Please Say That

国沢柊青

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act.20

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 ロジャー夫婦の尽力もあってか、パーティータイムは朗らかに過ぎていった。
 ジーナの手料理は相変わらずおいしく、羽柴の買ってきたシャンパンやワインも申し分なく美味い。
 ショーンも満足そうに家庭料理の味を楽しんでいるようだった。何度も何度も「おいしい!」を繰り返している。
 最初は流石に緊張の面もちでショーンの表情を窺っていたロジャー達であったが、ショーンの飾り気のないチャーミングな表情を見るにつけ、次第に緊張も解れてきたらしい。アルコールも手伝って、徐々に笑い声が出てくるようになった。
 食事が終わると、グラスを持ってリビングに移動した。
 火がともされた暖炉の縁には、家族の名前が刺繍された大きな靴下がピンで止められてある。その中にはもちろん羽柴の分もあったが、名前のない靴下も急遽用意された。
 ショーンの分だ。
 そういうところはやはり、心温かい家族である。
 娘のパティがショーンの分の靴下に名前がないことに気が付くと、それを指さしてママに縋った。
「ショーンの名前を書いてあげないとサンタさんが困っちゃうわ」
 それには皆で笑って、ジーナが早速ショーンの名前を靴下に刺繍し始めた。ショーンは酷く感激した様子で、膝に弟のジミーを乗せ、じっとその様子を見つめていた。
 幼い頃に母親を亡くしているショーンにとっては、久しく味わったことのない母親の温もりなのだろう。
 皆でプレゼント交換というタイミングになって、ショーンはおずおずとこう切り出した。
「今日は皆さんに凄く素敵な時間を頂いているのに、生憎自分はプレゼントを買ってこなくて・・・。もしよかったら、一曲プレゼントしたいんですけど、いいですか?」
 その申し出に、ロジャーやマーサが有頂天になったのは言うまでもない。
 ショーンは、膝に乗っているジミーを隣のおばあちゃんに預けると、ソファーに立てかけてあったギターを手に取り、ポケットから五線紙を数枚取り出した。
 どうやら今日、羽柴が買い物に行っている間に曲を作っていたらしい。
 ショーンは五線紙をテーブルの上に広げ、一回咳払いをすると、「久しく歌ってないんで、上手くいくかどうか分からないけど・・・」とテレ笑いを浮かべ、少し不安そうな瞳を羽柴に向けた。
 羽柴が勇気づけるように微笑みを浮かべて頷くと、ショーンもしっかりとした微笑みを浮かべ、ギターの弦を弾いた。
 短いイントロの後、ショーンの歌声が零れ出てきた。
 ロジャーやマーサはもちろん、その場にいた誰もが魂を抜かれたようにショーンの瑞々しい歌声に魅入られていた。
 スローテンポの穏やかで心が洗われるような曲。
 あなたが支えてくれたから、自分はくじけたりしない、といった感謝の気持ちを表す歌だった。
 時に掠れ、時に伸びやかに響く歌声は、驚くことにギターの音色にも負けない魅力に溢れていた。
 羽柴の背筋に、ゾクゾクと鳥肌が立つ。
 ギターの上を滑る長い指。ちょっと傾げられ、少し憂いを帯びた面差し。眉間に少し皺を寄せて歌うショーンの姿は凄く大人びていて美しく、またやたら格好良かった。
 そこには、正しくミュージシャンとして神から見いだされた輝きがあった。
 ギタリストとしての彼の才能は、天性のもの・・・と評したミュージックライターは何人もいたが、果たして彼らはショーンのこの歌声を聴いたら、今度は何と言い出すだろう。
