Please Say That

国沢柊青

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 ショーンが、こじんまりとしたレトロ感満載の食料品店のドアを開けると、チリチリンと軽快な鈴の音が鳴って、店の奥からメガネをかけた大柄の40代男がのっそりと顔を出してきた。
 オーナーの息子・テッドだ。
「・・・ショーン! いらっしゃい」
 その声には、「久しぶり」という意味も込められていた。
 ここは、ショーンの故郷の町の食料品店。
 ショーンの実家近くにあって、スーパーほどの品揃えはないが、それでも生活必需品が一通り揃う。ショーンもこの町で暮らしていた頃は、ほぼ毎日のように通っていた。
 そう。ショーンは結局、ニューヨークの自宅を引き払い、自分の故郷に帰ることにしたのだ。
 取り敢えず実家にまた居候することにし、自分の部屋に入りそうにないものはリサイクルショップに売るなり、貸倉庫に預けるなりした。
「またしばらくここに越して来ることになったんだ。いろいろ迷惑かけるかもしれないけど、よろしく」
 目深に被ったキャップをずらしてショーンがそう言うと、「一番のお得意さんの帰還だ。ばあちゃんも喜ぶよ」と彼は言った。
 ショーンもその台詞が嬉しくて、思わず微笑む。
 そうして、昔とちっとも変わっていない店内を見て回った。
 今日はスコットがコーチングの仕事で遅いので、晩ご飯の食材を買っておかなければならない。まさに、高校時代にしていたようなお使いだ。
 髪をしっかり覆うように被った赤いキャップに濃紺のダボッとしたパーカー、ポピュラーなメーカーのストレートジーンズにコンバース。年相応の町の若者ファッションに身を包んだショーンは、一見すると世界中のステージを唸らせてきたギタリストには見えない。
 ショーンは店の買い物カゴに卵のパックや牛乳、トマトの水煮缶などを入れながら、店内を回った。途中子どもの頃にいつも買っていたチョコバーを発見して、それもカゴに入れる。
 ふと、再び鈴の音がして顔を上げると、明らかに余所者といった風貌の男が入ってきた。
 しかも最悪ことに、グレイのぴったりとしたスーツを着た彼の胸元には大きなカメラがぶら下がっている。
 ショーンの心の中に嫌な予感が広がった。
 しかもすぐにその予感が的中したことが分かる。
 男はショーンの姿を見つけると、カメラを構えながら真っ直ぐショーンのところに寄ってきた。
「ああ、ミスター・クーパー。すみません、少しお話をきかせてください」
 そう言って、何の予告もなしにパシャッとシャッターを切る。
 店内に眩しいフラッシュの瞬きがとげとげしく光り、他の客が一斉にショーン達の方を見た。誰もが顔を顰めてこちらを見ている。
「 ── やめてもらえませんか」
 ショーンがそう言っても、相手はまったく聞く耳をもたないようだ。
「今回の事務所側のコメントについて、どう思いますか?」
 記者はそう言いながら、ショーンの目の前にICレコーダーを持ち出してスイッチを押した。
 ショーンは溜息をついて、再び自分の買い物を続ける。
 それでも記者は負けじとショーンの後を追ってきた。
「精神的に不安定だったとのことですが、どのような状態になったんですか? それは今もそうですか?」
 ショーンは記者に背中を向けたまま、何も答えず品物をカゴに入れる。
「答えてもらえませんかね」
 そう言われ、唇を噛みしめた。
 ショーンは、事務所の言ったことに反論するつもりはなかったし、自分がメンタル的に厳しかったことをこんな男なんかに話すつもりもなかった。
 後ろからまた数回シャッターを切られる。
「恋人の噂が取りざたされていますが、彼女は今どこの病院に入院されているんですか?」
 そう言われて、ギョッとした。
 いつ、どこでそんな話になっているのだろう。
 ショーンは思わず立ち止まって、男を振り返る。
 その顔に再びカメラを向けられ、ショーンは思わず腕で顔を覆った。
「本当に、やめてください」
「じゃ、これだけは答えてもらえませんか? あなたは今、HIVポジティブですか?」
「は?」
