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act.79
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マックスの病室の側には、警察の関係者と思われる若者がうろついていた。
マックスの容態が変われば、直ちに上司 ── あの高圧的な刑事に報告する手はずになっているのだろう。
病院の周辺には、マックスの姿をスクープしようとマスコミの連中が詰めかけていたが、病院側の警備と制服警官達に阻まれており、マックスのいる病室まで外の喧噪は届いてこなかった。救急外来から移されたマックスの病室は精神科で、病院の一番奥、外界から最も離れている病棟であるのが幸いしていた。
それでも、外の世界ではマックスが心の病にかかっているという報道が連日報道されており、励ましの手紙も病院に届くようになっていた。
今やマックスは、卑劣な連続爆弾犯に対抗する正義の象徴であり、悲劇のヒーローだった。一緒のアパートメントに住んでいた少年の死により、深い傷を心に負ったことが若きヒーローの精神を傷つけていることが知れ渡ると、その報道を知る者殆ど全てが彼に同情心を寄せ、涙した。病院には、まるで芸能人を追いかけるような勢いの若い女性の見舞客や、心霊治療の第一人者を自称する男が現れたりして、病院の表は常に大騒ぎであった。
マックスは、テレビでその騒動を知る立場だったが、実のところ精神を病んでいることを装っている訳で、少々罪悪感にかられるのだった。
正直、まさか自分のことがこんなにも騒がれるとは思っていなかった訳で、テレビで騒がれているネタの中心にいるのが自分であることが信じられなかった。
それよりも、更にマックスが心を痛めているのは、主治医のビクシーの存在だった。
精神科医のビクシーは、とりわけ優秀な医師という訳ではなかったが、彼もプロである。元同僚のマイク・モーガン医師の言動といい、彼は彼なりに何かの『秘め事』がそこにあると勘付き始めていた。
ビクシーは真面目な医師である。それが彼の最大の武器といえる程、誠実な医者だった。そんな彼であるから、本当のことを知ったら、ビクシーは悩みながらも警察に告白するだろう。
そんな彼を、マックスは責めることができないと思っていた。
ビクシーがそういう状況に追い込まれる前に、マックスは先手を打たねばならなかった。
だが、その一歩を踏み出す時には、よくよく考慮して足を踏み出す場所を決めなくてはならない。
マックスが現在掴んでいる情報は、言うなれば大きなパズルの中のほんの小さな欠片を数枚程度手に入れた程度である。
しかも病院にいる状態では、新たな情報を調べ出すこともできない。だからどうしても、病院を出る必要があった。
だがそれには、『狂人』であることをやめねばならなかった。
── しかし、そうなると・・・。
否が応でも警察という壁にぶつかることになる。
警察の捜査員 ── 特にこの事件の捜査責任者・・・確かハドソンとか言った・・・は、ビクシーほどお人好しではないだろう。のらりくらりとした答えを返していても、鋭い捜査官の目はごまかせない。マックスが何かを知っていることを彼らは敏感に察するにちがいない。
レイチェルもまた、警察から調書を取られて以後、警察にマークされていると言っていた。それは警察が、レイチェルの「何も知らない」と言う証言を信じていない証拠だった。
レイチェルが病院に来ることは疑いの対象とはされなかったようだが、レイチェルが病院外で訪ねるところは片っ端から疑ってかかってるようだった。
「まるで私が犯人みたいね」とレイチェルは笑っていたが、そのような状況なのでレイチェルも事件に対して派手に動き回ることは不可能だった。
── それならば・・・。
この状況を打開するには、別の『協力者』が必要なのだ。警察に対してもある程度抵抗力のある人物の協力が・・・。
── しかしそんな人間がどこにいる? マイクか? いいや、マイクにこれ以上重い秘密を抱え込ませる訳にはいかない。
マイクには、今でも夜の秘密のリハビリを手引きしてもらっている。マイクは何でも協力すると言ってくれたが、彼にこれ以上の危険を持たせるつもりはなかった。
── では、ミラーズ社長?
彼なら、ある程度の事情もわかっている。信用できるし、力もある。
だが、彼が動くことは目立ちすぎる。警察の疑いの目を助長してしまうことになりかねない。いずれは協力をしてもらう時期がくるだろうが、今ではないと思った。
── では、セスならどうだろう・・・?