 今まで、ショーンがどうして歌を歌ってこなかったのかが不思議なほどだった。ショーンの身の回りの人間達は、ショーンのこの才能に気付いているのだろうか。
 まるで、天使の歌声があるのだとすると、きっとこんな声なんだろうと思わせるような歌声。柔和で優しく、深みがある。
 羽柴は一瞬、ショーンが自分よりずっと大人の男であるような印象を受けた。
 これまでショーン・クーパーが歩んできた激しく辛い人生が、その歌声に力を与えていた。
 今まで、やたらショーンのことを可愛らしい子どもだと思ってきた自分が、何だか恥ずかしく思える。
 曲は短かくて、あっという間に終わってしまったような感じだったが、人々に与えた衝撃は大きかった。
 ショーンが歌い終わっても、皆しんとして、しばらくポカンとショーンを見つめ続けた。
 ショーンが不安そうに皆を見回してからようやく、拍手が零れてきた。
 それはやがて大きく、激しくなり、しばらく鳴りやまなかった。
 ジーナやマーサはおろか、ロジャーやロジャーの両親も目を赤く充血させて、熱心に手を叩いた。マーサはすっかり感動して、泣き出してしまっている。
「ああ、何て事だ・・・! 本当に、何て事だ・・・」
 ロジャーは他に言葉が見つからないといった様子で、何度も何度もそう呟いた。
 ショーンは心底ほっとした様子で、やっと笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます」
 そうショーンが言うと、ロジャーの父親がショーンに握手を求めてきた。「わしが歌でこんなに感動できたのは、シナトラ以来だ」と言いながら。
「ホントだわ。ギターだけじゃなくて歌も歌ったらいいのに。本当に素敵な歌声だし」
 ジーナがそう言う。その声にロジャーもマーサも賛同の声を上げた。
「どうしてバンドで歌を歌わないんだい? 勿体ないよ」
「イアンより素敵よ」
 幼いジミーやパティにまで「お歌をたくさん歌った方がいいよ」と言われ、ショーンは苦笑いを浮かべている。
 それを見て、羽柴は何となく事情が分かったような気がした。
 ショーン自身、そのことに悔しい思いをしているのだと。
「彼の歌声が素晴らしいのは、神様だってもう分かったことだし、いいじゃないか。それより、皆、プレゼントは開けなくていいのかい?」
 羽柴が芝居がかった口調でそう切り出した。
 それを聞いて、皆思い出したように我に返る。
 話題が自然と逸れて、ショーンが羽柴に向かって声を出さずに「ありがとう」と呟いた。羽柴も頷く。
 ロジャー家にまた新たな歓声が響き渡ったのであった。


 羽柴とショーンがロジャー家を出たのは、11時を回った頃だった。
 子ども達は既にベッドの中だったが、その他のメンツ全員にはドアの前まで見送られた。
 ロジャーがおずおずとCDケースを差し出してくる。
「よければ、今日の記念にサインしてもらえるかな・・・。もしプライベートでしていないのなら、構わないのだけれど」
 ショーンは肩を竦めた。
「そんな! こんな素晴らしいパーティーに呼んでいただいているのに。サインなんか大したことないですよ」
 ショーンはCDケースとペンを受け取ると気軽にサインに応じた。マーサの分もだ。
「本当に楽しかったです。料理も、とても美味しかった」
「あんな料理でよければ、いつでも食べに来て。きっと私より主人の方が熱烈歓迎してくれると思うわ」
 皆で笑いあう。
「さ、もう行こうか」
「うん」
 羽柴がドアを開けて出ていこうとした瞬間、ロジャーの母親が「あら! やどりぎの下だわ!」と声を上げた。
 羽柴が見上げると、確かにやどりぎの飾りの下だ。ギョッとしてショーンと顔を見合わせる。
「やだ、お母さん。やどりぎの下でキスするのは男女の間でしょ?」