 ショーンがあまりの質問にあんぐりとして口を開けた瞬間。
「ちょっと、あんた。ここで買い物をする気はないのか」
 テッドだった。
「え?」
 記者が振り返る。そして、自分よりずっと大柄で巨漢のテッドをゆっくりと見上げた。
「客じゃないんなら、出ていってもらおう」
 テッドはさも不機嫌そうに言う。
 記者は冷や汗を掻いた顔で薄っぺらい笑顔を浮かべると、手近にあった魚肉ソーセージを掴み、それをテッドに突きつけた。
「これを買う。な、それならいいだろ?」
「お前に売るものはない」
 テッドか間髪入れずにそう言って、男を睨み付けた。
 他の客も自分の買い物の手を止め、テッドと同じ様な顔つきをして、じっと記者の方を見ている。
「き、君達、報道の自由を侵害しているんだぞ・・・」
 か細い声で記者がそう言うと、テッドが不機嫌そうな顔を更に近づける。
 そして他の買い物客の女性が近づいて来て言った。
「それって、プライバシーの侵害とどっちが強いのかしら」
 初老の如何にもお堅い職業をしているといった風貌の女性だ。
「それを的確に論理的に、余計な主観的視点を除いて、一般市民にもわかりやすく、客観的に答えてもらえるかしら」
「え、ええと・・・」
 記者の声が更にか細くなっていく。それとは対照的に、テッドの大きな声が辺りに響いた。
「俺らは田舎者だからさ。分からねぇんだ、そういう面倒くさいことは。都会の偉い記者さんなら答えられるよなぁ」
 巨漢のテッドにそう凄まれて、記者は逃げの体勢を取った。
 無言でそそくさと出口に向かおうとする男を、別の買い物客が阻む。
 30代のビジネスマン風の男だ。
「おいあんた、そのカメラの中身。ちゃんと彼に許可を取って撮影したんだろうな」
「え?」
 男と記者がショーンを振り返る。当然ショーンは、首を横に振った。
 再び店内の視線が記者に集中する。
「こんなに証人がいるんじゃ、裁判であんた凄く不利になること間違いなしだな」
 まるで同情されるように男にそう言われ、記者は「分かったよ!」と顔を歪ませ、カメラの中のフィルムを男に渡した。男がショーンに向かってフィルムを放り投げてくる。ショーンはそのフィルムを光の中で引き出して感光させた。これで使い物にならない。
 記者は「まったくなんて店だ」と捨て台詞を吐いて、店を出て行った。
「皆さん、ありがとうございました」
 ショーンがお礼を言うと、皆何事もなかったかのように買い物を始めた。テッドがショーンの肩を二回叩いて笑顔を浮かべる。
 ── こんなの、なんでもないさ。
 皆そう言っているようだった。
 以前ショーンの家は、スコットがゲイであることが発覚した時に町の人々から阻害されたことがあった。
 今では、スコットの人柄もあってか徐々にそういうこともなくなってきたとスコットが言っていたが、正直町の人が今回こういう反応をしてくれるとは夢にも思っていなかった。
 ひょっとしたら彼らは、あの時の罪滅ぼしのつもりのように思っているのかもしれない。
 彼らは無言だったが、温かい優しさが滲み出ていた。
 別の日にショーンが数人の記者に囲まれた時も、通りすがりのおばあちゃんや工事中の土木作業員、子ども連れの若いママらが彼らを非難の視線で見つめながら取り囲んだ。その人数は次第に増えていき、やがて記者達は完全に町の住民に包囲されてしまった。記者達も、そんな町の様子を不気味に感じたのだろう。日数が過ぎていくに従って、記者の数は減っていった。
 聞くところによると、彼らがダイナーに入っても「食わせるものはない」と言われ、酒場に行くと明らかに自分達を敵視している猛者ばかりの視線に追われ、酒を飲むどころではない。極めつけは、町唯一のホテルで、どうみても部屋が空いているというのが分かるのに「満室だ」と言われたらしい。こんな有様では、まともに取材なんてできない。
 そしてショーンには、また昔みたいな静かで穏やかな生活が戻ってきた。
 それは2年間物凄いスピードでいろんなことに振り回されてきたショーンにとって、とても有り難く、嬉しい日々だった。
 ── ただ、隣に羽柴の姿はなかったが。
 羽柴は、相変わらず忙しそうにしていた。