レイチェルの恋人セス・ピーターズは、誰よりも警察に抵抗できる人間だった。なぜなら、彼自身が警察の人間であるからだ。そしてセスは警察官という身分を抜きにしても信頼できる人物だった。彼は実に気持ちのいい男である。レイチェルとつきあい始めた頃から、すぐにマックスとセスは親しくなった。まるで兄のような存在となった。
── でも・・・。
マックスはその馬鹿げた考えをすぐにうち消した。
セスは、一連の事件の捜査メンバーなのだ。そんな彼にマックスが希望する形での協力を求めてしまえば、彼の立場は危険な位置に立たされてしまう。捜査チームの一員でありながら、彼らの目を欺かなければならなくなることも出てくるのだから・・・。
── もう限界なのだろうか。正直に警察に話さなければ、状況の打開は、はかれないのか。
マックスは、マイクと相談した結果、結局はセスに連絡を取ることにした。
どうせ警察官に話をするなら、セスの方が話がしやすい。そう判断した。
取りあえず、病院に来てもらうように手はずをつけるため、マイクが警察に電話をすることにしたのが昨日のこと。
そうしたことが、思わぬ方向に好転することになった。
「おい、セス・ピーターズは、捜査チームから外れたから、ここにはいないって言われたぜ」
病室に持ち込んだ電話の受話器を握ったまま、マイクが小声でそう言った。
マックスは、思わず病室の窓の向こうに人目がいないことを確認することも忘れ、マジマジとマイクを見つめてしまった。
「それ、本当か?」
「だって、繋いでくれないんだぜ? 逆に怒られたよ」
しばらく二人で見つめ合った。そしてニヤリとした。
── 幸運の女神は、今も見放さずに自分たちのことを見つめて続けているらしい・・・。
今度は、マックス自身がセスに直接電話をした。
大きな賭だったが、セスは事情を察してくれた。
マックスは、セスとの電話の後、もう一人別の人間に電話をかけた。
セスが来る時間に合わせて、どうしてもその場に居てもらわなければならない人物に・・・。
返り血で顔中にホクロみたいな斑点がついているその男は、ミラーズ社の入口が見える場所を転々と移動している様子だった。
路肩にパトカーを止め、ホットドッグを買っている警察官に遭遇した時は、特に警戒の色を見せ、木々の陰が深い公園の中に姿を消した。
男が、何かしらの犯罪に手を染めているのは明らかだった。
他の人間にはわからないことかもしれないが、ウォレスには、彼の身体から発せられる犯罪者の臭いを色濃く感じていた。
男は神経過敏気味で、酷くイライラしているようだった。
自分の歩く道の途中に警察官がいて、嫌々ながらもコースを変えなくてはならないことに憤慨している様子だった。
ちょっと精神のバランスに異常をきたしているのかもしれない。
冷静に犯罪を犯す秩序型の犯罪者ではなく、酷く衝動的で刹那的な人間であることが窺えた。はっきり言って、爆弾犯には向いていない性格だ。
── この男は自分が追っている人間とは違う男なのだろうか・・・?
