らわせる。
「それで、今日はまたなんで?」
ウォレスの前にスコッチが入ったグラスを置いて、自分はビンに入った黒ビールを飲みながらローレンスが訊く。
「ジェイクが生きていて、この街にいるだなんて、ふざけたことをまた言うんじゃなかろうな」
ローレンスは、闇にある自分のコネクションを通じても、ジェイク・ニールソンの痕跡が掴めずにいるのだ。
「ま、今日その話は置いておくよ。実は見てもらいたい写真がある」
ウォレスがそう言うと、レイチェルがハンドバックからドースンの写真を取り出した。
「この人、知らない? ひょっとしたら、この店に来てたんじゃないかって思って」
ローレンスは写真を受け取ると、ふん・・・と鼻を鳴らして写真を見入った。
「来たかなぁ・・・」
「丁度爆弾事件が起こり始めた頃じゃないかって思うんだけど」
「その頃来てたのは、爆弾処理班の警察官だけで・・・」
ウォレスとレイチェルが顔を見合わせる。
「まさかそれって・・・セス? セス・ピーターズ?」
「ああ、そうだ。昔、いろいろあってな」
「世間は狭いものね」
レイチェルが溜息をつく。ローレンスが怪訝そうに二人を見ると、ウォレスが「セスは私達の協力者で、レイチェルの恋人だ」と言った。
「あいつも大した彼女を選んだものだ」
「どういう意味よ」
レイチェルが口を尖らせたのと同時に、テレビからサッカーの試合の歓声が響いてきた。それを聞いて、ローレンスが「あ!」と声を上げる。そして彼はもう一度まじまじと写真を見た。
「思い出した。丁度ピーターズが店に来た時、彼もここにいた」
「え?!」
レイチェルが、カウンターから身を乗り出す。
「そうだ。そうだった。いたよ、確かに」
「やはり、彼はここに来ていたのか・・・」
「じゃ、やっぱりケヴィンは、この近くのアパートメントに部屋を借りていた可能性は高いってわけね・・・。そうと決まったら、確かめに行って来るわ。ここまで来たら、直接住人に確かめてやる」
レイチェルはビールを一気に飲み干すと、席を立った。
「レイチェル」
ウォレスが振り返ると、レイチェルがウォレスの身体を椅子に押しとどめる。
「あなたはここにいて。あなたが動くと目立つわ。住人に覚えられるとやっかいでしょ。二時間経っても帰ってこなかったら、この番号に連絡して」
レイチェルはそう言って、ウォレスに携帯電話の番号を書いたメモを渡した。
「しかし、この地区は女性一人だと危険だよ」
「誰に向かって言ってるの?」
レイチェルは、ハンドバッグからペッパースプレーを取り出して、それをブラブラさせながら店を出ていったのだった。
やっと見つけた。
ジェイクは、息を上げている自分を我ながら情けなく思いながら、何かの店から出てくる彼女を追いかけた。
女が職場を出てから後をつけたのだが、女がタクシーを拾ってしまったので途中見失ってしまった。自分も何とかタクシーを拾い、途中で女を乗せたタクシーを見つけたので、強引に車を降り、そのタクシーを捕まえた。ジェイクは、運転手を少し脅して女が降りたところを吐かせた。
その場所はそこからさほど離れていないところだったので、早足でそこに向かったが、女の姿はすでにそこにはなかった。
仕方がない・・・と諦めかけていた時だ。女が店から出てきたのは。
女はふと足を止め、通りの向かいに立ち並ぶアパートメント群を見上げると、通りを渡って、その中の一つに入って行った。
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