 時々夜や休みの日に電話をかけてみるが、繋がらないことの方が多かった。
 あの告白以来、顔はあわせていない。
 すぐにでも会いに行ける距離なのに、何だか行くのが躊躇われた。
 羽柴は、相変わらず優しい。
 あんな扱いを事務所からされたショーンのことを心底心配し、実家に帰るようアドバイスをくれたのも羽柴だった。ショーンがマスコミの攻撃に閉口している時も、もう少しの我慢だからと励ましてくれた。
 ここまで平常心を保ったまま切り抜けられたのは、羽柴の存在があってこそだった。
 本当に彼は優しい。これ以上になく。
 けれど、その優しさが以前と少し違っていることをショーンは感じていた。
 何かを押し殺しているような感覚。
 羽柴は明らかに、ショーンと電話で話す時に何かの感情を隠していた。
 時々覗く厳しい口調からそれが窺えた。
 ── コウはひょっとして、俺のことを腰抜けと思ってるのかな・・・。
 ショーンは不安になる。
 今のショーンの弱みと言えば、そこだった。
 ただでさえ、『都落ち』の状況だった。
 このシチュエーションは、ショーンの本当の父親が奈落の底に陥るきっかけとなった状態だ。
 幸いにもショーンは酒に溺れることはなかったが、それでもチラリと『破滅』の二文字が臭うようで正直怖い。
 羽柴はもちろん、ショーンに対してそんなことは言わなかった。
 むしろ、「都落ちだなんて考えるな」と言ってくれたほどだ。
 それでも、羽柴が望むように音楽を続けることができない状況を作ってしまった自分に、彼は失望してしまっているかもしれない。そんな雰囲気が電話の先にあった。
 だからショーンは、羽柴に自分から逢いに行くことができなかった。
 ── もし顔をあわせて、彼が本当は俺に失望していることを知ったら、もう生きていけない・・・。
 電話でショーンは努めて明るく振る舞ったが、本心はとても怖くて、受話器を持つ手はいつも震えていた。
 ── もし今ひとつだけ願いが叶うとしたら、コウの本心が聞きたい。
 いつもそう思いながら、電話を切った。
 あまりに好き過ぎて、逢うのが怖い。
 こんな臆病な恋なんて、随分久しぶりだ。
 そう、ダッドに恋をした時以来・・・。
 自分を批判的に取り扱っている記事や報道なんかにはちっとも傷つかなかったくせに、羽柴のことを考えるだけで少しだけ傷ついている自分がいる。
 ── でもそれは、甘くて熱い小さな傷だ・・・。
 ショーンは、次に自分がどうしたらいいのか、全く分からない状態にいた。
 だから毎日できることといえば、羽柴に貰ったギターをつま弾き、心に浮かんだ言葉をノートに書き付けることぐらいだった。
 今更歌を作ったってどうしようもないことは分かっていたが、そのうちクリスの劇場で地元の人を集めてライブをするくらいはできるだろうと思った。
 自分の中から溢れてくる言葉を外に出してやらないとまた暴走しそうだし、自分が可愛そうだし。
 ショーンの創作ノートは、あっという間にページが埋まっていった。
 
 
 その日は朝から寒さが少し緩んだ日で、それはきっと世界中の恋人達のせいだとショーンは思った。
 2月14日。
 バレンタインデー。
 アメリカでは、男性が女性にバラの花束をプレゼントする。
 ショーンも正直、ここ数日、それをプレゼントするかどうか迷っていたところだった。
 自分で会いに行くのも何となく気が引けるから花屋に配達を頼みたいところだけど、そんなの絶対にできっこないことは分かっている。
 こんな時期に赤いバラなんか注文すればあからさま過ぎるし、花屋の店員だって受け取る相手が男性だと分かったら奇妙に思うだろう。
 ── 本当なら、100本のバラをコウの職場まで送りつけたい気分だけど。
 ショーンはそう思った。
 自分がどれだけコウを愛しているか、彼の職場の人にも知らしめたい。
 そして、どうか彼に手を出さないでって言いたい。
 バラは大体赤いのを送るのが普通だけど、コウには白の方が似合うから、白いバラを100本送るんだ。100枚のメッセージカードを添えて。
 彼への言葉は、100なんて軽く越える。
 ショーンの創作ノートを広げれば、幾らでもカードは作れる。
 ── でも・・・、そんなことはできない。