ウォレスが不安を抱き始めた頃、ウォレスのその考えを覆すことが起こった。
若い男が、『あの現場』に向かったのだ。
そう、ステッグマイヤーが車ごと吹き飛ばされた場所。
車はとうの昔に撤去されており、現在残るのは道路上の焼け焦げた跡だけだった。
だが、それでもその現場は、脂と血の臭いが混ざったような忌まわしい雰囲気で満ち溢れていたし、夕刻近い時間この現場に近づくような人間はいなかった。
男は、道路沿いの森の方から現場の様子をじっと眺めていた。
そして彼は周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、森を抜け出て現場に這い蹲り、焦げた跡のあるアスファルトをゆっくりと撫でたのだった。
ウォレスは、その瞬間の表情を見逃さなかった。
その恍惚の顔。
自分の達成した成果に酔いしれているといったような表情だった。
── 間違いない。
アイツこそが、一連の爆弾事件を起こした犯人。
あのまがまがしい日記を書いた張本人。
あのぎらついた目が自分のことを執拗に見つめ続けていたかと思うと、ウォレスの背筋に悪寒が這った。
あの男こそが、自分の最愛の人を死に追いやろうとしたのだ。
ウォレスの頭にカッと血が昇った。
ポケットの中でナイフの柄を握りしめる手に力がこもる。
だが、ウォレスは思いとどまった。
── ジェイクだ。
あの男の後ろには、ジェイクがいる。
ウォレスには、そう思えてならなかった。
目の前の男は、生粋の爆弾魔とは思えなかった。
かといって化学に関する勉強をして突然爆弾魔になったとも思えない。
彼がこうなったのは、彼の欲望を後押しする手があったに違いなかった。
その手が、ジェイクの手だとしたら。
── きっとそうに違いない。男を泳がせておけば、いつかジェイクにつながる。
ウォレスは、ポケットからゆっくりと、手を出したのだった。
その日の夜。
セスは久しぶりに署を後にした。
捜査チームから外された以上、定刻時間が過ぎれば署に止まる必要なんてない。
テイラーに向かって大きな声でそう愚痴りつつ署を出たセスだったが、内心は酷く興奮していた。
テイラーはそんなことを愚痴るセスを意外そうな目で見ていたが、それ以上は突っ込んでこなかった。ましてや署の他の連中は、捜査チームを外されたセスに触らないようにという雰囲気をありありと漂わせていた。
テイラーは、セスにかかってきた電話のことを気にしているようだった。
あの時のセスの動揺ぶりがただ事ではないと察知しているのだ。
セスは、「彼女にふられたんだ」とおどけて見せたが、テイラーはそれを信じているようには思えなかった。
だがテイラーが何も言及してこないのなら、そんなテイラーに構っている場合ではない。
── 何せこれから自分は・・・。
渋顔のテイラーを大使館まで送って、その後セスは、車を知り合いの店の駐車場に置かせてもらうと、その近所にある小さな街角のイタリアンレストランに一人で入った。店の全てが見渡せる一番奥の席に座り、ラビオリとラム肉の香草焼きを注文すると、久々に身体に流し込むアルコールをゆっくりと味わいながら周囲を見回した。
自分の後をつけている様子は窺えない。
自分に尾行がついてないかどうかの確認の為に入った店だったが、料理も意外にうまかった。
セスは、ゆっくり時間をかけて食事を楽しむと、店を出てタクシーを拾った。
自分の車で病院に行くわけにはいかない。
なるだけ、他の連中にセスが病院に行くことを悟られたくなかった。
別に友人への見舞いと言えば自然だが、セスの今の立場は微妙だ。
マックスの友人であるマイク・モーガン医師の指示により、病院の裏にある救急車止めにタクシーをつけた。
救急外来を訪れた風を装って小走りで中に入ったら、そこでモーガン医師が待っていてくれた。
「今晩は。こちらへどうぞ」
軽い笑顔を浮かべるモーガン医師の顔も、どこか緊張しているようだった。
セスは、あっという間に騒がしい救急病棟から連れ出され、すっかり夜の表情見せる別の病棟へと案内された。
日頃からあまり物事に動揺しないセスだったが、さすがに夜の病院は不気味だ。
自分の先にモーガン医師がいなければ、暗い廊下にぼんやり点る赤やグリーンの光に惑わされ、簡単に迷ってしまいそうだ。
モーガン医師は懐から鍵を取り出すと、一際厳重に隔離された病棟へ続くドアの鍵を開けた。
真新しい白のペンキで塗られたドアの向こうは、精神科病棟だ。
こんなところに連れてこられると、昨日電話で話したマックスが、本当に正気なのか記憶が怪しくなってくる。
硬く閉じられたドアがいくつも並ぶ廊下。
時々奇声がどこからともなく聞こえてくる。
「あ、あの・・・」
セスが頼りなげに声を上げた時、前触れもなくモーガン医師が足を止めた。
「こちらです。中で大声を上げないように。夜は部屋の中の声も、結構響きますから」