 ついに呆けて来始めたのかしらとマーサが顔を顰める。その声に、ジーナが声を上げた。
「いいじゃない。キスしちゃえば? ねぇ、あなた」
 ロジャーもジーナを見て、「おう、そうだな」と首を縦に振る。
 ロジャーもジーナも、羽柴が過去に男性と付き合っていたことを承知していたし、何よりショーンの羽柴を見つめる視線の意味にも気付いていた。
「縁起ものだ。縁起もの」
 ロジャーが神妙な顔をしてそう言う。
 羽柴は顔を顰めた。
「まったく、何言ってんだ・・・」
 そういう羽柴の顔がふいにグイッと掴まれ、次の瞬間、温かな感触が唇に当たった。
 あっという間の出来事だったが、羽柴がポカンとするには十分だった。
「じゃ、帰ります。本当にありがとうございました」
 ショーンは何事もなかったかのような笑顔を浮かべると、羽柴の腕を掴んで外に出た。
「気を付けて帰るんだぞ!」
 ロジャーの笑い声が混じった声に見送られる。
 ロジャーが呼んでくれたタクシーに乗った羽柴は、隣に乗り込むショーンをしばらく見つめて、「君、大丈夫か?」なんてマヌケなことを訊く。
 ショーンは、まったく気にしないといった具合の表情を浮かべると、「だって縁起ものでしょ?」と言った。
 羽柴は「まぁ、そうだよな」と呟いて、運転手に行き先を告げたのだった。


 内心、ショーンはドキドキしていた。
 いや、ドキドキなんて軽いものではない。
 完全に全身が心臓になったみたいで、そこかしこが跳ね上がっているようだった。
 羽柴が変な気を使うといけないからと思って、努めて普通のしらっとした顔つきをして見せたけれど。
 帰りのタクシーの中では、自分の心臓の音が羽柴にまで聞こえているのではないかと、正直落ち着かなかった。
 どさくさ紛れだったとはいえ。
 遂に、コウの唇をゲットできたなんて。
 嬉しすぎて気を張ってないと叫び出してしまいそうだ。
 羽柴の同僚夫婦にはショーンの気持ちがバレていたのだろうか。
 そこら辺が不安でないと言ったら嘘になるが、それよりも喜びの方が大きくて、まともに思考が回転しない。
 まるで酔っぱらったみたいだ。
 ショーンはまだ未成年だが、当然隠れて酒を飲んだことはある。同じ年代の若者で酒を飲んだことない人間を捜す方が、今は難しいくらいだ。
 酔いつぶれる程無茶な飲み方はしたことがないが、それでもあの時感じたほろ酔い気分に今の感覚がとてもよく似ている。
 まるで地にちゃんと足が着いていなくて、耳の奥がガーゼか何かで優しく覆われているような感じ。
 ── コウの唇は、やっぱり女の子のそれとは違って、なんかこう・・・・。
 煙草の芳ばしい香りが、ショーンをまたドキドキとさせた。
 ── 心底驚いたコウの顔つきは、本当にキュートだった・・・。
 湯気の立ちのぼるバスルームの湯船の中で、ショーンは興奮した様子で水面をバシャバシャと叩いた。まるで小さな子どもがふざけてするみたいに。
 今は一人きりの空間にいるのだから、これくらいは許されてもいいと思う。
 自分は本当にすっかり羽柴の虜なんだと痛感した。
 彼の顔、彼の声、彼の腕、彼の脚、彼のハート、彼の存在そのもの・・・。
 どれもがショーンを魅了する。
 以前はシャワーしか浴びることのなかったショーンのバスタイムも、羽柴の好みの影響を受けて、しっかり湯船に浸かる心地よさを覚えた。やはりこういうところは、日本人なんだなぁと思う。
 それに今日は先に羽柴がバスルームを使ったから、バスルームについさっきまで彼がいた痕跡が残っていて、それを感じるだけで更にドキドキしてしまう。
 今まで彼がここで自分と同じように裸で湯船に浸かって身体を休めていたと想像すると・・・。
 日本では、一つの家族が同じお湯を共有して使うという。