 コウが困るのは、目に見えてるから。
「じゃ、せめて一輪でも送ったらどうだ? それでなくても、他のものをプレゼントするとか」
 リビングのソファーにうつ伏せで埋もれている息子に向かって、スコットが言う。
 彼は、さっきから行ったり来たりして、スポーツバッグに荷物を詰め込んでいる。アメフトのコーチングに行く時間だからだ。今では、スコットの大切な仕事になっている。
 ショーンはそんな父の姿を目だけで追いながら、「あ~あ」と溜息をついた。
 スコットが足を止める。
「なんだ?」
「いや、俺もそろそろ身の振り方を考えなきゃって思って。金だけはあるから、大学受験でもしようかなぁ。幸い、損害賠償も請求されなかったことだし」
 ショーンはボソボソと呟く。
 唯一、バルーンの事務所が見せた親心だった。ショーンに、損害賠償の請求がこなかったのは。
 今頃、新生バルーンに向けて新しいギタリストの選出作業に躍起だろう。
 ショーン脱退直後に発売されたアルバムは、皆が予想したように空前のヒットとなっている。何せショーン・クーパーのギターが最後に収められたアルバムである。売れて当然だ。
 ショーンの元にも事務所からCDディスクが郵送されてきたが、ショーンはその封を開けてはいない。
 確かに大部分はショーンのギターだが、一部自分ではない人が自分と偽って弾いてる箇所がある。そんな偽物を聴く気にはなれなかった。
 当然、リスナーも“一部ショーンのギタープレイに精細を欠いたところがある”ことに気付いたようだ。だがまさか、別の人間が弾いているとは思わない。奇しくもそれが、「やはりショーンはギタリストとしても精神的に不安定だったんだ」と事務所側の主張を裏付ける形となった。
 ── 今となっては、もうどうでもいい。
 ショーンは、自分やその後のバルーンに関する記事や報道は、一切目にしていなかった。どれほど酷いことが書かれていても、見なければ気にしなくて済む。不必要に傷つくこともない。
「ダディ、学校に行くなら、大学のパンフレット適当に取ってきてくれない?」
 ショーンがソファーに埋まったままそう言うと、スコットはあからさまに顔を顰めた。
「あのなぁ、ショーン。適当なんかじゃ、いい大学には出会えっこないし、そういうのは親に頼んで取ってきてもらうものでもない。第一、お前が本当にしたいことが分からないのに、的外れになるだけじゃないか」
 ── 自分がしたいことは、ギターを弾くこと。そして歌を歌うこと。でももっとしたいのは、コウと一緒にいること。
 どっちも、大学に行くのとは関係ない。
「ん~~~~~~」
 そう唸り声をたてながら寝たフリをする息子に、父は呆れた顔をして出て行った。
「ひょっとして俺、駄目人間・・・?」
 ショーンはクッションに顔を埋めながら呟いた。
 ── こんなんじゃ、コウにバラを送るどころじゃないかも。ああ、でも、バラじゃなくてもいいから、何かプレゼントしたい。何でもいいから。
「歌でも録音して、送ろうかなぁ・・・」
 誰に聞かせるでもなくショーンがそう呟いた時、チャイムが鳴った。
 ── そう言えば、裏のウィリアムズさんが修理した車を取りに来るって、ダッドが言ってたっけ。
 ショーンはソファーから立ち上がると、「はぁい、今出ます」と暢気な声を上げてドアを開けた。
「 ── わっ!」
 開けた瞬間、これまたマヌケな声を上げて、あとは絶句してしまう。
 そこに立っていたのは、ビジネスマンスタイルの羽柴耕造だった。


**************
作者より

今回、フィルム式のカメラが出てきました。
現代風にデータ式のデジタルカメラに変更しようかとも考えましたが、今後公開予定の作品に多少影響が出てくるのと、制作当時(2005年)の雰囲気をそのままにしておくのがいいのではと思い、修正しませんでした。
現代っ子の方には「フィルム」が分からないかもしれませんが(汗)。その場合は、Google先生に訊くか、身近にいる昭和生まれの「人生の先輩」に訊いてみてください!

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