モーガン医師が、ドアを開ける。
セスは、恐る恐る部屋の中に入った。
「やぁ、セス。待ってたよ」
マックスの明るい声に答えようとしたが、セスはそれに答えることができなかった。
マックスのベッドの横に座っていた人物が、ゆっくりと振り返る。
その人物もセスの顔を見て、心底驚いた顔をしていた。
「レイチェル・・・」
「セス・・・」
レイチェルはそう言って、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
マックスの容態が変われば、直ちに上司 ── あの高圧的な刑事に報告する手はずになっているのだろう。
病院の周辺には、マックスの姿をスクープしようとマスコミの連中が詰めかけていたが、病院側の警備と制服警官達に阻まれており、マックスのいる病室まで外の喧噪は届いてこなかった。救急外来から移されたマックスの病室は精神科で、病院の一番奥、外界から最も離れている病棟であるのが幸いしていた。
それでも、外の世界ではマックスが心の病にかかっているという報道が連日報道されており、励ましの手紙も病院に届くようになっていた。
今やマックスは、卑劣な連続爆弾犯に対抗する正義の象徴であり、悲劇のヒーローだった。一緒のアパートメントに住んでいた少年の死により、深い傷を心に負ったことが若きヒーローの精神を傷つけていることが知れ渡ると、その報道を知る者殆ど全てが彼に同情心を寄せ、涙した。病院には、まるで芸能人を追いかけるような勢いの若い女性の見舞客や、心霊治療の第一人者を自称する男が現れたりして、病院の表は常に大騒ぎであった。
マックスは、テレビでその騒動を知る立場だったが、実のところ精神を病んでいることを装っている訳で、少々罪悪感にかられるのだった。
正直、まさか自分のことがこんなにも騒がれるとは思っていなかった訳で、テレビで騒がれているネタの中心にいるのが自分であることが信じられなかった。
それよりも、更にマックスが心を痛めているのは、主治医のビクシーの存在だった。
精神科医のビクシーは、とりわけ優秀な医師という訳ではなかったが、彼もプロである。元同僚のマイク・モーガン医師の言動といい、彼は彼なりに何かの『秘め事』がそこにあると勘付き始めていた。
ビクシーは真面目な医師である。それが彼の最大の武器といえる程、誠実な医者だった。そんな彼であるから、本当のことを知ったら、ビクシーは悩みながらも警察に告白するだろう。
そんな彼を、マックスは責めることができないと思っていた。
ビクシーがそういう状況に追い込まれる前に、マックスは先手を打たねばならなかった。
だが、その一歩を踏み出す時には、よくよく考慮して足を踏み出す場所を決めなくてはならない。
マックスが現在掴んでいる情報は、言うなれば大きなパズルの中のほんの小さな欠片を数枚程度手に入れた程度である。
しかも病院にいる状態では、新たな情報を調べ出すこともできない。だからどうしても、病院を出る必要があった。
だがそれには、『狂人』であることをやめねばならなかった。
── しかし、そうなると・・・。
否が応でも警察という壁にぶつかることになる。
警察の捜査員 ── 特にこの事件の捜査責任者・・・確かハドソンとか言った・・・は、ビクシーほどお人好しではないだろう。のらりくらりとした答えを返していても、鋭い捜査官の目はごまかせない。マックスが何かを知っていることを彼らは敏感に察するにちがいない。
レイチェルもまた、警察から調書を取られて以後、警察にマークされていると言っていた。それは警察が、レイチェルの「何も知らない」と言う証言を信じていない証拠だった。
レイチェルが病院に来ることは疑いの対象とはされなかったようだが、レイチェルが病院外で訪ねるところは片っ端から疑ってかかってるようだった。
「まるで私が犯人みたいね」とレイチェルは笑っていたが、そのような状況なのでレイチェルも事件に対して派手に動き回ることは不可能だった。
── それならば・・・。
この状況を打開するには、別の『協力者』が必要なのだ。警察に対してもある程度抵抗力のある人物の協力が・・・。
── しかしそんな人間がどこにいる? マイクか? いいや、マイクにこれ以上重い秘密を抱え込ませる訳にはいかない。
マイクには、今でも夜の秘密のリハビリを手引きしてもらっている。マイクは何でも協力すると言ってくれたが、彼にこれ以上の危険を持たせるつもりはなかった。
── では、ミラーズ社長?
彼なら、ある程度の事情もわかっている。信用できるし、力もある。
だが、彼が動くことは目立ちすぎる。警察の疑いの目を助長してしまうことになりかねない。いずれは協力をしてもらう時期がくるだろうが、今ではないと思った。
── では、セスならどうだろう・・・?