 もちろんこちらではそういう習慣はないので、今ショーンが浸かっているお湯も、新たに入れ直したものだ。
 けれど、どうせなら羽柴の浸かった同じお湯に浸かってみたかった、と思ってしまう自分は、少し変態じみてるだろうか・・・とショーンは思った。
 正直、今でも羽柴が、男も愛せる人だったという事実が信じられないでいる。
 あの告白以来、羽柴とは依然として寝床は別々だ。それが寂しくない訳ではなかったが、それでもその方がいいとショーンは思っていた。
 きっと寄り添って眠れば、パジャマの下の彼の身体が、男をどういう風にして抱いたのか、あからさまに想像してしまう。
 失った恋人に永遠の愛を誓っている彼に対して不謹慎だと思うが、一緒に生活を共にしている間はこの衝動を抑えられそうにもない。
 アルバムのあの写真の彼。
 やはりきっと、あの人が羽柴の大切な人だったのだろう。
 彼の微笑み、幸せそうな顔、寝起きの連続写真。
 その奥には、羽柴との幸せで濃厚な夜があったに違いないのだ。
 ショーンは、はぁと息を吐き出した。
 この数日間は、本当にいろんな感情が交錯して、一分一秒ごとに心の天気が変わっている。
 頭の中がもうぐちゃぐちゃで、何から考えていいか分からない。
 羽柴が同性でも愛せる人だと分かった喜び。
 美しい『彼』に対する嫉妬。
 淫らに反応する自分の不謹慎な身体への嫌悪感。
 男と付き合ったのは、『シンイチ』という人が最初で最後だと断言された戸惑い。
 そして・・・彼が自分にそういう意味での魅力を感じていないという現実。
 また鼻の奥がツーンとなる。
 コウは、落ち込んでいる俺に気を使って「ハンサム」だとか「美しい」とか言ってくれるけど、本当のところは俺を子どもにしか思っていない。だって、以前は何十日も身体を寄せ合って眠ってきたのに、コウはそんな素振り一回も見せたりしなかった。
 それってつまり、例えゲイでも俺には何も『感じてない』ってことだろ?
 こうしてバカみたいに盛ってる自分との差が激し過ぎて、悲しくなる。
 いくら絶世の美女だって、本当に好きな人に魅力的だと思われないと、そんな美貌など意味がない。・・・もっとも、俺が絶世の美女ほどの魅力があるとは思えないけど。
 ショーンはザバリと湯船から上がると、戸口に引っかけてあるバスタオルを取り、身体の水滴を拭いた。
 ふと鏡を見る。
 湯気に曇りがちな鏡に映った腰元の刺青。
 痛みも大分落ちついて、肌にしっとりと吸い付いてきたようだ。
 ニューイヤーズデイまでは、悲しいことを考えないでおこうと決めたけど。
 羽柴のことを考えて幸せに浸る次の瞬間には、羽柴を虜にしている『彼』の存在を意識している。
 ── それってやっぱ、俺が欲張りだからかな・・・。
 これじゃ、折角自分の中で期限を決めたのに、意味がなくなりそうで恐い。
 刺青を入れたのは後悔してないけれど、その思いに溺れてしまいそうな自分が辛い。
 ── つくづく俺は、報われない人を好きになっちゃうんだ・・・。
 思えば、これまでショービスの世界に入ってから簡単に成就してきた恋愛は、どれも長続きしてこなかった。
 跳ねっ返りのクリスティーンも、優しかったキャリーも、魅力的な瞳のジョアンもいつも本気だと思ってきたけど、結局最後は自分の見てくれやキャリアに惹かれて寄ってきた女性とのおままごとのような恋愛だった。
 だからきっと、本気で好きじゃなかったんだと思う。
 本気で好きになるのは、いつだって手に入ることのない、年上の大人の男。
 ── それが自分の性分なのかなぁ・・・。
 ショーンは苦笑いを浮かべると、バスローブで刺青を覆った。
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