レイチェルの恋人セス・ピーターズは、誰よりも警察に抵抗できる人間だった。なぜなら、彼自身が警察の人間であるからだ。そしてセスは警察官という身分を抜きにしても信頼できる人物だった。彼は実に気持ちのいい男である。レイチェルとつきあい始めた頃から、すぐにマックスとセスは親しくなった。まるで兄のような存在となった。
── でも・・・。
マックスはその馬鹿げた考えをすぐにうち消した。
セスは、一連の事件の捜査メンバーなのだ。そんな彼にマックスが希望する形での協力を求めてしまえば、彼の立場は危険な位置に立たされてしまう。捜査チームの一員でありながら、彼らの目を欺かなければならなくなることも出てくるのだから・・・。
── もう限界なのだろうか。正直に警察に話さなければ、状況の打開は、はかれないのか。
マックスは、マイクと相談した結果、結局はセスに連絡を取ることにした。
どうせ警察官に話をするなら、セスの方が話がしやすい。そう判断した。
取りあえず、病院に来てもらうように手はずをつけるため、マイクが警察に電話をすることにしたのが昨日のこと。
そうしたことが、思わぬ方向に好転することになった。
「おい、セス・ピーターズは、捜査チームから外れたから、ここにはいないって言われたぜ」
病室に持ち込んだ電話の受話器を握ったまま、マイクが小声でそう言った。
マックスは、思わず病室の窓の向こうに人目がいないことを確認することも忘れ、マジマジとマイクを見つめてしまった。
「それ、本当か?」
「だって、繋いでくれないんだぜ? 逆に怒られたよ」
しばらく二人で見つめ合った。そしてニヤリとした。
── 幸運の女神は、今も見放さずに自分たちのことを見つめて続けているらしい・・・。
今度は、マックス自身がセスに直接電話をした。
大きな賭だったが、セスは事情を察してくれた。
マックスは、セスとの電話の後、もう一人別の人間に電話をかけた。
セスが来る時間に合わせて、どうしてもその場に居てもらわなければならない人物に・・・。
返り血で顔中にホクロみたいな斑点がついているその男は、ミラーズ社の入口が見える場所を転々と移動している様子だった。
路肩にパトカーを止め、ホットドッグを買っている警察官に遭遇した時は、特に警戒の色を見せ、木々の陰が深い公園の中に姿を消した。
男が、何かしらの犯罪に手を染めているのは明らかだった。
他の人間にはわからないことかもしれないが、ウォレスには、彼の身体から発せられる犯罪者の臭いを色濃く感じていた。
男は神経過敏気味で、酷くイライラしているようだった。
自分の歩く道の途中に警察官がいて、嫌々ながらもコースを変えなくてはならないことに憤慨している様子だった。
ちょっと精神のバランスに異常をきたしているのかもしれない。
冷静に犯罪を犯す秩序型の犯罪者ではなく、酷く衝動的で刹那的な人間であることが窺えた。はっきり言って、爆弾犯には向いていない性格だ。
── この男は自分が追っている人間とは違う男なのだろうか・・・?
ウォレスが不安を抱き始めた頃、ウォレスのその考えを覆すことが起こった。
若い男が、『あの現場』に向かったのだ。
そう、ステッグマイヤーが車ごと吹き飛ばされた場所。
車はとうの昔に撤去されており、現在残るのは道路上の焼け焦げた跡だけだった。
だが、それでもその現場は、脂と血の臭いが混ざったような忌まわしい雰囲気で満ち溢れていたし、夕刻近い時間この現場に近づくような人間はいなかった。
男は、道路沿いの森の方から現場の様子をじっと眺めていた。
そして彼は周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、森を抜け出て現場に這い蹲り、焦げた跡のあるアスファルトをゆっくりと撫でたのだった。
ウォレスは、その瞬間の表情を見逃さなかった。
その恍惚の顔。
自分の達成した成果に酔いしれているといったような表情だった。
── 間違いない。
アイツこそが、一連の爆弾事件を起こした犯人。
あのまがまがしい日記を書いた張本人。
あのぎらついた目が自分のことを執拗に見つめ続けていたかと思うと、ウォレスの背筋に悪寒が這った。
あの男こそが、自分の最愛の人を死に追いやろうとしたのだ。
ウォレスの頭にカッと血が昇った。
ポケットの中でナイフの柄を握りしめる手に力がこもる。
だが、ウォレスは思いとどまった。
── ジェイクだ。
あの男の後ろには、ジェイクがいる。
ウォレスには、そう思えてならなかった。
目の前の男は、生粋の爆弾魔とは思えなかった。
かといって化学に関する勉強をして突然爆弾魔になったとも思えない。
彼がこうなったのは、彼の欲望を後押しする手があったに違いなかった。
その手が、ジェイクの手だとしたら。
── きっとそうに違いない。男を泳がせておけば、いつかジェイクにつながる。
ウォレスは、ポケットからゆっくりと、手を出したのだった。
その日の夜。
セスは久しぶりに署を後にした。
捜査チームから外された以上、定刻時間が過ぎれば署に止まる必要なんてない。
テイラーに向かって大きな声でそう愚痴りつつ署を出たセスだったが、内心は酷く興奮していた。
テイラーはそんなことを愚痴るセスを意外そうな目で見ていたが、それ以上は突っ込んでこなかった。ましてや署の他の連中は、捜査チームを外されたセスに触らないようにという雰囲気をありありと漂わせていた。
テイラーは、セスにかかってきた電話のことを気にしているようだった。
あの時のセスの動揺ぶりがただ事ではないと察知しているのだ。
セスは、「彼女にふられたんだ」とおどけて見せたが、テイラーはそれを信じているようには思えなかった。
だがテイラーが何も言及してこないのなら、そんなテイラーに構っている場合ではない。
── 何せこれから自分は・・・。
渋顔のテイラーを大使館まで送って、その後セスは、車を知り合いの店の駐車場に置かせてもらうと、その近所にある小さな街角のイタリアンレストランに一人で入った。店の全てが見渡せる一番奥の席に座り、ラビオリとラム肉の香草焼きを注文すると、久々に身体に流し込むアルコールをゆっくりと味わいながら周囲を見回した。
自分の後をつけている様子は窺えない。
自分に尾行がついてないかどうかの確認の為に入った店だったが、料理も意外にうまかった。
セスは、ゆっくり時間をかけて食事を楽しむと、店を出てタクシーを拾った。
自分の車で病院に行くわけにはいかない。
なるだけ、他の連中にセスが病院に行くことを悟られたくなかった。
別に友人への見舞いと言えば自然だが、セスの今の立場は微妙だ。
マックスの友人であるマイク・モーガン医師の指示により、病院の裏にある救急車止めにタクシーをつけた。
救急外来を訪れた風を装って小走りで中に入ったら、そこでモーガン医師が待っていてくれた。
「今晩は。こちらへどうぞ」
軽い笑顔を浮かべるモーガン医師の顔も、どこか緊張しているようだった。
セスは、あっという間に騒がしい救急病棟から連れ出され、すっかり夜の表情見せる別の病棟へと案内された。
日頃からあまり物事に動揺しないセスだったが、さすがに夜の病院は不気味だ。
自分の先にモーガン医師がいなければ、暗い廊下にぼんやり点る赤やグリーンの光に惑わされ、簡単に迷ってしまいそうだ。
モーガン医師は懐から鍵を取り出すと、一際厳重に隔離された病棟へ続くドアの鍵を開けた。
真新しい白のペンキで塗られたドアの向こうは、精神科病棟だ。
こんなところに連れてこられると、昨日電話で話したマックスが、本当に正気なのか記憶が怪しくなってくる。
硬く閉じられたドアがいくつも並ぶ廊下。
時々奇声がどこからともなく聞こえてくる。
「あ、あの・・・」
セスが頼りなげに声を上げた時、前触れもなくモーガン医師が足を止めた。
「こちらです。中で大声を上げないように。夜は部屋の中の声も、結構響きますから」
モーガン医師が、ドアを開ける。
セスは、恐る恐る部屋の中に入った。
「やぁ、セス。待ってたよ」
マックスの明るい声に答えようとしたが、セスはそれに答えることができなかった。
マックスのベッドの横に座っていた人物が、ゆっくりと振り返る。
その人物もセスの顔を見て、心底驚いた顔をしていた。
「レイチェル・・・」
「セス・・・」
レイチェルはそう言って、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
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